団の城・1
―お客様を招くなんて、何十年ぶりかしら!
―ここはひとつ、マトイ氏を驚かせてやらねば!
「いやはや、すげぇな……」
眼を覚ましてから何度目になるのか分からないが、マトイは周囲を見回しながらそう呟いた。
覗き込む自分の顔が見える程に磨き抜かれた大理石の床。
絵画やら写真やらの展示物が掛けられた、染みひとつない白い壁。
一定の間隔で設置された、古代の武具が飾られた台座の数々。
何処までも続く長い廊下に、“自分たち”以外に人気はまったく感じられないが、それがかえって静謐さと荘厳さを強めているように思える。
初めて目にする、あるいは一生に一度しかお目に掛かれないような光景に、マトイは思考力のほとんどを奪われていた。
「当然です! 私たちの城ですからね!」
快活な声に雰囲気を乱され、マトイは鬱陶し気にそちらを見た。ノーリ嬢だ。
先刻からずっとマトイの手を取り、強引に引っ張って廊下を突き進んでいく。お礼と、何か大切な話があるとのことで、とにかくついて来て欲しいそうだ。
「なんでドヤ顔だよ、お前。イラつくからやめろ」
「でも、実際凄いと思うのでしょう?」
「……いや、まあ、そうだな」
「ほらっ!」
「ちっ」
不承不承に認めてやると、ノーリ嬢は誇らしげな笑みを一層深くした。何故か無性に腹が立つ。
気の利いた皮肉か、さもなければやっかみの一言でも返してやろうとも思うのだが、しかし中々どうしてそうもいかない。
恐らく気絶したマトイが連れ込まれたここは、ノーリ嬢の実家のお屋敷といったところだろうが、その絢爛豪華さには眼を見張るばかりだ。“城”という表現は、あながち的外れではない。
上層の人間の生活環境など、根拠のない噂話を耳にするか、邪推するしかなかったものだ。それがこうして実際に、“気品”とでもいうべきものに中てられれば、この卑しい身でさえ謙虚になってしまうのも仕方のないことである。
「……んで、タムさんだったけ?」
髪の毛どころか全身から桃色のオーラをまき散らしそうな娘に嫌気が差し、マトイは後ろの人物に水を向けた。
すると、マトイとノーリから数歩離れて追随してくる女性が、柔和な笑みを浮かべて頷く。
「ええ。こうしてお話しするのは、2度目ですね」
「ああ、その節はどーも」
慇懃な口調に対し、マトイはぶっきらぼうな言葉を投げ返した。
静々と付き従うように歩くこのメイド服の人物は、今朝方スラムで襲撃をかけてきた正体不明の女の1人だ。あの場では異質極まる服装だったが、ここでは使用人としてばっちり背景に溶け込んでいる。もっともそれは、彼女のもつ独特の雰囲気も関係している様に思えるが。
「俺の一張羅も、ありがとうな。代金はこのお嬢さんに請求してくれ」
そう言ってマトイは、左腕にかけたトレンチコートを軽く持ち上げて見せた。元々皺くちゃだった上におびただしい血を浴び、スラムの地面を転げまわって酷い汚れだったのだが、今ではそれが嘘のように綺麗になっている。
病衣から着替えた自前の服も、同じような状態だ。皺はすべて取り去られ、適度に糊が効き、ほつれた箇所は丁寧に補修がされている。かなり着古した上下だったが、闇市で買った時より余程綺麗になっていた。
気を失っている間に、このメイドがクリーニングをしてくださったのだそうな。つくづく痛み入るばかりである。
ちなみに、鼻を鳴らしているノーリもまた、装いを変えていた。
円錐形の帽子に外套。スラムの裏通りでスっ転んだときと同じ、奇態な姿だ。生足をしっかりとズボンの中に隠してくれているので、眼のやりどころに困ることはないという点は素晴らしい。
「お代なんて結構ですわ。ノーリ様を助けて下さったお礼には、この程度ではまったく足りません」
不機嫌そうになったノーリ嬢とは逆に、メイド服のタムは笑みを崩さず、口元を抑えた。
奇妙なことにその表情を見ていると、不思議と安心感を覚えてしまう。超常的な現象、例えばあのうさん臭い隠密能力とは方向性が異なる、“空気感への親和性”とでも表現するべきか。
3人がかりで脅迫めいた尋問を受けた身としては、とても警戒心を解く気にはなれないのに、知らず知らずのうちにそれを当然のことと受け入れているのだ。
「ノーリ様とあれ程親身になられていることですし、今後のことも考えますと……」
「いや、ありゃ誤解だからな? お嬢さんが勝手に抱き着いてきたんであって、俺の意志じゃねぇから」
不味い方向に話を持っていかれそうになり、マトイは慌てて誤認識の修正を試みる。
