メトロポリス・5
――マトイ氏には感謝をしている。行く当てもなく、素性の知れない私を受け入れてくれたのは事実なのだから。
――しかし、私生活の乱れについては話が別だ。
――“年長者”として、厳しく指導しなければならない!
雷の如き閃光が、そこかしこから発せられている。肉眼で直視すれば、失明の恐れがある程の光量だ。夜間でもヘルメットの遮光機能をONにしておけとの指示に、面倒でも従っておいたのは正解だった。
なにせそれを守っていなかった戦友は、突発的な熱線砲の襲撃によって酷く混乱して転倒し、味方の車両に頭から轢かれてしまったからだ。片方の肺と心臓はどうにか無事だったが、脳幹から脊髄にかけてごっそりと潰されている。この状態では、“完全に再生”するのは難しいだろう。
その推測の通り、引っ張り出された相棒の身体は、最早ピクリとも動かない。普通の人間を凌ぐタフネスさが売りでも、こうなっては形無しだ。
処置なしと判断した“9号”は、味方が放つ銃声にかき消されないよう、大声で上官へ報告する。
「隊長! “1号”はもう、無理です!」
「“活性剤”は打ったのか!?」
9号のすぐ脇に立つ上官、隊長が、即座に怒鳴り声を返してきた。1号を轢いた輸送用車両を盾にしながら、敵に対して熱線銃を放っている。
指揮官仕様のフルフェイスヘルメット越しにもはっきりと分かる凛々しい声に、9号は自分の精神が少しずつだが落ち着いていくのを感じた。
「…もう2本打ちました。ですが、心臓が動きません」
その言葉と同時に、すぐ近くで爆発が起こった。重装備の装甲車が横転し、巻き込まれた仲間たちが数人潰される。乾燥した砂漠で、エンジンか燃料タンクに高出力の熱線の直撃を受けてしまったのだろう。
クソが。楽な補給部隊の護衛任務の筈じゃぁなかったのかよ。
“大洋連合”の奴らめ、こんな内陸の砂漠にまで浸透してきやがって。
1号だったモノの右手を握りしめながら、9号が嗚咽を漏らす。だがここはすでに戦場であり、兵士である彼が悲嘆に暮れることは許されない。
横っ面を豪快に蹴り上げられ、彼はその事実を無理やりに思い出すことになった。
「では、今からお前が副隊長だ。立て。立って補佐しろ」
怖じ気る部下を射殺する道を選ばなかった上官から、望まぬ臨時の昇進を拝命し、9号はノロノロと立ち上がった。旧式の実弾銃が、酷く重たく感じられる。
たった今殉職した1号は同期であり、親友であり、そして恋敵であった。いつも憧れの上官の隣にいるのが羨ましくてならなかったが、こんな形で後釜に座ることになるとは。
仲間を失った悲しみが湧き上がり、その周りを、自分と意中の娘がまだ生きているという喜びが包み込む。そして、そんな破廉恥な思いを一瞬でも抱いてしまったことに対する苦い後悔が、胸中を駆け巡った。
「このままではジリ貧だ。手はあるかな、副隊長」
隊長がすぐ隣にしゃがみ込み、熱線銃のバッテリーを交換しながら問うてきた。その銃身から煙と共に、金属の焼ける臭いが漂ってくる。
最新式の光学兵器と言えば聞こえはいいが、その実態は連合の技術を盗んででっち上げた試作品だ。9号らが所属する“大陸連盟”の兵装は、敵に比して半世代も遅れている。その差を補うための部隊が彼らなのだが、体のいい実験動物としての役割も担っているようであった。
ああ、まったく。
世の中ってやつは、どうしようもない程にクソだ。
冷却材を噴霧し始めた隊長に代わって射撃をしながら、9号は必死に現状の分析に努めた。どうしようもない欠点として自認している、己のセンチメンタルな部分を胸の隅に押し込めながら。
奇襲攻撃を受けてから3分。
こちらの損失は装甲車両は全壊が1、半壊が3、輸送車に半壊が1、そして生命活動を停止した歩兵が6だ。すでに被害が1割を越えた。
だが、悪いことばかりではない。お荷物の輸送物資はすべて無事なようだし、そして何より、敵に強力な戦闘車両やサイボーグ兵力がないためか、一気に突撃をしてこないのだ。
だが、それなら何故?何故奴らは、最初に装甲車を狙ったんだ?
