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環状の世界・9


 そこは独房だった。

 ベッドやらテーブルやらが詰め込まれ、広さは10㎡もない。ただでさえ狭苦しいというのに、それに加えて壁は全面硝子張り。快適さとは程遠い環境である。


 しかしスィスは、そんな殺風景な部屋にあって、優雅に昼食後の一服を愉しんでいた。

 数少ない家具の1つである椅子に腰かけ、陶器のカップを上品な仕草で傾ける。ほぅ、と口から漏れ出るため息は、滅多に感情を表に出さないこの老人の、ささやかな喜悦の表明であるかのようだ。


「どうかな。我が団のメイドが、手ずから育てた葉は」

「素晴らしいですね。実に奥深い味わいです」


 そのようにスィスの問いに答えたのは、丸テーブルを挟んで反対側に座る、何処にでもいそうな1人の男だった。青年とも中年ともつかない年恰好で、高くも低くもない背丈の、異様なほどに個性の希薄な顔つき。

 例のフィエルという街の様子を中継で見ていたが、もしもこの男がその場にいたのならば、見つけ出すのは困難だろう、とスィスは思う。あくまでもこの世界での、という前置きがつくにしても、ここまで見事に“平均的”という言葉を体現する人間というのは、中々お目にかかれない。

 しかしこの部屋の性質を考えれば、この男の正体がその十人並みの外見とは相反するものであることは、自ずと明らかだ。この“特性無き特性”こそが、この男の最大の武器なのだろう。


 そんな、ある意味で異常と表現できる男が、朗らかな表情で言う。


「ああ……。こうして貴方様と語らうことが、唯一の喜びになるとは。ほんの数日前までは、まったく想像だにしませんでしたよ」

「“私”もだよ。ほんの一時だが、こうして有意義な時間を過ごせることは嬉しい。野卑な感情を排した知性的会話の、なんと尊い事か」

「ええ、正に! スィス様のおっしゃる通りです!」


 男が力強く頷く。少年のように輝く瞳は、彼が演技をしている訳でも正気を失っている訳でもないことを証明していた。彼は、スィスに心酔しているのだ。

 こんな純粋そうに見える男が、ほんの数日前に団を強襲した暗殺者集団の頭目だと、いったい誰が信じられるだろうか。少なくとも、直に首をへし折られたナインにはとても無理だろう。


「この素晴らしい出会いを、私たちだけが独占するのはとても心苦しいものです。大帝様がスィス様のことを知れば、すぐに誤解など解けてしまうでしょうに」

「まったく同意見だ。君たちの話を聞くに、大帝様は正に完成した人格を備えているように思える。そんな人物と意志疎通をすることこそ、私の喜びなのだよ」

「ええ、そうでしょうとも!」

「当然のこと、君との語らいも喜びに満ちているよ」

 

 大嘘である。


 喜色満面の笑みを浮かべる男に同じく笑顔で応じながら、スィスはこの男との面談に、もはや露ほどの価値も見出してはいなかった。この男を含め、襲撃者たちからはすでに情報を搾り取れるだけ取ってしまっており、これ以上得られるものがない。スィスがわざわざ彼のもとに足を運んだのは、その事実の最終確認をしたかったが為だ。


 全体、ほんの半日で掌握される程度の薄っぺらな自意識しかもっていない存在と語らうなど、スィスにとっては苦行でしかない。不死者にとって時間は無限だが、それは浪費をしていい理由にはならないのだ。


