団の城・9
女という生き物は、実に奇妙な存在だ。殊に、このノーリという娘は。
お嬢様に荷物の様に引きずられながら、マトイはそっと独り言ちていた。一体この細腕の何処にそんな力が隠されていたのやら、巨大な円卓をカチ割った挙句、体重が倍は有りそうなマトイの身体を苦も無く引っ張っていく。
そういえば、この娘も不死だとか言っていた。どうにもマトイのそれとは若干経緯が異なるようだが、やはり人為的に遺伝子操作をされた結果の身体能力なのかもしれない。だとすれば、この団に所属する連中というのは、いずれも怪力もちなのだろうか。あの顔色の悪いセーミや、巨漢のドスは勿論、最年長の爺様も。
―いやしかし、そうなると妙だな。ギャング共に後れをとる筈がない。
これ程の膂力があれば、わざわざ救難ビーコンを使用せずとも自力でチンピラ連中を駆逐できたことだろう。してみると、何か制限でもあるのか。
異常事態にありながらも、マトイの頭脳は冷静に回転する。訓練や経験によって培った精神力のおかげであるが、いつも以上に思考がクリアに感じられるのは、恐らく栄養状態が良好だからだろう。つまりは、素晴らしい食事のおかげという訳だ。
あのメイド様には、まったく頭が上がらない。
―おっと、そういえば。
女神の如き温かい笑顔を連想した拍子に、マトイは懸念事項に思い至った。彼女からは、食事以外にも大きな施しを受けているのだ。それを無下にするなど、男として以前に人として許されない。
マトイは尻が熱くなってきたのを感じ取りつつ、軽く身じろぎしてノーリに訴えた。
「そろそろ降ろしてくれんかな、スーツが台無しになっちまうよ」
「……ふんだ」
するとノーリは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そしてマトイの首根っこを掴む手を、ぱっと離す。
同時にマトイは重力のくびきに捕らわれ、したたかに後頭部を床に打ち付けてしまった。軽い眩暈を覚えながら患部をさすっていると、今度はその手を乱暴に掴まれ、引っ張り上げられる。
「何を怒ってんだよ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんは止めてください!」
「わぁったよ、団長殿。いい加減に機嫌直せよ」
「別に怒ってなんかいませんっ! それと、ノーリで結構ですっ!」
「面倒くせぇ奴だな……」
「いいから黙ってついてくるっ!」
そう言ってノーリは、マトイの手を引いて歩きだした。
今度は大分マシな扱いだが、それでも戸惑う他にない。彼女の心情を推し量れないからだ。
女性の思考形態が移ろいやすいものだということは知っていたが、この娘のそれは度を越している。起床から小一時間で喜怒哀楽をころころと入れ替える様は、物心ついたばかりの幼児ではないか。
―ま、色々と面倒を見て貰ったんだ。子守りくらいはしてやるさ
肩を怒らせて歩く娘の背中を眺めながら苦笑する。この程度なら、大人の度量で受け止めてやれないこともない。言いつけ通りに黙って従いつつ、マトイは周囲へと視線を走らせた。
昨日見たとおりに、やはり荘厳で美麗な廊下だ。しかし、やはり窓が無いので位置関係が推測できない。ここはメトロポリスのどのあたりの地域なのだろうか。もっとも、上層に立ち入ったことのないマトイでは、摩天楼を一見した程度では何も分からないだろうが。
そうやって歩いていると、やがて行き止まりにたどり着いた。廊下を塞ぐようにして、巨大な円柱が立っている。
一体ここで、何をしようというのか。そう思っていると、ノーリが空いている左手で円柱に触れた。すると、ぷしゅんというモーター音と共に、円柱が縦に割れる。その中に見えるのは、円筒型の小部屋だ。
「入ってください」
そう言ってノーリは、返事も聞かずにマトイを引っ張り込んだ。2人がそこに入り込むと、再び円柱の割れ目が閉じる。密室となった空間で、ノーリが口を開いた。
「上へ」
虚空に向かってそう呟いた瞬間、小部屋が軽く振動した。同時に、違和感を覚える。ほんのわずかに身体が重たくなるようなこの感覚は、急激な上昇によるものだ。どうやらこの小部屋は、エレベーターだったらしい。
この“城”というやつは、いかにも古風な建築様式ではあるが、なかなかどうして現代的な機能も兼ね備えているようだった。
