名も無き世界・11
ノーリに連れられるままに、ナインはエレベーターに乗り込んだ。そして到着したのは、最初にノーリから勧誘をうけた際に訪れたことのある、城の屋上だった。
あの時は、自分の世界の荒涼とした景色を眺めることしかできなかったが、先の同位体との連戦による被害は未だに復旧されていないため、今は別の意味で荒れ果てた光景を晒していた。
「ひでぇな、こりゃ」
その惨状を一目見て、ナインは率直に評価を下す。
そこいらじゅうの床には穴が空き、隠し砲台などの瓦礫は縁の部分にいい加減に積み重ねられ、視界を大きく遮っている。山脈の様なそれらに周りを取り囲まれる中でぽつねんと立ち尽くしていると、なんだか屋上と言うよりも、ちょっと広い部屋にいるような感覚に陥ってしまいそうだ。
一応エレベーターの出口には、申し訳程度に『立ち入り禁止』と書かれたテープが張られてはいたが、言われなくてもこんなところに足を踏み入れる気にはなれなかった。
「良いのかよ、勝手に入っちまって。まだ作業中なんだろ?」
「別にいいじゃないですか、悪いことをするんじゃありませんし」
「お前、それで本当に団長かよ……」
「ガチャガチャ言ってないで! ほらほら、こっちですよ!」
呆れるナインを尻目に、ノーリは屋上の中央を目指して、跳びはねるように進んでいく。その向かう先にあるのは、瓦礫とは異なる小さな山だった。正確に言えば、山のような“何か”に大きめのビニールシートを被せたものである。
ナインが『まさか』と思っていると、ノーリはその小山に手をかけ、するすると上に向かって登り出してしまった。
「ノーリ! それはピャーチが言ってた、“例のやつ”だろ? さすがに不味いよ」
「平気ですってば。私たちが乗っかって壊れるくらいなら、“実戦”で役に立つものですか」
「いちいちごもっともですがね。お前は立場上、そういう行為を諫めるべき人間だぞ?」
ぐちぐち文句をたれるナインだったが、この少女が易々と忠告に耳を貸すタマではないことは、すでに重々承知していることだった。早々に説得を諦めたナインは、後に続いて小山に手をかける。ビニールシートの上から、手や足をかけられる突起を探すのは面倒そうだったが、意外にもはっきりとした手応えがあった。そのおかげで、ほとんど階段の上で四つん這いになる程度の要領で、すいすいと登攀できてしまう。
そう言えば、すでに日はとっぷりと暮れているというのに、何故だか手元が明るい気がする。ここには照明器具の類はなかった筈だが、どうしてだろうか。
そんなことを考えつつも、ナインは頂上まで登り切ってしまった。すると、すでに腰を下ろしていたノーリが、笑みを浮かべながら上を指さす。
「何だよ?」
「上ですよ、上」
「上ぇ? って、これは……」
言われるままに顔を上げた次の瞬間、ナインは息を呑んだ。
光。
光の粒だ。
数えきれない程の光の点、星が、夜空に輝いている。
青、白、赤と色とりどりで、大きさも様々なそれらが、モザイク模様のようにして一枚の絵を形作っている。あるいはまるで、暗黒の海に向かって、無数の色鮮やかな宝石を散りばめたようだ、とでも言うべきだろうか。
いいや駄目だ。
ナインの如き貧弱な語彙力では、とてもこの壮絶な光景を適切に表現できるものではない。というよりも、この究極とも思える美を人間如きの浅はかな言語で表しては、その本質を損なってしまうのではなかろうか。
「どうです、凄いでしょう。貴方と出会った世界では、夜空が酷く濁ってましたから。だからひょっとしたら、見たことがないんじゃないかと思ってたんです」
「そう言えば、そうだな。星空っての、一応知ってはいたんだが……」
だが知識として頭の中にあるのと、実物を眼にするのとでは大違いだ。こうして眺めているだけで背筋が凍りそうになるというのに、どことなく憧憬を覚えてしまうのは、ナインの中にある“誰かの記憶”が、これを知っているからなのだろうか。
―まぁ、どうでもいいや。そんなこと
ぼけっとだらしなく口を開きながら、ナインはただただ痴呆の様に空を見上げた。
ここ最近のナインの1日と言えば、殆どが情報の収集とそれらの分析、たまに時間が空いたら、トリーやドスに頼み込んで、戦闘技術を叩き込んでもらっている。夕食をとったら共同のバスルームでテキトーに汗を流し、後は自室のベッドで泥のように眠るばかりだ。
こうしてのんびり星空観賞なんて考えてもみなかったが、存外にリラックスできるものではないか。
「しかし、こう、なんだな。綺麗なもんだね、実際」
「ええ。私も、こんな美しい星空は、久しぶりに見ましたよ」
