閑話・新たな世界で
未知の事態に遭遇した際、人間は大なり小なり緊張を強いられるものだ。ましてそれが、自身が長年信じてきた『常識』という名の分厚い障壁を打ち破る力をもっていたのなら、尚更である。
『術式の発動を確認。計器類に一切の異常なし。転移を完了しました』
何処からか響いてくるピャーチのアナウンスに、ナインは恐る恐る眼を開いた。賑やかにライトアップされていた大部屋は、今はもうその喧騒が嘘のように静まり返っている。それを引き起こした張本人たるノーリは、未だに部屋の中心でふんぞり返ったままだったが。
「何だったんだ、今のは……?」
若干の眩暈を覚えながら、ナインは状況の整理に努めた。癇に障る態度のお嬢様から、その足元の床へと視線を移す。そこにあるのは単なる線と文字の複合的な模様に過ぎず、もはや一切の力を感じ取ることができない。
魔法。
非現実的なその単語が、脳内で何度も繰り返される。幻想的でありながらも、はっきりとした“重み”を伴ったあの美しい光景。あの異常現象は、本当に、魔法とかいうものなのだろうか。
「くふふふ。どうですかナイン、凄いでしょう?」
ノーリが腰に両手を当てたまま、のしのしとこちらに歩いてくる。傲慢と不遜を隠そうともせず、薄っぺらい胸を張りながら鼻を鳴らしているのが、実に腹立たしい。
そんな団長殿の態度に触発され、ナインは半ばやけくそ気味に、萎縮しかけていた自分自身を鼓舞した。
何が魔法だ。確かに初めは驚いたが、こうして終わってみれば、単なるパフォーマンスに過ぎないではないか。あの光のシャワーとて、この部屋の天井部分にでも仕込んである投影装置によるものに違いない。
無理やりではあったが、先の現象を現実的な解釈に落とし込むことで、ナインの精神は安定を取り戻した。
「まあ、面白い余興だったよ。派手だったな」
ナインは顔を反らしながらぶっきらぼうに返答をした。そして横目で、お嬢様を盗み見る。
案の定、ナインの反応が気に入らなかったらしく、得意満面な笑みが一転してふくれっ面へと変貌していた。
「余興ではありません! あれは無限に広がる宇宙の中でも、実に稀有な力の発現であって……」
「あー、はいはい。確かにすごい光だったなぁ」
「うぬぬぬ……」
容易くムキになるノーリに、しめしめとわずかばかりに留飲を下げるナイン。しかし同時に、情けない思いを抱きもする。
どうにもこのお嬢様が相手だと、自制心というタガが緩くなってしまう。これではまだナイン自身が、感情を完璧にコントロールすることができない半人前であることを証明しているようなものだ。
―理想の探偵像には、まだまだ遠いな……
軽い自己嫌悪に陥っていると、腹に据えかねた様子のノーリが眼を細めて言った。
「ふむ……では、外に出てみましょうか」
「外? なんでだよ」
「この期に及んで貴方がまだ疑うのですから、現状を見せてあげようと言うのですよ」
ノーリのその言葉と同時に、入口の方から重苦しい音が響いた。大きな気密扉が、ゆっくりとその口を開き始めたのだ。それに伴い、撹拌された部屋の空気が弱々しい風を起こす。
ナインはその瞬間、ふわりと揺れた桃色のくせ毛から、光の粒子が飛び散ったのを幻視した。
「さぁあ、行きましょう!」
そう言ってノーリが、鼻息も荒く近づいてきた。そして、またもやナインの手を取ろうとする。この娘の子どもっぽい行動に対しての許容値はどんどん増しているが、流石に衆人環視の中でお手々を繋いで歩くことへの抵抗感は拭えない。
団員達の好奇の視線を感じたナインは、顔をしかめながら両手をさっと後ろに回した。
「ナイン!?」
「手ぇ握らなくてもいいだろ、別に」
「何を照れているんですか、今更」
「照れてねぇっての」
「じゃあ手を繋いでもいいでしょう?」
「よくねぇんだよ、色々と!」
憤るノーリが、何とかしてナインの手を取ろうと背後へ周り込む。するとナインが、そうはさせじと身体を回転させて、常にノーリを正面に捉えようとする。まるで、独楽のようにくるくると回転する2人。手を繋いで歩くより余程恥ずかしい行為をしているということには、思いもよらない。
何処からか「子どもが2人……」と、呟く声が聴こえたような気がした。
「お取込み中、申し訳ありません」
ナインが頭に血を上らせていると、視界の端から人影が飛び込んできた。優しくも有無を言わさぬその声音に、ナインもノーリもそろってじゃれ合いをストップする。
2人の間に割って入って来たのは、メイドのタムだった。温かい笑みを浮かべながら、両手をそっとナインの方へ差し出してくる。
「ナインさん、これをお持ちください」
その上に乗せられているのは、真新しいホルスターと、その中にぴったりと納まっているナインの熱線拳銃だった。ちょっとした行き違いから酷く混乱し、団員に向かって使用しかけたのを諫められ、没収されていたものだ。なぜ今になって、返却してくれるというのだろうか。