実はこのメイド、着替えを持って来る際に、白い病室での一幕を目撃してしまったのだ。あれは完全に不可抗力だったというのに、「おめでたい」だの「お祝いしましょう」だのと宣い始める始末だ。
「ノーリ様との婚前交渉だったのでしょう?」
「いつの間にそんなもろもろの事実が既成化してたんだよ。半日前まで死にかけてたのに、んなことするかっての」
「でも、無抵抗だったじゃありませんか」
「下手こいて怪我させたくなかったんだよ! 別に嬉しくなんかなかったっての!」
小児性愛者と勘違いされては堪ったものではないので、マトイは全力で否定した。手を引くノーリがいまいち分からないという表情をしているのは、実に幸運である。
「ともかく、ノーリ様たってのご希望でもありますし、丁度良い時刻でもありますので。ぜひ夕食の席においでいただきたいのです」
「夕食かぁ、夕食ねぇ」
言われてマトイは、今日は丸1日にわたり何も口にしていないことを思い出した。同時に、信じられない様な一連の出来事が、たった1日の間に起きたという事実も。
襲撃を受けた闇市からの脱出。
得体の知れない3人娘からの脅迫と尋問。
ギャングとの抗争に、軍警察との悶着。
さながら、かつての想い人から見せて貰った、旧世代のアクションムービーだ。
―いや、待てよ。主人公が俺だとするなら、ヒロインは……
ぼんやりとそんな連想をしていると、ヒロインもといお嬢様が、またもや満面の笑みを浮かべて割り込んできた。
「彼女の料理は凄いんですよ! あんな“ゴム”とは比較にもなりませんから!」
やっと自分の分かる話題になったからか、主導権を握らんと声を張り上げている。やはり子どもっぽい。
「絶対美味しいですよ、頬っぺたが落ちるくらいに!」
「だから、なんでお前がドヤ顔なんだよ……」
「あらあら、まぁ」
妙なことを考えかけたマトイが、誤魔化すようにしてノーリにツッコミを入れる。すると背後でタムが上品に笑った。年齢の差がそうさせるのだろうが、ノーリのそれとは異なる奥ゆかしい仕草だ。
「お褒めにあずかり、光栄ですわ。今夜は腕を振るいますので」
「そりゃあ、まあ、ありがたいがね……」
上流階級の礼儀作法など知る由もないマトイだったが、食事を提供して頂けるというのならば『是非に』と応じる他なかった。
すでに空腹は限界にまできているところであるし、ギャングに軍警察の相手までして、さらには“能力”を使っているのだ。生理食塩水の点滴程度では、失った栄養素やカロリーの補充にはまるで足りない。高楊枝を気取っては、また倒れてしまうのは眼に見えている。
―それにこれは、お嬢さん自身が強く望んでいることだしな。
マトイは、そう自分に言い聞かせた。
またぞろノーリ嬢が鬱陶しい態度に出そうだが、それを受け止めてやれない程に狭量でもない。
恐らくは、スラムのものとは比較にもならないという上層の食生活を自慢したいという、子どもらしい理由なのだろう。ならばここは応じてやるのが、大人の男の役割というものではないか。
「さあ、着きましたよ!」
「む……おう」
胸中でグダグダと言い訳じみた動機を積み上げていると、ノーリが一際腕を強く引っ張った。つられて正面に眼を向けると、すぐそこに立派な造りの二枚扉がある。どうやらここが食事処、もとい目的地のようだ。
「さぁさぁ! どうぞ、入っちゃって下さい!」
マトイの手を放し、ノーリが両手を突き出すようにして扉に突撃した。ズバンッという大きな音と共に、精緻な彫刻が施された木造扉が勢いよく開かれる。
実に乱暴だ。しかし、マトイのようなゴロツキの招致にそれだけ浮かれてくれるのには、少しばかり嬉しい気分にならなくもない。
マトイは苦笑しつつ、ノーリを追って扉をくぐった。
「ほぉ……」
その空間に足を踏み入れた途端に、マトイは溜息をついた。すぐ脇でノーリ嬢が例の顔になっていたが、ツッコむどころではない程に感心してしまう。
そこは円形の大きな部屋だった。
マトイが入ってきたものと同じような扉が、他にも10組。ぐるりと周囲に設置されている。
天井から吊り下げられている巨大な宝石の房は、シャンデリアとか言う照明器具だっただろうか。そこから放たれた柔らかい光は、煌々と室内を照らしている。
極めつけは、円卓だ。軽く10人は座れそうな大きさの立派な木製のそれが、大部屋のど真ん中に鎮座していた。
あの長い廊下は装飾をされていたが、この部屋にも武骨な機能性の中に美麗さを感じとれる。
「お、探偵……」
「無事だったようじゃな、小僧」
「おやおや、死にぞこないましたわね」
大部屋には、すでに先客がいた。
