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環状の世界・11

―まだかなぁ、ナイン。遅いなぁ・・・

―ひょっとして、何か問題でも?


 聖域と称されるだけあってか、この森には人の手がまったく入っていなかった。

 伐採されない木々は何処までも高く伸び、人間の胴体よりも太い幹が狭い間隔にぎゅう詰めになっている。自然のままと言えば聞こえはいいが、要は樹木が伸び放題になっているのだ。


 ある一画では、大蛇の様な木の根が荒れた地面を波立たせ、隆起させている。その周辺には雑草の1本すら生えておらず、それどころか天頂から降り注ぐ陽光の奪い合いに敗れた朽ち木が山積していた。正にこの森が自然のままの、弱肉強食の理に支配されていることを示しているかのようだ。

 そよ風に合わせてわずかな木漏れ日が届くばかりのこの荒廃した森林では、例え獣であっても満足に歩くことはできないだろう。


 しかしそんな難場に、スカートにパンプスというどう考えても不適切な装備で挑む女性の姿があった。凹凸ばかりの足場を、前で手を組んだままバランスを崩さず、さらにはカチューシャやエプロンのフリルを一切揺らすことなく、静々と歩いていく。まるで地面を滑るようにして進む彼女の表情には、毛ほどの疲労もなく、ただ温かい微笑が浮かぶばかりだ。


 その正体は、異界よりの来訪者にして、不死人集団の一員。

 メイドのタムであった。


「大丈夫ですか、ナイン。ペースが落ちていますよ」


 息一つ切らさずに歩いていたタムが、背後を振り返って優しく問いかける。その視線の先にいたのは、やはり不死人の一人であるナインだった。


「も……問題なしッス……タム姐さん」

「無理は禁物ですよ? 何かあってからでは遅いんですから」

「無理なんか、……してないッス」


 そのように気丈に応えるナインであったが、余裕たっぷりのタムとは対照的に、全身汗まみれで息も絶え絶え。パンツの裾や革靴にべったりとこびり付いた泥や、引きずるような足を見ても、彼が疲労困憊しているのは明らかだった。


 見かねたタムは、立ち止まったまま諭すように苦言を呈する。


「お疲れのようですし、次の“瞬間移動テレポート”まで休まれても良いのですよ?」

「必要ないですよ。……あと20分も歩けば到着でしょう? さっさと進みましょうや」


 ほんの一時、手を膝につき深呼吸をしてから、ナインは再び前を見据えて歩き出してしまう。だが相変わらず膝は笑っているし、歩く速度は鈍重だ。

 強がりなのは見え見えであるが、そんな彼とて軍隊経験者だ。自分の身体のことは自分がよく分かっているだろうし、本当に無理な時には無茶を通そうとはしない筈。こちらの足を引っ張ることもないだろう。

 タムはそう判断すると、笑顔のまま頷き、再びナインの隣に並んで歩き出した。




 タムは現在、情報収集という重大な任を終えたナインを、城へと連れ帰る最中であった。城とフィエルの間の約180キロメートルの距離を、ナインを“護衛しながら”丸1日かけて移動するのである。当然そんな長距離を、しかも鬱蒼とした森を突き抜けて進むとなれば、徒歩という手段は非現実的だ。

 そこでお世話になるのが、団員の証のペンダントである。翻訳・記録・通信と便利な機能が詰め込まれているデバイスであるが、その中でも最も素晴らしいのが“限定的リミテッド瞬間移動テレポート”だ。

 優れた魔法使いであるフィーアやセーミの能力を疑似的に再現したそれは、文字通りに離れた空間へと使用者を瞬間的に移動させることができる。ただしあくまでもその機能は“限定的リミテッド”であり、1回に最大でも10キロメートルしか移動できず、さらには使用後にクールダウンが必要となっている。