ナインはノーリから視線を外し、タムへと向き直った。そして、タムの顔と愛用の品を交互に見つめる。
「持ってても、いいんですか?」
「ええ。使用される事態にならないことを願っていますが、念のためです」
「どういうことですか。まさかまた、スラムに潜り込もうってんじゃ」
「行けば分かりますわ」
それだけ言うと、タムが笑顔で両手を近づけてくる。今一つ彼女の言わんとすることが分かりかねたが、思い入れのある形見の品が戻ってくることを拒む理由もなかった。
ナインは感謝の意を示しつつ、それを受け取った。即座に上着の下にホルスターを通し、いつでも“抜ける”ように準備を整えておく。
ノーリが城の外に、つまり砂漠に出て何を見せたいのかは皆目見当がつかないが、確かに念を入れるに越したことは無い。この城はメトロポリスの目と鼻の先にあるが、メトロポリスへの侵入を試みる暴徒と遭遇する可能性も、まったく無いわけでは無いのだ。
「ほら、早く行きますよ、ナイン!」
「うぉっ! 分ぁったよ……」
用が済んだと見たのか、ノーリがナインを突き飛ばした。そしてそのままタムから引きはがすように、入口に向かってどんどん押し続ける。
久方ぶりの懐の重みに感慨を抱く間もなく、急き立てられるようにしてナインは歩き出した。これ以上邪険にすると、またいつかのように怪力を振るわれそうなので、もう文句は言わない。
「まぁ、テキトーにブラついたら戻ってくるんで」
ナインは揺れる背中越しに、せめてとばかりにタムへ言葉をかける。
朝から色々とあったが、本当ならば今頃は廊下の掃除に勤しんでいる筈だったのだ。お嬢様の子守りによる時間の浪費は最小限に抑え、早々にその仕事に戻り、少しでも彼女のお役に立ちたいところである。
そんな思いを籠めた言葉であったが、しかし麗しのメイド様は、「ごゆっくりどうぞ」と、温かくも素気無い言葉を返すばかりであった。
「さて、儂等も行こうかのう」
団の中でも最年少の2人組が退室したのを見計い、ドスがゆっくりと残りの団員に声を掛けた。声だけは余裕あり気だが、足先がそわそわとしている。仙人たる彼とて、本音ではすぐにでも外へととび出して行きたいところなのだ。
そして他の団員達も、同じような心持ちだった。数多の世界を渡り歩いてきた不老不死の存在であっても、この時ばかりは遥か昔に失った筈の童心を蘇らせてしまうのだ。
その理由は、とても単純である。
新たな世界を訪れる。その最初の一歩を踏み出すこの瞬間こそが、最も心躍るからに他ならない。
この世界は、いったいどんな名で呼ばれているのだろうか?
どんな見ごたえのある風景が広がっているのだろうか?
どのような生物が、どれ程の規模で繁栄しているのだろうか?
文明はあるのか?
魔法技術はどの程度か?
科学は発展しているのか?
全力をぶつけるに足る強者は存在するのか?
何処かに隠された宝物はあるのか?
美味しい食べ物はあるのか?
常軌を逸した芸術品はあるのか?
ああ、早く見てみたい!! この手で直に触れてみたい!!
城の外で、今この瞬間にも自分たちを待ってくれている未知の存在の、そのすべてをつまびらかにする。
それこそが、永遠の旅人たる彼らが愛してやまない、“世界を渡る”という至高の娯楽の本質なのだ。
「それにしても、我らが団長殿ははしゃぎすぎだな。またぞろ前回の様に、遭難されては困るぞ」
スィスが愛用の杖を握りながら、少し呆れたように鼻を鳴らす。この団においては、火急の用で参加できない団員がいる場合を除けば、初日は全員がそろって行動することが慣例化されていたからだ。
しかしそれに対し、フィーアがたしなめるように言った。
「仕方がないじゃなぁい、せっかくの初デートなんですからぁ」
「うむ、然り。連れ添いができれば、ああも舞い上がってしまうのは仕方の無いことよ」
「どうして貴様らは、そうやって品のないことばかり考えるのだ。男女の1組ができたというだけで短絡的な……。人生経験の底が知れるぞ」
フィーアとドスが、程度の低い事象に対して浮かれていることに嘆息するスィス。しかし、そんな彼の表情が若干ほころんでいることを見逃す団員はいなかった。落ち着きのない団長に対して度々苦言を呈する立場である彼だが、裏を返せばそれだけ彼女を案じているということなのだ。
「えぇと、ところでお聞きしてもいいでしょうか」
新天地への到着。そして新人たるナインが団に受け入れられつつあることをあらためて認識し、心地よい士気の高揚を感じていた団員達の中から、少々毛色の異なる声が上がった。
その場でただ1人、不思議そうな顔をしているセーミだ。首を傾げながら、団員たちに問いかける。
「デートって、誰と誰がなさるんですの?」
その瞬間、セーミを除くその場の全員が凍り付いたように固まった。
今日も変わらず、頭上からは光が降り注いでいる。偉大なる存在によって創造された、この大地に生きる全ての帝国臣民をあまねく照らす、恵みの光だ。
おお、恐るべき古の者たちよ!
