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メトロポリス・2

――もう、背に腹は代えられない!

――このままでは、仲間たちに見つけてもらう前に餓死してしまう!

――まずは水と食料!お風呂!寝床!それと安全!

――でも、余所者の私には、どれも易々とは…

――取り合えず、道端にたむろしている無害そうな人たちに聞いてみよう。

 結局、両ギャング集団によるお話合いにおいて、あれ以上マトイの出番は無かった。

 落ちぶれたとは言え、元サイボーグ兵を素手で無力化してのけたのだ。子猫ちゃんたちは揃って大人しくなり、坊やたちの要求通りにシマを明け渡すこととなった。


 これでマトイの、“不死身”の用心棒としての名声はまた高まっただろう。

 探偵を志す身としては、甚だ不本意であるが。



「どうも、ご苦労様でした」


 お話合いが済んでから、かっきり一時間後。『Bloody Boys』の拠点の一つである小汚い事務室の中に、マトイと、その雇い主たちが勢ぞろいしていた。

 椅子に腰かけているギャングの頭目が、派手に染め上げた蛍光色の髪を振り乱すようにしてマトイに頭を下げる。


「別に、どってこたぁねえよ」


 錆びだらけの卓を挟んで対面の椅子にふんぞり返って座るマトイの方は、不機嫌さを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。まだ痛みの残る首を、苛立たし気に何度も撫でつける。 

 あくまでも望む生き方とはかけ離れた己自身の姿に対する態度でしかなかったのだが、それをギャングたちは自身に向けられた怒りと誤認してしまったらしい。見る間に和らいでいた筈の緊張が高まり、事務室内の空気が凍り付く。


「…おい!」


 脂汗をかき始めた頭目が部下の一人を呼びつけ、何事かを耳打ちした。するとその部下は即座に頷き、部屋の隅へ、大きく頑丈そうな金庫の方へとすっとんでいく。

 訝し気にその姿を追おうとするマトイだったが、頭目の焦ったような声に引き戻された。


「いや! まったくもって今回は、大変なご苦労をお掛けしまして!」

「気にすんなよ。殴られるのも仕事の内だ」

「いやいや! いつも兄貴には、お世話になりっぱなしで、本当に!」

 

 どうも先のマトイと相手方の用心棒との乱闘によってビビってしまったのは、『Crusher Cats』の面々だけではなかったらしい。まあ、まともな戦争帰りがこんなスラムでチンピラをやっている筈もなし。いたとしても、あの地獄についてを吹聴する筈もなし。

 よって、あのサイボーグ崩れが実はチンピラに毛が生えた程度の存在であったという事実を知るのは、マトイと、彼に腕を引きちぎられたサイボーグ本人のみということだ。


 スラム街で“不死身”と称されていた男が、八面六臂の活躍をしたどころの騒ぎではない。軍用車両とタメを張れる改造人間を、素手で無力化した化け物と認識されてしまっている訳だ。


 今後の仕事関係に大いに差し障りそうだし、何より恥ずかしい。

 上手く説明をしたら、誤解だと分かってくれるだろうか?


 ややつり上がった眼で平身低頭の頭目を見つめながら、マトイはこっそりそんなことを考えていた。

 すると。


「ど、どうぞ! 兄貴!」


 金庫の前から小走りに戻ってきた部下が一言断ってから、卓上に二つの袋を置いた。

 いずれも片手で持てるくらいのサイズだ。中身については、確かめるまでもない。残りの報酬となっている食料。そして、労働者トークンだ。


 “トークン”

 ここメトロポリスにおいて、下層に住まう労働者―あるいは、それにすら劣る存在―が生きるために必須の貨幣である。食料は勿論、衣服・住居・水・種々の権利などを手に入れるための、この巨大都市でしか使用できない手段である。

 大戦の遥か昔、まだマトイが生まれる前の世界には無数の国家というものがあり、それぞれに異なるトークンがあったらしいが、現在はこれ一種類しか存在していない。

 マトイがギャングの用心棒などという望まぬ仕事に身をやつすのも、この代価を得るために他ならない。


 しかし、話に聞いていたよりも少しばかり…


「多くねぇか?」


 そうだ。事前の契約によれば、受け取ることができるのはこれらの3分の2、いや半分程の筈だったではないか。明らかに多い。間違いではないか。


 二つの袋を持ち上げ重さを確かめながら、マトイが頭目に問いかける。するとその視線に怯えたように、ギャングたちは一斉に頭を下げた。


「いやいやいや! これからもマトイの兄貴には、御贔屓にしていただきたく思う次第でして!」

「しかしだな…」

「いやいやいやいや!!今回は、労働災害における特別給付ということで!!」

「あー…わぁったよ!」


 ギャングの抗争に労災もクソもあるものか。全体、用心棒として雇われている以上、死傷するのも契約の内だろうが。あとついでに、お前らに対して怒ってるんじゃねぇ。


 これ以上とりなそうと努力することの無意味さを察し、マトイはそれらの言葉を飲み込んだ。そして椅子を蹴立てて立ち上がる。

 周囲からいくらか野太い悲鳴が上がったが、無視して出口の扉へと向かった。


 ただでさえやる気のでない仕事が終わったばかりだというのに、この上居心地の悪い思いをしたくはない。そしてそれは、彼らだって同じだろう。

 元より、ギャングどもと必要以上に馴れ合うつもりもない。あくまでもこれは、本業の探偵として活躍するまでの間、糊口を凌ぐために止む無く結んだビジネスライクな関係なのだ。

 

