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団の城・7

――あの小僧、果たしてノーリの誘いを受けるかのう?

――さてな。だが、彼女があれ程に執着するのだ。見込みはあるだろう

――しかしそうなると、ちっとばかし面倒ごとになりそうじゃわい

――ああ、“彼女”か……


 快適な睡眠とは、快適な環境によってもたらされる。

 心地よい覚醒により、マトイはその事実を強く認識していた。

 仰向けのまま軽く身じろぎし、両腕を持ち上げて伸びをする。疲労はばっちり回復、寝違えた個所も無し。

 こんな素晴らしいベッドに身を横たえるなど、まっとうに軍人をやっていた頃でさえ不可能だった。跳び出たスプリングに注意を払う必要が無いというのは勿論だが、硬すぎず柔らかすぎず、適度な反発を以てマトイの身体を受け止めてくれるところが堪らない。このまま文字通り、永眠してしまいたいくらいだ。


―ああ、クソ。まったくいい気分だぜ。


 マトイは眼を開くと、ゆっくりと身体を起こした。そして尻を支点に90度回転し、ベッドの脇へ足を下ろす。

 名残惜しいが、いつまでも丸くなっている訳にはいかない。昨晩、女神の如きメイド様から頂いたスープは、とうの昔に消化吸収されてしまっているのだ。

 何より、“目前に迫る危機”に対処するため、早急に態勢を整えねばならないのだ。


 マトイは深呼吸をして立ち上がった。そして、すぐそばの壁面を撫でる。そこには縦長のスリットが数本走っていた。疲れ切ってベッドに飛び込む前にタムから教えて貰った、壁面収納型の衣類箪笥の取っ手だ。

 そのうちの1つに指を引っかけ、勢いよく引っ張る。すると壁がぱかっと観音開きになり、吊り下げられた幾つもの衣類が現れた。


「うへぇ、どれもこれも高そうだな」


 皺のないワイシャツを適当に引っ掴んでみると、化学繊維とは違うふんわりした肌触りに驚く。早速継ぎはぎだらけのボロシャツを脱ぎ捨て、それを羽織った。ついでに、上着とズボンも新調。ここまで来たらと、ネクタイも失敬してしまう。


「こいつぁすげぇぜ!」

 

 黒色のスーツにストライプタイ。寸法したかのようにマトイのサイズにぴったりなそれらは、絶妙な着心地の良さと見栄えを両立している。革靴を置いていなかったのが実に残念だが、マトイの稼ぎではローンさえ組めそうにない高級品に袖を通すことを許されたのだから、満足しておくべきだろう。

 普段は最低限の被服で済ませるマトイだったが、今は舞い上がりそうな気分であった。ぜひ鏡で確認してみたいところだったが……生憎と、時間切れのようだ。 

 ドタドタと床を踏み鳴らす足音が耳に届いたところで、マトイは溜息をつきつつ引き出しをしまい込み、扉の方へと向き直った。

 直後、部屋の扉が乱暴に開かれる。ノックも無しに飛び込んできたのは、予想通りの桃色髪の娘だった。


「マトイさん! おはようございます!」


 今日も今日とてとんがり帽子にマントという奇態な姿のノーリが、耳鳴りがしそうな程の声量で叫んでくる。桃色の髪が、上機嫌に揺れていた。


「おう、おはよう」


 朝っぱらから忙しない娘だったが、マトイは特に不快になることもなく挨拶を返した。起き抜けに襲撃をかまされるのにも馴れてきたので、一日の始まりだというのに急激に血圧を上げることもない。いやはや人間というのは、何事にも慣れることのできる生き物だ。


「あら、そのスーツ! 凄くお似合いですね!」

「ありがとよ。それに良い部屋だな、ここは。おかげでゆっくり休めたよ」

「それは結構なことです。それでは、その……」

「なんだよ?」

「こ、これから朝食でも、如何ですか?」


 殆ど転がり込むような勢いだったノーリが、急に肩と声のトーンを落とした。上目遣いになって、若干緊張気味に言う。

 そのいじらしい態度から、マトイは瞬時にお嬢様の思いを看破した。わざとらしく背筋を丸めて腹をさすりながら、八の字を寄せてやる。


「実は腹ペコで、眼を回しそうでな。早いとこ、何かにありつきたいところなんだ」

「そ、そうですかぁ! それは良かった! でわでわ早速行きましょう!」

「お、おい……」

 

 言うが早いか、ノーリはマトイの手を引っ掴むと、部屋の外へと跳び出した。当然マトイも、引きずり出される形で後ろについていくこととなる。


―ほんっとに落ち着きのねぇお嬢さんだな。


 苦笑するマトイは、ノーリにくっつくように歩きながら、改めて周囲を観察した。 

 長い一本道に、数々の調度品。そして天井からそれらを照らす柔らかい光。豪奢ではあるが、落ち着いて観察すると異様な雰囲気にも思える。それこそ、一種の異界のようだ。その原因は、人気のなさと閉塞感によるものであろう。