数秒と経たず、違和感は消えた。ぽーんという間の抜けた音と共に、再びエレベーターの扉が開かれる。その瞬間、眩い光が差し込んできた。
思わず目を細め、片手で顔を覆う。
しかしノーリは黙ったまま、マトイを引っ張って歩き出した。
マトイも黙って、それに従う。
ひょう、と一陣の風が2人の間を通り抜けた。何か軽く細かいものが、高級スーツにパラパラと当たる音と感触がする。
光に慣れてきたマトイは、思い切って眼を見開いた。
砂漠だ。
視界の一面を、ただ無限の砂が覆い尽くしている。いや、砂地の一画に、天を貫かんばかりの黒い巨塔がそそり立っている。東の空から降り注ぐ陽光に照らし出されたその威容は、間違いない。
「ありゃぁ、メトロポリスか?」
「ええ、そうです。貴方の故郷、この世界の縮図……」
それきりノーリは沈黙し、掴んでいたマトイの左手を離した。
自由の身となったマトイは、前方に規則的に並んだ手すりとも風よけともつかない凹凸へと歩み寄った。そこに手をかけて下を覗き込んでみると、やはり見えるのは砂漠と、白い外壁の一部。
上層区画ではなく外だったのか。マトイはそう驚きつつ、改めて周囲を見回した。
石材を積み上げて造られた床と壁。どうやらここは屋上のようだが、地上からは相当な高さがある。これだけの規模の施設が、メトロポリスのすぐそばに存在していたとは。
―ひょっとすると、旧時代の遺産なのかも知れないな
団員たちが生活していることから、ライフラインが確立されているのは間違いない。だが、それを目と鼻の先にあるメトロポリスに察知されていないことから、何か高い技術力による隠密効果を発揮しているのだろう。
あるいは、やはりここは上流階級の人間の領域、別荘か何かという可能性も捨てきれないが。
「マトイさん、あなたはこの世界が好きですか?」
「何?」
不意にすぐ横から声をかけられる。そちらに眼を向けると、いつの間にかノーリが脇に並ぶようにして立っていた。
左手で帽子を押さえながら、真っすぐに正面の巨塔を見つめるその表情。哀惜とも諦観ともつかない複雑な目つきに、思わず呼吸を忘れてしまう。今朝方からの単純極まる子どもっぽさは何処へやら。妙に大人びた、あるいはいっそ老人の如き雰囲気を身に纏っているのだ。
マトイがノーリの急激な変化に驚いていると、娘はやおら大きく息を吸い込んだ。そして両手を口に当てる。
「私は、この世界が大っ嫌いです!!」
何を思ったか、絶叫である。少しは落ち着くこともできるのか、と感心した端からこれだ。
酷い耳鳴りに顔をしかめていると、ノーリがこちらに向き直った。今度は両手を腰に当て、薄っぺらい胸を突き出すようにして張っている。
まったく貫禄を感じられないポーズのまま、鼻息も荒く述べる。
「マトイさんには申し訳ありませんが、私はこの世界が嫌いです」
「ご挨拶だな。理由をお伺いしてもよろしいですかね?」
茶化すように返すが、ノーリの表情は真剣そのものだった。マトイの眼を射貫くような、強い視線を放ちながら答える。
「だってこの世界では、ほとんどの人が“生きていない”んですから」
「おい、何を言い出すんだよ。死人ばかりだってのか?」
「違います。私たちの考える生き方とは、大きく乖離しているということです」
「ひでぇ言い様だな」
子どもの戯言に思わず表情を硬くしかけて、マトイは顔を反らした。しかし、胸に怒りの火がぽつりと点ってしまう。
大切な人たちと死に別れ、彼らの分までこの世に留まろうと足掻く行為を侮辱されたように感じてしまったのだ。
確かに、こんな恵まれた環境にいるノーリからすれば、マトイやその周囲の人間たちなど“まともに生きている”ようには見えないだろう。しかしマトイたちも、その方法はどうあれ毎日を必死に“生きている”のだ。そこまで貶められる筋合いはない。
しかしマトイの心中を知ってか知らずか、ノーリは追い打ちをかけてくる。
「……ただ命を長らえるだけだなんて、そんなの“生きる”と言えますか? それは、“死んでいない”というだけです」
「お前もスラムを見ただろ? あんな境遇で、どうやってそれ以上を望めるってんだ。生きるだけで、食っていくだけで精一杯なんだよ」
「ですから、それが間違っているんです! 人は誰しも、何かの希望や願いをもっているからこそ、“生きる”ものでしょう!?」