 それでも、魔法という超常的な能力を扱えない団員らにとっては有用であることには変わりがない。タムとナインのペンダントを交互に使用すれば、次の日の太陽が隠れる前には、無事に城に到着する予定だった。


 しかしそこでナインが、“瞬間移動テレポート”と徒歩による移動を併用することを進言してきたのだ。そうすれば、城への帰還はぐっと早まるだろう、と。


 確かにペンダントのクールダウンは、移動距離にもよるが、長ければ数時間にわたることもある。機能を発動した後に歩き、また機能を発動するということを繰り返していけば、わずかばかりでも時間の短縮が可能だろう。ナインがフィエルで1週間を過ごしている間に、この聖域の森のマッピングは完了しているので、迷うこともない。

 理に適った提案であった。


 そうしてタムがナインの意図を汲み、強行軍に付き合うこと8時間。隠れていた太陽が姿を現すまで休むことなく進み、城まで残すところ数キロという位置にまで辿り着いたのだが。ここにきて、発案者であるナインの体力に限界が訪れたようだ。


 全体、敵地への単独潜入というストレスフルな状況で1週間を過ごし、さらには不慣れで危険な地形を不適切な装備のまま歩き続けてきたのだ。こうなってしまうのも、無理からぬことだろう。

 

―いいえ、きっとそれだけではないわね


 明らかに精細さを欠いている新人の姿を盗み見ながら、タムはその心中を分析する。いつもの彼ならば、タムと他愛のない会話をしているはずだ。それなのに、合流してからというもの、状況説明などの事務的なやり取り以外には、満足に言葉を交わしていない。


 それはつまり、今彼の心を占めているのが、もっと別の大切なもの。ノーリだからだ。

 

 一刻も早く、帰らねばならない。

 帰って、“無事”を確かめたい。


 そんな焦りが透けて見える。“今まさに”城の自室で、ナインの帰還を待ちわびている団長様と同じだ。


 相思相愛とまではいかないにしても、気にかけ合っているのは間違いない。どうもボタンを掛け違えてしまったようだが、何か少しのきっかけがあれば、このギクシャクした関係も自ずと修正されていくだろう。

 

―だとすれば、無茶をさせるのは良くないですね


 タムは苦笑しながら、そう結論を下す。


 ナインの言う通りに、城まではあとわずかな距離しかない。クールダウン完了までの時間を考えれば、歩いたほうが速いだろう。

 しかし、これ程に疲れ切った状態で薄暗い森林のただ中を歩くとなれば、それなりのリスクを考えねばならない。転倒して擦り傷をこさえる程度ならば可愛いものだが、脆い地面の崩壊に巻き込まれたり、危険な原生生物に襲われたりする可能性も、ないわけでは無いのだ。


 十全な状態のナインならばそんな事態に遅れは取ることはないだろうが、しかし現在の彼はその限りでもなし。アラインに名を連ねる不死者ともなれば、その程度で死ぬことなどないだろうが、生傷と汚れ塗れの姿で城に到着することになるのは間違いないだろう。


 そうなったら、それを出迎えるであろう団長様が、またぞろ騒ぎ立てることになってしまう。


 その有様はどうしたのですか。

 やっぱり、貴方1人に行かせるべきではなかった。


 ……と、いったふうに。


 そうなれば必然、青年の方も意固地になって反発せざるを得なくなる。

 

