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団の城・6


 マトイはただ1人、人気のない豪奢な廊下を歩いていた。

 その足取りはふらふらと覚束ない。ともすれば倒れそうになるところを、壁に右手をついてどうにか耐える。空腹で堪らない。それなのに、腹の中で胃袋が激しくダンスをしている。


 あの悍ましい茶色の塊。

 嗅いだことのない強烈な異臭。

 そして、それを嬉々として口に運ぶお嬢様たち。

 

「イカれてるぜ、まったく……」


 左手で抑えた口元から、この場にいない異常者たちへのか細い罵倒が漏れた。それと一緒に反吐をぶちまけなかったのは、彼女らへ多少なりとも恩義を感じていた為だ。全体、吐き散らす程に物は入っていないが。


 マトイは一度足を止め、ゆっくりと深呼吸をした。脳裏にちらつく狂気的饗宴の映像をシャットアウトすることに集中する。


「ふぅ」


 僅かばかりに気分が楽になったところで、そのままそろそろと床に腰を下ろす。額の脂汗を拭い、壁に寄り掛かって背もたれとする。


 這う這うの体とはまさにこのことだ。だが、よくもこんな仕打ちを、とまでは言わない。

 この身体には不要とは言え治療を施してくれたのだし、あの晩餐とて悪意をもって催したのではないだろうからだ。その内容については、文句を3つや4つは言ってやりたいところであるが。


―さて、これからどうしたもんかな……


 引っこんだ腹をさすりつつ、マトイは天上を見つめた。

 このまま冷たい床の上でいつまでぐずぐずしているのか、ということだけではない。早急に決断せねばならないのは、ノーリの誘いに乗るのかどうかということ。すなわち、彼女の言う“団”へ加わるか否かの選択である。


「まあ、悪くはねぇんだよな。……食い物以外は」


 実際、彼女が城と呼称するこの住居は、スラムとは比肩するべくもなく快適だ。厄介になれるというのなら、願ってもないことである。

 それにあんな大騒ぎがあった後では、スラムに戻ったところで今まで通りの生活などできよう筈がない。顧客であるギャングらは壊滅しているだろうし、全体、人が残っているかどうかすら怪しいところだ。

 

「しかし結局のところ、団とやらの目的は分からねぇままなんだよなぁ」

 

 ノーリに問いただしたところで得た答えは、『無限の倦怠を捨てる』だの『永久とこしえを謳歌する』だのと胡乱極まるお言葉のみ。これで彼女らの組織に同伴するか否かを決断するのは、少々無理があるというものだ。

 

 取り合えず適当にぶらついて時間を潰し、どんちゃん騒ぎが終わる頃合いを見計らってもう一度詳しい話をしてみるとしよう。体力が持つかは甚だ怪しいが。

 マトイは大きく溜息をつくと、手と足に力を込めた。

 

『こちらへ』


 腰を上げかけたところで、無機質な声が耳に届いた。

 瞬間身体を跳ね上げ、苦痛を無視して身構える。熱線拳銃レーザーガンはタムに預けたままだったので、徒手空拳のままだ。

 だが、周囲に気配はない。眼前には、だだっ広く一本道の廊下が続くのみだ。


『こちらへ』


 再び無機質な声が届く。今度ははっきりと、その音源が分かった。廊下の向こう側に見える扉からだ。マトイは警戒したまま、そちらへ向かって歩き始める。

 

 がちゃり。


 数秒も経たず、その扉が内側へと開かれた。その向こうには、ベッドと机と椅子が置かれた簡素な部屋が見える。人の気配は感じられず、誰かが隠れているという可能性はなさそうだ。

 

 マトイは咄嗟に、入るべきか否かを逡巡した。呼びかけがあった以上、何者かがマトイに用向きをもっているのだろう。それなのに人気のない部屋に招くというのは、少しばかり怪しく感じる。

 

―いや、しかしだな。


 全体、ここでの自分は客人扱いの筈なのだ。多少胡散臭いとは言え、ここにきて煮られることも焼かれることも、ましてや取って食われることもあるまい。


 マトイは意を決して、入室をした。


「初めまして、マトイ」


 途端に横から声をかけられ、マトイは跳び上がりかけた。再び身構えると、“それ”に向き直る。


「タムの手料理は、お気に召しませんでしたか? 君はかなり消耗しているから、早急に栄養補給を済ませた方がいいと思うのですが」


 マトイは“それ”に返答しなかった。注意深く観察をしていたのだ。

 眼の前に“あった”のは、ボサボサくせっ毛の青髪碧眼少年だ。ポケットがたくさん着いた青いダボダボの服を着込み、扉の影にちょこんと立っている。ノーリやトリー、それにセーミとほぼ同じくらいの年齢だろうか。


―いや、違うな。


 “それ”を一目見たときから、マトイはその正体を直感していた。

 

