表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/214

団の城・10

――団の一員となるにあたり、日々の記録を取るように言われた

――記録メディアを使うのは初めてだが、毎日やってりゃ慣れるだろう

――俺はマトイ、しがない探偵……じゃぁなかったな、もう


 外から来た異物が、すでに完成した集合体に受け入れてもらうのには、それなりの条件が必要となる。

 ギャングが新たな構成員を迎えるとなれば、躊躇なく非道を行えることをそのチンピラに示させるだろうし、軍警察が新たな隊員を選定するのならば、命知らずの候補者たちに死んだ方がマシと思えるような選抜訓練を課すだろう。

 

 つまり、彼が今勤しんでいるこれは、彼が組織に受け入れてもらうためにも必要な儀式なのである。

 彼はそう心に強く念じ、腕を動かす。


「ふっ!」


 びちゃり。

 力の籠った呼気と共に、周囲に湿った音が響いた。

 やや切れ長の眼が捉える目標に向けて、勢いよく両手を突き出し、そして即座に引く。

 突き手と引き手。大事なのは、そのタイミングだ。

 

「ふっ!」


 びちゃり。

 額に滲む汗を拭うことすら忘れ、ひたすらに同じ動作を繰り返す。

 この癇に障る音を、もう何度耳にしただろうか。不快ではあるが、しかしそれでも背後から引っ切り無しにかけられるちょっかいに比べれば、そよ風のようなものだった。


「そこ、汚れが残っていますよ、“ナイン”」

「……」

「ほらほら、しっかり力を入れて磨かないと。きちんと綺麗にしてもらわないと、困りますからね」

「ちっ……うっせぇな」


 後ろからかかる声を無視し、一心不乱に腕を動かす。

 今、自身が為すべきこと。為さねばならぬことが分かっているのならば、おとこは黙ってそれを為すのみだ。子どもに付き合ってやる暇はない。

 しかし残念なことに、こちらがそう思っていても、向こうの方はそう思ってくれなかったようだ。ずっと顔を背けていることに腹を立てたのか、若干声を荒げる。


「“ナイン”ってば! ちゃんと話を聞いてくださいよ!」

「放っといてくれ、お嬢ちゃん。俺ぁ忙しいんだ」

「ノーリです! 子ども扱いは止めてください!」

「うるっせぇなぁ……」

  

 馴染みの薄い固有名詞を連呼されてむず痒い気分になり、大きく溜息をつく。うんざりした気分で手を止め、振り返ると、そこにはふくれっ面をしたお嬢様が仁王立ちしていた。


「まったく! 折角アドバイスをしてあげているというのに!」

「分かったから、そう何度も呼ばんでくれ。まだ慣れてないから、妙な気分になるんだ」

「でも、貴方は“ナイン”ですからね。そう呼ぶ他ないでしょう」


 お嬢様ことノーリが、どこか得意げに言った。


 ナイン。それがマトイの新たな名だ。このアラインに加わるにあたり、ノーリ団長様より賜ったものである。

 なんでも、入団者として9番目を数えるということで、この世界で最もポピュラーな言語を用いてそれを表現したそうだ。過去との決別を願って彼女の提案に乗ったというのに、実に皮肉なことである。

 ちなみに他のメンバーも、言語は違えど同じように数字を冠した名称を名乗っているらしい。まったく知識にない単語だったので、彼らが一体どの地域の出身者なのかが少々気になるところであった。


 ともあれナインとしては、現状注力するべきことは他にある。子どもの相手はもとより、他人への詮索などしている暇はない。口やかましい雇い主から顔を反らして仕事へと復帰し、また腕を動かす。

 突いては引いて、引いては突く。繰り返し、繰り返し。

 職務に忠実な行動だったが、何故か団長のノーリは咎めるように言った。


「まったく貴方は、どうしてそうも人の話を聞こうとしないんですか」

「忙しいからに決まってんだろうが、見りゃ分かるだろ」 

「何でそんなに不機嫌なんですか、貴方が望んだことでしょうに」

「マジで“掃除”をさせられるとは思わなかったんだよ!」


 ナインは再びノーリに向き直ると、声を荒げて両手で握ったモップを振り上げた。水を吸って重たくなったそれと、足元に置いてある水でいっぱいのバケツは、仕事道具だった。


 城中の廊下の床磨き。ナインという名と共に与えられた、団での初仕事である。

 殺人・隠密・追跡。そういった物騒な技術の発揮を命じられることはないだろうと思っていたが、こんな事態はさらに予想の外であった。

 軍の生物兵器から、スラムのチンピラ用心棒ときて、行き着いたのが上流貴族の下男だ。暴力や人の生き死にとは無縁なのは良い事だが、これまでのキャリアを一切生かせないというのは、果たして喜ぶべきか否か悩みどころである。


