名も無き世界・17
里の長の住まいということだが、そこはナインの部屋と大差のない程度に質素で、言ってしまえば殺風景だった。
森の中心部に何本も並び立つ大木の、その内の1つ。洞の中の広い空間に、テーブルや椅子などの必要最低限の家具が置かれている。玄関兼リビングである1階と、壁際に掛けられた梯子の先に続く2階の寝室。同じ森人であるメアリの家と、似たような構造だ。
ひょっとすると、この森に生きる森人たちの住居というのは、皆このような形なのかもしれない。
「座れ」
ナインがそれとなく、無礼にならない程度に周囲を観察していると、部屋の主がぶっきらぼうに命じてきた。そして自分は、テーブルを挟んでナインの対面側に、どっかと腰を下ろす。
ナインは軽く頷くと、まず隣の椅子を引いた。入口近くで右往左往していた人物に向かって、声をかける。
「ほら、座れよメアリ」
「あ、は、はい!」
促されたメアリが慌てながら、愛用の大弓をテーブルに立て掛けた。そして、いつもの地味な色合いのワンピースの裾を抑えながら、ゆっくりと腰を下ろす。
それを見計らってから、ナインもようやく自分の椅子に手をかけた。小さな丸太を削り出して作られたそれは、丁寧に鑢がかけられているようで、ささくれのない実に滑らかな手触りだった。これならば、お気に入りのスーツの尻が破ける心配も無い。
「それで、今日もかね?」
ナインが座ったのを見計らい、対面の人物が口火を切った。この森人の里の頭領である、コンフュシャスだ。むっつりとした顔や半袖の上位から覗く逞しい腕には、黒い入れ墨が彫られている。森人文字によるそれは、彼が一族の中でもかなり特殊な存在であることを示しているらしい。
「はい! 今日も、こ、このように、お手紙を書いて、ま、参りました!」
問いに答えたのはナインではなく、その隣に座るもう1人の森人。メアリという少女だった。つっかえながらも笑顔で返事をすると、膝の上に置いてあった鞄の中をまさぐりだした。そして数秒後に、丸められた大きな一枚の葉を取り出す。これが彼女の手紙だ。
「どうぞ、お読みになってください」
「む……」
コンフュシャスは頷きもせず、差し出された手紙を受け取った。しかし開封することもなく、すぐにテーブルの脇に置いてしまう。書いてある内容について、すでに察しがついているからだ。
コンフュシャスは、すぐに視線をメアリの方へと戻した。
「それで?」
「はい! け、今朝は初めて、10回連続で、ま、的に命中させることができました!」
「うむ」
「お師様も、とっても褒めて、く、くださいました! 『里の戦士たちにも劣らないだろう』って、て!」
「うむ」
「そ、それで、ご褒美に、林檎のパイを焼いてくださるそうです! い、今から楽しみです!」
「うむ」
頭領が無表情に頷く中、メアリは元気に近況を報告する。ナインはその様子を、ただ黙って眺めていた。
一応これは、団の名代であるナインが、里のリーダーと接見を行う場である。しかし実際はこの通りに、メアリとコンフュシャスが語らうばかりだ(ほとんどメアリの方が、一方的に話しているだけなのだが)。
これは今回に限った話ではなく、メアリが“手紙作戦”を敢行してからずっと続いており、半ば慣例と化しつつあることだった。団の思惑としてのパイプ役を見事に果たしてくれている訳だが、どうも向こうが彼女を受け入れてくれたのは、メアリが同じ森人だからという理由ではないらしい。
―血縁か、それに類する関係があるからなんだろうな
誇らしげな口調の少女と、硬い表情ながらもうんうんと頷き続ける男を交互に見ながら、ナインはざっくりとあたりをつける。
ナインに肉親はいないが、それでも脳の奥底にこびり付く他人の記憶や、書籍から得た知識によって、その関係性の強さを想像することくらいはできる。異性に向かうものとは異なる愛情と、戦友との間に築くものとは異なる信頼。それらが複雑に絡み合った、だが純粋な、お互いを想う心。
