団の城・2
―フィーア! スィス! 無事だったんですね!
「んん~~……疲れたっ」
虚空から出現した正体不明の女が、鱗塗れの両手を組みながら大きく伸びをした。豊かな乳房がゆさゆさと震え、長く綺麗な髪が腕に沿って流れていく。
自然でありながら、どことなく洗練されているように感じられる所作。1人しか“女を知らない”マトイであっても、思わず生唾を飲み込みたくなるように妖艶だ。
もっとも、彼女の人外の容姿のおかげで、そんな不作法な振舞いをせずにはすんだが。
「あらぁ? 何だか知らない顔が増えてるわねぇ?」
気だるげに、そして甘い匂いを振りまくようにして、女が言った。その拍子に背中の黒い羽がわさりと蠢き、金色に光る2つの眼がマトイの姿を捉える。
―バケモンじゃぁねえかよっ!?
“生まれてこのかた”。それどころか、“生まれる前”ですら見たこともない異形を目の当たりにし、マトイは顔を引きつらせた。信じられない。この世に、こんな怪物が存在していい道理があるのか。
この1日の間に急成長を遂げた筈の胆力は瞬時に萎み、反対に全身の毛が逆立つ。
「うぅっ……」
マトイは恐怖に駆られ、愛用の熱線拳銃を掴もうとした。しかし左脇のホルスターに伸ばした右手は、虚しく宙を掴む。慌てて身体中の至る所をまさぐるが、あの慣れ親しんだ感触は何処にもなかった。
「マトイ様、こちらをお探しですか?」
恐ろしい存在を前にしているというのに、背後からタムの落ち着いた声が掛けられた。思わずそちらを見ると、メイドが掲げた両手の上に、ホルスターに納まったままの熱線拳銃が。あの病室で気づくべきだったが、衣服と一緒に剥ぎ取られていたのだ。
マトイは泡を食ってそれに手を伸ばすが、タムは微笑みを浮かべてするりと躱す。
「おいっ!?」
「申し訳ありませんが、ここでのご使用はお控えください」
「何を言ってんだよっ! ありゃぁ……」
「落ち着いてください、マトイさん。彼女は私たちの大切な仲間なんです」
「なっ、仲間だぁ!?」
横からノーリに諭され、マトイは今一度怪物女をねめつけた。
こちらを見つめながら笑っているこの女は、どう見てもまともな人間の姿をしていない。だがノーリ嬢が仲間だというのならば、少なくとも害はないということだ。
―そういや、この場の人間のほとんどは奇天烈な格好だ。なら、この女もそうなのか?
マントにとんがった帽子。今は違うが、バカでかい杖に鎖帷子。それに襤褸切れだ。メイド服はさておくとしても、この場でまともな装いの人間は少ない。だとすれば、この怪しげな女のそれらも同義ではないのだろうか。
ひょっとすると、頭の角は被り物か。してみると、腕はメイクによる模様で、背中の羽は脳波操作型の作業腕の一種かもしれない。つまり他の連中と同じく、ただファッションセンスが異常というだけということだ。
「そ、そうか、悪かったな。コスプレとは気づかなくて……」
「ん? こすぷれ?」
マトイの謝罪に、怪物女が小首を傾げた。長い爪の生えた人差し指を唇に当てる仕草に、思わず息を呑む。
ここ何日も眼にしてきたお嬢様よりも余程、というよりも、彼女のような存在をこそ女性と表現するべきではないのか。
恐るべき対象ではないと分かった途端に、マトイはしげしげと怪物女の爪先から頭のてっぺんまでを見つめる。
「うわ……眼つきがヤらしくなった……」
「あらあら、まったく品性下劣ですわね」
「ま、マトイさん! フケツですよ、フケツ!」
「言いがかりだぞ、お前ら。ただ見てただけじゃねぇか」
完璧と言って差し支えない肢体を鑑賞するマトイを、貧相な小娘たちが口々に責め立て始める。すでに落ち着きを取り戻したマトイは、そのやっかみを多分に含んだ口撃を受け流した。