「確かに出来るのは掃除くらいだとは言ったがな、こんな良いスーツ着てやる仕事がこれか!?」

「でも現状、貴方のできることと言えばこれくらいですから」

「だとしても広すぎるんだよ! 1人でできるかっての!」

「だからこうして、私が助言しているんじゃないですか」

「ああああっ! クソがっ!」

「ナイン! 悪い言葉は禁止ですよ!」


 懐にある城の見取り図によれば、ナインの“仕事場”は軽く見積もっても1ヘクタール以上はある。広い上に十数階建てともなれば、廊下だけでもとんでもない面積だ。こうして朝からせっせと働いているが、1日で磨き切れるかは分からない。


 だがそうだとしても、こうして任された以上は遂行しなければならない。少なくとも、その意志は示さねばならないのだ。

 それは何より、ナインを斡旋してくれたノーリの顔に泥を塗らないためなのだが、当のノーリがこの有様なので、お手上げ状態である。

 

 ナインが、さてどうしたものかと思っていると、何処からともなく救世主様が現れた。


「あらあら、お二人とも。廊下の真ん中で喧嘩なんて……」


 穏やかな笑みを浮かべた女性が、歯をむき出しにして睨み合う男女の間へ滑り込んでくる。メイド服に身を包んだ、タムだ。


「あら、タムじゃないですか」


 その姿を認めたノーリが、一旦諍いを中止し、挨拶をしようと表情を緩める。しかしそれよりも先に、まずナインが動いた。

 訓練された動きで直立不動の姿勢をとり、右手で握りしめたモップを垂直に立て、脇を締めて胸を張る。余りに素早いその動作は、1秒の時間すらかかっていなかった。


「タム姐さん! お疲れ様です!」

「はい。ナインさんも、お疲れ様です。朝からありがとうございますね」

「仕事ですから、当然であります! それと、呼び捨てにしてくださって結構です」

「あらあら、ナインさんたら……」


 メイドが手で口を覆いながら上品に笑うと、ナインもつられて相好を崩す。


 どうにもこの女性を相手にすると、斯様にへりくだった態度をとってしまう。しかしながら、それを不快に思わない。自分の好みの異性とは、こんなタイプだったのだろうか。


 そうやってタムと笑い合いながら益体のないことを考えていると、今度は視界の端でノーリが不穏な気配を放ちだした。細めた眼から、凍り付くような視線を放っている。

 

「おっと、手が滑った」


 ノーリが冷え切った声でそう言うと、突如ポケットの中に手を突っ込んだ。そして小さな埃屑を摘まみ上げ、わざとらしく眼を反らしながら指の先でごしごしとこする。

 細かくなったゴミが、今しがた綺麗にしたばかりの床の上に散乱した。


「あーっ、何すんだよお前」

「いやぁ、ちょっと手が滑りまして」

「マジで何なんだよお前、仕事の邪魔しやがって。これが終わったら姐さんを手伝う約束なんだぞ

「ああ、それなら代わりに私の部屋を掃除してください。もう3カ月もほったらかしなもので」

「何処からツッコめばいいのか分からねぇが、1つだけ言っておく。自分でやれ」


 そう言ってから両手でモップを構え、断固とした拒絶の意志を表示する。

 ナインがこの仕事をやら遂げなければ、それを代替するのはタムに他ならない。恐らく彼女も、人並み外れた身体能力の持ち主なのだろうが、やはり1人では手に余るだろう。

 そうでなくとも彼女は、団のメンバーのために毎日3回手の込んだ食事を用意してくれているのだ。例えほんの僅かだとしても、その負担を減らしてやりたい。


 そんな決意と共にノーリと対峙するナインであったが、しかし何たることか、タムは予想外の行動をとった。ナインの手に自分のそれを重ねると、ゆっくりと優しくモップを奪い取ったのである。

 呆気にとられるナインに対し、タムは優しい笑みを浮かべながら言う。


「ここは私に任せて、貴方はノーリ様のお相手をお願いします」


 ふうわりした雰囲気につい頷いてしまいそうになるが、ナインは慌てて首を振った。


「そうはいきませんよ。こんな重労働を、姉さんにさせる訳には」

「大丈夫ですよ。ナインさんが来る前は、私がやっていたんですから」

「いや、しかしですね……」

 