“ナインには手に入れることができなかった”それを、この2人からは感じられる気がする。そしてそれこそが、長年にわたって放逐されていたメアリが再び故郷の地を踏むことを許された理由なのだろう。
「さて……それで」
メアリとの会話がひと段落ついたあたりで、コンフュシャスが少し大げさに咳ばらいをした。そして紋様だらけの顔が、ナインの方を向く。
いよいよ本題だ。だが恐らく向こうにとっては、こちらの方がおまけでしかないだろう。
そんなやっかみだか羨望だかの念を抱きながら、ナインは居住まいを正す。
「お前の方も、またなのか?」
「ああ。俺の方からも、コイツを預かっている」
言いながらナインは、懐から封筒を取り出した。団長であるノーリがしたためた親書だ。書いてある内容は毎回ほぼ同じで、この世界における時候の挨拶と、団の立場と要求、そして提供可能な代償についてである。これはメアリが用意してくれている手紙も、ほぼ同じであるらしい。
そしてそれ故にコンフュシャスは、暗記する程に読み込んだであろうそれを開くことはせずに、テーブルの脇に置いてしまった。
「まったくお前たちは……そろいもそろって、諦めが悪いことだな」
声音に若干の辟易の色をにじませながら、コンフュシャスが言う。何度突っぱねても同じ願いをもって押しかけられては、うんざりするのは当たり前だろう。事実、3回目には「いい加減にしろ」と眼の前で手紙を破かれ、4度目には「ふざけるな無能人め」と顔面に投げつけられたものだ。
それでも団長がナインを派遣し続けるのは、団の誠意を伝える為だ。粘り強く真摯にあたれば、いずれは受け入れてくれるだろうと、そう信じているからである。随分と人の好い考え方だが、こうして実際にコンフュシャスの家に上がることを許されたわけなのだから、やはり見切りをつけないでいたのは正解だったのだろう。
果たしてそれが、ノーリの努力が実を結んだからなのかは、少々疑わしいところだったが。
「こっちの窮状は知ってるだろ? 俺たちとしては、あんたらに頼るしか道はないんだ」
「それは理解している。だが、例え一時であっても、お前たちにこの地を貸すことはできん。ましてや、掘り返るなどと」
「何でだよ? きちんと元通りにすると、団長の名のもとに確約しているだろうが。実際に、団員にはそれぐらいの芸当ができるやつがいるぞ」
「前例を作る訳にはいかんのだ。一度でも無能人の要求に応えたとあれば、今後もまた別の者が何かを求めてここに来るかもしれん。そしてそれが、我らに破滅をもたらす可能性も」
「だから、俺たちはこの世界の人間じゃぁないと……」
「我らにとってはどちらも同じだ。まだ、信頼に足るとは思っていない」
「そのわりには、護衛もつけていないじゃないか。今回はこうして里の中にまで入れてくれたわけだし、それは俺たちが話の通じる相手だと判断してのことじゃぁないのか?」
ナインの指摘に、コンフュシャスが眼を細める。
これは単なるハッタリの言葉ではない。毎度のように良い返事を貰えないこの会合ではあるのだが、当初に比べて森人らの、特にコンフュシャスの態度は、眼に見えて軟化し始めている。
頭領の家に上がり込むことを許されたのもそうだが、ちょっと前まで出張ってきていた戦士たちの姿が、今ここにはないのだ。武器を持ってナインらを取り囲み、あれほど遠慮のない殺気をぶつけてきていた彼らが、今日はコンフュシャスに連れられて歩くナインたちを遠巻きに眺めているばかり。
完全に警戒を解いたわけではないのだろうが、それでもこうしてたった3人での面談が叶ったということは、ナインらが無法を働かないであろうと信用していることの証左ではないのか。
「まだ、決めかねている」
ナインが見つめるその先で、コンフュシャスが呻く。
「恐らくお前たちも、もう調べたのであろう。我らと無能人との間には、過去の出来事による大きく深い溝があるのだ」
