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メトロポリス・6

――仲間たちも来ている筈だが、一向に接触できない。

――彼らは私よりも強いので心配することは無いが…

――いや、逆の意味で心配になってきた。


 東の空に、太陽が昇り始めた。

 勤勉なる労働者たちが各プラントへの移動を開始し、資本家たちは優雅な朝食の準備をする。

 メトロポリスの二極化された現実だが、そのいずれにも属さない者たちが、ここには確かに存在している。


 スラム街。

 地上の楽園において決して勝者にはなれず、さりとて奴隷の如き扱いに甘んじることができない 落伍者たちが集う場所。1枚のトークンのために人を殺し、盗みや詐欺を行い、あるいは身体を売るような、ろくでなし共がひしめく廃墟。

 しかしそんな掃き溜めの一画が、奇妙な程に活気づいている。


 大戦後、復興どころか撤去作業さえされていない瓦礫の山や、かろうじて形を保っている廃屋の数々。それらの間にどうにかこさえられた狭い道の両脇に、薄汚れた身なりの浮浪者たちが座り込んでいた。めいめい足元に大小さまざまな物品を広げて、道行く人々に声をかけている。


 スラム街で定期的に開催される、“闇市”だ。


 「先月よりも規模がでけぇな…」


 大勢の人間たちでごった返す通りを、マトイは苦労しながら進んでいた。


 ギャングたちが取り仕切るこの大きなイベントでは、普通の手段では手に入らない貴重な物品を手に入れることができる。勿論目玉が飛び出るほどのトークンが必要だが、下層の公益マーケットよりも多岐にわたる品揃えの為、下層中から人とモノが集まってくるのだ。

 大体においてスラム街の、もっと言えば下層したの人間たちは、マトイと同じく変化の乏しい日常に不満を抱いている。だが、この闇市が開かれる日だけは、彼らの表情にほんのわずかな光が差す。


 薄汚れた顔にほんのりとした喜色を浮かべる浮浪者、ちらほらと見える労働者たち、見回りをしているギャングの手下たちをかき分けて、マトイは闇市の中心部へと向かった。


「お! 探偵の旦那、今日も来てくれたか!」


 顔なじみの浮浪者の一人がマトイの姿を認め、声をかけてきた。すると、それを聞いた他の浮浪者たちも、一斉に挨拶をしてくる。


「おはよう、マッさん。また何か買っていってくれ」

「いいブーツが手に入ったんだ、きっと旦那にぴったりだよ」

「今日も今日とて、商魂逞しいなぁお前ら…」


 手に手に“商品”を抱える彼らに、マトイは苦笑を返した。

 マトイはこの闇市の常連であり、食料以外に必要な物品のほぼすべてをここで購入している。だが“商品”というのはいささか語弊のある表現で、実際には廃棄物集積場から無断で拾ってきた物、要はゴミだ。


 このスラムからそれ程遠くない下層区域の一画には、メトロポリスの上層下層から、ありとあらゆる廃棄物が溜め込まれている。大半は工場から運ばれてきた危険な化学物質や、壊れた機械部品の類だ。だが中には上流階級の人間が捨てた、まだ使用に耐える高級品が見つかることもある。

 このスラムを根城にする浮浪者たちは、一歩間違えば命の危険があるゴミ山の中から“鉱脈”を見つけ出し、その中から使えそうな物を拾っては出来るだけ綺麗にして、こうして並べて売っているのだ。


 なにせ裕福な人間は、少しばかり穴が開いたりボタンが取れたりしただけで、簡単に衣服を捨てる。画面にひびが入ったディスプレイや、端が破れた書籍もそうだ。それらはほんの少しの修繕を施すだけでも、下層の人間にとっては立派な“商品”となる。スラムの住人どころか、まっとうな労働者たちまで買手になる程だ。

 

 だが残念なことに、今日のマトイにはここに世話になる予定はない。


「悪いな、爺さんたち。今日は食料の調達だけなんだ」

「殺生だな。最近また儲けたらしいじゃないか、少しは落としていってくれよ」

「そんな皺くちゃのコート着てないでさ。もっといいヤツがあるよ?」

「…ほっとけ!」

 

 ぶっきらぼうに言い放つと、マトイはコートの裾を掴む浮浪者たちを引っぺがして突き進んだ。生憎と、無駄遣いはできない。ただでさえ最近は、様々な事情で出費がかさんでいるのだ。 


