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環状の世界・20


 “瞬間移動テレポート”による緊急避難は、滞りなく完了した。

 ナインとタムの2人は、事前に設定しておいた通り、無事に団の城の玄関口へと降り立つ。敵地のど真ん中、それも大勢の敵兵に囲まれているという絶体絶命の状況から、辛くも帰還することができたのだ。


 だが、しかし。未だに事態が好転したとは言えない。


「う……ぐ……ぁ」

「姐さん!」


 抱きかかえていたメイドの身体を、冷たく固い石畳にそっと横たえてやる。その際、改めて鼻の奥に突き刺さるような異臭を感じ取り、ナインは思わず口元を抑えた。


 肉の焼ける臭い。

 この城に初めて訪れた際に振舞われた、ステーキの。そして戦場で嫌程に嗅いだ、吐き気を催す不吉な臭いだ。


 ナインはかつて戦場という極限状況に身を置くにあたり、危機を察知するために自身の五感を常にフル稼働させることを教え込まれた。だから今でも、そこで感じ取れたものを覚えている。


 光や音もそうだが、臭いもその内の1つ。


 燃焼する火薬。

 危険な化学薬品。

 車両の排気ガス。

 いずれも危険を知らせるサインだが、もっと分かりやすいものがあった。


 それが、“人が焼ける臭い”だ。


 熱線銃レーザー・ガンに代表される熱光学兵器が主力となっていたかつての世界では、戦死の原因の約半数が、熱線レーザーによる焼死だった。命を落とした戦友の中には、高出力の熱線レーザーで全身を丸焦げにされる者や、重要な内臓器官を焼かれる者が多くいた。

 その際に立ち上ってくるあの独特の臭いは、忘れようと思っても忘れられない。

 

 ナインにとってこの臭いを嗅ぐときはとは、即ち誰かが死ぬときに他ならないのだ。


「冗談じゃねえぞ!」


 恐ろしいことを考えかけ、ナインは絶叫した。そして同時に、激情に溺れかけた頭を冷やすことに努める。


 そうだ、こういう時にこそ落ち着かなければならない。かつて同じような状況に陥った仲間を何人も見て来たのだ。だからこういった事態においても、ただやれることを黙々とやるのみ。


 


 ナインは一瞬瞑目してから大きく息を吸い込むと、カッと眼を見開いた。


 ナインには専門的な医療知識はない。だが植え付けられた記憶の中には、最低限ではあるが、応急処置に関するそれがある。


 まずやるべきは助けを呼ぶことだが、すでにペンダントを介してこちらの状況は他の団員らに伝わっている筈だ。ならばいちいち連絡を取る必要はないだろう。

 次にタムの肩に手をおき、身体をゆする。だが、反応はない。意識はないようだ。

 今度は口から上半身にかけてを観察する。口がわずかにパクパクと動き、胸元が小刻みに揺れているように見える。死線期呼吸なのかどうかは、はっきりと判別できない。

 だが鳩尾の上あたりのエプロンには小さな穴が開いており、白地についた丸い焦げ跡から、じっとりと赤い液体が染み出し始めている。

 ナインは「すいません」と断りを入れると、素早くタムの衣服のボタンを外していった。別の状況でこうしたかったなどと考える余裕もなく、柔肌の上から傷口を探り当てる。

 あった。胸骨の剣状突起付近に、熱線レーザー兵器特有の出血の少ない傷跡。高熱のせいで、部分的に焼かれている。ナインが所有しているものよりも出力は低めだったらしいが、ほとんど生身ソフトスキンだったせいで思ったよりも傷は深いようだ。


