団の城・8
――いやあ、お嬢さんが散々文句を言ってた理由がよく分かった
――こんなうまいものを喰ってたら、そりゃあ舌が肥えるわな
「いやあ、粥ってのは食べやすい上にうまいんですねぇ。人が人らしさを保つ力を感じますよ!」
「あらあら、そんな。大袈裟ですわ」
「それに、姐さんの淹れてくれたコーヒーもうまい!」
「ありがとうございます。そんなに喜んでいただけると、私もうれしい限りです」
「この味を知ったら、もう今までの泥水じゃあ満足できませんよ!」
城内中央区画の会議室。そのど真ん中にでーんと置かれた円卓の席で、朝食を終えた団員たちが、思い思いに一服の時間を過ごしていた。
ある者たちは静かに茶を嗜み、ある者たちは今日の予定について相談をする。
そしてある1組の男女は、談笑をしていた。
女性の方はいつも通りの慇懃さであるが、青年の方は顔に似合わない世辞を口から吐いてばかりいるのがうすら寒い。いつもいつも眉間にしわを寄せて仏頂面だった彼が、ああして気色の悪い笑顔を作っているのは、少しでも女性からの信頼を勝ち得ようとする浅薄な謀なのだろう。
だが、そんな明け透けな態度の青年をすぐ隣で見つめるノーリとしては、『情けない』以外の評価を下し様がなかった。
「うむむむ……」
お気に入りのティーカップを握る指に力が籠り、靴の爪先が床を叩くリズムが速まっていく。顔は歯ぎしりで歪み、全身から不機嫌のオーラが駄々洩れだ。
だがそれでも、隣の席に座る青年は。マトイは、ノーリの思いに気が付かない。気が付いてくれない。
―まったく、何て愚かな人なんでしょうか!
鼻息も荒く、程よい温度の紅茶を一気にあおる。今しがたメイドが淹れてくれた絶品だというのに、何故かあまり美味しく感じられない。そのメイド本人が、マトイを独り占めしているからだろうか。
―嫉妬? いやいや、そんなまさか……
一瞬、血迷った考えが頭をよぎり、慌ててそれを否定する。
別にノーリとしては、マトイに対して恋慕の情など微塵も抱いてはいない。彼がどんな女性に対して、それこそメイドのタムとの間に関係をもったとて、思うところなど一切ないのだ。
問題なのは、彼が先刻からノーリのことを無視し続けるというただ一点に尽きる。こちらがスプーンの遣い方や皿への手の添え方など、種々のテーブルマナーを懇切丁寧に教えてやろうとしても、『おう』だの『そうか』だのの短い言葉を返すのみだったのだ。挙句、食事が済んでからもメイドからまったく注意を逸らす気配がない。
何という恩知らずな行為であろうか。“すらむ”とは異なる生活環境で1人心細い思いをしているだろうと、この心優しいノーリさんが慮ってやっているというのに。
「……マトイさん」
ノーリは空になったティーカップを卓上に置くと、ゆっくりと、押し殺したような声で青年に語り掛けてみた。
しかし案の定、返事はない。マトイはメイドとの会話に夢中で、こちらの呼びかけが耳に入っていないようだ。
カチンときたノーリは、こめかみに青筋を走らせながら、息を大きく吸い込んだ。
「ねえ、マトイさん! マトイさんったら!」
声量を上げ、再び呼び掛けてみる。
すると今度は認識してもらえたのか、ようやく青年がこちらを振り向いた。大袈裟に耳を抑え、胡乱気な眼つきで唇を尖らせながら言う。
「んあ? なんだよお嬢ちゃん、そんなに大声出して」
「今後の予定について、是非にお話をしておきたいのですが!」
「あー、悪いが姐さんの仕事を手伝う約束をしてるんでな。遊んでやるのはその後だ」
「んなっ……」
なおも言いつのろうとするノーリを無視し、再びタムの方へと向き直るマトイ。
まったく、何という度し難い男であろうか。数多の世界を渡り歩き、団を統括する不死人の長、永遠の旅人の首魁たるこのノーリを、そこいらのうるさい小娘扱いだ。
確かに、ひょっとすると、実際のところ、客観的に比較したのならば。ノーリはまだ年端もいかない少女と言えなくもなく、反対にタムの方は落ち着いた大人の女性に見えなくもない。
だが、マトイがノーリを邪険にする理由が、そのような外見的要因によるものではないということは、薄々感じ取ることができていた。