 人混みをどうにか進んでいくと、やがてぽっかりと空いた場所に出た。そこには掘立小屋がひとつあり、周囲を強面のギャングたちが警備している。見知ったBloody Boysだ。

 物々しい雰囲気なために近づこうとする人間は見えないが、マトイは構わずにそこを目指す。


「おぅ…あ、兄貴!」

「お、おはようございます!」


 近寄ってくる人影に対し、反射的に歯を剥き出しかけるギャングたちだったが、相手がマトイと分かると即座に態度を改めた。入口付近に立っていたギャングの一人が、そそくさと扉を開く。マトイは「邪魔するぜ」とだけ言って、とっとと中に入った。


 掘立小屋の中は、意外にきちんとした事務所になっていた。

 中央部には新品とは言えないが、金属製のしっかりした造りの机が4つ向かい合わせに設置され、ギャングの手下たちが懸命にトークンの勘定や収支計算をしている。その奥の窓際、マトイのねぐらにあるものよりも立派なソファに座って紙巻タバコをふかしているのは、Bloody Boysの頭目であった。


「お! これは、マトイの兄貴」


 マトイの姿を認めるや、頭目は慌てて立ち上がると、タバコを床へと放って踏み消した。そして、応接テーブルを挟んで反対側のソファに座るよう、手で示してくる。


「おう、景気良さそうだな」


 マトイは頭目の対面にどっかと座ると、脚を組んだ。周囲で仕事をしていた手下たちが、一斉に起立して頭を下げてきたが、それを面倒くさげに手で制する。


「Crusher Catsからこの闇市の権利を完全に勝ち取って、左団扇ってなもんだろ。」

「それはもう、兄貴のおかげですよ。昔はちまちまやってましたが、今じゃあこんな規模の市を開けるようになりました」

「そいつぁ結構」

 

 満面の笑みを浮かべながらソファに座りなおす頭目に、マトイは気のない返事をした。

 思えば、この頭目とも長い付き合いである。マトイがこのメトロポリスに居を構えてから、大体の依頼元はこのギャングからだった。出会って間もないころは泡沫の様な弱小グループだったが、並み居る強大なライバルたちを蹴散らし、今ではスラム街でも最も大きな勢力をもつに至っている。そこにマトイの少なくない貢献があったことは、自他ともに認める事実であった。

 探偵としてのキャリアに役立つかは疑問であるが。


「兄貴には、今後とも良しなにお願いいたしますよ」

「分ぁってるよ。お前らが方針を変えなけりゃ、用心棒は続けるさ」

「そ、そりゃぁ勿論」


 釘をさすマトイに対し、世の春を謳歌せんばかりの頭目は卑屈に笑った。


 マトイがこのチンピラどもの肩を持つのは、数あるギャングたちの中でも、どうにか許容できる程度に“仁義”というものをもっていたからである。

 勿論ギャングなんていうのは、ろくでなしだ。常に暴力的に振舞って弱者を威嚇し、浮浪者たちからショバ代をせびる。労働者たちに密造酒などの非合法な品を売って、利益を得る。

 だが彼らBloody Boysは、そんな労働者や浮浪者たちを意味なく傷つけたりはしない。年端もいかない子どもに売春を強要することも、ドラッグを売りつけることもしない。浮浪者が襲われていれば助けに入るし、闇市で値段交渉がこじれれば仲裁もする。彼らはこれでも、スラムの秩序を守る自警団的な存在なのだ。

 

 だからこの坊やたちが“おいた”をしない限り、マトイとしてもこの関係を維持することに不満はないのである。殊に、最近は…


 そこでマトイは、わざわざ人の海を泳ぐようにしてここにやってきた理由の1つを思い出した。


「頼んでたもの、入ってるか?」

「ええ、それはもう!」


 マトイから威圧感が消えたことに安堵したのか、はたまた“お得意様との商談”が進むことに喜んでいるのか。頭目は丸まっていた背筋を伸ばし、手下に声をかけた。

 すると直立不動だった手下の1人が、すぐそばの棚へと手を伸ばした。そこに並んでいた半透明な袋の内、一つを抱えて持ってくる。

 前回の仕事で受け取ったものよりも、さらに2周り程大きな袋だ。手下が慎重な手つきで袋の口を開けると、中身をテーブルの上に並べ始めた。 


「代用チョコレート2箱、クラッカー4箱、キャラメル1箱に…」


 品目が読み上げられていくのと同時に、直方体の箱がカウンターにうずたかく積み上がっていく。そのすべては、菓子だった。いずれも勤勉な労働者に配給される嗜好品の数々であり、ギャングたちにとってはドラッグと密造酒に次ぐ貴重な資金源である。