いやはや全く、我がまま娘の生足一つでまごついていたのが馬鹿馬鹿しい。
「ちょっと、もう! いつまで見てるんですか!?」
「るっせーなぁ、目の保養だよ、保養。女らしい女に会ったんだから当然だろ」
「んな!? それは聞き捨てなりませんよ!」
「別にお前が貧相だなんて言ってねぇよ」
「い、言いましたねぇ!?」
今までの意趣返しばかりに挑発してやると、ノーリは顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。両手を出鱈目に振るって視界を遮ろうとするが、高身長のマトイは余裕の表情でそれを躱して鑑賞を続ける。
実に益体のない攻防である。何処からか、「子どもが2人……」という呟きが聴こえたような気がした。
件の怪物女はそれをしばらく見ていたが、やがて興味が冷めたかのように視線を移す。
「……それよりも、ドス。どうかしたのかしらぁ? 何だか怖い顔ねぇ」
「ふん」
ドスと呼ばれた巨漢は、不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。
逞しい両腕を組み、瞑目している。小さな椅子の上に座るその身体が、はち切れんばかりに隆起している様は、まるで憤怒の感情を爆発寸前にまで抑えているかのようだ。
危険な気配を察していたのか、先刻まで傍にいたトリーとセーミも、いつの間にか距離を取っている。
部屋の空気がおかしいことに気が付いたマトイとノーリも、ようやくじゃれ合いを止めた。
「どうしたというのかね、同胞よ。何やら気に障るようなことでも?」
虚空から湧き出たもう1人の人物、上品なたたずまいの老人が、ドスに問いかけた。返答を急かすように、宝石のついた杖で床をコツコツと叩く。
すると巨漢はじろりと老人を睨みつけ、椅子を蹴立てて立ち上がった。
「貴様! よくもぬけぬけと顔を出せたものよな!?」
凄まじい怒声が部屋中に響き渡る。マトイは、身体全体が揺さぶられたような錯覚を覚えた。
何という気迫だろうか。つい今しがたの、怪物女への怯えどころの騒ぎではない。逃げ出そうにも、身体が言うことをきかないのだ。
見れば、マトイどころか他の女たちも、たじろぐようにして後ずさっている。
唯一、巨漢の真正面からそれを受け止めた老人を除いて。
「これは異なことを。我は団の一員であるが故、この城に帰還したのだが?」
涼し気な顔で、老人がそう言う。その言葉が終わる前に、マトイの視界から巨漢が消えた。直後、衝撃音と共に、円卓の向こう側の老人の真ん前に、その姿が現れる。
直径で10m以上はありそうなこの円卓を、一瞬で跳び越えたのだ。
「今日ほど、貴様が仲間であったことを、悔やんだことはない」
巨漢が、打って変わって押し殺したような声で呟く。必死に感情を抑えるように、手を握りしめている。
マトイはその時、ドスのその大きな背中から、何か強大なエネルギーのようなものが滲み出てくる様子を幻視した。
「心外だな。我はお前を、かけがえのない友人と思っているのに」
「つくづく貴様というやつは……」
一方は上層階級者。一方は下層の貧民。
一方は脆弱な老人。一方は強壮な武人。
メトロポリスという矛盾に満ちた巨大な装置を体現したような両者が、お互いの手が届く距離に立って睨み合う。
「ドス!?」
「落ち着きなさいな!」
「ちょっとぉ!」
一触即発の空気を感じ取った周囲の女たちが、血相を変えて2人に駆け寄った。間に割って入ろうと、一斉に手を伸ばす。
「皆、黙っとれ!」
再び気迫の籠った一声が放たれ、女性陣が黙って2人から離れた。
室内に沈黙が満ちるが、空気は沸騰寸前だ。その根源であるドスが、ゆっくりと口を開く。