 なおも言いつのろうとするナインだったが、横から腕を強く引かれて会話を中断させられてしまった。誰が引いているのかは言うまでもない。


「さぁあ! タムの許しを得たことですし、とっとと行きましょう!」


 一転して上機嫌になったノーリが、返事も聞かずに走り出した。ナインは否も応もなくそれに追随し、それでも名残惜し気に後ろのメイドを振り向く。


 しかし残念なことにタムは、「ごゆっくりどうぞ」と優しくも素気無い言葉を返すのみであった。






「なんっだ、こりゃぁ……」


 眼の前に広がる光景に、ナインは茫然としながら呟いた。眉根が極限まで近寄り、口の端が痙攣気味にヒクつく。初めて入室を許された女性の部屋で、しかも部屋の主の眼の前でする態度としては、とても許されないものである。

 しかしはノーリは気分を害した様子もなく、ひょいひょいとスキップをするように部屋に入っていくと、丁度真ん中くらいに“ぽっかりと空いた”場所に腰を下ろした。そして、入口で硬直しているナインをにこやかに手招きした。


「さぁさぁ、遠慮なさらずに」

「いや、遠慮するも何もなぁ……」


 ナインは視線を落としながら溜息をついた。

 団長を自称するだけはあって、元はそれなりの広さのある立派な部屋だったのだろう。ナインの部屋にある物よりも2周りは大きなベッドに、机が3つ。壁を隠すように敷き詰められた本棚に至っては、正確な数が分からない程だ。

 流石は天上人の住まいだと賞賛してやりたいところではあるが、“装飾”がよろしくない。

 床に散らばった無数のゴミともガラクタともつかない何かに、机の上に積み上げられた紙束や開いたままの分厚い書籍。ベッドの上にはシャツや下着などが脱ぎ捨てられ、さらにその上には汚れた食器類が置かれている。

 

「まあ掃除は後回しにして、ちょっとお話でもしましょうよ」

「いや、ぜひ掃除させてくれ。他人事ながら見過ごせない」


 ナインは短めの頭髪を逆立てながら言った。お嬢様の話し相手など御免被りたいと思っていたところだが、この惨状を眼にしては黙っていられない。

 ナインの知る限り、人間というのは例え私的な空間にあっても、それなりの規律をもたねばならないからだ。


 皺1つない程に伸ばされたシーツ。

 完璧に整理整頓された私物。

 きっちりとアイロンをかけた衣類に、ピカピカに磨いたブーツ。


 軍人だった頃の自分の部屋の様子が鮮明にフラッシュバックし、現状との落差に愕然とする。

 戦場では常に血と埃に塗れていたが、宿舎の中では常に清潔を維持することを義務付けられていたものだ。スラムに落ち延びた後でさえ、その習慣が変わることはなかった。

 だというのに、この娘の汚部屋ときたらどうだ。 


 ナインは鼻息も荒く、足元の良く分からないガラクタへと手を伸ばした。

 するとその瞬間、ノーリがけたたましい声を上げる。


「勝手に触らないでください! 壊されたら研究に差し障ります!」

「あぁ!? こんなもんが転がってたら、余計に踏んづけて壊しちまうだろうが」

「駄目です、配置が崩れると困るんです」

「何処に何が配置されてるってんだよ、ただ散らかってるだけじゃねーか」

「全然違います。これは高度な計算と機能性を重視した結果です」

「マジで言ってんのかよ、お前……」


 どうにも理解し難いが、部屋の主がこれ程に拒絶するのだから、よしておく他にない。


 ナインはげんなりしつつ、足の踏み場を探して視線を泳がせた。まるで地雷原を進むような気分で、安全な場所を探して歩き出す。つま先立ちになりながら恐る恐る歩を進めることで、どうにかこうにかノーリの元へと身体を滑り込ませることに成功した。

 するとノーリが、埃塗れのクッションを差し出してきた。この上に座れ、ということらしい。 

 すでに諦めモードのナインは、「御親切に」と短く言ってからそれを尻に敷いた。メイド様からいただいたスーツをまたもや台無しにしてしまったことに、胸がキリキリと痛む。


 こんな環境で生活していて、よくも正気を保っていられるものだ。軍属の研究者連中もなかなかに偏屈だったが、彼らの私生活もこれ程に乱れていたのだろうか。


「しかし、凄い量の本に書類だな。一体何を研究してるんだ?」


 深く考えずに聞いてしまってから、ナインは内心で『しまった』と後悔した。彼のよく知る研究者共は、そろって自らの先鋭的な知識や思想を披露することでカタルシスを得ていたことを思い出したからだ。


「よくぞ聞いてくれました!」


 嫌な予感という奴は、頼みもしないのによく当たるものである。

 表情を硬くしたナインとは正反対に、頬を紅潮させ、さも嬉しそうに薄っぺらい胸を突き出しながら、ノーリが言った。 


「魔法です!!」

「……まほうだぁ?」

――改めて……

――俺はナイン、しがない清掃員だ

――団長たるノーリ様のため、張り切って床を磨くつもりだったんだが……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