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環状の世界・2

――うう、ナインに格好いいところを見せたかったのに……

――これでは団長としての面目が……


 幸運なことは2つあった。

 1つは団員のほとんどが城から出払っており、ノーリがその醜態を見られずに済んだということだ。

 もう1つは、玄関先でタムが待機していてくれたので、速やかな傷の応急処置が可能だったということだ。


「止めてっ! 無体を働く気ですかっ!?」

「アホか。守備範囲外だ」


 甲高い喚き声とと共に、ノーリお嬢様が桃色髪を振り乱して暴れ狂う。自宅の玄関先、もとい城の玄関ホールで両腕をぶんぶんと振り回して拒絶の意を示すその様は、駄々っ子ならぬお転婆姫か。

 団長たる彼女の立場を考えれば、他の団員らの信頼を喪失しかねない情けない有様であるが、しかし普段から子どもっぽい行動の目立つこの娘であれば、これ以上評価を落とすこともないだろう。

 

 ナインはぼんやりとそんなふうに思いながら、小柄な体躯を後ろから押さえつけた。するとノーリは、怒りからか羞恥からか、一層激しく抵抗をする。


「ちょっ、何処触ってんですかナイン!? エッチ! ヘンタイ!」

「いいから大人しくしろよ、お嬢さん。姐さんに迷惑かけるなっての」

 

 不当な批判をするりと躱し、小娘の細腕をがっちりと握りしめて抵抗を封じる。まずは比較的傷が深い方の左腕を押さえて、前に向かって突き出すような形にした。

 すると、正面で待ち構えていたメイドのタムが、にっこりと微笑んでその腕に手をはわせた。


「はい。それじゃあいきますよ」

「ちょ、まって……ぴぎゃーーー!」

 

 待てと言われて待つ輩が居よう筈もなく、タムは一切の容赦をせずに左手の傷口に向かって水筒の水をぶちまけた。未だ痛みが消えない噛み傷を洗浄され、またしてもノーリが悲鳴を上げる。しかしメイドは泣きじゃくる上司をあやすこともせず、淡々と所見を述べた。


「うーん。それ程酷くはなさそうですし、残った不純物もなさそうですね」


 タムはそう言って空になった水筒を何処かに仕舞うと、これまた何処からともなく医療用の保護フィルムを取り出した。凄まじい早業なので、メイド服のどの部分に収納されているのかまったく見当がつかない。

 ナインが呆気に取られている中、タムはフィルムをびりっと勢いよく伸ばすと、手早くノーリの左手に巻き付けていった。透明なダクトテープの様なそれは、出血性の傷口を保護する大きな絆創膏のようなものだ。ナインも戦場での応急処置で、似たようなものを使った覚えがある。


「こちらの方は……もう血が乾いていますわね」


 左手の処置を終えると、タムは次に兎に噛まれた右手の方に眼をやった。傷口が小さかったためか、すでに出血は止まっている。タムは今度はスプレー缶を取り出し、その傷に向かって薬剤を一噴きした。透明なジェルがかさぶたの上に張り付き、瞬時に固まる。


「はい、これでお終いです。寄生虫が入り込んでいたり、化膿したりすることもありますので、後でしっかり診察を受けてくださいね」

「……ふぁい」


 ノーリが消え入りそうな声で返事をすると、タムは温かい笑みを浮かべたまま恭しく一礼をした。そしてほんの一瞬、ナインに向かって目配せをする。


「では、私はこれで」

「ええ、お仕事中にすみませんでした」


 ナインは麗しのメイド様からの想いを察し、愚かな団長殿を放置するという最善の道を放棄することにした。指揮官から暗に死ねと命じられたとしても、兵士ならば黙ってそれに従わねばならないこともある。

 廊下を滑るようにして去っていくタムの後姿を眺めながら、ナインは切ない思いでノーリへと視線を落とした。お嬢様はその場に座り込んでぐずぐずとしており、動き出す気配がない。まんじりともせずに床を見つめ、ぶつぶつと何かに対する怨嗟の言葉を呟いている。


 本当ならばこんな小娘はこのまま捨て置き、本業の床掃除に戻りたいところでもあるが、後を頼まれたから以上は逃げる訳にはいかない。それに、落ち込んでいる子どもの心をケアしてやるのも、大人の漢の仕事と言えなくもないではないか。


「あー、ところで、何だな」


 ナインはわざとらしく咳ばらいを1つし、口を開いた。


「さっきのあれ、あの“森”は、一体何なんだ?」

「何なんだと言われましても……。森は森でしょう」


 包帯の撒かれた両手を交互にさすりながら、ノーリが言う。俯いたままだが、どうにか返答はしてくれるらしい。それならば、会話を続けていくことで多少は気を晴らしてやることもできるだろう。