「ああ……だがそれは、もう昔のことだろう?」
ナインを含めた団員たちの調査によれば、過去の“人間たち”の町の一画には、スラムと呼称される区域があった。そこではおおよそナインのもっている常識に合致する通りに、麻薬や武器、密輸品などの非合法な商品が、数多く取り扱われていたのだ。
そしてその中には、“人間以外の人種”という品目があった。
ここで言う“人間”とは、他種族から“無能人”と呼称される存在。故に、つまり、そこで売り買いされていたのは、“無能人”とは呼ばれない者たちである。
「森人が売買されていたということは知っている。だがそれらを取り仕切っていた犯罪組織は、ほぼ完全に駆逐されたと記録されているぞ。“もう100年以上も昔”のことだ」
「“まだ100年ほどしか経っていない”のだ。お前たちにとってはどうだか知らんが、我らにとってはつい最近のことよ」
「む……」
無表情の中に明確な怒りを感じ取り、ナインは押し黙った。
そう言えばノーリに、『只人の感覚に囚われている』と釘を刺された覚えがある。ナインにとっては100年前の出来事など、文献から知り得るしかないものだが、彼ら森人にとっては違う。同族が無能人にモノとして扱われていたのは、つい最近まで続いていた恐ろしい出来事なのだ。
「いくらお前たちがこの世界の住人ではないと言っても、里の者たちは相変わらず懐疑の目を向けている。交渉どころか、こうして言葉を交わすことすら不要との意見もあるのだ」
「……成程な」
どうやらこの場にコンフュシャス以外の者がいないのは、別の理由もあったからでもあるようだ。一族の長が、同族を虐げる“無能人”と語らっている様子など、部下に見せる訳にはいかないのだろう。
「そう言うわけだ。そちらにも事情があるのだろうが、こちらとて同じこと。この問題の解決には、“長い時”が必要なのだよ」
そう言ってコンフュシャスは、ゆっくりと立ち上がった。どうやら、これでお開きということらしい。これ以上時間をかけては、里の者たちに在らぬ疑いをもたれる可能性もあるからだろう。
ナインは憮然とした表情で頷き、立ち上がる。
人間に比して長寿である森人にすら、“長い時”と言わしめるだけの期間。それはいったい、どれだけ途方もない時間を示すのだろうか。
100年どころかようやく年齢が二桁に到達したばかりのナインにとっては、眩暈のするような話であった。
ナインとメアリが外に出ると、空からゴロゴロと不穏な音が聞こえてきた。どうやら、また天気が崩れているらしい。最近はずっとこうだ。
2人はお互いの顔を見て肩をすくめ、あるいは苦笑をしてから帰路に就く。
「今日も、駄目でしたね」
「そんなことねぇよ。進展はしてるさ」
済まなそうに言うメアリに対し、ナインは柔らかい口調で返す。事実、メアリのおまけ程度でしかないが、こうして頭領の家にまで上げて貰ったのだ。このまま交流を継続していけば、いつかは心を開いてくれるに違いないのだ。
そのように考えなければ、この先行きの見えない仕事に対して、モチベーションを維持できそうになる。
ややげんなりしていたナインがふと見やると、隣を歩くメアリがきょろきょろと首を振っていた。目の見えない彼女の癖で、周囲の音を聞いているようである。
「どうしたんだ。何か、気になることでも?」
「え、ええ。わ、私、“初めて”この里に入りましたから。その、め、めずらしくって……」
「……そうか」
言われてみれば、ナインたちの周りの至る所に生えている巨木からは人の気配が感じられる。話し声や、何か固いものを打ち付ける音。それに、すきっ腹に響くいい匂いも。そういえば、そろそろ昼食時か。
この里から追放された彼女にとって、ここは本来の故郷とも言える地だ。だが“初めて”と言うからには、ここで過ごしたのは物心がつくまでの、ほんのわずかな期間でしかないだろう。
