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メトロポリス・3

――な ん で に げ る の ! ?

 ようやく見つけた目的の人物は、何故か声をかけようとした途端に歩き出してしまった。いや、ほとんど走るような勢いだ。

 慌てて追いかけるが、どうやら向こうは成人男性で、しかも鍛えているらしい。たちまちのうちに彼我の距離は離されていく。

 必死に追いすがろうと足を動かせば、どんどん消耗して息が切れ、声をかけることもままならない。


 その上その人物は、歩く速さを変えてみたり、何度も出鱈目に角を曲がってみたりと、意味の分からない移動を続けている。


 とても目的地に向けて最短コースを進んでいるとは思えない。それがまた、余計に肉体と精神を疲弊させるのだ。

 

 くきゅるぅ 

 

 両脚と肺に加えて胃袋から、今日何度目かの悲鳴があがる。


 

 もう駄目!

 限界だ!

 



 疲労と空腹。


 最近の、研究にかまけた運動不足。


 おまけに“すらむ街”という不慣れな土地の悪路を全力疾走とくれば、結果は火を見るよりも明らかであった。


「うわぅっ!?」


 なんの拍子か。

 もつれかかった右足のつま先が、石畳の上に走る無数の亀裂の内一本に、ぴたりと引っかかる。

 慌てて両腕をぶんぶんと振り回してバランスを取ろうとするが、後の祭り。


 小柄な身体が、無様にも回転をしそこなって地面へと墜落し、頭上の三角帽子が宙へと放たれた。










 さて、困ったのはマトイの方である。


 10分程裏路地をランダムに歩き回って、自分を追跡してくる気配が消えないことを確認した後、次の曲がり角あたりで待ち伏せしてやろうと画策したばかりの出来事だったのだ。


 何処のどいつか知らないが、他人様のあがりをコソコソと狙いやがって。只じゃ置かねぇぞ。

 足を引っかけてすっ転ばせてから、キツイのを一発くれてやる。 


 そんな風に息巻いていたというのに。



 びったん!



 突如背後から響いた音に、反射的に身構えながら振り向くと。

 50メートル程離れた位置に、何か奇妙な形の物体が2つ落ちていた。


「…何だこりゃ?」


 懐に右手をはわせたまま、マトイはゆっくりとそれに歩み寄る。

 まだ警戒を解く訳にはいかない。暗殺者という者に遭遇した経験などないが、彼らがこういった手口を使わないという裏付けももっていないのだ。


 マトイは内心冷や汗をかきながら、じりじりと、『びったん!』の音源へと近づいていった。


 やがて物体の内1つの正体が明らかになった。ひび割れだらけの道路に直立していたのは、真っ黒な円錐。いや、底面部分に、円盤の様なものがくっついている。

 見たことのない形だが、布の様な素材に見える。吹き込んでくる風で少しずつ動いていることから、それ程の重さはなさそうだが。


「新手の投擲爆弾かね?」


 右手を懐から離してしゃがみながら、そんな冗談を口にしてみる。

 するともう1つの奇妙な物体が、もぞりと動きながら返答した。


「…帽子です」

 

 マトイはそっとため息をつき、その“円錐の帽子”を手に取った。ひっくり返してみると、中は空洞になっている。

 なる程。デザインセンスはともかくとして、ここに頭をはめ込めば、さぞかししっくりくることだろう。

 

 マトイは納得と安堵の籠った2つ目のため息をついてから、今度は声の主をまじまじと観察した。


 靴にズボンに、白地のシャツ。それと、捲れ上がって頭を隠しているマント。砂埃による汚れは、おそらく最近ついたものだ。

 どれもそこそこ使い込んでいる品のようだが、マトイやスラム住まいの人間たちのそれとは大きく異なる。上質な素材によって製造され、丁寧に洗浄・補修が繰り返されてきた上での着古され方だ。この乱雑な継ぎはぎだらけのトレンチコートとは、モノが違う。


 つまり、この人物は。

 いや、声質を聞くに、“この女”は。


 


 転倒のダメージが和らいでいたのだろう。

 奇妙な物体が、のそのそと自らマントをまくり上げる。


 するとそこに現れたのは、柔らかそうな、しかし癖のある桃色の髪。

 鼻の先だけがほんのりと赤くなった、日に焼けていない真っ白な肌。

 下層のごみ溜めには存在しえない、整った顔立ちの。







 …少女だった。









「貴方が、マトイさんですか?」

 

 少女の言葉に、ぼんやりしかけていた意識が引き戻される。

 

「ん、ああ。そうだ」


 認めてしまってから、マトイは己の不用心さを呪った。

 眼の前のこの少女は、やはり明確に自分を目指して追ってきたようだ。だとすれば、その目的や素性が不確かな内に、こちらのそれを明かすのは危険ではないか。

 

 なにせここは、メトロポリス最底辺のスラムなのだ。

 物事の解決には詐欺・暴力・殺人は当たり前。行政府も軍警察も、鼻つまみ者たちがごみ溜めで好き勝手する分には構わないと、見ない振り。完全に無法地帯である。


 眼の前のお嬢さんが殺し屋か強盗で、マトイの命や財産を狙っていないとどうして言える?