「まあ、仰る通りなんだがな。しかし俺の記憶が正しければ、城の外には砂漠とメトロポリスしかなかった筈なんだよ。これはどういうことなんだ?」


 ノーリの憂いの原因から気を反らす話題であったが、全体、ナイン自身の晴らしたい疑問でもあった。即ち、自分たちが置かれたこの状況は、一体全体何がどうなっているのか。

 するとノーリはおもむろに立ち上がると、薄い胸を反らして大仰に言い放った。


「それはもちろん! 私の偉大なる魔法の力によるものです!」

「あー、そうか。薄々そうじゃないかとは思ってたんだがな。もうちょい具体的に頼む」

「つまり私の“世界渡り”によって、異なる世界へと転移をしたということです」

「異なる世界? じゃあここは、俺たちが元居た世界とは違うってことなのか……」


 ナインは、泣き顔からドヤ顔へと表情を転移させるノーリから、周囲へと視線を移す。

 団の拠点たる城と、それを取り巻く瑞々しい木々。そして、“その向こうに見えるもの”。これらが砂漠の上に突如として出現したのではなく、逆にこの地にナインたちの方が出現したということなのか。


―まあ、どっちにしても無茶苦茶だわな……


 己のうちにどうしようもないセンチメンタルな部分をもってはいるが、本質的にナインは現実主義者リアリストであり、『世のことわりがそうならば』と自分の認識を革めることができる人間だ。だからこそ彼は、放浪の果てに流れ着いたスラムという掃き溜めに虚無感を覚えつつも、そこでのルールに則ることで生き延びてきたのだ。


 だから今回も、きっとできるだろう。

 つまりこの現状は、ノーリお嬢様のなんとか言う魔法の力が発動し、別の世界へと移動した結果である、と。

 

「すっげぇなぁ……」

「そうでしょう、そうでしょう!!」


 ナインの呟きに気を良くしたのか、ノーリが鼻息も荒く詰め寄ってきた。

 またその真っ白な頬をつねり上げてやりたいという思いが芽生えたが、すでに処理しきれない“驚愕”と“呆れ”で飽和状態の胸中では、そんなちっぽけな衝動はたちどころに消えてしまう。


 魔法。

 今朝方から散々耳にした単語が、また頭の中をぐるぐると巡りだす。様々な理不尽を何度も目にし、許容してきたナインであるが、今回のこれはそうそうすんなりと腹に落とすことはできそうにない。

 

 しかしながら、眼前と“遠方”に広がる光景を眼にすれば、否が応でも魔法という超常現象を受け入れなければならないようだ。


「もう、ナインったら。予想よりも“りあくしょん”が薄いですね」


 称賛の言葉が不足だったらしく、ノーリの顔が不満気なそれに変貌していた。本当にころころと顔つきを変える娘である。

 ノーリとは逆にテンションを下げつつあるナインは、投げやりに答えた。


「ホントは盛大に驚きたいところなんだがな。もうその対象が多すぎて、疲れちまったんだ」


 ナインがその最たる例である“遠方のそれ”を指さしてやる。するとノーリは、指示した方向を振り返りつつ首をひねった。背後の城を眺めながら、疑問を呈する。


「城? ……が、どうかしましたか?」

「そっちじゃねぇよ。その後ろだ、後ろ。」


 桃色の頭をがしっと掴み、無理やりに視線を上へと移動させる。目標は城の向こう、そのさらに上だった。

 ノーリは初め、ナインの言わんとすることを理解できずにたっぷり30秒間唸り続けた。そして「あっ」という短い叫びとともに、ようやく眼が驚愕に見開かれていく。


「な、何なんですか、あれは……?」 

「俺が聞きてぇくらいなんだがな……」


 城の背後。

 そこにあったのは、“壁”だった。

 




 


 同時刻。

 その“壁”の下で、6人の団員たちが四苦八苦していた。


「どりゃぁっ!!」


 威勢のいい掛け声と共に、赤いワンピースと薄紫の長髪をはためかせながら、セーミが巨大な杖を振り抜いた。歪な突起部分が“壁”へ命中し、耳をつんざく轟音が響き渡る。

 見かけだけならば“しゃなり”としている少女が、斯様な乱暴狼藉をはたらいていては、見ている者に要らぬ誤解を与えかねない。しかしこの場にいるのは彼女の本質を理解している団員たちばかりなので、そのような不慮の事故が起こることもないだろう。


 殴打とともに吹き荒れる暴風が、木々を激しく揺らす。大量の木の葉が舞い散り、そばにいた団員達の頭上へと降り注いだ。ボロボロの胴着に身を包んだドスが、それを振り払いながら問う。