―このまま交渉が上手く進んでくれれば、ひょっとすればこの娘も受け入れてもらえるかも
そんな淡い期待を抱いていると、ぽつりぽつりと、肌に当たる冷たい感触。
「うわ、またかよ……」
ナインは空を見上げながら唸り声を上げた。雨だ。この分では、またいつかのように大荒れになりそうである。どうもこのところ、天気が崩れることが多い。しかも快晴だった筈なのに雷雨になるなど、事前の兆候も無しに急激に悪化してしまうのだ。
これはメアリが言う通りに、何か邪な神サマが悪いことでもしでかしているのかもしれない。例えば、他人様の身体を乗っ取るだとか。
べちゃり。
ひときわ湿っぽく、それでいて“ざらり”とした音が響いてきた。ナインとメアリの足元からだ。そろって下を向くと、メアリのワンピースの裾に泥が跳ねていた。
「ありゃぁ……」
「あ、あ、あの、どうかしましたか?」
「いや、大したことはなさそうだ。さっさと……」
言い終わる前に、また同じ音がした。そして同時に、突然メアリが頭を押さえて地面に倒れ込む。からんからんと、大弓が転がった。
「うう……」
「どうした、大丈夫か!?」
ナインは血相を変えて駆け寄った。メアリの手をやんわりと引きはがしながら、頭部に傷が無いかをよく確かめる。
出血はない。打撲の跡も無い。ただ代りに、灰色がかった金髪に何かがこびりついている。
拭い取ってみると……また、泥だった。
「やったやった!」
「当たったぞ!」
背後から響く、黄色い歓声。
反射的にナインがそちらに眼を向けると、木々の間から見つめ返してくる存在があった。低い背丈に、尖った耳。森人の子どもたちのようだ。その手にあるのは、暗褐色の球状物体。
泥団子だ。
「こんのっ、糞餓鬼ぁっ!」
瞬間的に頭に血を上らせ、ナインは立ち上がった。すると驚いたのか、子どもたちが悲鳴を上げながら走り出していく。
「待ちやが……っ」
「ま、待って」
後を追おうとするナインだったが、すぐにメアリが引き留めた。ナインに縋り付くようにして身体を支え、必死に訴えかけてくる。
「メアリ!?」
「私、大丈夫。だ、いじょうぶ、ですから」
「そんな……」
涙を堪えて懸命に笑顔を作る盲目の少女に、何故か心の中まで見透かされたような気分になってしまい、ナインは意気を消沈させた。
少女の髪の泥を手で落とし、大弓を拾ってやってから、腕を掴んでさっさと歩き出す。
「あの子たちに、て、敵意はありませんでした。ただ“私たち”が、め、珍しかったんでしょう」
「……」
とりなすようなメアリの言葉に、ナインは返答をしなかった。実際には、何と言葉をかけてやればよいかが分からなかったのだ。
あの森人の子どもたちが投擲した泥団子は、2発とも明らかにメアリの方を狙っていた。つまり彼らが注目していたのは、あくまでもメアリであって、“ナインたち”ではなかったのだ。
ならば何故、どうしてだ?
未だ冷めやらぬナインの脳内で、その疑問が嵐のように渦を巻く。
まさか。
まさか。
この娘が、追放された森人だからと。
盲目だからと、揶揄うような意図があったのではないのか?
メアリの腕を引く手に力が入りかけ、慌ててそれを抑える。別にナインは、熱血漢を気取ってはいない。それでもこんな……こんな仕打ちを見過ごせるほどに、冷めても諦観してもいられない。
殊に、生まれながらに理不尽を背負わされたような娘に対して、さらなる非道な仕打ちが為されるを目の当たりにしたとなれば。
「貴方は、とても、優しい人ですね」
背後から、穏やかな声が聴こえてくる。
「心から、憤ってくださって。私、とても、う、うれしいです」
「……別に、俺は……」
「でも、大丈夫です!」
突然、メアリが足を止めた。泥のぬめりによって手がすっぽ抜け、ナインは思わずたたらを踏む。
振り返ってみると、少女が先程の作り笑いとはまるで異なる、力強い笑みを浮かべていた。
「私は、こんなことでは、負けませんから!」