こちらに向かって閃光を放ってくる影に対し、断続的に発砲をしながら、9号は考える。
少ない戦力で補給を叩くのが目的なら、輸送車両だけを狙って物資を焼いてから、速やかに撤退するべきだ。このようにずるずると継戦をしては、向こうにも損失が出るだろう。それなのに敵部隊は、ここでの戦闘に拘泥している。大陸連盟の勢力範囲内という、増援の見込めない地で。
逃げられない理由がある?……なる程、そうか!
「この輸送車両を、囮に使いましょう」
熱線銃の冷却とバッテリーの交換を終えた隊長に対し、9号は具申した。
うら若き上官は、9号と入れ替わりに射撃のポジションに復帰しながら、聞き返してくる。
「具体的には?」
「奴ら、装甲車は滅多打ちにしたくせに、薄っぺらい輸送車は壊そうとしない。補給物資を叩きたいんじゃなくて、手に入れたいからだ」
言いながら9号は、未だに盾として健在である輸送車の扉を叩いた。そして、空になった実弾銃の弾倉を交換する。
9号の推測の正しさは、状況が証明していた。
先刻から敵部隊は、5両ある輸送車の内1台しか撃破していない。しかも、破壊したのは運転席のみ。積み荷は丸ごと無事だ。こちらを殲滅するだけの戦力を持っていないのに、わざわざ強固な装甲車両のみを執拗に攻撃するのは、こちらが物資を捨てて逃げることを期待しているからではないか。
ならば、それを逆手にとることができる。
「コイツを暴走させて、できるだけ奴らの近くに横転させる。その上で、積み荷を狙い撃つ。弾薬が満載してあるから、上手くいけば大打撃だ。救援までの時間は稼げますよ」
「書記長閣下の貴重な財産だぞ。そんな手段が許されるとでも?」
隊長が、冗談めかして言った。
大陸連盟においては、全ての人民とその財産は党のものであり、然るに党のトップである書記長は大陸のすべての所有者だ。9号たち兵士の命も、装備も、当然補給物資も、与えられた目的以外のために浪費することは許されない。
「裁判にかけられれば、銃殺は免れんな」
「構いませんよ。どうせ俺たちは“不死身”なんだ。腹案として、輸送物資を囮に撤退するというのもありますが?」
「それこそ背名行為だな。前案を採用する」
言うが早いか、隊長は無線で生き残った仲間たちに指示を飛ばし始めた。
二桁台のナンバーズが、最古参兵の命を受け、ハチの巣になっている装甲車を捨て、未だ目立った損傷のない輸送車両の陰へと移動を開始する。
「それで、誰がやるんだ?」
「当然、自分が行きますよ。残った連中は、まだ“目覚めた”ばっかりなんだ。もう少しくらい生かしてやりたい」
「言うではないか」
9号が輸送車の扉に手を伸ばすと、横から隊長に胸倉を掴まれ引っ張られた。
生意気なことを抜かすなと、ぶん殴られると思い、咄嗟に9号は眼を閉じ身を硬くする。しかし彼の予想に反して、痛みが訪れることはなかった。
それどころか、唇に伝わるこの柔らかな感触と、熱は……
「気付け代わりだ。やる気が出たか?」
囁く様な声に眼を開くと、艶やかな黒髪と、はにかんだ様な笑顔がそこにあった。いつの間にか、フルフェイスヘルメットを外していたらしい。
最後に残った同期にして上官。幼馴染にして初恋の女性と、ほんの数秒だけ視線を交わす。そのわずかな時間、敵も味方もまったく射撃をしなかったのは実に幸いだった。
紅くなった顔を、この女性に見られずに済んだから。
「お前まで私を置いて逝くなよ、9号」
それだけ言って、隊長は。“0号”はヘルメットを被りなおした。そして砂の上に身をかがめて、輸送車から離れていく。
9号はそれを名残惜し気に眼で追ってから、輸送車へと向き直った。
やってやる、俺ならできる!