「お前らはそれでいいかも知れねぇが、俺たち下層の人間には無理な話だ。そんな御大層なもんをいくら詰め込んだって、腹は膨れねぇんだよ!」
「別に私たちだけじゃあありません。マトイさんだって、何かをもっていたんでしょう!?」
風と砂が舞うばかりの屋上で、2人の男女の諍いがヒートアップしていく。やがて怒りが炎になっていくのを感じつつも、マトイは頭の片隅の冷静な部分で、昨晩の哲学めいた問答を思い出していた。そして今のノーリの言葉と総合的に判断し、理解に至る。
つまりノーリが述べるところの“生きる”とは、プリミティブな意味における“生存”とは違うのだ。
―寝て食うだけなら獣と同じ、だったか
旧世代の文豪の言葉だ。きっとその人物が健在だった頃は、まだ大勢の人が人らしい生き方をしていたのだろう。だが、この荒んだ世界においては、殆どの人間は食うや食わずで毎日をやり過ごしている。獣以上の生き方ができるのは、それこそ上流階級の人間ばかりだ。
「人が人らしく生きられない。そんなの私、嫌いです」
「……そんなことを言えるのは、住む世界が違うからだ」
マトイは辛うじて、絞り出すようにして言った。
スラムという底辺で生きてきた立場としては、とてもノーリには同意できない。
だが理解できる、そして本当は、その通りだと答えたい自分がいる。
単なる作り物、戦いの道具として生み出されて捨てられたこの身ではあったが、それ以上を望んだことは、果たしてまったく無かっただろうか。
―いいや、違う
マトイにとてはっきりとした、明確な想いや願いがあった。いや、今でももっている。
そうでなければ、ギャングの用心棒などという地位でくすぶっていながらも、“探偵”を自称することは無かったのではないか。
「貴方は不死者です。余程のことがなければ、この先もずっと存在を損なうことはないでしょう」
「……そうかもな」
「それで貴方は、こんなひどい世界で“生き続ける”つもりですか? ずっと今までの様に?」
そんな恐ろしい未来についてを考え、ベッドの上で震えたことが何度かあった。
メトロポリスにおける階級制度は絶対的だ。市民権をもたない流れ者は、どうやっても成り上がることができない。即ちマトイは、ずっとスラムで変わらない日々を送るしかないのだ。
来る日も来る日も。
メトロポリスが健在な限り、永遠に。
「だから私は、ぜひとも貴方に入団していただきたいのです、マトイさん」
俯きかけていたマトイの眼前に、小さな手が差し伸べられる。先刻までマトイを引っ張り回した手だ。少しだけ、震えている。
「不死人の団の一員として、“数多の世界”へ。新たな希望と願いを抱き、永遠を“生きて”欲しいんです」
マトイは手を取らなかった。
黙ったまま、ノーリの顔へと視線を移す。すると、鳶色の瞳がこちらを見つめていた。不安気と恐怖が入り混じって揺れている。断られたら困る、という実に読み取りやすいサインだ。
「俺には何の能もない。団とやらの役には立てねぇぞ」
「そんなこと、構いません」
「せいぜいできるのは掃除くらいなもんだ。このスーツどころか、メシ代分の働きすら……」
「そんなの、気にしないでいいんです! そんなこと言ったら、私だって……」
だんだんとノーリの言葉が、縋るような声音になっていく。
熱心な勧誘は嬉しい限りだが、最早彼女にはマトイによる庇護は必要ない。余程腕の立つ人間が何人もいるようだし、マトイの入団は彼女にとって何の益も無いのだ。
そんな心苦しい思いから言っているのに、これではまるでこちらが苛めているようで、遣る瀬無い気分になってくるではないか。
―ああ、クソが!
ノーリの眼に涙が浮かび始めたのを見て、マトイは折れた。
全体、このまま放逐されたとて、行く先は人の失せたスラムか強制収容所くらいなものだ。前者ならば当然用心棒は廃業だし、後者ならばマトイの不死の能力は容易に露見することだろう。
即座に研究室へと直行。運が良ければ人体実験の被験者。悪ければ切り刻まれて標本だ。しかも、それでも死ねないのだからぞっとしない。
それならばいっそ、団とやらの厄介になる方が遥かにマシだ。
「分かった、分かったよ! お前の言う通りにする!」
ぶっきらぼうに言ってから、マトイは真っ白な手を取って握ってやった。
するとノーリの顔に、ぱっと満開の花が咲いた。