この青年が、団の末席のメイドに執着する原因とは、つまり……
「ノーリちゃぁん、ご機嫌ナナメねぇ?」
「むっ」
不意に背後から甘ったるい声が掛けられた。それと同時にしな垂れかかるようにして絡みつかれ、身動きが取れなくなってしまう。
だが、当てつけの如く背中に押し付けられている柔らかい感触から、その正体は明白だ。大人の女性としての魅力を無分別に放射する人外。妖艶なるフィーアである。
「何ですか、何か用ですか」
「さっきから、こわ~い顔しちゃってぇ。どうしたのかしらぁ?」
「別に何もありません、放っといてください!」
耳元で囁かれる猫撫で声に、努めてつっけんどんに返す。
事実、今現在のノーリは不機嫌絶好調であった。その感情にまかせて力いっぱいに慮外者を振り払おうとするが、所詮人間の女の細腕では、“魔人”たるフィーアの膂力に太刀打ちするなど不可能だ。
そうやってじたばたと無駄な抵抗をしていると、背後から甘い香りが漂ってきた。男を惑わす魅惑的な香りだが、それは逆にノーリの神経を逆なでする。
「もう! 止めてくださいよ、恥ずかしいじゃないですか!」
「彼を盗られたこと、そんなに悔しいのぉ?」
「ちがっ……違います! そんなんじゃありません!」
ノーリは慌てて声を落とした。すぐ隣にいるマトイに聞かれないように、しかし必死に否定する。
「変な言いがかりは止めてください、怒りますよ!」
「彼が貴女に振り向いてくれないワケ、教えましょうかぁ?」
「え、いや、別に、そんなことに興味なんて」
「殿方なんて単純なものよぉ。欲求を満たしてあげれば、すぐに“ころり”。女の想うがまま」
「欲求ですか? どんなのです?」
「簡単よぉ。食欲、性欲、睡眠欲。この3つを叶えてくれる女は、殿方にとってまさに女神」
そう言ってフィーアは、長く鋭利な爪が付いた人差し指を前方に向ける。そこには、和気あいあいと団欒するマトイとタムの姿があった。実に不愉快な2人組を指して、魔人はさらに述べる。
「タムは見事に食欲を。彼の胃袋を掴んだわぁ。彼を取り返すには、貴女も同じレベルで対抗しないとぉ」
「うぅ、やっぱりそうでしたか……」
途端に、燃え上がっていたノーリの意気が消沈する。
昨晩のマトイの様子や、“すらむ”における食生活。それらを総合的に判断すれば、彼がまともな食習慣をもっていないことは瞭然たる事実だ。
気を利かせたメイドのタムが、本日の朝食のメニューを“粥”にしたのも、それを察したからであろう。どうも彼女らの会話を漏れ聞くところによれば、昨晩にも特製のスープを施してやったらしい。
―成程、これでは“ころり”といってしまうのも仕方がないわね
そんな風に思いながら、単純極まる精神構造のマトイに対して軽蔑の眼差しを向ける。
しかし、翻ってノーリ自身はどうだろうか。
何の自慢にもならないが、ノーリには調理技術がない。それどころか、掃除も洗濯もまともにしたことがない。およそ生活能力というものの一切が、欠落しているのだ。
団を結成してタムと出会うまでは、毎日毎日出来合いの食事で腹を満たし、学院の制服以外は身に纏わず、自室はいつでもごみ溜め状態。『女以前に人としてどうなのか』と、周囲から何度も苦言を呈されたものである。
ノーリ自身、まったくもって情けないとしか表現できない。だが、当時はそれでも構わなかった。
ノーリの本質とは、つまり魔法の探究者であり、その道を歩み始めたときからずっと、それ以外に気を向けることを止めていたからだ。それに、そんな状態でもどうにかこうにかやってこれたのだし。
―それを今更、お料理の勉強なんて……
フィーアに抱きすくめられながら、今度は忸怩たる思いでマトイを見る。
タムと語らう彼の表情は、実に晴れやかで爽やかだ。城への帰還を果たすまでの数日間に亘り、用心棒たる彼と寝食を共にしたが、終ぞあんなに快活な顔になったことなどなかった。
要するに、マトイの正の感情を喚起する要素をもつのは、ノーリではなくタムであるということだ。それこそが、彼の食欲を満たす料理の腕前なのだろう。
団の中でも女子力がぶっちぎりで最下位のノーリでは、勝負にもならない。
