地球・2
「いよぅ、おぬしら! 無事じゃったな!」
「かなり……やばかった……ね」
「さっきは援護、ありがとうねぇ。おかげで助かったわぁ」
管制室内に、どやどやと団員たちが押しかけてくる。ドス、トリー、フィーア、スィス、セーミ、それに数人のタムたち。皆一様に、あの邪神から逃れられたことを喜んでいるようだった。
しかしノーリの様子に気づくや、笑みを消していく。
「ノーリ様?」
「どうしたんですの、そんな顔して」
「みんな。私、わたしは……」
ノーリが震えながら振り返る。
“世界渡り”は完了し、団はあの偏狭な世界から城ごと逃避した。しかし、渡った先は。この世界は。
「違うんだね、ノーリ」
最後に入室してきたチィが、低い声で言った。
「ここじゃぁない。そうなんでしょ?」
「……そうです。少しだけ。ほんの少しだけ、転移先からズレてしまった」
『な!?』
その場のほとんどの団員が息をのみ、硬直する。
数秒の間を置き、我に返ったナインは問いかけた。
「ここじゃぁないって。本当なら、どんな世界に渡るつもりだったんだ?」
「貴方も行ったことがあるところです。私たちの“友だち”。名前のないあの人の世界」
「名前のない……ああ、あれか!」
忘れたくても忘れられない。
守護女神であるチィと初めて顔を合わせた際に訪れた地。“貪食”という汚らしくも恐るべき邪神に襲われ、それで逃げ込んだのが『名も無き世界』だった。
そしてその世界の創造主が、同位体2号。『名も無き神』だ。
かの世界でほんのわずかに見えた、チィと同等の超存在。外見的には男とも女ともつかず、なよっとしていてなんとも頼りなさげだったが、しかし実力は本物であるらしい。同じく同位体であり、その世界の守護者をやっていたアリシアやルイン、そしてジーグたちからは『主上』と敬われていた。
成る程。あれほど強壮な神々でひしめく世界であるならば、たとえあの3号が相手でも充分に抗しえる。どころか、またかつての同位体1号との決戦のときのように連合を組むことで、完全に滅ぼしてやれるかもしれない。完璧な計画だ。
もっとも向こうさんにしてみれば、そう何度も世界を脅かす邪神を連れ込まれては、堪ったものではないだろうが。
「しかし、しくじってしまった、と」
団員たちを掻き分け、スィスが前に歩み出た。愛用の杖でノーリを軽く指し示す。
「それで今後の方針は?」
「……無論、転移しなおします」
「可能なのか?」
「大丈夫です。“あちら”とはほんのすぐ近くのはずですから。だからもう一度、“世界渡り”をやれば……」
そこまで言ってから、不意にノーリがよろめいた。足から力が抜けるようにして、床にくずおれそうになる。
すぐそばにいたナインが、すんでのところで抱きとめてやる。全身が、冷たい。慌てて顔を見ると、蒼白になっている。脈拍も弱々しい。酷く消耗しているようだ。
「おい、どうした!?」
「わ、私は平気。平気ですから。それよりも、すぐにこの世界を去らねばなりません」
「嘘つけよ、どう見たって普通じゃねぇぞ。休まないと」
「そんな時間はありません。“常闇”はすぐにでも追ってくる。だから、その前に……」
「ノーリ? おい、ノーリ!」
肩を揺するが、もうノーリは反応しなかった。息はしているのでもちろん生きているが、もはや立つことすらままならないようだ。ナインは、その小さな身体をゆっくりと床に下ろしてやった。
「心配するな。疲れてるだけだから」
歩み寄ってきたチィが言った。床に膝をつき、ノーリの頬を優しく撫でる。だがその表情は、未だに強張っていた。
「超魔法を高速で詠唱していたからな。体内の魔力が干上がっちゃってる。しばらく休めば気がつくさ」
「そりゃぁ良かったが……しかし、どうすんだよ。俺たち、しばらくはこの世界に立ち往生じゃねぇか」
「どうするも何も、団の方針については団長が先ほど述べたではないか」
今度はスィスが言った。やはり彼もまた、険しい顔をしている。他の団員たちもだ。
危機的状況から脱した矢先に、また新たなトラブルに見舞われたのだから仕方がない。だがそれでも行動しなければならない。
生きるためにも。
「ピャーチよ。城の機能はどこまで使える?」
『兵装、偽装、生命維持機能および生産施設はおおむね良好。しかし、動力部に甚大な被害が発生しております』
「具体的には?」
『3号の攻撃により、融合炉の炉心内部に亀裂が生じました。現在はなんとか稼動していますが、十二時間以内に致命的な損傷となる可能性が六十三パーセント』
“世界渡り”の直前に3号が放った、あの杖による一撃のせいだろう。けだし、ノーリが“渡り”をしくじったのも、そこに原因があるに違いない。
クソが。まったく忌々しいあのクソトカゲめ。
「……魔力炉の方はどうだ」
『使用可能ですが、この世界の勢力に城の存在が露見する恐れがあります。上空の航空機や、周囲の海に展開している船舶。それに向こうの陸地に見える建築物から、微量の魔力反応が出ています』