マトイの顔を見るなり、年恰好のまるで異なる3人が、口々に言葉を投げかけてくる。いずれも顔を合わせた覚えのある相手ばかりだ。
「いよっ……不死身の名探偵……」
眠たそうな眼をしながらも右手を振っているのは、口元をマフラーで隠した金髪の娘。確か、トリーとか言ったか。今はあの奇妙な鎖帷子を着ておらず、地味な黒色のシャツに紺色のボトムをはいている。腰に物騒な剣を刺したままではあるが。
「ノーリがあんまり泣き喚くもんだから、儂まで心配しちまったぞ」
小さな椅子に座って豪快に笑っているのは、パワードスーツを片手で破壊してのけた巨漢の浮浪者だ。この上品な空間にあって、しかし装いはスラムで出会った時と同じく襤褸切れのままである。荒っぽい態度も相まり、この場で一番浮いている存在だ。
「団長も、どうやらご健勝のようで」
そう言って巨漢にしな垂れかかっているのは、長い薄紫の髪の不健康そうな顔色の少女だ。今度は落ち着いた紺色のワンピースに身を包んでいるが、すぐそばの浮浪者然とした男の装いとのコントラストによって、高貴なそれに見えてしまう。全体、幼さを残しつつも整った顔立ちの上、あの馬鹿でかい鈍器を携えていないのだから、当然と言えば当然であるが。
「トリー! ドス! セーミ!」
ノーリが弾かれたように3人のもとへと走り出す。先刻からなんとも落ち着きのない娘だ。
初対面の際に色々とあった手前、マトイは離れた位置からそれを見守ることにした。
「他の方々は?」
「ピャーチの奴は、部屋に籠っとるよ。後は知らんな」
「え、もしかしてそんなに状況が悪いんですか?」
「いいえ、違いますわ。何か喫緊で調べ物をしたいのだとか」
「にしてもだんちょー、ご機嫌……」
「ええ! お蔭さまで、無事に帰還できましたので!」
「本当にそれだけですの?」
ノーリ嬢を受け止めながら、顔色の悪い少女がクスリと笑う。
「どういうことです?」
「もう少し別の理由がおありではなくて?」
不意に、爛々と輝く赤い目がマトイを捉えた。すると他の3人も、そろってマトイに視線を移す。
スラムの裏路地で取り囲まれた記憶が蘇り、思わず身体に震えが走った。
「お、俺が何だってんだ」
「いえいえ。我らが団長を救ってくださったそうですが、果たしてここに招かれた理由がそれだけなのかと」
「あー……、なるへそ」
「おお、そういうことか。合点がいったぞ」
「だからっ、何なんだよ」
想像を絶する実力者たちにやり玉にあげられ、マトイは後じさった。
まったくもって、冗談ではない。食事にありつけるというからノコノコとついてきたというのに、これでは針の筵ではないか。
そう思って身構えると、急にその部屋の空気が変わった。
「むぅ……」
「ちっ」
「あら?」
マトイに好奇の視線を注いでいた、ノーリを除く3人が、何かに気が付いたように部屋の一点に顔を向けた。丁度円卓を挟んで反対側だ。
一糸の乱れもないその動きに少し驚きながら、マトイも彼らの視線を追う。
しかし、そこには何もない。
……かに見えた。
「何ッ!?」
異常を察知し、マトイは叫んだ。
何もなかったはずの空間が、陽炎の様に歪み始めたのだ。始めは手のひら程度のサイズだったそれは、わずか数秒で2mほどにまで膨れ上がる。覚束ないそれは、やがて意味を持った姿に変化していった。
「貴様……」
巨漢が歪みに向かって唸り声を上げながら、卓上に両手をついて立ち上がった。眉根を寄せ、敵意を剥き出しにする。
一体これから何が起こるというのか。いや、何かが到来するというのだろうか。
警戒心を高めるマトイは、そっと右手を左脇のあたりに這わせた。この1日の間に訳の分からないものを見過ぎたせいか、自分があまり驚かなくなっていることに気が付く。
―果たしていいこと何だか、悪いことなんだか……
自分で自分に呆れるマトイの眼前で、それは起こった。
歪みから、何かが現れたのだ。
2人の人間。
いや。人間と、人間の様な何かだ。
「やれやれ」
1人は老人だった。一目で上等と分かるスーツを着こなし、宝石のついた杖を手にしている。黒い肌というのは珍しいが、別段不自然なところはない。
だが、もう1人を見て、マトイは息を呑んだ。
老人の背後から現れたのは、長い銀髪に、整った顔の美しい女性。
だが、人間の女性ではない。
腕にびっしりと生えた鱗に、鋭い爪。背中に見える奇妙な羽に、側頭部から突き出した角。
明らかに人ではない、化け物だった。
「あらぁ、お揃いのようねぇ?」
その女性のような何かは蠱惑的な笑みを浮かべ、まるで誘う様な、甘い香りのする様な声音でそう言った。
―あら、まあ




