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環状の世界・21

――感じる……

――強い力……


 ナインは、膝立ちの姿勢のまま硬直していた。


 眼の前には麗しのメイド様が立ち、もう二度と目にすることが出来ないのではないかと恐れた、あの温かい笑みを浮かべている。それ自体はいい。不可思議なことだが、素晴らしいことだ。

 しかしナインの足元では、これまた麗しのメイド様が無惨に横たわっており、光の失せた瞳でただ中空を見つめている。微動だにしないその表情は、彼女が永遠の眠りについたことをはっきりと示していた。


「タム姐さんが、2人いる……」


 間の抜けた声でそう呟きながら、カクカクと頭を上下に振る。2人のメイドを交互に見つめ、ナインは何とかして事態を把握しようと努めた。

 

 ナインがそうであるように、人とは本来、1度死んだらお終いだ。

 しかし、確かに息を引き取った筈のタムは、また確かにそこに立っている。

 死と生を、同時に体現しているのだ。


 本来道理に合わないそれらの現象の、辻褄を合わせられるとすれば。


「え、双子? クローンですか?」


 自身の保有する知識を総動員して、現状を適切に表現しうる単語をひり出すナイン。

 しかしタムはころころと上品に笑いながら、それをやんわりと否定した。


「当たらずとも遠からず、と言ったところですね。“この私”と“そこの私”は、確かに遺伝情報を等しくしております。しかし、それだけではありません」

「遺伝情報が同じなら、そりゃ詰まりクローンなのでは?」

「器のみに眼を向ければ、その通りです。ですが私の場合はその中身、心や精神も等しいのです」

「心や精神も……等しい……?」


 哲学的な、ひょっとすると宗教的なニュアンスの答えを返され、ナインは眼を白黒とさせた。元の世界では暇さえあれば書籍を読みふけってきたものだが、そのジャンルのほとんどは小説だった――経済学や投資等のビジネス書にも手を出したことがあったが、あの環境では無意味だし虚しいのですぐに止めた――ので、急にメタフィジカルな話を振られても困るのである。 


 ナインが救いを求めるように周囲に視線を泳がせると、仲間の団員達は、ようやくここに至って合点がいったとばかりに、「ああ」と頷いた。


「そうか。お前さん以外は、全員知っとったからのう」


 ドスが顎の無精髭を揉みながら言う。

 

「何をだよ、オッサン」

「タムの不死性についてじゃ。儂が説明してやるから、オッサン言うな」


 ナインが突っかかると、ドスは少しばかり顔をしかめ、丸太の様な両腕を組んだ。その拍子に、大きな身体に張り付くボロ布の内側から、筋肉がミチミチと軋む音が溢れ出す。

 今にもはち切れそうなくらいに膨れ上がる巨漢から、言葉にできない妙な圧力を感じとり、ナインはしおらしく居住まいを正す。

 それを見たドスは、咳ばらいを1つしてから語り出した。


「あー、詰まりな。この娘は、完全な分身を作り出すことができるんじゃ。文字通りのな」

「分身? そりゃ、複製人間クローンってことじゃないのか?」

「それは肉体的な部分だけじゃ。その中に入っとる精神も、丸ごと同じ。肉体は別個であっても、思考は1つなんじゃよ」

「い、意味が分からねぇ」

「だから言っとろうが、文字通りの分身じゃと」


 ドスが腕を組んだまま右手だけをくるりと回し、“2人のタム”を交互に指さす。


「8番目の団員たるタムは、この城の内外に常に複数体存在しとる。そんで、それぞれが別々の仕事をするんじゃが、そのすべてが意識を共有しとるんじゃ。今この場で儂等と話しとるタムも、廊下を磨いとるタムも、炊事場で飯を作っとるタムも、みーんな同じ1つの自我で繋がっとるんじゃよ」


 ナインは呆然とした。

 ドスの解説の通りならば、このメイド様は、2人どころかもっと大勢いることになる。だというのに、そのすべてが同じ自己を認識しているというのだ。明らかに別個の個体を維持しているのに、そんなことがあり得るのだろうか。

 

 ナインが口を開けたまま、ぼんやりとタムに視線を移す。すると、タムが一歩前に進み出て、畳みかけるように言った。

 

「現時点で、3体の私が夕食の準備を行い、56体の私が城内を清掃し、14体の私がピャーチ様の補佐を行い、109体の私が大陸のあちこちで情報を収集し、20名の私がノーリ様を警護しております。“そこで死んでいる私”は、その内の1体に過ぎません」

「えぇ、そんなにいっぱい!? でも、城じゃあ1人しか見かけませんでしたよ!?」

「はい。皆様のお目汚しにならないよう、科学・魔法・技能のすべてを駆使して、環境に隠密ステルスしておりますので」

「マジですか……」


 あのバカでかい団の城を、どうやって1人で掃除して回っていたのか。その謎が、ようやく解けた。炊事や洗濯も含めて、マンパワーを地でいく能力である。恐らく彼女が居なければ、この城の運営は回らないだろう。


―あれ、ちょっと待てよ?