「そういえば、ここには窓はないのか? 部屋にもなかったが」

「ついてはいますが、今は閉じています。私、この世界の景色が好きではなくて」

「と、言うと?」

「……だってここ、砂漠ばっかりじゃないですか」

「ああ、まあ、そうだな」

 

 ノーリの言葉に、マトイは素直に同意した。

 マトイも、あの荒涼たる風景に対しては良い感情をもつことができない。メトロポリスに流れ着くまで、苦労して大陸内部の砂漠を放浪した経験があるからだ。

 元は大規模な都市が幾つもあった筈なのに、世界大戦によって環境が破壊され、一切が砂に飲まれた無限の荒野と化してしまったのがこの地だ。

 来る日も来る日も覚束ない砂の上を歩き、運よく文明の遺物を見つけては食料を探す。同じ境遇の者たちに襲われ、止む無く手にかけたこともあった。

 そんな状況で初めてメトロポリスの異様を眼にした時は、人生でも五指に入る程に沸き立ったものだ。もっとも、すぐにその虚飾に隠された本質を悟り、幻滅することになったが。


 とは言え、1日の始まりに朝日を拝まないというのも何だか変な気分になるというものだ。朝食が済んだら願い出て、軽く日光浴でもさせてもらおうか。

 そんなことを考えていると、例の立派な二枚扉へとたどり着いた。ノーリがマトイの手を放し、重たげなそれを両手で押し開ける。その向こうには、巨大な円卓が構えている。


「おぅ、ノーリか」

「おはよう、団長殿」


 その円卓には、すでに先客が居た。襤褸切れに身を包んだ巨漢のドスと、品のいい老人のスィスだ。

 昨晩はあわや殴り合いに発展しかけたというのに、今朝は隣合うようにして座りながら、談笑している。見た目も立ち居振る舞いも対照的な2人だが、実のところ仲は良いのだろうか。


「おはようございます! ドス、スィス」


 ノーリは上機嫌に挨拶を返すと、マトイを引っ張って円卓の席の1つについた。ドスやスィスとは丁度反対側の位置だ。昨晩とは違う席なので、特に定位置という訳では無いのだろう。

 マトイとしては、あの老人の方には少々思うところがある。ノーリはそれに気づいて、わざわざこの席を選んでくれたのだろう。まったく、大人の自分が子どもに気を使われるとは。

 急かされるようにしてマトイも座ると、早速お嬢様は椅子を近づけてきた。そして声音を落とし、ひそひそと耳打ちしてくる。


「あのぅ、マトイさん。実は、謝罪せねばならないことが……」

「何だよ、急にしおらしくなって」

「いや、そのですね。昨日の晩餐会のことで……」


 肩がぶつかりそうなくらいに接近しているくせに、床に目を伏せながらにょもにょと言い淀むノーリ。

 まったくもって朝っぱらから忙しない娘だ。短時間でころころと表情を変えて、見る者を飽きさせない。今までマトイの周りにいたのはどいつもこいつも、常に怒気を孕んでいるか、辛気臭いかのどちらかだったというのに。


 大方、マトイが昨晩の肉料理に仰天して中座してしまったことを、自分の落ち度だと思っているのだろう。だが、あれは単に食習慣の違いと意志疎通の不足による不幸な事故であって、お嬢様への弾劾にはあたらない。

 全体、あの後素晴らしいメイド様にフォローをしてもらったことだし、気にする必要などないのだ。まったく難儀な性格の娘である。


 マトイはため息交じりに口を開いた。


「別に怒っちゃいねぇよ、お嬢さん」

「そ、そうですか! それは良かった!」

「大袈裟だなぁ、お前」

「だって、てっきり気を悪くして、入団を断られてしまうかと」

「ああ……」


 そう言えばそんな話もあったな、とマトイは思った。

 麗しのメイド様からこの世のものとは思えぬ絶品のスープを頂き、腹いっぱいでベッドへダイブしたのだ。あの凄まじい幸福感の前には、訳の分からない団とやらのことなど頭から飛び出していってしまうというものである。

 

「団に入るかどうかなんだが、ちょっと答えを待っちゃくれないか? もっと詳しい話を聞きたいしな」

「勿論ですとも! 貴方が快く私たちの同胞はらからとなってくださるよう、誠心誠意お話させていただきます!」


 問題を先送りにするようで、あまり気分が良くなかった。しかしそんなマトイの心情とは裏腹に、ノーリの顔には満開の花が咲く。

 それにしても忙しない娘だな、とマトイはやや呆れながら、ノーリに苦笑を返した。






「遂に春が来たようじゃのぉ、ノーリよ」


 座ったまま腕組みをするドスが、涙ぐみながら呟いた。眼前では団長にして弟子たる娘が、喜色満面で新人と語らっている。

 思えば彼女と出会ってから“数百年”。魔法の研究に打ち込み、武術の鍛錬を積み、異界の風物を愉しんではいたが、色恋にはとんと縁のない人物だった。あの忌々しい“3号”の強襲に遭い、こんな殺風景な世界に流れ着いてしまったが、思いもかけずに懸想人と出会えるとは。