ノーリがそうやって自らのズボラさを顧みていると、フィーアが呆れたように言う。
「いやぁねぇ、何も同じことで勝負しろとは言ってないわよ。勝てっこないでしょ?」
「うぐ……では、どうしろと!?」
「決まってるじゃぁないのぉ」
背後からノーリを羽交い絞めにしていた魔人の手が、急に服越しに身体をまさぐり出した。
「ひぅっ!?」
「あらあらぁ? 前よりちょっと、ふっくらしたような?」
「いやぁ! ちょ、止めてぇ!」
絶妙な力加減の愛撫により、思わずノーリは素っ頓狂な声を上げてしまう。慌ててその手を振り払うよりも先に自分の口を塞いだが、幸いと言っていいのかどうか、マトイはメイドとの談笑に夢中で気が付いていないようだった。
無抵抗なノーリの耳元に、熱い吐息が吹きかけられる。
「食欲では太刀打ちできない。睡眠欲なんて、自分で勝手に満たせる。それならばぁ?」
「そ、それならば?」
「今こそ使うしかないじゃなぁい。貴女の、“女”を……」
そう呟く魔人の手が、どんどん下の方を目掛けて進んでいく。ノーリは、どうにかしてそれをとどめながらは、フィーアの言葉の意味を考えた。
使う。
女を。
ノーリの、女性らしい部分を使う。
その示すところは、つまり……
数秒後。
ようやくその本質に考えが至り、顔を真っ赤に染め上げ、絶叫する。
「そんなことっ! 出来る訳ないでしょうがっ!?」
瞬間、全身に“気”を巡らせて身体能力を飛躍的に向上させる。師範たるドスより伝授された“気の運用”の技術により、僅かな時間ながら強大な腕力を得たノーリは、椅子から立ち上がると同時に魔人の拘束を振り払った。
するとその拍子に、拳が円卓の端に命中する。
どずん
びきびきっ
大きなヒビが生じた。それは一瞬のうちに卓の反対側まで一直線に走っていき、間を置かずに大きな溝となる。
べきべきべき
ずずん
腹に響く振動とともに、あっという間に真っ二つに割れた円卓が、無残にも会議室に横たわった。ノーリのお気に入りのティーカップを含めた食器類が、巻き込まれる形で床に叩きつけられていく。
その惨状に、食後の一服や会話を楽しんでいた団員たちが、一斉に沈黙した。
そして、ややあってから。
「……さて。儂はそろそろ、部屋で鍛錬をせねばな」
「……うむ。我も、この世界で得た知識をまとめるとしよう」
ドスとスィスがそれぞれ手に湯呑とティーカップを持ったまま、示し合わせたように席を立った。そしてこちらから眼を背けるようにして、そそくさと退室していく。
「……セーミ、行こ……」
「え? え? どうして、なんでですの?」
「いいから……」
事態を飲み込めずにきょときょとと周囲を見回していたセーミの腕を引き、トリーも部屋を飛び出す。
「それじゃぁ、頑張ってねぇ」
フィーアもまた、背中の翼をはためかせると、短い詠唱の文句を呟き部屋から消え去った。散々引っ掻き回した張本人でありながら、とんでもない悪女である。
「あらあら、大変。すぐに片付けますわね」
「あ、じゃあ俺も手伝いますよ」
残されたタムとマトイも、ノーリを見ないように床へとしゃがみ込む。この期に及んで無視を決め込もうという腹らしい。タムの方はまだしも、ここまで無礼を働いたマトイの方は許しておけない。
ノーリは堪忍袋の緒を引きちぎる様にして、マトイの首根っこをむんずと掴んだ。そして強化された腕力に物を言わせ、そのまま扉の方へと引きずっていく。
マトイは驚いたように身体をすくめるが、さしたる抵抗もせずに首だけを回してこちらに顔を向けた。
「あの、ノーリさん? 痛いんですけど」
「いいから。黙ってついてきてください」
「いや、あの、はい、分かりました。ついて行きますんで、降ろしてください……」
ノーリはそれに答えないまま、乱暴に扉を開いた。今更「すみませんでした」だの「言うこと聞きます」だのの懺悔が聴こえたが、無視を決め込んだまま愚か者を部屋の外へと放り出す。そして後ろ足で扉を蹴って閉めようとすると。
部屋の中から微かに、「ごゆっくり」というメイドの優しい言葉が聞こえた。
――姐さん、助けて……