 そこではたと気が付いたナインは、ひょいと顔を上げた。

 

「ノーリの護衛をしてるってことは、ひょっとしてここには……?」

「はい、お察しの通りです」


 タムが右手を挙げて、勢いよく指をパチリと弾く。するとその瞬間、ナインたちの周囲の空間から、無数の人影が音もなく現れた。

 いずれもメイド服とフリルのついたエプロンやカチューシャを身に纏い、まったく同じ顔つきの上に温かい笑みを浮かべている。そのすべては、紛れもなくタムだ。


『24時間、片時も離れずお守りします!』

 

 サラウンドで宣言しながら、一糸乱れぬ動きでグッとガッツポーズ。

 それを見つめるナインはすっかり脱力し、よろよろと地面に尻もちをついた。


「嘘だろ……全然気が付かなかった……」


 団における最重要人物であるノーリへの配慮が、異常な程に薄いことに違和感を覚えてはいたのだが、まさかこういうことだったとは露ほども思わなかった。

 スラムを出てからもボディーガードを気取っていた自分が、滑稽でならない。


 ナインが己の情けなさ加減にげんなりとしていると、ノーリがタム(死亡確認済み)を抱きかかえながら、得意満面の笑みを浮かべて言った。


「当然です! 何せ私の護衛ですからね! ナインに気取られるような、軟な鍛え方はされていません!」

「だから、なんでお前がドヤ顔だよ……って、もういいわ……」


 受け入れがたい現実に狂乱しかけたところに、予想の遥か斜め上をいく超展開。茫然自失となったナインには、もはや満足に悪態をつくことすらできず、がっくりとうなだれた。 






 




「面を上げよ」

「……はっ」


 大帝の許しを得て、エッボはゆっくりと顔を上げた。

 謁見の間。若き大帝の座す大理石の玉座の前に跪き、両脇に立つ文官たちの容赦ない視線にさらされる中、彼の心は奇妙にも澄み切っていた。


 喉がカラカラに乾くことも、身体中の毛穴という毛穴から汗が染み出ることもない。

 手足の指先が痙攣を起こすことも、腹の中で胃袋が乱痴気な踊りを繰り広げることもない。

 

 何故なら彼にはもう、先のことを心配する必要が一切ない。

 この報告を終えた後に彼が為すこととは、自刃に他ならないからだ。


「述べよ。簡潔にな」

「ははっ」


 大帝の命を受け、エッボは痩躯を反らせた。

 これから彼は、自らの失態を余さず告白せねばならない。大帝の信認を得て、帝国のために人生を捧げると誓ったというのに、最悪極まる最後だ。

 だが、例え汚名に塗れながらに死ぬことが決定しているとは言え、その最後の瞬間まで職責を放棄することは断じて有り得ない。大帝のしもべの中でも一等の地位という自負があればこそ、いのちある限りめいに従うべきなのだ。


 エッボは、朗々と述べた。


「本日正午、聖域の森に踏み入りし不届き者ども、あらいんを名乗る連中の特使2名が、“ジャンプ機能”を使用して帝城の門前に出現しました。その際、先に送り込んでいた精鋭部隊を連れておりました」

「ほう、“ジャンプ”とな?」


 若き大帝が、興味深いとばかりに呟いた。


 “ジャンプ”とは、偉大なる古の者たちが使用していた、離れた空間に人や物を瞬時に送り込むという超技術である。数少ない遺産である機械を使用することでしか行えず、従ってその力を行使できるのは帝国でも一握りの人間のみだ。


 そう言った“遺産”は他にも存在しており、例えば光を放つ天井、離れた土地と言葉を交わす板、 上下に移動する階段や小部屋、ジャンプ機能を追跡するレーダー装置や、侵入を防ぐためのエネルギー障壁発生装置がある。

 そして、驚異的な“武器類”も。


 学者たちの長年に亘る研究の成果により、どうにか使用方法は解明できたものの、その構造や材質については理解が及んでいないものばかり。破損したものを修理することも、新たに製造することも不可能なため、時間が経つにつれて失われていく一方である。市井には決して出回らない、この城に務める限られた人間にしか使用を許されない、聖遺物の数々だ。


 だがあらいんの連中は、それを惜しげもなく使っている。今回のこともそうだし、以前から散発的に観測されたジャンプの痕跡もそうだ。つまりあらいんとは、かつての古の者たちと同程度の技術を有している可能性がある。


 だというのに、そんな恐るべき集団が寄こした使者への応対ときたら。 


「して、どうなったのだ?」


 先を急かす大帝に、エッボは思わず口籠りかけた。自分の名誉や命を惜しんだからではない。大帝の失望を買うことが、怖かったからだ。

 だが、誤魔化しや時間稼ぎをしたところで、返ってそれが大帝の不興を買うことは分かり切っている。


 エッボは改めて覚悟を決めると、はっきりとした口調で言った。


「しかしその折、私の護衛の1人が、特使に向かって銃を放ちました」


 途端に、脇に立つ文官たちが騒めき出した。

 エッボはそれに構わず続ける。


「結果、特使の内1人の胸を射貫き、そ奴らはまたジャンプで逃げおおせましたが、恐らくは助からないかと。仮に命長らえたとしても、あらいんなる者どもとの関係の悪化は避けられないかと存じます」


