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環状の世界・22

――力もつ者たち…

――私を満たしてくれる者たち…


 朝食というのは、1日の始まりを告げる大切な行為だ。


 直後に始まる肉体的、あるいは頭脳的労働を行うためには、脳と身体に必要なエネルギーを供給せねばならない。昔はその手段が“味付きゴム”だったため、目覚めることが億劫でならなかったが、今はもう違う。

 味は勿論だが、食欲を刺激する見た目や香り。そして舌触りや歯ごたえ。栄養補給だけでなく五感を愉しませるこの儀式は、まさに1日の活力を得るための必須行動だ。

 ことに、“離乳食”を卒業し、初めてのパン食を許可された身なれば、その意義の深さについては論ずるまでもない。

 だからこそナインは、待ち望んだ今朝をいつもより1時間も早く目覚め、こうして会議室に一番に乗り込んでいるのだ。


 しかし、その輝かしい成長を記念するタムの新メニューを待つナインは、どこか浮かない表情だった。円卓中央部に設えられている三次元投影機からの映像を、まんじりともせずに見つめている。


 それは、タムと2人でゲルム帝国の城に赴いたときの様子だった。撮影者であるナインを取り囲む兵たち。突きつけられる槍の切っ先が、陽光を反射して鈍く輝いている。臨場感たっぷりだ。

 そしてすぐに、問題の場面シーンが訪れる。


 正面奥に見える、頂点のかけた三角錐のような巨大建造物。その入口から跳び出してくる、酷く痩せた老人と、その周囲を固める護衛と思しき兵たち。手に手に場違いな“銃火器”を持ち、こちらを睨みつけながら、ゆっくりと近づいてくる。


 ある程度の距離までくると、その老人――大臣と名乗っていた――が足を止め、同時に護衛の兵たちがさっと前面に広がった。華美な装飾がされた銃口が、ピタリとこちらを捉え……


 停止。

 早戻し。

 再生。


 映像が、ナインらが取り囲まれていたところから再び始まる。さっきから、もう何度繰り返しているのか分からない。


「やはり、妙だな……」


 ナインがぽつりと呟いた。そして円卓上に置かれていた自分のカップを手に取り、中身を呷ってから、少しだけ眉をしかめる。

 淹れたてだと思っていたコーヒーが、大分温くなっていたのだ。思ったよりも、“分析”に熱中していたらしい。酸味のせいで、味が台無しだ。


 するとその折、横からポットが差し出された。黙って控えていた、メイドのタムだ。


「どうぞ」

「ああ、こりゃどうも」


 ナインが礼を言ってからカップを差し出すと、彼女は温かい笑みを浮かべながら、新たにコーヒーを注いでくれた。そして、怪訝そうに言う。


「とても熱心に記録をご覧になっていますが、何か気になることでもおありですか?」

「ええ、少し引っかかることがありましてね」


 ナインはそう答えると、改めてカップを傾けた。強い苦みが口の中いっぱいに広がり、どろりとした熱が喉を焼く。

 やはり、タムが淹れてくれるコーヒーは美味い。とは言え、朝食の前に飲みすぎる訳にもいかない。そのタムが今まさに、真心こめて調理をしてくれているからだ。


 タム本人がここに居るのに、彼女の手料理を待っているというのも妙な話であるが、この不死者の集うアラインにおいては、どうということはない普通の出来事だ。

 何せ彼女は複数の肉体をもち、現にそれを別個に動かしている。統一された自我の下に。


 “増殖”。

 それが、彼女の不死性の正体だ。

 文字通りに肉体を増やすことができる彼女は、団のために自分の分身をいくつも生み出している。何らかの理由で“消耗”するようなことがあれば、“廃棄”してまた増えもする。ある意味、ナインと似た素性だと言えよう。

 ここでナインの話し相手をしてくれているタムもいれば、今まさに朝食の準備に励んでいるタムもいる。それどころか、城の内外で数多くのタムが、様々な仕事をこなしているというのだ。

 

 その“増殖”というのは、一体どのようにして行われるのか。

 落ち着いてから興味本位で訊ねてみたところ、件のメイド様は顔を真っ赤にして、『口にするのは、ご容赦ください……』などと仰られた。その時のモジモジと恥じらう姿が何とも堪らず、即座に追及をしようとしたのだが、直後に団長様からドギツイ張り手を賜ることになってしまったので、結局真相は明らかになっていない。