 これくらい、大したことはない。

 いちいちつまらないことで騒ぎ立てるな。


 ……と、いったところか。


 そうしてまた飽きもせずに、城中に響き渡る声で大喧嘩を始めるのだ。もはや見慣れた光景である。

 ドスとスィスは揃って頭を抱え、フィーアとピャーチはその様子を面白おかしく鑑賞し、トリーが我関せずと逃げ出す中、セーミが訳も分からず右往左往することになるのだ。


 団の安寧を願うタムとしては、そのような予見される危機を放置することなど、断じてできはしない。


「少し休みましょう」


 タムはそう言うと、ピタリと立ち止まった。

 すると隣を歩いていたナインも驚いたように歩を止め、眼をしばたたかせながらタムを見つめる。


「なんで……だって、もうすぐなんですよ?」

「申し訳ありません。私が疲れてしまったんです」

「え? でも姐さん、全然息を切らしてないじゃないですか」

「疲れたんです。休みます」


 言いながら、笑顔のまま詰め寄るタム。

 その妙な剣幕に怖気たのか、ナインは引きつった表情のまま激しく頷いた。

 それを見たタムは優しく頷くと、何処からともなく1枚のハンカチを取り出した。そして、地面から隆起した太い木の根の上に、それを被せる。座席代わりだ。


「どうぞ、お座りになって下さい」 

「え、でも……」

「ど・う・ぞ」

「……はい! 分かりました!」


 ナインは跳び上がる様に硬直すると、ぎこちない動きでハンカチの上に腰を下ろした。その直後、大きく溜息をつく。子どもっぽく強がってはいても、身体の方は正直なものである。途端に疲れが噴き出してきたのか、がっくりと肩をおとしてしまった。

 

 タムはさもありなんと頷くと、ナインのすぐ隣にそっと腰掛けた。そしてまたもや、何処からともなく1本の魔法瓶を取り出す。緊急用に携行している、タムの手製のスポーツドリンク入りだ。

 タムはカップ部分を取り外すと、そこへ水筒の中身のスポーツドリンクをなみなみと注いだ。そして、息を整えているナインへと差し出してやる。


「どうぞ」

「……ありがとう、ございます」


 すでに抵抗する気力すら失せていたのだろうか。ナインは口答えをすることもなく素直にカップを受け取ると、俯いたままちびちびと中身をあおり始めた。大量の汗でくたびれたスーツと項垂れるその風体は、どこぞの世界で見たことのある、仕事に疲れて飲んだくれているお父さんであった。


―まあ、大変な仕事をやり遂げたのは事実ですから。少しくらいは、休んでも良いでしょう


 カップ片手に深~い溜息をつくナインを見ながら、タムはそう思った。

 そうこうするうちに、ナインの手の中のカップが空になってしまう。存外体内の水分を失っていたようだ。

 タムはそれを見計らったように、新しいドリンクを注いでやった。

 

「お疲れ様です」

「あ、どうも」


 ナインは軽く会釈をすると、再び白濁した液体で満たされたカップを傾けた。

 それが空になると、またタムが甲斐甲斐しくもドリンクを注いでやる。 

 その間2人は一言も話さず、ただ黙ってその作業めいた行為を繰り返していった。


 そうして、10分が過ぎた頃だろうか。タムと並んでずっと沈黙を守っていたナインが、おもむろに口を開いた。

  

「あの、タム姐さん。ちょっと聞いてもいいですかね?」

「どうしました?」

 

 手に水筒を抱えたまま、小首を傾げるタム。

 笑顔でナインを見つめるが、しかしナインの方はどこか気まずそうに眼を逸らしてしまった。そして、ぼそぼそと話し始める。

 

「言いにくい事だったら答えてもらわなくていいんですけど、ずっと気になってまして。その……ノーリのことなんですが」

「ノーリ様が何か?」

「あー、うん……」

 

 ナインは言いかけたところで、やはり止めておこうかと一旦口を閉じてしまった。しかし直後にまた口を開きかけ、またもや閉じてしまう。

 なんとも煮え切らない態度だったが、タムは黙ったまま辛抱強く、笑顔で続きを待地続けた。


 そうしてナインが、たっぷり30秒かけて唸った後。


 ようやく意を決したように、ナインが言った。

 






















「あいつ、誰か大切な人を失くしたりしましたか?」











 その瞬間。


 タムの顔から、笑顔と温かさが完全に消え去った。

―いやいや、タムが付いてくれているんだから、大丈夫!

―そうですよね、タム?

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