 まったく嘆かわしいことに、スラムの外にはギャングとの取引にビジネスチャンスを見出す者がいるらしい。工場勤務の労働者が、小遣い稼ぎに製品を横流ししているのか。あるいは上層うえの人間が、このBloody Boysを顧客として扱っているということか。

 …こうしてその恩恵にあずかっているマトイが、文句を言える筋合いではないが。


 手下が丁寧な手つきで確認を終えた品々を袋にしまい込んでいく。その様子とマトイの打ちひしがれたような表情を交互に見ながら、頭目はさも不思議そうに言った。


「兄貴、いつの間に健啖家になられたんで?」

「…聞かんでくれ」


 マトイは頭目から目をそらし、絞り出すように言った。

 ドラッグは勿論のこと、酒や女にも興味を示さなかった用心棒が、ここ数日の間に大量の嗜好品―主に菓子類―を所望したのだ。訝るのも無理はない。

 自分の甘さにうんざりするが、腕っぷしが自慢の用心棒として通っている男が甘党だったなどと勘違いされるというのは、さらに許容しかねる事態だった。


「…それと、例の“人探し”の件は?」


 マトイはどうにかして気持ちを改め、土産でいっぱいになった袋を受け取ると、もう1つの用向きへと話を振った。彼の本業としては、むしろこちらが本題の筈なのだが、いつの間にか依頼人のご機嫌を窺うことに執着していたらしい。

 その哀しい事実に、少しだけ胸が痛くなる。


「ああ、このかわいこちゃんたちで?」

 

 言いながら頭目は、背後を指さした。その先にあるのは、ソファーの後ろの壁に貼られた三枚の手配書。そこには、それぞれ三つの容姿の異なる女性の絵が描かれている。


 これが、マトイがノーリから受けた2つ目の依頼。人探しだ。


 名前も年齢も分からないとのことだったが、顔立ちや特徴だけはどうにか聞き取ることができた。その上で作成したのが、この3枚の似顔絵である。


 1人は金髪に、切れ長な眼の少女。 

 1人は紫の髪に、鬱屈した表情の少女。

 1人は黒いボブカットの、温かい笑顔の女性。


 ノーリに描かせたら、完全栄養食品1週間分の値段のスケッチブックを無駄にしてしまったので、わざわざマトイが代筆してやったものだ。

 いずれも容姿端麗で、見れば一目で分かるとのことだったが…


「申し訳ありやせんが、これと言った情報はきてませんなぁ」

「そうか…」


 マトイはがっくりと肩を落とすと、盛大にため息をついた。

 ここ2週間にわたり、マトイはノーリ嬢からの第2の依頼、『人探し』の完遂を目指して奔走してきた。

 彼女がこの3人とどのような関係なのか、どんな目的をもって探しているのかはまったく知らないしどうでもいい。いちいち依頼人のプライベートな部分に干渉するのは、マトイの信ずる探偵としての行いではないからだ。

 しかし名ばかり探偵のマトイに、本格的な人探しのノウハウなどある筈もなく、結局はスラム街で最も大きな勢力をもつギャングのコネクションを頼っているという始末である。


 つくづく、荒事しかしてこなかった自分の人生が、虚しく感じられてしまう。

 そんなマトイの胸中など察するべくもなく、項垂れるマトイに向かって頭目が続ける。


「いただいた似顔絵を基に、聞いて回ってはいるんですがね。印刷だってトークンがかかるし、何より人手が足りないようでして…」


 顔を上げると、頭目が意味ありげな視線を送ってきた。その意図を即座に汲み取ったマトイは、しかめっ面をしながらコートのポケットに手を突っ込む。

 このギャングたちには、用心棒をしてやっているという大きな貸しがある。だが、こちらから彼らに頼む以上は、適正な報酬を支払わなければならないということだ。だがこのところの予定外の出費によって、マトイの貯蓄はほぼ尽き欠けている。