「これは、不味いな……」


 ナインは苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。

 素人判断だが、タムは心臓などの循環器系に重大な損傷を受けている可能性が高い。人工呼吸や止血などでは、時間稼ぎにもならないだろう。

 急いで専門的な治療を受けねば、間違いなくタムは死ぬ。


「ナイン! タム!」


 結論が出ると同時に、頭上から声がかかった。そしてナインの視界に影が落ちる。

 何事かと顔を上げてみたところで、ナインは驚愕に眼を見開いた。


 なんと桃色の髪を振り乱した少女が、空から降ってきたのだ。


「とうっ!」


 気合の籠った掛け声と共に、難なく地面に着地するノーリ。そして身をすくめているナインの方へと駆け寄ってくると、青ざめた表情でナインとタムを交互に見やる。


「2人とも、ご無事ですか!?」

「あ、ああ。俺は無傷だが、この通り姐さんがな」


 面喰いながら、ナインはどうにか答えた。

 確か彼女は、他の団員らとともに2階の会議室にて待機していた筈だ。こちらの状況を知るや急行してくれたのだろうが、しかしなんとも無謀な娘である。普段のナインならば『危ねぇだろが!』と文句を言うところだ。

 しかし、今の彼にそのような余裕はない。

 ナインは藁にも縋るような思いで、この城の最高権力者に訴えた。


「恐らく心臓を撃たれて、瀕死の状態だ。急いで治療をしないと死んじまう」

「そんな……」

「兎に角、医務室に運ぼう。手ぇ貸してくれ。あと、誰か緊急医療の心得がある奴は? それか、傷を治す魔法とかあるのか?」

 

 ノーリは見た目には少女だが、片手で長身のナインを引きずり回す程度には力持ちだ。ナイン1人よりも、素早く移送することができるだろう。いや、それよりもこの際、彼女のペンダントを使わせてもらって、直接医務室に“瞬間移動テレポート”した方が速いだろうか。

 そう思ってナインは、口を開きかける。


「無理よぉ」


 再び影が差したのは、そのときだった。そして間を置かずに、大きな羽音を出しながら地面に降り立つ黒い女性が現れた。背中の羽をいっぱいに広げた、フィーアだ。


「私もスィスも、そちらの方面の術には適正をもっていないのぉ。期待はしないでねぇ」


 羽を畳みながら、淡々と言う化け物女。

 とても冷ややかな、まるで作戦進行中に想定外の悪い事態が起こったことを、咀嚼することなく部下に告げる上官のような表情だ。いつもの情欲塗れのそれとは違い、こちらを挑発するような色はまったく見えないが、しかしそれが返って癇に障ってしまう。


「ああ、そうかよ。それならまじないじゃなく、現実的な技術を使える奴は?」


 舌打ちを堪えながら聞き返すナイン。するとまたもや、別の人物が答えた。


「ピャーチだ。しかし彼は現在、自分の興味が赴くところに傾注している。“この程度のこと”では動かんだろうな」


 いつの間にか真横にいたスィスだ。宝石のついた杖を突きながら、タムを見下ろしている。

 まるで事切れる寸前の戦友を見送るような眼つきだったが、それ以上に彼の物言いは、不安定なナインの心を大きく揺さぶった。 


「……オイ爺さん。なんだよ、“この程度のこと”ってのは。姐さんが今にも死にそうな状況が、“そんなこと”なのか?」

「言葉通りだ。あ奴は普段は融通が利くのだが、一度好奇心を刺激されると、他のことにまったく気が回らなくなってしまう」

「そういうことを言ってんじゃ……ああクソが、もういい。おいノーリ、いいからお前のペンダントを貸してくれ!」


 ナインは付き合っていられないとばかりに、ノーリの方へと向き直る。しかし、返事はなかった。

 見ると彼女は両膝をつき、タムの横顔を慈しむようにして撫でているではないか。


「お嬢さんよ、そんなことをしてる場合じゃないだろうが!」

 

 ナインは苛立たしい思いをぶつけるかのように、ノーリを怒鳴りつけた。

 タムを気遣おうとするその心意気は痛い程に分かるが、今は感傷に浸っている暇などない。緊急医療と言うのは、一刻を争うのだ。こんな悠長なことをしている暇などない。


 しかしノーリはナインに顔を向けると、静かにこう言った。








「残念ですが。“このタム”は、たった今息を引き取りました」








 瞬間、ナインは地面が崩れるような感覚を覚えた。ふらふらと石畳に両膝を突き、愕然とした表情で、タムを見つめる。

 先ほどまで辛うじて動いてた口は、今はもう閉じきっている。完全に呼吸が停止していた。やはり所見の通りに、心臓を損傷していたのだ。


「そんなっ……」

  