―放逐するのは決定事項として、後はその方法だな。今夜の議題としてあげるとするか


 胸中でそんなことを考えながらも、顔には柔和な笑みを張り付けるスィス。他者に真意を悟らせない為のおざなりの手段だが、眼の前の男には覿面であった。


「貴方との出会いは、私の価値観を大きく変えました。目が覚めるとは、まさにこのことでしょう」

「大袈裟だな。それに出会いを喜んでいるのは、私とて同じだよ」

「それなのに私は、とんでもないことをしでかしてしまいました。……その、私が殺しかけてしまった彼は、無事ですか?」

「気にすることはない。彼は頑丈だから、ピンピンしているよ」

「それは良かった。是非とも彼に、謝罪をしたいものです。きっとスィス様と同じく、優れた人格のもち主なのでしょうね」

「うむ、そうだな……」


 こちらの機嫌を損ねないように、そして長く会話が続く様にと、へつらう様な事ばかりを語る男。それが返って、スィスから退出のきっかけを奪うことになってしまった。

 さてどうしたものかと困っていると、出し抜けに胸元が淡く明滅した。団員の証であるペンダントが、誰かからの連絡を告げているのである。


 スィスはカップをテーブルの上に置き、わざとらしく溜息をついた。そして、さも後ろめたい思いでいっぱいであるかのように、苦渋の表情を張り付ける。


「すまないが、呼び出しのようだ。続きはまたにしよう」


 そう言って立て掛けておいた杖を手に席を立つと、対面の男は悲し気な表情になった。


「残念でなりません。ですが、この素晴らしい一時を思えば、どれだけ長い事待っても苦にはなりませんよ」

「気を使わせて悪いね。本当ならばもっと、この世界のことについて話を聞きたいのだが」

「いえいえ! スィス様ほどの御方でしたら、ご事情がおありなのでしょう。またいつでも、お待ちしていますよ」

「私もだよ。ああ、次が楽しみでならんな」


 名残惜しそうな様子の男を適当にあしらいつつ、硝子張りの壁に触れる。するとスィスの身体が光の粒に包まれていく。転送魔法の一種だ。通路から完全に隔離されたこの独房に出入りするための、唯一の手段である。当然使用するには団員としての権限が必要であり、従ってこの男はこの部屋に1人取り残されることになる。

 だがこの男は、静かにスィスの到来を待ち続けるだろう。恐らくもう2度と、顔を合わせることなどないのだろうが。

 

「では、またいずれ近いうちに」

「ええ!」


 男が見守る中、やがて老人の姿は完全に部屋から消え失せた。



 次にスィスが現れたのは、独房に隣接する廊下だった。石造りの床がどこまでも続き、左右には先程スィスが入っていたようなガラス張りの部屋が幾つも並んでいる。その中には1人ずつ、これまた特徴の薄い男達が収まっていた。彼らは皆、愚かにも団に攻撃をしかけてきた暗殺者集団だった。

 ここは、フィーアとスィスが創り上げた一本道の“迷宮”だ。特殊な結界を張り巡らせているため、心得の無い者が立ち入れば、無限に続く通路を永遠に彷徨うことになる。

 

 スィスはそんな恐ろしい通路を歩きつつ、独房の中の男達を観察した。マジックミラーになっているので向こうからこちらの様子は見えないが、別段異常はない。こんな環境に押し込まれていながら、じっと笑顔でスィスを待ち続けている彼らを正常と呼べるかどうかは、判断が分かれるところであったが。


「おっと、そうだった」


 スィスは用向きを思い出し、顔に張り付けていた笑みを取り払った。そして、胸元のペンダントに向かって語り掛ける。


「何事だ?」

『お忙しいところ、大変申し訳ありません』


 間髪を入れずに返事をしたのは、メイドのタムだった。何か焦っているような声音である。


『少々問題が発生しました。つきましては、是非ともスィス様の御力をお借りしたく』

「我が出るほどのことか? 他の団員はどうした」

『……いいえ。他の方では、恐らく駄目なのです』

「どういうことだ」

『何といいますか。非常にセンシティブな事案でありまして。スィス様が適任かと……』


 濁り切ったタムの言葉を聞きながら、スィスは嫌な予感を覚えていた。

 素直で働き者のこのメイドは、滅多なことでは挫けない。最近はさる事情で仕事量が激増しているが、それでも音を上げることなく城内の管理の大部分を担い続けているのだ。

 そんな彼女がここまで憔悴しきった話し方をするとは、尋常な事態ではないだろう。しかし、団の存続に関わるような問題ならば、もっと直接的に言う筈だ。

 では、いったい何が……?


 スィスが黙考していると、向こうも嫌な予感を覚えたのだろう。躊躇いがちに、遠慮がちに、本題を述べる。


『……ドス様が、お困りの様子です。至急、会議室へお越しいただきたいのです』


 スィスは咄嗟に「捨て置け」と答えようとし、そして止めた。

 生真面目な彼女がわざわざスィスに連絡を寄こしたということは、それ以外に解決手段を見いだせなかったからに他ならない。にべもない態度をとれば、いよいよタムが困り果ててしまうのは分かり切ったことだ。

 