ここに来る前まで滞在していた環状の世界では、人工的に造られた世界という機構上、太陽以外の天体を拝むことが出来なかった。それより以前の、つまりナインにとっては故郷と言える荒廃した世界では、ノーリが先程指摘した通りに、大気汚染や夜の街から放たれる光によって、せいぜい朧気な月を眺めることしかできなかったものだ。
「月……」
「え?」
「この世界にも、月はあるんだな」
夜空の一画を指さし、ナインは呟いた。
丁度東の空から昇り始めた、他の星よりも一層大きく、そして白く輝く円形の天体。あれは間違いなく、ナインですら何度も目にしてきた月そのものだ。
「俺の元居た世界でもそうだった。考えてみると、不思議なもんだな。完全に別の世界なのに、どうしてもこうも似てるんだ? 自然環境とか、人間なんかの生物の種類とか……」
ノーリに連れられて2つの世界を渡ったことになるナインだが、冷静に考えてみると妙なことが多い。というのも、ノーリの“世界渡り”によって訪れることが出来た地は、程度に差があるとは言え、いずれも人間の生存に適した環境ばかりだったではないか。おまけに、文化や価値観まで似ている(この場合の似ているというのはあくまで、自身の生存のために他の生物を殺傷することを許容したり、殺人や窃盗などの犯罪を忌避したりなど、そういった次元での話だが)。
だが果たして、この宇宙に存在する世界というのは、そんな都合の良いものばかりなのだろうか?
例えば酸素が無いとか、放射線を帯びた雨が降るとか、地表の気温がマイナス100度だとか、そういった極端な環境の世界だってあっても良い筈だ。他にも、完全にコミュニケーションをとることが不可能な、知性の在り方すら異なる生物が跋扈する世界だってあるかもしれない。それなのに、どうしてこうも似たような世界ばかりに到達できるのだろうか。
「なぁんだ。今更そんなことを考えていたんですか」
ナインの疑義に対し、ノーリがちっちっと指を振った。そして例のドヤ顔をしながら、偉そうに解説を始める。
「実に簡単なことですよ。私が“世界渡り”を行うにあたって、そのような世界を意図的に選択しているからです」
「そのようなってのは、つまり俺に、というか俺たちにとって過ごしやすい世界をか?」
「その通りです! そうしないと、とても世界を旅するなんてできないでしょう」
「そりゃそうなんだが……しかしすげぇな、そんなことまでできるとは」
「当然ですとも! ようやく私の偉大さに気づきましたね!」
「ああ、今ので褒める気が完全に失せたわ」
「うぐ」
ナインの鋭い返しに、ノーリが少しだけ頬を膨らませた。しかしそこでいじけることもせず、続けて言う。
「……まぁとにかく、私が“世界を渡る”上で条件としているのは、大まかに2つ。“生存に適している”こと、“交流可能な知的生物”が存在していることです」
「その条件で、いくつもある世界から目的地を探し出してるのか。俺にはただ念じてるだけにしか見えなかったが……」
魔法のことは良く分からなかったが、電子端末のように考えればよいのだろうか。ノーリというハードウェアが“世界渡り”というソフトウェアを使い、条件を絞って検索をかけるとか。
などとナインが、どうにかして自分の知識に置き換えて考えようとしていると、ノーリがまたもやドヤ顔をして言った。
「貴方には理解できなくて当然です。何せ私と貴方には、埋めようのない差がある訳ですから」
「前にも聞いたようなセリフだなぁ」
最早突っかかる気も起きず、ナインはため息をついた。
実際、ナインには魔法の如きナンセンスな現象は理解できない。とは言え、科学的な知識の全てを理解できるわけでもない。前の世界の、超構造体などがいい例だ。
―十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。だったか……
元居た世界には、たしかそんな諺があった。あの恒星を取り囲むような人工の世界も、ノーリのすばらしい魔法も、理解が及ばないという一点については同じであろう。
だがナインの考えるところの科学と魔法というやつは、理論や思考の形態が違う。実はノーリに頼んで、興味本位で魔法関連の書籍とやらを読ませてもらったことがあるのだが、表現方法だか宗教観だか言語体系だか、とにかくまるっきり全てが断絶していて読み解くことができなかった。
手を触れずに物を動かすだとか、指先を鳴らすだけで火を放つだとかはまだ可愛いもので、呪文を唱えるだけで何でも望みを叶えるだとか、無数の隕石を呼び出すだとか、未来を見通すだとか、もう訳が分からない。