「やはり駄目か?」

「駄目なようですわね」


 セーミはくるりと杖を回して肩に担ぐと、残念そうに頭を振った。その言葉通り、つい今しがた殴りつけた箇所にはへこみすらない。

 するとそれを見たドスもまた、忌々し気に“壁”に拳を叩きつけた。気の込められた強烈な一撃であったが、やはり何の変化も起こらない。


 “壁”。

 とてつもなく大きな大きな“壁”だ。

 それが旅行者トラベラーにして冒険者エクスプローラーたる彼らの行く手を、頑として阻んでいる。しかし、いずれの世界でも名の知れた存在である彼らを妨害するこれは、ただの壁ではなかった。

 転移した城のすぐそばに悠然と佇んでいたこの巨壁は、何たることか、雲の向こうをさらに越えるような高さ有しているのだ。さらに恐ろしいことに、それが左右にも際限なく続いている。想像を絶する、途方もなく巨大な壁なのである。

 実際にはこれが壁なのかどうかすら分からないが、団員たちがそれ以外に適切な表現をできないので仕方がない。この“壁”の一部でも理解できれば正体に近づくことができるかもしれないが、今のところ検証はまったく進んでいなかった。


「まったくもって、ただ事ではないな。お前たちの全力で傷一つつかんどころか、この異様な大きさ。驚異的という言葉すら陳腐に思える」


 ドスとセーミの背後でそう呟くのは、上等なスーツに身を包んだスィスであった。愛用の宝石のついた杖を片手に、天を仰ぐようにして壁を見上げている。しかし、彼の視線の先で壁が途切れることはなかった。青空を突き抜け、雲を超えてもなお続いている。天辺が見えないのだ。


 正に驚異的な大きさの壁だが、しかし団員らの注意を引くのは、こればかりではなかった。


「壁に加えて、“2つの塔”。どう考えても人工物だ。途方もない知性をもつ生命体が存在するのは、間違いないな」


 スィスの言葉に、その場にいた他の団員らも頷いた。


 塔。

 丁度左右へと壁が伸びていく遥か先にうっすらと見えるのが、これまた巨大な2つの塔である。城を挟む形で立っているそれらの建造物は、背景に溶け込む程に輪郭がぼやけているので、ここからどの程度の距離にあるのかは分からない。しかしこの壁と同じように超巨大であることは疑いようがなかった。


 常軌を逸した大きさに眩暈を起こしたのか、団の中でも小柄なトリーがしゃがみ込み、いじけるようにして言う。


「こんなの、見たことない……どんなやつらが、作ったの……?」

「ほんっとに、度が過ぎてますわよ。ひょっとしたら、“同位体”の仕業では?」


 トリーに同調するセーミが、口惜し気に壁を引っぱたいた。超強固な壁材はそれを苦も無く跳ね返し、逆にセーミの方が「いちち……」と手を振るう羽目になる。

 

 団長が新人を連れて外へと跳び出して行った後、残った団員らはまず反対方向にあるこの壁への接近を試みた。城で待機しているピャーチに、是非ともサンプルを持ち帰って欲しいと懇願されたからだ。

 しかし先程から、団員らが物理的・魔法的な干渉を断続的に加えているというのに、一切損傷する気配がない。大きさもさることながら、その材質もまた異常なのである。

 数多の世界を渡り、数多の異質なものを眼にしてきた団員たちであったが、そんな彼らにとってもこれは規格外であった。


「ただいまぁ」


 団員たちが途方に暮れていると、空から1つの黒い影がふわりと降り立った。大きな翼を広げて着地したのは、露出度の多いドレスに身を包んだ魔人のフィーアだ。彼女もこの壁の調査に訪れており、実際に高さを調べようと壁に沿って飛行をしていたのである。


「どうだったかな、フィーアよ。何か分かったかな?」

「残念だけど、何処までも高く、何処までも長いことしか分からなかったわぁ」


 スィスが訊ねると、翼と腕を伸ばしながらフィーアが答えた。

 おなじ翼を使用してはいるが、彼女の飛行能力は鳥類のそれとは異なり、空気・飛行力学の束縛を受けることは無い。限界高度は数百キロメートルを優に越え、極度の低気圧と低温の中でも数十分は飛び続けることが可能だが、その超常的な力をもってしてもこの壁を果てを捉えることはできなかったということだ。


 すると、ずっと沈黙を保っていた1人の女性が、丈の長いスカートを揺らしながら進み出た。


「そうなりますと、いったいこの壁は、どんな目的があって建造されたのでしょうか?」


 その至極当然な疑問に対し、しかし答えをもつ者はいなかった。各々が首をひねり、顎に手をやり、頭を抱えて考え込む。

 

 奉仕対象である団員らが困惑する様子を眺めるその女性は。


 “タム”は、温かい笑みを浮かべつつ、やはり困ったように小首を傾げるのだった。

――聞けばお嬢さんたちは、いろいろな世界を旅しているらしい

――そんなお嬢さんたちをして驚かせるとは、この世界はいったい何なんだ?

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