 誠に、人の運命や縁というものは分からないものである。


 などと思いながら鼻をすすっていると、隣の席に座る悪友のスィスが、やれやれとばかりに肩をすくめた。


「お前の眼は節穴か? 何処を見ればその結論に行き着くというのか……」

「ご挨拶じゃな、スィスよ。あの娘の浮かれっぷりを見れば、一目瞭然じゃろうが」


 ドスは不機嫌そうに鼻をこすると、顎をしゃくって前方を示した。

 そちらでは、どんどんテンションを上げていくノーリが、遂にマトイの腕に縋り付いたところであった。煩わし気にそれを振り払おうとする青年だったが、しかしその表情に険はない。

 昨晩からつぶさに様子を眺めていたが、ずっとそんな調子だ。あの2人をこそ、仲睦まじいと表現するべきだろうに。

 

「見ろ、あれ程に喜んでおろうが。これが色恋沙汰でなくて何とする?」

「仙人としての頂に到達しておきながら、その程度の観察眼しか持たぬか。腕っぷし以外はからきしだな」

「貴様、侮辱は許さんぞ!」

「いいかドスよ。常々思っていたが、お前は“気の流れ”を読めても“心の繊細な部分”には疎すぎる。我が見るに、あれは……」


 宝石のついた杖の先でノーリたちをびしりと指し示すスィス。上等なスーツと濃密な人生経験を感じさせる人相により、まるで一流の大学教授の様だ。その凛とした雰囲気を感じ取り、思わず鼻白むドス。 

 すると、巨漢の親友が聞く耳をもったと判断したのか、老人が鷹揚な口調で自らの見解を端的に述べた。


「あれは、初めての弟が出来て舞い上がる姉と、その想いを御しきれぬ思春期真っ盛りの青少年だ」

「えぇ……?」


 絶句したドスが、再び2人の男女へと視線を移す。

 その折、再び会議室の扉が開かれた。

 






 


「おはようございます、ノーリ様。それに、マトイ様」


 朗らかな声と共に、温かい笑みを浮かべた女性が入室してくる。団のメイドにして、8番目の同胞たるタムだ。まだ少し早いが、背後に台車を伴っていることから、朝食の準備に来たのだろう。

 ノーリはマトイの腕に抱き着いたまま、彼女に向かって挨拶をしようと口を開いた。

 

 すると、その瞬間。






































「タム姐さん! おはようございます!」









 突如マトイが、大声を張り上げながらノーリを引っぺがした。そして椅子から立ち上がると、びしりと直立不動の体勢をとる。背筋を伸ばし、メイドに向かって挙手の敬礼。

 その変わり様に、打ち捨てられる形となったノーリは息を呑んだ。


「え? は? 姐さん?」


 床に尻もちをついたまま呆然と呟くが、マトイはこちらを気にも留めずに、勢いよく続ける。


「昨晩は、誠にお世話になりました! いやぁ、今日も大変お綺麗ですね!」

「あらあらマトイさんったら、お上手ですね。貴方のスーツも、とてもお似合いです」

「いやぁ、姐さんが用意して下さったからですよ。それより、何かお手伝いすることは無いでしょうか?」

「ありがとうございます。では取り合えず、ノーリ様を起こして頂きますか?」

「ああ……。いや、悪かったな、お嬢ちゃん」


 そこでマトイは、ようやく気付いたようにノーリに眼を向けた。そして後ろに回り込むと、すっと脇の下に両手を通す。


「ふぇっ」


 状況に理解が追い付かずにキョトンとしていると、背後からぞんざいに抱え上げられてしまった。そしてそのまま、椅子の上に降ろされる。まるで犬猫か、あるいはいっそ荷物の如き扱いだった。

 ノーリは信じられないという思いで、マトイを見上げる。しかし青年の方は、もう用事は済んだとばかりに再びタムの方へと顔を向けていた。


「ありがとうございます、マトイさん。お手を煩わせてしまいましたね」

「いえいえ、タム姐さんの為ですから! それよりも、朝食の準備ですよね? 食器を並べるの、俺がやりますよ」

「あらあら、助かりますわ。では……」


 タムが笑顔で頷くと、マトイは素早くその隣へと移動した。そしてそのまま、なんとも仲睦まじい様子で並んで歩いて行く。

 

 1人取り残されたノーリは、知らずぷるぷると震えながら、拳を握りしめていた。

――短い春じゃったのぉ、ノーリよ……。だが、代わりにタムに春が来たのか?

――だから、そう言うアレコレではないと言ったであろうが。あれは単なる餌付けだ、餌付け

 

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