 不自然な程に揺れない身体。

 瞬きひとつせずにこちらを見つめる瞳。

 加えて一切の無呼吸とくれば、答えは1つだ。


「まさか、全身義体か?」

「素晴らしい観察眼ですね。探偵を名乗るだけのことはある」


 言いながら“それ”は、かすかに金属同士がこすれ合う様な音をたてて、サイズの合っていない上着の袖口をまくり上げた。するとそこにあったのは、生身の肌ではなく機械仕掛けの義腕だ。

 どうやら眼の前に立っているのは、人の形を模した機械の塊のようだ。道理で部屋の中に気配を感じなかった訳である。


「僕はピャーチ。この城の管理運営を任されるAIです」

「……そうかい、よろしくな」

 

 いい加減に驚くことに飽いていたマトイは、そう言い捨てながら機械少年のすぐ脇のベッドに腰を下ろした。

 人知を超えた実力者たちに、化け物のコスプレ、更には“肉食”まで目の当たりにしたのだ。散々異質なものに直面してきたのだから、人工知能を自称されたところで、ビビッてやるなど体力の無駄だ。


「んで、何の用だい? AIさん」


 マトイが機械仕掛けの少年に向かって、皮肉っぽく言う。 

 すると少年は、眼を見開いたまま数秒間黙考した。そしてやおら口を開く。

 

「君の部屋の準備をしに来た。というのは建前で、誤解を解きたいんです」

「誤解ってのは?」

「君の今後に関わる内容だったのですが、今しがた更新されたものを最優先で処理します。僕は本当に人工知能です。君の眼の前に居るのは、遠隔操作のアンドロイド」

「へぇ?」


 マトイは、疑心をあっさり見抜かれたことへの驚きを伴いながら、眼の前で直立不動の姿勢をとる機械少年をまじまじと見つめた。

 全身義体のサイボーグならばまだしも、アンドロイドとは大層なフカシだ。マトイの知る限り、そんなものは実現していない。今でもメトロポリスでは、軍警察の主力はサイボーグ処置の有無を問わず人間なのだし、労働者マーケットでは人間の店員が働いているのだ。

 人工知能もあるにはあるが、予めプログラムされた内容を反復するしか能のない、知能とは名ばかりの代物である。


「……まあ、上層なら有り得るかな」 


 人間と同様に自律行動できる機械などという便利なものができれば、社会構造に大きな変革が起きるに違いない。だが下層では無理でも、こんな城に住まう人間たちなら、金に糸目をつけずに個人的に開発することが可能かもしれない。

 その考えに行き着いたマトイが、笑いながら投げやりに呟く。


 するとピャーチは、チキチキと小さな音を立てながら口の端を少し釣り上げた。“笑顔を作っている”のだ。

 人のもつ表情筋とは異なるその動きに、マトイは少しだけ気色の悪さを覚える。


「君は本当に、優れた観察眼と思考力をもっていますね。しかし、情報の分析を自身の経験や常識に当てはめようとするきらいがある」

「どーゆう意味だよ、そりゃ」

「視野が狭い、ということです」


 仏頂面になったマトイとは正反対に、文字通り作り物の笑みを浮かべたままピャーチが言う。

 

「君はまだ、この団がメトロポリスの上流階級に属する組織だと思っているのでしょう?」

「質問で返して悪いが……なぜ、そう思うんだ」

「今の君の発言もありますが、あの会議場でのやり取りを観察すれば、自明なことですよ」

「……」


 図星だった。

 マトイは、ノーリが異世界から来たなどという与太話を信じてはいない。そんな非現実的なことが起こり得る筈はなく、詰まるところ“団”とは、上流階級の人間たちの享楽的な集いなのではないかと憶測を立てているところだ。

 しかしそれにしても、外から見ていただけでその心情を読み取られたとは。


 押し黙ったマトイに、ピャーチが言う。

 

「本当ならそのあたりの誤解をこそ解きたかったんですが。それは、次の機会にしましょう」

「あぁ? そりゃいったい……」

「差し当たり、君に必要なのは会話ではない、ということです」


 そう言ってピャーチが、マトイの前から大きく後ずさった。機械仕掛けとは思えない程に滑らかなのに、どことなく不自然な動きだ。重心の移動や肩の揺れなどが、どうしても普通の人間の歩き方と違って見える。これが“不気味の谷”とか言われるものなのだろうか。

 などとマトイが、またもや言い知れぬ気色悪さを感じていると。


「マトイ様、こちらにおいででしたか」


 脇から声が掛かった。部屋の入口からだ。

 そちらを向くと、そこにはメイドのタムが立っている。


「ああ、タムさんか。何の用だい?」

「ピャーチ様から連絡を頂き参上いたしました。何でも、あまりの空腹で眼を回しそうだとか」

「ちっ」


 マトイは舌打ちをしながら、タムと入れ替わりに部屋から出ていくピャーチをねめつけた。

 本当に人工知能だとしたら、恐れ入ることだ。こちらの健康状態を診察して対処法を提示するだけならまだしも、動揺や躊躇といった精神的な部分までもを推察するなど、人間にすらなかなかに難しい行為だ。我流で訓練しているが、マトイとて完璧には程遠い。