我が帝国に永久の加護を恵み給え!
汝らの威光を語り継ぐ我らに、この廻る世界のすべてを余さず与え給え!
陽光を浴びてきらめく大帝国ゲルムでは、天頂で微動だにしない太陽の姿を拝む度に、誰もがそう呟く。九大陸の1つを手中に納め、野蛮にして劣等な異種族を蹴散らし続けるこの国の民は、いつでも太陽の様な輝きの笑顔を浮かべているのだ。
古の者に感謝を! 偉大なる大帝に栄光あれ! と。
そして同時に、この満ち足りた日常が続くことを願ってやまない。
ずっとずっと、永遠に……
帝城。謁見の間。
天井や壁に穿たれた穴からの採光が一点に集中する玉座の真正面にある空間にあって、その恵みの光の温かさを“背中”で感じながら、エッボはひたすらに震えていた。
「それはまことか?」
「はっ、間違いありませぬ」
厳かな口調で問いかけられ、エッボはこれ以上ない程に深く深く首を垂れつつ言った。悲痛に歪んだ自分の顔がはっきりと映る程に磨き抜かれた床に、額の汗がぽたぽたと落ちていく。慣れない五体投地をしているので膝が割れそうに痛いのもあるが、何よりさっきから胃の腑がシクシクとしているので堪らない。
丁度床に映った眼のあたりにできた汗による水たまりが、まるで泣き出したいこの気分を代弁してくれているかのようだった。
「して、何処か?」
「はっ、南壁第108区画であります。物見によれば、前触れなく現れたと」
「……聖地を穢したか。許し難き不遜な者どもめ」
落ち着き払った口調の中に、怒りの感情がちらついていることを察し、エッボは一層肩を震わせた。大帝として全ての民草を率いるこの御仁が、羽虫すら殺せぬ温厚な気質のもち主であることは周知の事実だったからだ。それが抑えているとはいえ、ここまで心の内を表出させたとあっては、その荒れ狂う胸中を推し量るのに余りある。
「すぐにでもその怪しき城に精鋭を送り、討伐を行います」
「うむ、よしなに。……下がれ」
「はっ」
大帝の許しを得て、ようやくエッボ大臣は立ち上がった。膝と腹をさすりたい衝動を鉄の意志で抑え、礼をしてから謁見の間から退出する。外に出て、衛兵によって大きな扉が閉められたところで、ようやく大きなため息をついた。
まったく、前代未聞の事態だ。この広き世界に冠たるジャマニ帝国の領土が侵犯されるなど、有史以来一度たりとも有り得なかったことである。しかもそれが、大陸内部の禁足領域である聖地となれば、仰天する他にない。
「いったい何者が。まさか、古の者たちに連なる……? いや、そんなまさか」
つい先刻飛び込んで来た、物見からの報告を思い起こす。
『聖地に、突如として巨大な建造物が出現。直前までレーダー類には一切の反応が無く、従って未知の技術を所有する危険な勢力であると推定される』
実に頭と胃が痛くなることであった。
この帝国は、空間ジャンプによる強襲を防ぐために、全領土に亘って強固なエネルギー障壁が常に展開されている。しかし正体不明の来訪者たちは、それを苦も無く突破し、さらには偉大なる古の者たちが遺した地に悠々と居を構えたのだ。
彼の創造主たちが姿を隠して久しいが、その遺産を守るという重責を負ったジャマニの民にしてみれば、存在意義を否定されるに他ならない非常事態である。彼らが古の者たちに関わる存在である可能性も、限りなく低い。もしそうならば、こちらに何かしらの接触を図る筈だからだ。
つまり、今も聖地を踏み荒らしている奴ばらは、強大な力をもつ蒙昧な連中ということに他ならない。そのような蛮族は、速やかに討伐する以外にないのだ。
若き大帝の心を乱し、帝国の威信を踏みにじり、古の遺産を穢した愚か者共。必ずや、その報いを受けさせてやる。
エッボ大臣は痩せた体躯を精一杯に膨らませ、顔を赤くしながらそう思った。
―しかし差し当たっては、まず胃薬の服用が先だな……
今度はキリキリと痛みだした腹部を抑えながら、エッボは青ざめた顔で歩き出した。