「スィスよ」
「何かな」
巨漢が組んだ両腕を解き、右手の人差し指を老人に突きつけた。
「今回の“すらむ”での騒動、ありゃぁ貴様の差し金じゃろう」
「ふむ、具体的ではないな。騒動とは何を指すのかね?」
「あの絡繰り仕掛けの鎧武者共のことじゃ! 貴様が誰ぞを唆したんじゃろうが!?」
烈火の如き勢いで詰め寄るドス。しかしその圧迫を受けてなお、老人は無表情に答えた。
「いかにも。我が策を以てメトロポリスの権力者共に働きかけ、軍警察を動かした。まあ、結果的には無意味だったがな」
『なっ……!?』
円状の部屋に、驚きの声が2つ響く。
マトイと、そしてノーリだった。
「っ!」
巨漢が激高したように顔を歪め、老人の胸倉に右手を伸ばした。そしてそのまま片腕で老人の痩躯を持ち上げる。あの、パワードスーツを片手で持ち上げた腕力が、ノーリにすら腕相撲で敗北しそうな老人を拘束しているのだ。
見るからに高級なネクタイと、マトイが着ているものとは素材からして違いそうなシャツが、千切れんばかりに引っ張られる。老人の手から杖が離れ、甲高い音を立てて床に落ちた。
「貴様のその策とやらに、どれだけの無辜の民が巻き込まれたと思っておる!?」
「知らんな、いちいち数えることなどせんよ。それと訂正しておくが、メトロポリスにおいてスラムに生きるすべての者どもは、市民権をもたぬ犯罪者となっている」
ぎちぎちと締め上げられ、宙づりにされる老人が、つらつらと答えながら両手を巨漢の眼前にかざした。
「ぐっ!?」
すると一体何が起こったのか、突然ドスが苦悶の表情を浮かべて、老人を掴んでいた手を離した。そのまま2・3歩、たたらを踏むようにして後ずさる。危なげなく着地した老人は、やれやれとばかりに首を振った。
「まあ落ち着け、ドスよ」
マトイを含めた一同が固唾を飲んで見守る中、老人は煩わしげな表情でスーツの乱れを直した。マトイが見立てたとおりの品質の高さの恩恵か、多少の皺が残ってはいても破れてはいない。老人は床から杖を拾うと、歯ぎしりをしている巨漢に向かって述べる。
「お前がスラムで無駄な時間を過ごしている間、我は愚物共に取り入って彼女の情報を集め、確保のために尽力していた。そんな我の献身を非難するとは、一体如何なる道理かな?」
「貴様が道理を外れた振舞をしたからじゃ! あの“ぐんけいさつ”のやつばらは、力無く無関係の民に銃を向けたのだぞ!? それを貴様が引き起こしたとあっては!」
「下らんな。我がお前を含む我らのことを第一に考えて、何故道理を外れるというのか」
「貴様という奴はっ……」
再び巨漢が、空間を揺さぶる程の剣幕を帯び始める。
その瞬間、2人の間に桃色の風が吹き込んだ。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいっ」
いっそ場違いと言っていい娘の闖入に、巨漢と老人が鼻白んだのが分かった。
そんな2人の男たちに向かって、俯いたままのノーリが広げた両手を向ける。
「スィス、今のお話は本当なのですか? 私を探すために、その……」
言いながらノーリが顔を上げて、ちらりとマトイに眼を向けた。
ほんの一瞬の、目配せにすらならない行為。
しかしその一瞬のうちに、マトイはノーリの想いを直感的につかんでいた。
昔、何処かで見た覚えがある。後ろめたさの色を含んだ、不安気に輝くその瞳。
それの意味するところは、つまり。
「ふむ?」
すると老人は口ごもるノーリを見やり、次にマトイを見つめた。
その間数秒。それで何かを悟ったのか、軽く頷いてから口を開く。
「青年よ。君は、スラムの人間かな?」
―そんな、まさか
―私のせいで、マトイ氏が……