 ここでは本当に、やった者勝ちなのだ。


 だが、しかし…


「あのぅ、何か?」

「…何でもねぇよ」

「え、でも」

「何でもねぇって!」


 マトイは胸中の動揺を悟られまいと、ぶっきらぼうに言った。そして、地面に腹ばいになったまま小首を傾げて見せる少女の頭に、“帽子”をかぶせてやる。


 …馬鹿馬鹿しい!

 詐欺師や殺し屋が、こんな間抜けな娘であるものか。

 もしこれが演技だとしたら、やり過ぎだ。迂遠にも程がある。


 マトイは3度目のため息をつくと、空いた右手で娘の腕を引っ掴み、立ち上がりながらやや乱暴に引っ張り上げてやった。どうやら両者の身長に差があったようで、少女の小柄な身体が宙に浮く。

 一瞬少女が驚いたような表情をし、それとほぼ同時に。


 




 くきゅるぅ



 


 不可思議な音が、路地裏にこだました。

 

『…』

 

 しばし二人の男女の間に、沈黙が満ちる。

 

 ややあってからマトイが少女をそっと降ろしてやると、少女ははっとして腹部を両手で抑えた。鼻先どころではなく、その顔全体が、真っ赤に染まっていく。

 

「いや、その、これはですね、あれでですね…」


 少女が両手をいっぱいに使って、空中に奇抜なアートを描き始める。


 これだのあれだの分からないが、とにかく恥辱を感じていることはよく理解できる。人を追いかけて顔から転倒したことよりも、人前で腹が鳴ったことの方が耐え難いらしい。


 しどろもどろになって取り繕おうとする少女に、マトイは警戒心が雲散霧消していくのを感じていた。 


「分かった、分かったよ。俺ん家にくれば、飯を食わせてやるよ」

「いや、私、何もそんな…」

「気にすんなよ。どうせ俺に用があったんだろ」

 

 マトイはほんの少しだけ笑みを浮かべながら、やさしく“円錐”ごと少女の頭を撫でてやった。

 少女がひどく哀れっぽい表情になったが、そこは受け流してやるのが大人の対応だろう。


「ほら、行こうぜ?」

 

 言いながらマトイが、先を指し示してやる。

 それでもその場でモジモジとしている少女だったが、いざマトイが歩き出すと、慌てたように追随してきた。

 なんとも庇護欲を掻き立てられる態度だ。腹いっぱい食わせてやりたくなってしまう。

 

「それでお前」

「お前って! 失礼ですよ!」

「じゃあ、お嬢ちゃん。名前は?」


 少女が隣に追い付いてきたのを確認してから、マトイは改めて問いかけた。


 とんだ初対面もあったものだが、1つフェアでないことがある。向こうはこちらの名前を把握しているのに、こちらはそうではないということだ。

 これから食事を振舞ってやるのだから、せめてそれくらいの対価はいただいてもいいだろう。

 

 そう思っていると、やおら少女はマトイを見つめ始めた。

 鳶色の瞳の中にマトイ自身が見える程、少女の顔が近づく。

 

 意味不明な少女の様子に、マトイは思わず足を止めた。

 すると、やはり少女も、こちらを見つめたまま足をとめる。



 …やはり端正な顔立ちだ。奇天烈だが高価そうな装いも含めて、まず上層の人間と見て間違いないだろう。だとすると、その目的は何だろうか。まさかスラムの人間に用心棒を頼むほど、人員が足りていない訳ではあるまい。全体、ヘッドハントにこんな小娘を寄こすなんてナンセンスだ。常識的な範疇なら、家出娘ってところが妥当だろうなぁ。それにしても……



 

 少女とは言え、異性とここまで接近したのは“数年ぶり”。

 必死になって脳味噌に血を集め、遠心分離機の如く高速回転をさせるものの、その意志とは無関係に動悸が激しくなっていく。

 

 

 そんなマトイの葛藤に気づいているのかいないのか。

 やがて少女は大きく頷くと、満面の笑みを浮かべた。


「はい! 私は、ノーリです!」

「…ノーリさんね、はいはい」


 心臓の音が外にまで響いているような気がして、マトイはさっさと歩き出した。また少女が付いてくるが、もうそちらには眼もくれない。

 

 一体何のつもりだ、この小娘は。


 マトイは照れ隠し半分苛立ち半分で、もう一つの疑問をぶつけることにした。

 

「それで? 上層うえから家出でもしてきたのか?」

「違いますよっ」


 少女は即座に叫ぶと、マトイの前に飛び出て仁王立ちになった。

 またも意味不明な少女の態度に、マトイは再び足を止める。















「私、異世界から来ました!」

――ようやく、件のマトイという人物に出会えた。

――大丈夫、この人は信用できる。

――そう直感できた。


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