それと比較すれば、“環状の世界”を形作るために、自然界には存在しえない超強靭な物質を、途方もないコストをかけて大量生産した、と無茶苦茶ではあるが筋道立てて説明される方が、まだ納得できるというものである。
件の諺を発した偉大なる科学者様には申し訳ないが、ナインにとっては、魔法と科学は明確に異なる、それこそ“世界が違う”ような考え方なのだ。
「“世界が違う”、か……」
「え?」
ふと口から洩れた単語に、ノーリが反応した。
「今日会った、森人の連中な。『住む世界が違う』なんて言ったんだよ」
「そんな、取り付く島もない感じだったんですか?」
「ああ。俺たちだけならまだしも、メアリにまでな……」
「報告は聞きました。やはり彼女、眼が見えなかったんですね」
そう言ってノーリが、口惜しそうに顔を歪める。ナインもまた、同じ気分だった。
メアリが仲介人になることを了承してくれたあの時は、もしかしたら突破口になるかもしれない、などと甘いことを考えてしまっていた。今考えると、もっと慎重になるべきだっただろう。
だがそれにしても、森人たちのあの敵意は、異常ではないだろうか。
「彼らの私たちに対する不信感は、恐らくこの世界“無能人”との確執が原因なのでしょうね」
「しかしここ数百年間、“人間”と森人との大きな接触はなかったぞ。調査した限りでは」
「それよりも以前ならばどうですか。例えば、神話とか」
「神話ってなぁ……そんな明確な記録もされてない与太話じゃあ」
ナインとて神話と言うものを知っていない訳では無いが、それは歴史とは厳に区別されるべきものだ。第一に、この世界において実在している神というのがあの調子では、信用するに値しない。
「それにこの世界の神話って、一番新しいジーグの話でも1000年近く前の話だったろ? そんな昔のことを引きずるもんかね?」
そう言ってナインが首を傾げると、ノーリが呆れたように鼻を鳴らした。
「いけませんよ、ナイン。只人の感覚に囚われてしまっては」
「どういうことだよ」
「今の貴方の意見は、100年程度しか生きない人間の考え方に基づいています。然るに、より永い時を生きる存在にとってはどうでしょう?」
「……あぁそうか。森人だもんな」
言われてナインは、森人という種族の特性を思い出す。
彼らは森に生き、五感が優れるという他に、人間に比して膨大な時間を生きることができる。そんな彼らにとっては、人間の感覚では何世代も過去の、風化したような因縁であっても、未だに執着するに足る理由になるのかもしれない。
「そう言うことです。兎に角、計画を根本から見直す必要があるかもしれませんね」
「とは言ってもなぁ……」
ナインは唸り声を上げた。
この世界でずっと足止めを喰うというのも、面白くない話だ。主に、麗しのメイド様の身体を好き勝手弄んでいる、いけ好かない同位体のせいで。
「なぁ、ノーリ。いっそのこと、もっと単純な手を打ったらどうだ?」
「単純? どんな手ですか?」
「ドスとフィーア、あとスィスの爺さんに頼んでだな。ちょいと連中を脅かして……」
そこまで言いかけて、ナインは息を呑んだ。
月と星の明かりに照らし出されたノーリの瞳の中に、怒りの炎が燃え上がり始めたのが見えたからだ。
「ナイン、貴方はまた……」
「いや、失言でありました! 撤回いたします!」
「だったら最初から言わない!」
「イエース、マム!」
大声で叫びながらその場に勢いよく立ち上がり、直立不動の姿勢をとるナイン。もう何年振りだか分からないが、染みついた動きというものは、存外自然と出てくるものであった。
「“力”に訴えるような行為は、断じて許しません。二度と口にしないでください」
「しかしなぁ、ノーリよ。何か別の手段が必要なのは、間違いないんだぞ」
そろそろと腰を下ろしながら、ナインは口を尖らせた。
ナインの知識や経験からすれば、武力もまた立派な交渉のカードだ。それは競うように軍拡をする国と国の間でも、密造銃を見せびらかし合うギャング同士でも、胸倉を引っ掴んで威嚇し合うガキ共でも変わらない。スケールが違うだけで、本質的には一緒なのだ。
「力をもつということは、それを無闇にひけらかして良いということにはなりません。それ以外の手段があるのなら、そちらを選ぶべきです」
「しかし現実的に、やつらとの交渉が進展するとは思えない。このままだと、どれだけ時間を喰うのか分からないぞ」
「別にいいじゃないですか」
屋上に入り込んだ時と同じような調子で、ノーリはきっぱりと言い放った。
「だって私たちは不死なんですよ? 時間くらい、いくらかけてもいいじゃないですか」