 二つの袋を小脇に抱えて扉を開きながら、ふと思い出したように振り返る。すると、ギャングたちが引きつったような顔でこちらを見ていた。

 マトイは盛大にため息をつきつつ、口を開く。


「…近いうちにまた顔を出すからよ。仕事があったら頼むわ」


 マトイはトレンチコートを翻すと、そのまま返事も聞かずに外に出て扉を閉めた。

 途端に中から、つい今しがたのマトイのそれよりも大きなため息が聞こえたのは、気のせいではなかっただろう。

 

 クソが。



 





「よう、マッさん!」

「いつもいい男だな!」

「昨日はありがとうな! お蔭で助かったよ!」


 ギャングの事務所を出た途端に、マトイは待ち構えていた数人の見すぼらしい身なりの老人たちに囲まれた。色や柄がまったくあっていない継ぎはぎだらけの衣服を着込み、日に焼けた顔に黄色い歯が光っている。


 ギャングたちとは真逆に馴れ馴れしく接してくる彼らは、ここスラム街を根城にする浮浪者たちだ。労働者の階級を持たず、かと言ってマトイやギャングの様に目立った不法行為をする者ではないため、軍警察は勿論同じスラム暮らしの人間たちのほとんどから無視される存在である。


 だがマトイは、不快な感情を抱くこともなく応じた。


「おう、ジイさんども。死にぞこなっちまったな」

「ひゃひゃひゃ! また危なくなったら頼むわ!」

「流石は腕っぷし自慢の探偵さんだな!」

「いよっ!名探偵マトイ!」

「うるせーよ、この宿無し共! とっとと貸したトークン返せ!」


 昨晩、道理を弁えないクソガキ共から助けてやったものだから、わざわざ礼を言いに来たのだろう。ギャングの事務所のすぐ真ん前だというのに、やかましい事この上ない。まあ、彼らは一種の共生関係にある。余程大騒ぎをしなければ、排除されることはないだろう。

 マトイは事務所の時とは全く違う、大げさな仕草でため息をつくと、抱えていた袋の中の一方に手を突っ込んだ。


「おら! これやるから、おとなしく帰れ!」


 取り出したのは、ギャングたちからの報酬である“食料”が入った紙箱だった。

 それを見て取った浮浪者たちが怪しく眼を光らせ、我先にと手を伸ばす。


「喧嘩すんじゃねぇぞ。仲良く分けろよ」


 そう言ってマトイは、紙箱を宙に放り投げた。周囲の意識が、一斉にそれに集中する。

 その隙にマトイは囲いを潜り抜け、悠々と歩き出した。


「ありがとよー!」

「またよろしくなー!」

「今度、事件を持ってくからよ!」


 タダ飯にありつけたことが嬉しいのか、礼を伝えたいのか。最早どっちなのかは分からないが、背後から調子のいい声がかかってくる。

 それにいい加減に手を振って返しながら、マトイはようやく帰路についた。


 化け物として畏怖されるのは、ギャングの用心棒をする上では役に立つかもしれない。だが彼の目指す探偵とは、このように人々と信頼関係を築くことができる生業だ。

 だからこうして一人の人間として接してもらえるのは、悪い気がしない。


 心の中ささくれが幾ばくかでも治まっていくのを感じながら、マトイは歩き続けた。


 

 浮浪者たちの声が聴こえなくなってくると、今度は遠くから風に乗って、雑踏の音が届いてきた。マトイは、ついそちらの方に眼を向ける。


 そう言えば、そろそろ夕刻だ。1日の仕事を終えた労働者たちも、自分と同じように帰路についているのだろう。

 だが彼らが歩くのは、下層とは言えまっとうに整備された表通りだ。先のギャングや浮浪者、そしてマトイのような鼻つまみ者が歩く、荒廃し、汚濁したスラムの裏通りとは違う。


 その事実を認識して、またもやマトイの心は沈みだした。

 

「何が探偵だよなぁ」


 上層の人間たちに搾取されているとはいえ、胸を張って歩くことができる労働者に対するやっかみを吹き消すように、マトイは少し大きな声で呟いた。


 

 探偵。

 はるか昔の、まだ人が自由に職業を選ぶことができた時代の、道の一つ。

 友人から教わった、かくあるべき男の姿。

 伝聞でしか知りえなかった概念に、どうして自分はこんなにも執着するのだろうか。


 私立探偵を志してから何度も繰り返してきた問いが、沸かした湯の泡のように際限なく湧き上がる。

 






 その時。






「ん…!?」


 突如、鍛え上げられた感覚に引っかかる何かを察知し、マトイは表情を引きしめた。

 自らのセンチメンタルな部分を胸の奥に無理やり押し込め、つり上がった眼で周囲を油断なく見回し始める。


 近くに、誰かがいる気がする。こちらを窺っているような。

 『Bloody Boys』ではない。浮浪者たちでもない。彼らなら隠れる理由は無いし、何より気配が小さいのだ。あの連中が、これ程うまく隠密行動をとれるとは思えない。

 昼に会った『Crusher Cats』によるお礼参りか、あるいはマトイが持つ報酬を横取りしようと画策する何者かだろうか。

 

 袋を左腕に一まとめに抱えて、右手をそっと懐へと伸ばす。

 ここは表通りとは異なり、道路は穴だらけだし、建物は廃墟どころか崩落したものが多い。土地勘が無いわけではないが、死角が多く、不測の事態が起こりやすい場所で戦闘になるのは避けたいところだ。


「まずは、確かめるか」

 

 小声でつぶやき、マトイはその場を足早に立ち去った。






 そして、その数秒後。


 揺らめくトレンチコートが曲がり角へと消える直前。


 小さな足音と、小さな息切れが、それを追いかけていった。

――やっと見つけた!

――この“すらむ街”で、一番信用できるという人物!

――まずは一度会ってみて、人となりを見極めてみよう。

――大丈夫。私は、人を見る眼には自信があるから。

――ああ、お腹空いた…


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