―差し支えなけりゃ、2人きりのときに見せて貰えんかな


 ナインは、ぽやんとした表情でそんなことを考えた。


「どうかしましたか?」

「い、いやぁ、別に何も。姐さんは、今日もお綺麗だなぁと」

「まあ、お上手ですね」


 邪な考えを見抜かれたような気がして、ナインは取り繕うように笑った。しかし、この女性が魅力的であるということに関しては、偽らざる本音である。

 彼女の正体が人外の異能者だと分かったところで、ナインのタムに対する感情はいささかも変化しない。全体、ナイン自身が尋常ならざる手段で生み出された化け物なのだし、この団に集った連中は、皆がそうなのだろうから。


 がちゃり


 ナインとタムが談笑していると、会議室の大扉が勢いよく開かれた。

 入室してきたのは、今日も仕立ての良いスーツをビシリと着こなすスィスと、相も変わらず見すぼらしい姿のドス。そして、桃色の癖毛を揺らす団長のノーリだった。


「おう、おはようオッサンども。あと、お嬢さん」

「おはようございますノーリ様、ドス様、スィス様」

「うむ」

「おう、おはようさん。あと小僧、オッサン言うな」


 ナインらに応じながら、ドスとスィスが並んで席に着いた。装いも振舞も対照的で、何かと衝突が絶えないオッサンたちだが、やはり仲はいいらしい。

 そして残ったノーリはと言うと、ナインとタムを一瞥してから、返事もせずに2人の方へと歩み寄ってきた。そして2人の間に割って入る様に身体をねじ込み、無理やり椅子に腰かける。

 

「おい、何だよ」

「いいえ、別に。ただここに座りたいだけですから。私に構わず、どうぞお話を続けてください」

「朝から訳が分からねぇぞ」

「特に何もありはしませんよ。わざわざ起こしに行ってあげたのに、ベッドの中が空だったからと言って、不機嫌になったりはしませんから」

「なんでわざわざ口に出して言うかね……」


 ナインはやや呆れつつ、再び投影装置を操作した。

 メイド様との逢瀬を邪魔されたのは癪だったが、しかし相談相手が欲しかったところでもある。丁度良いとばかりに、話を振ることにした。


「まあいいや。お前らも見てくれ」

「何をです?」

「タム姐さんが撃たれるあたりの映像だ。ちょいと、腑に落ちないことがあってな」


 言いながらナインは、空中に浮かんでいる映像に手をかざした。つい先ほどメイド様に教わったばかりなので、今一つ操作感を掴めていない。苦労して、目的の部分を拡大する。


「ここだ。この、大臣と名乗っていた男の護衛。そいつらの様子がおかしいんだ」


 ノーリだけでなく、ドスやスィスがこちらに注目しているのを確認してから、ナインは改めて映像を再生した。


 金属鎧の男達が熱線銃レーザー・ガンを構えながら近づいてくる。大臣が足を止めると、男達は盾になるような陣形になった。そして、熱線銃レーザー・ガンをこちらに構え……


 カッ


 一瞬、強い光が部屋いっぱいに広がる。

 そして直後に、1人の男の茫然とした表情が現れた。

 その手元には、うっすらと煙を吐く銃口が……


「ここだ、ここ」


 ナインは映像を停止させると、投影された兵をつんつんと指さす。

 

「なんでコイツ、姐さんを撃ちやがったのか。それが今一つ分からねぇんだ」

「そうでしょうか? この護衛兵の顔つきを見るに、理由は明白かと思いますが」


 ナインの方を向きながら、ノーリが言った。


「貴方の報告では、首都を警邏する兵たちは銃を持っていなかった。現在大陸中の要衝に潜入しているタムからも、同じ結果が届いています。恐らく絶対数が少ないためでしょう」

「それについては同意できるな。大帝だとか、この大臣様だとか。そういった、国家の重要人物とその周りの人間しか使えないんだろうよ。だから、首都でも見かけなかった」

「ならば話は単純でしょう。これらの武器は、この環状の世界を創り上げた文明の遺物であり、彼らはその本質をまだ理解しきっていない。そのため量産はおろか、まともに使用することもできず、暴発させてしまった……どうです!?」