まだ熱い唇を舐め、自分を奮い立たせて、運転席の扉を勢いよく開く。
すると。
「マトイさん! いつまで寝てるんですか!?」
そこには、先客がいた。
想い人とは全くことなる、癖のある桃色の髪に、穢れのない純白の肌。
美しいと形容して差し支えないのに、何故か苛立ちが湧いてくるような顔の少女が、助手席にふんぞり返ってこちらを見下ろしていた。
「起きなさいマトイさん! またそんな恰好で寝て!」
耳に届くけたたましい怒鳴り声を目覚ましに、マトイはソファの上で身じろぎをした。舌打ちを懸命に堪え、ゆっくりと眼を開ける。するとそこには、継ぎはぎだらけのシャツを着て、マトイの顔を覗き込むノーリ嬢がいた。
「何度も言わせないでください!コートを着たまま寝てしまっては駄目です!皺になっちゃうんだから!」
「…朝からうるせぇな」
起き抜けの不機嫌さを隠そうともしないマトイに対し、少女は頬を膨らませた。白い肌が紅潮し、鮮やかなコントラストを描き出す。
「どうしてマトイさんは、もっと身だしなみに気を使おうとしないんですか? そんなくたびれた格好で外に出たら、笑われてしまいますよ!」
「お前が言うなっての」
「私のは不可抗力です。それに、人目がある訳でもないんですから」
「俺には見られてもいいのかよ…」
居候娘からの愚痴に辟易しつつ、マトイは視線を下に移す。すると視界いっぱいに、日焼けしていないが健康的な太ももが映った。あれ程『貸してやる』と言ったのに、裾をまくるのが面倒くさくてズボンを履いていないのだ。
なんともフェティッシュであるが、彼女のこんなあられもない姿に欲情しかけていたのは、最初の数日間だけのこと。
もう今では、ピクリとも反応しない。というのも…
「え? なんでマトイさんのことを、気にしなきゃならないんですか?」
「…」
かようにこの少女は、マトイが常識として認識していた“恥じらい”という感情が希薄なのだ。
いや、少し違う。このお嬢様は、マトイを異性として認識していない。流石に清拭や排便の際には出ていけと言ってくれるが、普段はこうして生足を惜しげもなく見せるし、服が乾かない内は下着同然の格好でうろうろする。
普通、年頃の娘ってのは、好きでもない男の前で肌を露出させることに抵抗感をもつもんだろ!? なんで俺の方ばっかりがモヤモヤしなきゃならねーんだよ!
マトイの困惑を余所に、ノーリの方には彼を挑発しているような気配もない。つまり、完全に置物か何かと同じ扱いをされているということだ。その事実が、この過酷な世界を生き抜いてきたマトイの男としてのプライドに深く突き刺さるのだ。
だからマトイの方としも、こんな小娘に対して意地でも性的な欲求をもってやるものかと、固く誓っている。
「この際だから言っとくがな」
「なんですか」
相手が負い目を感じていない部分を責め立てても、戦術的な効果は薄い。マトイは長い足を組んで態勢を整えると、唸り声を上げながら、別方面からの反撃を企てた。
「お前な。居候の分際で、態度がデカいんだよ」
「今更なんですか? ここに置いてくださるとおっしゃったでしょう。同居人となった以上は、私生活のたるみには忠告せざるをえません」
「限度があるんだよ、限度がっ」
始めの内こそマトイは、慣れない環境で心細げにしている少女に、様々な施しをしてやった。それこそ壊れ物を扱うように、細心の注意を払いながら。
ベッドの優先使用権に始まり、趣味で集めている蔵書の借用、高品質の食材の提供、おまけに替えの服だ。今ノーリ嬢が着用しているのは、寝巻用にと所望されたマトイのシャツである。不思議なことにこの少女は、着ている服を毎日洗浄することに固執した。
水も洗剤も高価なので突っぱねたかったが、半泣きで訴えられてしまい、最終的にはマトイが折れた。
まずもってこの娘は、要求する生活水準が高すぎる。そのくせ自分は、報酬は払っているのだから好き勝手してもいいだろう、というスタンスだ。
我慢強い男を自認するマトイであるが、そろそろ忍耐力と書かれた融合炉も臨界点に差し掛かっている。
「大体、メシ代が掛かり過ぎるんだよ! 折角用意してやったものを、不味い不味いと…」
「だって、本当のことじゃぁないですか! あんなのゴムですよ、ゴム!」
「これだから上流育ちは…。コンソメ味とカレー味のやつも用意してやっただろうが」
「あれはコンソメ味のゴムとカレー味のゴムです! 私が要求しているのは、人が人らしさを保つために必須の物品なんです! そんなことも分からないんですか!?」
