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環状の世界・24


 ナインが会議室に入ってから、おおよそ1時間が経過した頃。ようやくにして久方ぶりに、団の全メンバーがその場に顔をそろえていた。

 だというのに、あまり雰囲気が良くない。思考の海に潜っていたり、虚ろ気な目線で自分の手を見つめていたり、ふんぞり返ってぶつぶつと何かを呟いていたりと、空気が重苦しい。ピャーチでさえ相変わらずぐるぐると回っていたが、その顔は哀しげだ。

 

 ナインもまた、そうであった。

 焦燥感にじくじくと背中を焼かれ、今しも絶叫したい衝動に駆られている。この差し迫った状況を、如何にして脱するべきか。その答えを、必死に求めていたのだ。

 きっと仲間たちも、そうなのだろう。


 そんな中、ふと優しい声が耳に届いた。


「お待たせしました。さあ、どうぞ」


 そちらを見ると、メイドのタムがいつもの笑顔を浮かべながら忙しく動き回っていた。

 恭しく礼をしてから、卓上に皿を置いていく。


 スープ、スクランブルエッグ、サラダ、そして焼き立てのパン。

 色とりどりの――ナインには、未だにグロテスクに思える品がなくもないのだが――料理が、あっと言う間に団員達の前に並べられていった。

 慣れた動きだ。目にもとまらぬ速さだが、決して食器を粗雑に扱ってはいない。それどころか、団員達の間を縫うように移動するその様は、まるで踊っているかのような優雅さを感じさせる。

 ノーリを起点にしてぐるりと円卓を一周し、最後にナインのもとへと到達した。


「申し訳ありませんが、ナインはまだスープとパンだけです。その分他の皆様よりも多めにしてありますので、ご容赦ください」

「うす……」 


 タムの言葉に短く応じながら、ナインは自分の眼の前の二皿をしげしげと眺めた。

 前菜のスープには、ほとんど具が入っていない。だがその分、味がしっかりと溶け込んでいることだろう。いつになるかは分からないが、個体としての肉や野菜にありつくために、丁度良いステップアップになりそうだ。

 そして、この焼き立てのパン! まん丸くて、ちょっと表面がこげ茶色で、ほのかに湯気を立てていて。小麦や卵、牛乳を使用して作られた、待ち望んだ本物のパンだ。 


「では、いただきましょう」


 ナインが密かに打ち震えているうちに、タムはさっさと準備を終えてしまったらしい。団長のノーリが、厳かに会食の開始を宣言した。

 団員たちは頷くと、それぞれが思い思いに、フォークやスプーンを手に取り、料理に取り掛かっていく。


 ナインもまた、震える指先で焼き立てのパンの1つを掴み上げた。そして、恐る恐る千切ってみる。

 

「うお、いい匂いだ……」


 表面はパリッとしているが、スポンジ状の中身はふんわり、しっとりとしている。湯気と共に溢れ出てくる香しい香りは、まだ世界を渡る以前に大量のトークンと引き換えに食した合成パンのそれとは、比較にもならない。


 ナインは口の端が緩むのを必死に抑えながら、ナイフでバターを切り分けた。そして、千切ったパンの表面にそれを塗りたくる。パンの熱で溶けたバターが、気泡の中に浸透していくのが見えた。

 

 ああ、もう駄目だ。これ以上は辛抱できない。


 ナインは躊躇うことなく、それを口の中に放り込んだ。そして、ゆっくりと咀嚼をしてみる。

 その瞬間、ナインは自分の口内が破裂したかのような錯覚を覚えた。

 舌の上に広がっていく、小麦の甘さ、バターの旨味と塩味。それらが暴力的なハーモニーを奏で、ナインの味覚を強く刺激する。


「如何ですか?」

「う、美味いっす……」


 後ろに控えていたタムからの問いかけに、ナインは目に涙を滲ませながら答えた。


 思えばこの日を迎えるまで、どれだけ侘しい食生活を送っていたことだろうか。

 “味付きゴム”と酷評された完全栄養食品。肉や野菜に馴染めないが故の“離乳食スープ”。ナインが今まで口にしてきたものは、いずれも身体機能を維持するという栄養学的な面では完璧であった。


 だがしかし、果たしてそれを“食”と呼んでよいのだろうか?

 今のナインには、自信をもって、それを否と断ずることができる。


 然るに、ああ、これこそが“食”! 人が人として生きるために必要な儀式だ!

 

 感動にむせび泣くナインは、人に味覚を与えたもうた神と、素晴らしいパンを焼いてくださったメイド様に感謝した。

 そして涙を拭うと、2つ目のパンに手を伸ばし……



 


「……って、そうじゃなくて!」





 突然我に返ったナインは、大声で叫んだ。そして何に対して怒っているのか、円卓に向かって思い切り拳を振り下ろす。

 激しい振動によってガチャガチャと食器類がぶつかり合い、真っ白いテーブルクロスの上に料理がこぼれ、団員達が顔をしかめた。 


「何ですか、ナイン。泣き出したと思ったら、突然怒り出したりして……」

「いやいやいや、呑気に朝飯食ってる場合じゃねえだろ!」


 胡乱気な視線を寄こしてくるノーリに対し、ナインは強い口調で応じる。

 随分楽しみにしていたし、麗しのメイド様が丹精込めて拵えてくれた朝食だったので思わず流されてしまったが、現状、それを愉しむ余裕など微塵もありはしないのだ。

 