 ノーリが映像を見つめながら、ドヤ顔で言った。薄っぺらい胸を張って宣うものだから、イラついて仕方が無い。しかしナインは、ぐっと感情を抑え込むと、静かに首を横に振った。


「いいや、そんな筈はないんだ。絶対に、な」

「何でですか? 筋は通っているでしょう」

「それが、そうでもないんだ。俺も初めはそう思ったんだが、映像を見返したら、あることに気が付いてな」


 ノーリは理解できないらしく、うーんと首を傾げる。その隣では、タムも同じように首を傾げていた。どうやらこの女性たちにとっては、ピンとこない事例だったらしい。

 さてどのように説明したものかと悩んでいると、黙って話を聞いていたドスが、遠慮がちに口を挟んだ。


「ふむ。察するに、兵らの動きじゃな?」


 そう言って無精髭を撫でる巨漢に、ナインは驚いたように視線を向ける。


「何だよ、分かるのか?」

「応とも。ここに映っとる兵どもは、動きに一切の淀みが無い。足の運び、仲間との距離の計り方、鉄砲てっぽうを構える所作。すべてが切れ目なく繋がっておる。相当な訓練を積んどるな」

「すげぇな。正にその通りだよ、オッサン」

鉄砲てっぽうを使ったことはないが、結局は武器の1つでしかないからのう。ならば自ずと、それを扱う者の“気”の流れも読み取れるものよ。あと、オッサン言うな」


 ドスが不満気に鼻を鳴らしたが、ナインはそれに構うことなく、また投影装置を操作した。

 兵たちが熱線銃レーザー・ガンを構える瞬間を、リピート再生する。


「移動中のこいつらをよく見て見ろ。銃口が味方の方を向かないよう、常に気を配っている。トリガーにも指をかけていない。暴発を防ぐためだ。互いの死角をカバーし合うような配置。間違いなく、銃を使い慣れてる」


 兵たちの動き1つ1つを取り上げながら、ナインは解説をしていった。

 ナイン自身、嫌というほど銃火器に触れ、そして訓練をしてきたから良く分かる。彼らの動きは、正に教本のように見事なそれだ。

 自分が手にした数㎏の金属細工が、どれ程に素晴らしい攻撃力を秘め、またどのような危険性を孕んでいるのか。

 このゲルムの兵たちは、そのすべてを熟知し、完全にコントロールできている。


 そして、だからこそ不可解でならないのだ。


「そんな連中が、あんな下らないミスを犯した? ちょっと信じられねぇな。それにこれだけ使い慣れてるってことは、整備も万全だったと考えるのが自然だ。故障したとも思えん。だから、ずっと気にかかってたんだよ」

「な、成程、理解できました」

「つまり、“古参兵が土壇場で有り得ない失態を演じた”、ということなのですね」

 

 ナインの隣で、女性たちが感心したようにうなずく。 

 ここにきてようやく自分の経験値を生かせたことに、ナインは柄にもなく嬉しい気分になった。少しだけ気取る様に、椅子にふんぞり返る。

 しかしそれに水を差すように、スィスが冷ややかに言た。


「ふむ。概ね筋が通っているな」

「……そりゃどうも」


 ナインが睨みつけるような視線を送るが、老人は気にした風もなく優雅に陶器のカップを傾けた。ナインが熱弁をふるっている間に、タムから淹れて貰ったらしい。

 そして、続けて言う。 


「確かに映像で見る限り、銃を暴発させたこの兵は、直前まで怪しげな気配を微塵も放っていない。タムが反応できていないことから、それは明らかだ。だとすれば、何故このような事態になったのか? その原因とは……」


 スィスは、その場の団員たちに目配せをした。

 ナインはその意味ありげな行為を理解できず、鼻を鳴らす。しかし、他の連中はそうではなかった。途端に険しい表情になり、スィスを見つめ返したのだ。


「何だよ、いったい……?」


 ナインが呟くが、答えてくれる者はいなかった。



――食べたい…

――食べさせて…

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