「それだけじゃねぇぞ! ベッドを使ってもいいとは言ったが、汚していいとは言ってねぇ! 俺の大事な本を開いたまま積み上げやがって! 飲みかけのコーヒーカップにタオルまで転がってるじゃねぇか!? だらしねぇ!」
「汚してなんかいませんよ、失礼な! 物を取りやすいように配置しているだけでしょう! それを言ったら、マトイさんの方がだらしないです!」
追及をことごとく躱すノーリに、いよいよマトイは額に青筋を浮かべた。やや切れ長の眼に、刃物のような鋭い気配が宿る。しかし、スラムのギャング達ですら震え上がらせるマトイの眼光は、世間知らずのお嬢様には通じない。
怒りを込めた筈の視線をあっさりと受け流し、ズボラ少女がびしりと指を突き出す。
「男のくせにグチグチグチグチと…。もうちょっとこう、懐の深さを持ったらどうなんです!?」
そのまま鼻息も荒く腕を伸ばして、マトイの額をコツコツと突く。
その額に、新たに青筋が2、3本走ったが、少女がそれに気づくことはなかった。
スラム街で“不死身”と称される男がこんな扱いを受けているのを見たならば、ギャングたちは卒倒するか、泡を食って逃げ出すだろう。
マトイは噴火寸前の感情を必死に抑え、ブルブルと肩を震わせながら、ゆっくり愚昧な娘に語り掛けた。
「…前時代的な物言いだな、お嬢ちゃん。男ってだけで、豪放磊落になれってのか」
「別に男性が小言を言ってはいけないという訳ではありません。 貴方のそれは、陰湿だと言ってるんです。男らしくない!」
「そう言うお嬢さんはどうなんだよ!? 1日中ずーっと食っちゃ寝だろうが! 女だったら掃除の1つでもやって見せろや! それと、服はまだしも下着くらい自分で洗え!」
「んなっ!? なんて前時代的な!? そう言うのを“せくはら”って言うんですよ!? せくはら!! まったくマトイさんときたら、なんて人情味の薄い…」
「ああああっ! このっ」
覚醒してからの5分間にわたる攻防により、遂にマトイの自制心が決壊した。
全体、この娘が悪いのだ。
とにかく上から目線で、こちらの主張をまるで飲もうとしない。更には言葉の端々に、マトイを子ども扱いするようなきらいすら感じとれる。
別にハードボイルドであるとは思っていないが、マトイとて修羅場を幾つも潜ってきたという自負がある。こんなガキにガキとして見られること程、我慢のならないことはない。
「クソが!」
短い頭髪を掻きむしりながら、マトイはソファーから立ち上がった。
少女が少しだけ驚いたように後ずさるが、即座に仁王立ちの構えを取った。
「また! マトイさん、悪い言葉を使ってはいけませんよ!?」
「あーっゴチャゴチャうるせぇ! クソ、クソ、クソ! クソったれが!」
マトイはわざとらしく耳を両手で塞ぐと、それこそムキになった子どもの様に悪態をついた。そしてノーリには眼もくれずに、大きく足を踏み鳴らして扉の方へと歩き出す。
それを見たノーリは、慌ててマトイに追いすがった。
「ちょっと、まだお話は終わってませんよ!?」
「もう1つの依頼が終わってねぇ! 今日も聞き込みだ!」
振り返ってそう言い放つと、少女はなおも何か言いたげに口を開きかけ、やがて不承不承頷く。
やっと小言から解放されると安堵したマトイは、ついでとばかりに言った。
「念のために確認するが、外には出るなよ。それと、俺がやったネックレスは無くすな」
するとノーリは胸元に手を突っ込み、小さな鎖でつながれた球体を引っ張り出した。その際に少しだけ胸元が見えたような気がしたが……。
いや、気のせいだ、多分。
「何度も言われなくったって大丈夫です!万が一のことがあったら、これを強く握る。子どもじゃないんですから…」
「あー、分かった分かった。大人しくしてろよ、お嬢ちゃん」
「また! 子ども扱いするなんて、許しませんよ!」
マトイは、これ以上の口論は御免だとばかりにテキトーに手を振って、さっさと横倒しの扉から退散した。
まだ朝食を採っていないが、戻ってあの小娘の顔を見ながら完全栄養食品を食べる気にはならない。確かに味気ないにしても、眼の前で泣きながら『不味い』と連呼されては、すきっ腹すら引っこんでしまうだろう。
マトイは扉に鍵を掛けると、くしゃくしゃになったトレンチコートを翻して歩き出した。
――まったくマトイ氏ときたら!どうして人の話を聞こうとしないのか。
――あんな子どもに子ども扱いされるだなんて、まったく我慢ならない。
――帰ってきたら、そのあたりもしっかりと教えてあげなければ!