 ここまで人間の感情の機微を慮る機械などが存在しては、世のサービス業に従事する労働者はストライキに直行だろう。


「では、僕の方は仕事に戻りますよ。後はタムに任せます」

「はい、お任せを」

 

 嫌悪感すら抱き始めたマトイを尻目に、機械仕掛けの少年が部屋の扉を閉めて去っていく。彼の足音が完全に聴こえなくなってから、ようやくマトイはタムへと向き直った。


「んで、あんたは何の用だい?」

「勿論、マトイ様のためにお食事をお持ちしたのです」


 そう言ってタムは、何処からともなく鈍色に輝く円筒を取り出した。無理やりに邪推をすれば、先端の潰れた砲弾に見えなくもない。だが、彼女の発言と状況から判断すれば、これは魔法瓶か何かだろう。


―いやいや、ここは発想を柔軟にするべきかな? 実は極太の注射器だとか。


 などと皮肉っぽいことを考えながら、マトイは苦笑する。


「俺に構ってていいのかい? お嬢さんたちの相手があるだろ」

「問題ありませんわ。“もう1人”がきちんと応対しておりますので」

「もう1人? アンタ以外にもメイドがいるのか」

「いいえ。メイドは私だけです」

「なら給仕ウェイターか?」

「いいえ。この城で、殊に食に関する仕事を任されているのは、メイドのみです」

「……何かの頓智か?」

 

 タムの発言に、マトイは首を傾げた。上手く理解ができないのは、空腹のためだけではないだろう。その意味を問いただそうとするが、メイドの方は話は終わりとばかりに食事の準備を始めた。

 またも何処からともなく小さな容器を取り出し、それに魔法瓶を傾けた。その瞬間、湯気と共になんとも言えない香りが辺りに漂う。


「宜しければ、こちらをどうぞ」


 タムが魔法瓶を机上に置くと、両手で容器を包み込むように持った。そしてそれを、マトイにそっと差し出してくる。コーヒーカップを少し横長に潰したような形だ。


「それは?」

「スープです。本当なら、あの肉料理の前にお出しする予定だったのですが。マトイ様は、こちらならお召し上がりくださるのではないかと」


 カップの中を覗き込んでみると、琥珀色の液体が静かに波打っていた。確かにスープのようだ。他には、例えば肉のような具は入っていない。


 マトイはしばしの間、スープで満たされたカップを見つめていた。

 確かに怪しげなものは入っていないようだ。しかしこれは、あの異常者たちが食する一品。見た目や匂いとは裏腹に、とんでもない味をしているのかもしれない。


 しかしそれでも、空腹には抗えず……


 やがてマトイは、意を決したようにメイドの手からカップを受け取った。そして毒見をする様な気分で、ほんの一口だけスープを含む。


「う、うめぇ……」


 口の中に広がる味わいに、マトイは思わず口走った。

 完全栄養食品のコンソメ味と似ているが、こちらの方はあっさりとした口当たりだ。だが、味に深みがある様に感じられる。喉から食道を伝い、胃の中へと流れ落ちていくそれは、マトイの冷えた身体を内部から温めていく。


 嗚呼、何という幸福感だろうか……


「う、んぐっ」


 カップを大きく傾け、一気に中身をあおる。ごくりごくりと数回喉を鳴らすと、すぐにスープはなくなった。それでもと舌を突き出し、最後の一滴を丁寧に受け止める。

 

 うまい。

 うますぎる。


 ただの液体だというのに、どうしてこんなに複雑で、それでいて流れるように“さらり”とした味わいなのか。だが惜しいかな、完成された豊かな風味と表現しても差し支えのない一品だというのに、満足感には程遠い。 

 

 もっと飲みたい!

 これっぱかりでは、到底足りない! 

 

 マトイは、酷く哀れっぽい表情になり、空になったカップをじっとりと見つめた。

 すると横から両手で支えられた魔法瓶がにょきりと現れる。


「どうぞ」


 そう言ってタムが、新たなスープを注いでくれた。再びカップが熱を帯び、素晴らしい芳香が急かすかのように鼻腔を突く。

 マトイは、今度は即座にカップに口をつけた。間を置かなかったためにスープは冷めておらず、熱で舌を焼かれてしまう。だが最早、そんな些細な痛みなど気にはならなかった。


「うめぇ、五臓六腑に染み渡るぜ。もう一杯!」

「あらあら。過分なご評価ですわ」


 本当にこのスープのすべてを味わうことができているのかどうか、マトイ自身にもよく分からなかった。だが、これだけははっきりと分かる。

 

 マトイは今、確かに幸福だ。


 ただひたすらに、砂漠で干上がりかけた遭難者の様に、一心不乱にスープを飲み下す。そしてそれを微笑みながら見つめるメイドが、追加のスープをカップに注いでいく。


 結局、タムが持ってきた魔法瓶が空になるまで、それは続いた。

 


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