大型モニターに画像や動画がいくつか映し出される。この世界に転移してきてからわずかな間に、ドローンなどを用いてピャーチが収集したものだ。
夜空に浮かぶ鋭利な輪郭。戦闘機のようだ。両翼の下にぶら下がっているのは、ロケットではなく誘導式のミサイルだろう。
黒い水面に鎮座しているのは、あちらは軍艦か。砲塔が二つ、三つ。直撃したら、果たして現状の城の装甲で耐え切れるのか。
ドスがモニターを眺めながら腕組みをした。
「こやつら、儂らを探しておるのか?」
『そのようです。転移直後から間もなく、近辺の施設から現れました。地上の方にも動きがあります』
「ということはぁ、“世界渡り”の魔力を感知したってことでしょぉ。厄介ねぇ」
「でも……まだ、バレてなさそう……」
「今はまだ、ねぇ。けどぉ、魔力炉を使ったら周囲の魔力量が減少するからねぇ」
つまり、今度こそ発見される危険性があるということだ。ナインの知識に照らし合わせても、この世界の軍事力は侮れないように思える。団と同じく、科学と魔法が混合した技術。戦闘になるような事態は避けるべきだろう。
仮に城が十全ならば、撃退も逃亡も可能だったであろうが、現状ではそれも難しい。全体、城を機能させるエネルギーが失われようとしているのだから。
『チィ様に、縮退炉を動かしていただくという手段もありますが』
「却下だ。3号のやつが、いつこちらに到着するのか分からん。団長の言うとおりにすぐかもしれん。チィはそれに備え、少しでも力を温存するべきだ」
通常時における城のメイン動力を担っているのは、守護女神のチィである。小型のブラックホールに変身することで擬似的な縮退炉をつくり、大電力を生み出しているのだそうな。
ピャーチから講義を受けたものの、根本的な仕組みについてはいまひとつ理解できなかったので―物理学なんて基礎的なことしか分からない―鼠が回し車で発電するようなものだと、ナインは無理やりに納得することにしていた。
ちなみにまだ実物を見たことはなかったが、鼠とは手のひらサイズの哺乳動物のことだ。どこぞの世界では体表が黄色かったり黒かったりするのが好まれるとかなんとか。
「どうするんですの? どうするんですの?」
重苦しい沈黙の中、セーミがおたおたと皆の顔を見回す。
ナインとて同じ気分だった。どん詰まりだ。進退窮まっている。従軍時代に何度か経験した、あの全てを投げ出したくなるような絶望感に、心が蝕まれつつあった。
「貴様らに提案したい」
スィスが歯噛みしながら、トントンと杖で自分の肩を叩いた。彼にしては珍しく十秒以上黙考し、苦い表情のままうなずく。それからぐるりと団員たちの顔を覗き込み、述べた。
「一時、城を放棄するというのは」
「なんじゃと!?」
辛抱強く悪友の言葉を待っていたドスが噛み付いた。
「そりゃぁどういうことじゃ。この城を捨てると? 儂らにとっての家を、拠り所を。貴様、正気か?」
「貴様の方こそ正気になれ。いずれ城は機能不全に陥る。そうなれば、この世界の勢力から発見されることになる。彼らが団に友好的である保障があるか?」
「それは理解できる。だとしても、ここには儂らが永年に亘り溜め込んできたものがある。知識が。宝物が。なにより思い出が。そのすべてをみすみす……」
「状況を考えろ!」
スィスは苦しげだった。詰め寄ってくるドスに逆につかみかかり、訴える。
「チィだけでなく貴様も、我らも疲弊している。今、この世界と事を構えるのか? それで3号に追いつかれたらどうなる?」
最悪の事態だ。だが、想定しなければならない。
この世界の勢力に発見され、攻撃にさらされる。そこに“常闇”が現れれば……三つ巴の闘いが始まることになるだろう。団はもちろん、この世界もただでは済まない。破滅的な最後だ。武に生きながらも頭は切れるドスが、その程度のことを分からないはずがない。
巨漢が呻き引き下がると、スィスは改めて全員に語りかけた。
「必要最低限の物資のみを運び出し、差し当たりあの街に潜伏する。偽装を解けば、この城は目立つ。よい囮になるだろう」
「……あっさり明け渡す……ってこと?」
「いいや。何重にも防御をかけ、侵入を防ぐ。後々取り戻すためにな」
「それでぇ? ノーリちゃんの回復を待つってワケぇ?」
「左様。団長の言葉通りならば、目的地はかなり近い。次の“世界渡り”に必要な魔力は少ないだろう。準備が整いしだい城を奪還し、ここを去るのだ」
団は本来、渡った先の世界を充分に調べつくしてから行動を起こす。それこそ団を脅かす最悪の事態を避けるために。
だが、今はそんな悠長なことはしていられない。脅威からの逃避は、まだ終わっていないのだ。
……そう。
まことに残念ながら。
終わっていないのだ。
「……っ!」
突然、チィが身体を震わせた。
何事かと団員たちが視線を向ける。
だが、もう誰もがすでに理解していた。
「嘘だろっ。もう来やがったのかっ!?」