 スィスは「了解した」とだけ答えると、ぱちりと指を鳴らした。するとまたもや、その姿が掻き消える。

 “瞬間移動”の魔法だ。フィーアと同じく、彼もまた魔法の使い手なのである。もっとも、嗜み程度に使うだけで、魔人たる彼女には到底及ぶべくもないが。


「お待ちしておりました」

「うむ」


 スィスが会議室の前に出現すると、そこにはタムが立っていた。

 悲し気に眉尻を下げながら、こちらに向けてくるのは救いを求めるような視線。そしてその中には、色濃い自責の念が浮かんでいる。手をこまねいているしかない自分が情けなく、そしてスィスに迷惑をかけてしまったという思いがあるのだろう。何と健気な娘だろうか。


 スィスは無言で頷くと、大扉に手をかけた。そして一瞬の逡巡の後、思い切って開く。


 すると。








「そう感情的にならんでくれ、話にならんではないか」

「別に感情的になんてなってません! ドスこそ何ですか、グチグチと訳の分からないことを……」

「きちんと説明するから、もうちっと落ち着けや。な?」

「何ですか、もう! 私だって暇ではないんですよ!」


 途端に耳に飛び込んで来たのは、2人の男女の聞くに堪えない感情的な言葉の応酬だった。ドスとノーリだ。


 瞬時に事態を完全に把握したスィスは、外で立ち尽くしているタムにこの場を離れるように眼で指示をした。確かに“これ”は、タムどころか他の誰にも、ドスにすら解決できないことだ。スィスが“言って聞かせる”しかない。

 スィスはそう決意し、扉を閉めた。その際に大きな音が会議室内に響き渡ったが、2人が気付く様子はない。

 

「別に儂は、お前の方針に不満がある訳ではないんじゃ。ただ、ちょいとばかり自制した方がよいのではないかと……」

「ですから! いったい何が悪いとおっしゃるんですか!?」

「いや、悪くはない。悪くはないが、このままでは団全体の不利益になりかねんとも言えぬわけでも無きにしも非ずと……」

「持って回りますね。私はただ、ナインの身を案じているだけですよ。そこに何の落ち度があるというのですか?」

「うむ。その、だな……」


 応酬とは語弊のある表現で、実際にはノーリが一方的に怒鳴り散らし、ドスが必死にそれを抑えているらしい。とある世界で武を極め、仙人として不死の頂に到達した男が、まるで孫娘に我がままを言われて狼狽える老人の如き有様だ。


―いや、実際に孫娘なのだろうな

 

 2人のやりとりを愉快さ半分、呆れ半分で眺めながら、スィスは思った。

 ドスは根っからの武辺者だ。決して考えなしの愚者ではないが、とにかく腕っぷしで物事を解決しようとする。それは彼の気質によるものではなく、武に生きる者はそう振舞うべきだ、という妙な信念があるからだろう。

 しかしその一方で、意外にも面倒見の良い一面をもってもいる。粗忽者のセーミの世話を焼き、ノーリに体術を仕込んでやっているのは、団員ならば誰もが知る事実だ。本人は『ガラでもない』と酒の席でいつも否定するが、仮に家庭を築いたならばよい父親になるに違いないと考えるのは、スィスばかりではあるまい。

 しかしそれがドスの憎めない人間味であると同時に、しばしば重い足かせともなってしまう。今回のように、可愛い可愛い団長殿に嫌われたくないものだから、“苦言を呈する”ことができなくなってしまうのだ。

 

 胸中で盛大にため息を吐きつつ、スィスはポーカーフェイスのまま2人の間に割って入った。

 

「貴様ら、そこまでにしろ」

「おぅ……スィスか」

「むっ……貴方まで何用ですか」

 

 瞬間、救世主の登場に湧く被圧政者のような表情を浮かべる巨漢。

 その一方、邪魔者の出現に腸を煮やす暴君のごとき顔つきになる娘。

 スィスが到着する前から、すでに勝敗は決していたようだ。断らなくてよかった。


「団長よ」

「……何ですか、スィス」


 スィスはノーリへと向き直りながら、あまり目にすることのないその表情を、まじまじと見つめた。

 ドスの物言いは随分と分厚いオブラートに包まれていたが、返ってその迂遠さが癪に障ったのだろうか。孫を想う祖父の気持ちを察してやれぬような愚鈍な娘ではなかった筈だが、大分頭に血が上っているらしい。


―今のこの娘は、団長の器にあらず……


 その原因を指摘すればどうなるかは、火を見るよりも明らかではあるが、そろそろ放置しておける時期は過ぎただろう。乞われた体ではあるが、タイミングとしては丁度良かった。