「うう……何ごと?……」

「朝っぱらから五月蠅いわよぉ、止めてよねぇ」

「ぐぉぉぉ、頭に響きますわ。次やったら承知しませんわよ、ナイン!」


 すると今度は、トリー、フィーア、セーミの三人娘が、揃って頭を抱えながら非難の声を上げた。

 時間ギリギリになってやっと到着した彼女らだったが、どうやら二日酔いか何かに陥っているらしい。かなりのローテンションの上に、酷い顔色である。もっとも、トリーはいつもこんな風にアンニュイだし、セーミの顔つきも土気色のままではあるが。


 しかしナインは、そんな体たらくの三人娘に構わずに続ける。


「お前ら状況が分かってんのか!? これ見ろ!」


 そう言ってナインが指さした先には、無数の光のフレームと点の集合で構成された、立体地図があった。

 中心に団の城があり、その周囲には聖域と称される森が。そしてその北側には、平野が広がっている。現地で偵察をしている“タムたち”からリアルタイムで送られてくる情報により、随時更新されていく戦術マップだ。


 それによれば、聖域の森付近にある平野には、今しもゲルム帝国の大軍団が終結しつつある。その総数は軽く二十万を超えそうだ。しかもその中には、戦車装甲車といった現代的な戦力も散見されるらしい。


「かなり不味いぞ、これは」


 先程までの幸せいっぱい夢いっぱいな気分は何処へやら。ナインは絶望的な思いを抱きながら呟いた。

 ゲルム帝国が熱光学兵器を所有していたという事実でさえ厄介だというのに、それに加えて対陣地・対要塞戦に有効な兵装まで持ち出してきたのだ。全体の割合からすれば、主力はあくまでも近接装備の歩兵ではあるが、それでも団の城を攻略するには十分すぎる兵力である。


 何より、命令伝達と移動速度が速過ぎるのが気になる。

 大陸中から集められていると思しきこれらの兵員は、例え輸送車両を使用したとしても、ここまでたどり着くのに一両日中の時間が必要な筈だ。だというのに奴らは、最初に兆候が見えてからものの30分程度で、この平野に陣地を築きつつある。

 かなり高度な通信技術に加え、瞬間的な移動能力。つまりは、団が保有するペンダントのような力でも持っていなければ、到底成し得ない迅速な軍事行動だ。


 最早1分1秒が惜しい。

 今すぐに対策を講じねばならない。

 

―だってのにコイツらときたら、随分とまあ優雅だなぁ……

 

 ナインが必死にぶち上げる中でも、団員らは食事の手を止めようとしない。

 全体、まともさとは対極に位置する連中の集まりではあるが、20万を超える大軍勢を前にこうまで余裕ぶっていられるなど、大物どころかすでに正気を失っているとしか思えない。


「それ程、焦ることはなかろう」

「何ぃ?」

「この程度の動きは、予測の範疇だ」


 スィスが、ナプキンで上品に口元を拭いながら言う。


「貴様が帝城から“瞬間移動テレポート”をしようとした際、あの大臣という男はそれを察知したような言動を見せたではないか」

「……ああ、そう言えば」


 思えばあの時、タムを撃たれて激しく動転していたが、確かにそんなことがあった気がする。ナインがペンダントの機能を解放しようとした瞬間、大臣が『逃げるぞ』と叫んだのだ。

 それはつまり、彼らはナインが何をしようとしていたのかを理解していたということだ。ならば彼らもまた、団と同じく“瞬間移動”の能力を保有していたとしても不思議ではない。熱線銃レーザー・ガンと同じく、限られた人間にしか使えないようになっていたのだろう。

 

「そもそも、ゲルム帝国自体は古代レベルであっても、この世界を創造した文明の技術は非常に高いのだ。奴らがその遺産を利用してくることなど、最初から考えておくべきだ」

「む……」

「お前さん、それなりに洞察力があるかと思えば、ちぃとばかし詰めが甘いのぉ」

「う、うっせーよ! じゃあお前ら、これからどうするつもりだってんだ!?」

「無論、叩き潰すに決まっとる。故にこうして、腹ごしらえをしとるんじゃ」


 言いながらドスが、料理を次々に口の中に詰め込んでいった。良く噛みもせず、無理やりスープで流し込む。そうして行儀悪く朝食を終えると、おもむろに立ち上がってからノーリに言った。


「出るぞ。まさかこの期に及んで止めはすまいな、団長?」


 すると、黙々と料理を口に運んでいたノーリが手を止め、嚥下した。そしてナイフとフォークをきちんと並べて皿の上に置くと、ドスを見据えて言う。


「致し方ありません。団と城を守るため、戦闘を許可します」

「カカカッ! そう来なくてはな!」

「なっ……?」


 絶句するナインとは裏腹に、ドスが喜色満面の笑みを浮かべ、両の拳を打ち付けた。


「ですが、ドス。なるべくなら……」

「分かっとるわい。可能な限り、話し合いを持ちかけてはみる。もっとも、奴らがそれに応じるとは思えんがな」

「それでも、です。私たちは人の道理から外れた存在ではありますが、人の道を外れてはいないのですから」

「承知の上じゃ。儂は闘いを求めてやまない愚か者じゃが、無益な殺生を好んではおらん」


 ドスはうざったそうに手を振ると、胸元からペンダントを引っ張り出した。どうやら“瞬間移動テレポート”の機能を使うつもりのようだ。何処へ向かうつもりなのかは、話の流れから明らかである。

 ナインは慌てて声をかけた。


「おい、まさかあの大軍相手に戦うつもりか!?」

「無論じゃ。奴らは森へと直接乗り込んで来んかった。つまり、正面からのぶつかり合いが望みなんじゃろうて」

「あんた……正気じゃねえぞ。勝てる訳ないだろうが」

「2つ、間違っとるぞ」


 ゴキゴキと首の骨を鳴らしながら、ドスがあっけらかんと言う。 


「儂はこの通り、正気じゃ。そして、負けるつもりもない」

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