 クソが。

 とうとうコイツを使う日が来るとは…

 

 断腸の思いでそれを摘まみ上げ、テーブルに放る。金属特有の小気味のよい音を出して転がるそれは、ちょうど頭目の眼の前で“ちゃりん”と倒れた。


 労働トークンと似た形状の、しかしアルミとは材質が異なる美しい輝き。表面に刻印された文字や何者かの横顔は、一種の芸術品の様にすら思える。


「これは、まさか! きんですかい!?」

「…これで足りるだろ?」


 驚愕に眼を見開く頭目とは反対に、マトイは不機嫌な表情を浮かべた。

 このトークンもどきは、目に余る浪費を続けるノーリ嬢を諫めるつもりで『払うものを払え』と脅しつけた際に、“報酬の先払い”として突き出されたものだ。


 マトイとて、きんという貴金属の価値は知っている。

 これはスラムどころか、下層したの市場に流すには度が過ぎる程の高価な代物だ。トークンにして何百万枚か、何千万枚だろうか。そんなものをおいそれと使おうとしては、どうしたって出所を疑われてしまう。

 しかし使わねば、依頼の達成はできない。


 業腹だが、依頼の達成と今後の生活のためにも、コイツに頼らざるを得ない…!


 



 だが、頭目の発した言葉で、そんなマトイの悲壮な覚悟も、掻き消えることとなった。







「兄貴も、余所者に会ったんで?」








 この時、不自然にならないように振舞うことができたのは、奇跡としか言いようがなかった。


「…何の話だ?」


 背中に冷や汗が湧いてくるのを感じつつ、マトイは一切表情を変えずに応じた。

 “余所者”。その単語から即座に連想できるものを、マトイは1つしか知らない。そしてそんな単語が、この金のトークンを見せたことから出てきた。それが意味することとは、つまり。


 マトイの頭に、嫌な予感が噴火するような勢いで噴き出してくる。 

 頭目は金のトークンをしげしげと見つめ、続けて言った。


「なんでも浮浪者の連中が、見たこともない女の子から貰ったって言うんですよ。スラム中でそんな噂があるんで、色んな連中が探してましてね」


 マトイは、「自分たちもぜひあやかりたいもんだ」と下卑た笑い声を上げる頭目にテキトーな相槌を打ちつつ、腹の中では“悪い言葉”を機関銃の如き勢いで放っていた。


 クソが!

 クソ、クソ、クソ、クソったれ! 

 あの●●女め! ただでさえ目立つ風貌だってのに、スラム(こんなところ)で、馬鹿な真似をしやがって! 非常識だとは思ってたが、ここまで●●だったとは!

  

 この無法地帯で価値のある何かを保有するのは、それなりのリスクを伴う。単純に、力で奪われるからだ。それを防ぐには、より強い力を備えて守るか、素寒貧を装うしかない。

 私は裕福ですと宣伝して回るなど、正気の沙汰ではないのだ。


 もしもこれがただ1枚のトークンだったならば、大事にはならなかっただろう。だがノーリは、あり得ない価値をもつきんの塊を、スラムに無秩序にばら撒いてしまった。それも、そこそこ名の知れたマトイという男を探すために。


 奪うことに抵抗感をもたず、手段を選ばない者たちならば、血眼になってノーリを探す筈だ。マトイを糸口として。


 ノーリを匿ってから2週間。鼻の利く連中なら、すでにその所在を突き止めていても不思議ではない。一刻も早く、あのねぐらを引き払わなくては。

 

 焦燥感に駆られたマトイが、早急に話を誤魔化して退散することを画策する。

 すると突然、小屋の扉が乱暴に開かれた。振り返るとそこには、息を切らせたギャングの手下が立っている。


「何だテメェ!? 兄貴の前だぞ!」


 上機嫌から一転して激高した頭目が、立ち上がりながら拳を振り上げた。しかし、手下は荒い息をつきながら、構わずに言った。


「ぐ、軍警察が来ます! ここに向かって!」

 

 マトイを含めたその場の全員が、一斉に凍り付いたように固まった。


――マトイ氏に侮辱されたままではいられない。

――私だって、少しはできるところを見せてやる!





――駄目だった。失敗した。不味い。怒られるかな。

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