 タムが、息を引き取った。

 

 ノーリの言葉が、ぐわんぐわんと頭の中で木霊する。

 何故そんな結論になるのか、まるで意味が分からなかった。 

 おかしい。そんなことはあり得ない。何故なら、道理に反するからだ。

 

「馬鹿なこと言うなよ。俺を担いでるんだろ?」


 喉がカラカラに干上がっていくのを感じながら、ナインは誰にともなく呟く。

 すると、またもや頭上から返答がなされた。


「担いでなどおらん。“そのタム”の気は、完全に消えた。命の灯火が消えておるよ」


 直後に、たすんたすんと、軽快な足音が響く。

 そちらを見ると、すぐそばで丸太の様な腕を組み、神妙な顔つきでこちらを見下ろしている巨漢の姿があった。そしてその両隣には、無表情のトリーとセーミも。どうやら彼らもまた、会議室から跳び下りてきたらしい。

 トリーとセーミが言う。


「こうなることは……予想の範囲内……」

「そうですわ。タムも覚悟の上でした。だから、貴方が気に病むこともない」

「そんな言い方っ」

「でも……本当のこと……」

「ぐっ」

 

 ナイン思わず2人の少女を睨みつけた。しかし反対に彼女らの視線は冷ややかだ。どことなく哀しみが感じられはするものの、タムの死というどうしようもない事態にあって、さして心を動かしているようには思えない。

 見れば、他の団員達もそうだった。石畳の上で眠りについたタムを、ただ静かに見下ろすのみ。


―何だってこうも落ち着いて……いや、待てよ。そうか!


 身の内のセンチメンタルな部分が噴出しかけていたナインは、はたと気が付いた。


 全体、この団に所属する者たちとは、どのような存在だったか。

 この期に及んで、ようやくその事実を思い出したのだ。


 ナインはごくりと唾を飲み込むと、震えながら口を開いた。


「なあ、姐さんも不死なんだよな? だったら問題ないよな、そうだよな?」


 完全に生気の失せたメイドを指さし、引きつった笑みを浮かべながら団員らに問いかける。

 

 そう。

 アラインとは、永劫に亘る暇つぶしを目論む不死者たちの集団だ。その構成員たちは、手段と過程は異なるにしても、いずれも不死であるという。当然ナインがそうであるように、彼女もまた不死。ならば、彼女がこのまま死ぬなどという道理はあり得ない。

 

 答えを聞くよりも早く、ナインは勝手にそう結論を下す。

 否、聞くまでもない。ノーリ団長からすでにそのことを聞き及んでいるのだから、間違いはないのだ。


 タムは死なない。

 今はこうして苦し気にしているが、いずれまたあの温かい笑みを浮かべてくれるだろう。多少の時間を要するかもしれないが。


 ナインはそう自分に言い聞かせた。


 しかし。

 団員たちは沈黙したまま、なんとも言えない表情で目配せをし合うのみだった。

 こちらを見つめるノーリも、困ったように首を傾げるばかりである。


「おい、何だよお前らっ! まさか姐さんはこのまま……」


 激昂したナインが、今にも団員らに飛び掛かろうとばかりに立ち上がる。

 その瞬間、肩に誰かの手が置かれた。


「落ち着いてください、ナイン」


 聞き覚えのある声に、身体が震える。

 おかしい。そんなことはあり得ない。何故なら、道理に反するからだ。

 いやしかし、まさか。


 ナインは恐る恐る振り向いた。


 果たして、そこに居たのは。


「え……? 姐さん……?」

「はい、私です」


 正しく。


 ナインの肩に手を置いたのは、タムであった。


 特徴的なメイド服。見ていると温かい気持ちになる笑顔は、見紛うことなどできはしない。


 しかし足元を見れば、そこには確かに絶命したタムの姿がある。





「え……? 姐さんが……2人いる?」

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