 スィスはあくまでも表情を崩さず、ノーリの眼を見据えながら口を開いた。


「最近の貴様の態度には、目に余るものがある。特に、ナインが絡むときにはそうだ」 

「っ!」 


 ずばり言ってやると、途端にノーリの顔が赤くなった。羞恥と、そして若干の怒りだ。

 長い付き合いなので、顔を見れば考えていることなどすぐに読み取れる。そしてこれから、彼女がどうなるのかも。


―ああ、まったく。我にばかりこんなことをさせおって


 胸中で呪いの言葉を吐きながら、非難を込めてちらりと親友の方を見る。するとドスは、気まずげに顔を反らした。悪役を押し付けておきながら、傍観を決め込むつもりのようだ。なんと情けない武人であろうか。


「私の、何が問題だとっ!?」


 拳を握りしめたノーリが、食って掛かってくる。もはや肉体年齢に引っ張られているようにしか思えない。

 スィスは表情を崩さぬまま、静かに、しかし辛辣に告げる。


「言わねば分からぬほどに血迷ったか? では直に述べてやる。今のお前は、自制のきかない餓鬼そのものだ。団の長として相応しくない」

「ぐっ……」

「聞けば貴様は、前の世界の住人に後れをとったらしいではないか。ドスから手ほどきを受けておきながら、何故そのような醜態を晒したのだ?」

「それは……」

「おおかた、激情に駆られるような事態に陥ったのであろう。では、その原因については理解しているのか?」


 ノーリは答えなかった。ただ悔し気に唇を噛み、腕をわなわなと振るわせている。これでは本当に、ただの小娘である。


 だがスィスは、追撃の手を緩めなかった。


「……貴様があの青年に、誰の姿を重ねているのかについては詮索しない」

「なっ」


 ノーリが眼を見開いた。赤く染まり切っていた顔から瞬時に血の気が引いていき、蒼白になる。図星だったようだ。


「……だが今のままの態度を続ければ、やがて彼を含めたすべての団員からの信頼を失うことになるだろう。それだけは、覚えておけ」


 言いながらスィスは、再びドスへと目配せをした。今度は非難の籠ったそれではない。後を頼む、という意味だ。


 ドスが申し訳なさそうな顔で頷いたのを確認すると、呆然と立ち尽くす団長を尻目に、スィスは足早に会議室を後にした。乱暴に扉を閉め、廊下を突き進んでいく。

 そうしてしばらく経ってから、周囲に誰もいないことをよく確認し、ようやく大きなため息をついた。


 ノーリの暴走っぷりに対しては、いつか誰かが釘を刺さねばならなかったのだ。あれはほとんど脅しの様な言葉だったが、あんな愚かな行動ばかりしていては、実際に団員の心が離れていく可能性はゼロではなかった。

 しかし彼女は、元はこのアラインの長らしく聡明な娘だった。これに懲りたら、すぐに自らの振舞の愚かしさに気づき、落ち着きを取り戻してくれるだろう。


 しかし同時に、完全に元に戻ることもない、ともスィスは思う。団長として適した態度は必要だが、ナインとの関係を絶つ必要はないのだ。

 新しいものに触れ、異なるものを知り、自身の認識を革める。それはつまり、この団が普段していることと同じだ。あの新参者の加入によって起きる変化を良しとするか悪しとするかは、ノーリを含めた各団員次第。


 むしろこれを契機に、彼女がより優れた首長になることを期待するべきである。道を誤りそうになったら、またこうして口を出してやればよい。


「しかし、それにしてもな……」


 堪らなくなったスィスは、思わず独り言ちる。

 なんという損な役回りだろうか。自分が適役ということは理解できていても、それを行うことが容易いわけではない。ノーリを眼に入れても痛くないと思っているのは、何もドスだけではないのだ。


―孫娘というのは、我にとってもそうなのだからな


 ああも酷いことを言っておきながら、今晩の夕食の席ではどのようにしてノーリに接するべきだろうか。


 ゲルム帝国、大帝、その他諸々の環状の世界に関すること。思案すべきすべての課題を盛大にうっちゃり、スィスは頭を悩ませていた。

――ほんにスマンかった。これ、この通りじゃ

――この貸しは高くつくぞ。そうさな、秘蔵のウィスキーを開けてもらおうか

――うむ……殺生なヤツじゃな、お主は

――これでも足りんほどだ

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