 恐ろしい事実を述べるエッボだったが、大帝はただ静かな視線を注ぐばかりだった。

 この慈悲深い青年が、胸中で自分にどのような評価を下しているのか、まったく推し量ることができない。

 だが、そんなことは考えるだけ無駄だ。


 聖域を穢したという大義名分がある以上、暗殺者を使って彼らを排除しようとしたのには、まだ言い訳が立つ。しかし使者として赴いてきた者を撃ってしまっては、もうどうしようもない。しかも、捕虜を無傷のまま返した連中に対してである。

 その場にいながら部下を御せなかったのだから、責任は取らねばならない。


「この上は、私の命で贖いとさせて頂きます」


 そう言ってからエッボは、再び深々首を垂れた。


 返答はなかった。

 騒めいていた文官たちも、水を打ったように静まり返っている。

 

 果たして大帝は、お怒りなのか。呆れているのか。


 重苦しい沈黙が謁見の間を支配する中、ややあってから、大帝の声がかかった


「エッボよ。朕は、お前の責を追及しようなどとは、微塵も思わん」

「……はっ?」

「いや、むしろ良くやったと褒めておこう」

 

 謁見の間が、声にならない驚きで満ちた。


 何故。どうして、そのような。

 偉大なる古の者に比肩するやもしれぬ存在との接触を誤り、その結果として帝国の品位を貶め、外患を生じさせたというのに。


 一同が絶句する中、若き大帝がゆったりとした動作で玉座から立ち上がった。


「エッボよ。この大陸を初代大帝が平定してからというもの、何故帝位が世襲も禅譲もされていないか分かるか?」

「は? それは……」


 突如まったく別の話を振られ、エッボは答えに窮した。


 このゲルム帝国における最高権力者である大帝。その地位は、決して後任の者に平和裏に明け渡されることはない。その過程は、実に単純で豪快である。


 我こそはと思う者が挑戦し、大帝はそれを受ける。

 地位も年齢も関係ない。いずれかが倒れるまで、いずれかの命が尽きるまで終わらない、命がけの決闘だ。そうして最後まで立っていた方が、大帝として玉座につくのである。


 連綿と繰り返されてきた、ゲルムの民ならば誰もが知る伝統だ。

 それが一体、どうしたというのだろうか。

 

「より強い人物にこそ、民草を率いることができるから、では……?」

「いいや、違う。それは方便に過ぎぬ」

「では、何故でありましょうか?」

「決まっておろう。“退屈”だからだ」


 そう言って大帝は、大仰に両腕を広げた。


「皆、覚えているか? 朕と先代との闘いを。あの血沸き肉躍る決闘を!」


 大帝を除いたその場の全員が、息を呑んだ。そしてゆっくりと、バラバラに頷く。

 文官たちがそうであるように、エッボも、今でもはっきりと覚えていた。


 聖域近くの平野で、大勢の帝国の民に囲まれながら、血みどろになって殴り合う2人の男。

 その姿を見てエッボは。すべての人々は、深い感銘を受けた。

 そして最後に立っていた青年に対し、心からの尊崇と憧憬を覚えたのだ。


 この人物にならついていける。

 この人物ならば、帝国を導いてくれる。


 大帝としての信認を得る為の儀式だと思っていたのに、それがただの退屈凌ぎだったと言うのだろうか。


「ゲルムの民は、元来戦闘民族だ。闘いの中に身を置いてこそ生きる。だがこの大陸に跳梁していた小部族を残らず併呑してからというもの、“戦争”と呼べるほどの大きな戦いは起こっていない」

「恐れながら、それはゲルム帝国が偉大なる歴代の大帝の下、安寧の時を過ごしてきたということでは?」

「いいや、違う。長い時を闘いに費やし、その為だけに生きてきたゲルムの民に、死にも等しい枷をはめただけなのだ」

「では、大帝の座を巡っての“闘い”とは、すなわち……?」

「誇り高きゲルムの民の、無聊を慰めんがため。身の内に巣食う闘いを求める気質が、そうさせるのだろう」


 そう言って大帝は、ぐるりと視線を巡らせた。

 この大陸で一等の強者の、力の籠った眼。しかしそこには、他者を威圧するというよりも、何かを確かめようとするような。同意を求めるような、そんな光があった。


「貴様たち、ここ最近妙に浮足立っておるだろう? 何かに期待するような、得も言われぬ感覚だ 聞けば、臣民らもそうだとか」


 言われて一同は、顔を見合わせた。彼らもまた、うっすらと感じ取っていたのだろう。

 エッボが考えていた通りに、やはりゲルムの民は何か奇妙な感情を抱いていたらしい。そしてそれは、大帝もそうだったようだ。

 

 若き大帝は、力強く言った。


「この現象は、朕らの本能が何かを鋭敏に感じ取った結果ではないのか? 我らゲルムの民を、あまねく満たしてくれるような。そんな極上の闘争の相手の到来を」


――触手に命じ……

――確かめる……

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