地球・1
太陽系第三惑星、地球。
六つある大陸のうち、一番大きなものから少し離れた位置にある、連なった島々。
現地時間で深夜の2時を回っているというのに、そこには未だに煌々と輝く街があった。
帝都。
林立する高層ビルディングからの光に照らし出された、地上に二つとない夜景。大戦を経てなお、世界で最も美しく輝く都市。“眠らない街”というやつだ。
オフィス。
工場。
大型商店。
歓楽街。
深夜営業は、すでに当たり前になりつつある。
そんな中でもここ、市ヶ谷の地下にある東部軍管区司令部は、二十四時間にわたり眠らない場所であった。否、眠ることを許されない、と表現するのが正しいか。
「有澤中将閣下、入室!」
薄暗い指揮所の扉が開かれ、一人の男が大股で入ってきた。
顔中に深い皺が刻まれた、ちょっと背の低い、そろそろ老齢に差し掛かりそうな男だ。しかしきびきびとした所作は、そこいらの“ノンポリ”な若者よりもよほど力強い。それもそのはずで、彼はかつての大東亜戦争を生き延びた古強者の一人だった。
「ご苦労」
有澤は、抜き身の日本刀の様な気配を振りまきつつ、軽く手を上げた。すると腰を上げかけていた管制官たちが、慌てて職務へ戻る。
緊急事態との一報を受け、わざわざ布団から這い出し駆けつけてきたのだ。いちいち敬礼などで時間を無駄にさせたくなかった。むしろ一秒でも早くこの事態を収拾し、再び眠りにつきたくて仕方がなかった。
「状況は?」
「はっ。こちらに」
有澤が席につくと、すぐさま当直司令の郷里中佐が駆け寄ってきた。休暇中の有澤に代わり、この基地で指揮にあたっていた五十路の男だ。百九十センチを越える体躯のくせにいつも柔和な顔つきをしている、なんとも帝國軍人らしくない人物であったが、今は酷く緊張していた。
「○一五六時、レーダーにて未知の反応を検知しました」
中佐が、蛇のように連なった紙の束を差し出してきた。レーダーの記録用紙だ。彼が指で示す位置では、波形が大きく乱れているのが見て取れる。どうやらその時刻に、かなり巨大な何かが現れたようだった。
「新型レーダー。稼動し始めたのは、一週間前だったな」
「はっ。反応はほんの一瞬だけで、その後はまったく探知できておりません」
「いつもの“挨拶”とは違うようだが」
「はっ。そこで万一のことを考え、閣下にご足労願った次第です」
「ん……」
有澤は椅子の背もたれにぐっと身体を押し付けると、唸り声を上げた。
挨拶というのは、戦闘機や艦艇による領域侵犯を指す隠語だ。本気で戦闘や侵攻をしようというのではなく、庭先にちょいと足を踏み入れることでこちらの対応力を観察しようという、いわば偵察の一種である。
緊張状態にあるソ連やアメリカ、それに中国などからはほどんど毎日そうやってちょっかいを出されるので、帝國軍としてはもう、『おはよう』や『こんにちは』と声をかけられるようなものであった。
しかし今回は、どうにもおかしい。
レーダーが敵機影らしきものを捉えたのはほんの一瞬だけ。しかも戦闘機らしからぬサイズだという。ひょっとすると、戦艦と同等くらいか。
「位置は?」
「ほんの一瞬のことで……帝都湾の方らしいと。距離もあやふやです」
「はっきりせんな」
潜水艦だろうか? しかしそれにしては、ソナーの方に反応がない。
帝都湾を含め、この近海には無数のパッシブ型ソナーが設置されている。仮に潜水艦だったとしたならば、その探知能力を上回るほどの恐るべき静粛性をもっていることになる。まだ帝國にすら実現不可能なことだ。
前大戦において植民地のことごとくを喪失し、事実上の敗戦国となったこの大日本帝國であるが、その軍事力はいまだに世界でもトップクラスである。それは技術面においても同様であり、従って他の列強国からその分野で出し抜かれることなど、そうそうありえない。
それは単に、大東亜戦争時に異界よりもたらされたある種の……非科学的技術の恩恵によるところが大きいのだが。
「“占い”の呪いとのハイブリッドだったんだろう、そのレーダーは? 不具合でも起こしたんじゃぁないのか」
「“占術”です、閣下。技師に確認させましたが、機器に異常は見受けられませんでした」
「胡散臭いもんだ。大の大人が……その。“魔法”だなどと言って。しかもそれを真剣に軍事利用してるんだからな。馬鹿馬鹿しい話だ」
「ですが、ご利益は間違いありません。それは大戦を生き抜いた閣下だからこそ、よく理解しておられるでしょう」
「ん……まあな」
弾除け。
身体強化。
未来予知。
それらの怪しげな魔法技術の恩恵により、かつての帝國の軍事力は飛躍的に向上した。前大戦において、有澤を含む多くの将兵が、その“霊験”によって命を救われたのは事実だ。今ではそれを『神風』だとか『大和魂』のおかげなどと断じることの方が、よほど非科学的で馬鹿馬鹿しく思えるくらいである。
有澤は、続いてレーダー画面を覗き込んだ。やはり中佐の言うとおりに、異常は見受けられない。正常に稼動を続けているようだ。一方で、また反応が起こる気配もない。有澤が眠りについていたときと同じく静かなものだ。
「横須賀には?」
「すでに確認をとっております。その時刻、付近に展開していた艦艇はないと」
「どうなっとるんだ。首都の鼻先に侵入されるまで気づかないで、さらには逃げられたと?」
「小官には断定しかねます。ですが、その可能性も捨てきれないかと」
「ふん。海さんは、もう哨戒艇を出してくれてるのか?」
「はっ、二分前に。空軍の方も、すでに対潜哨戒機とF-1を上げています」
F-1とは、帝國最新鋭の超音速戦闘機のことだ。無論、こちらにも魔法技術がふんだんに取り込まれており、同じ第三世代の各国の戦闘機に比して高い性能を叩き出している。
ともかく、これで海から空から包囲網が完成するわけだ。仮に、本当に帝都を脅かす何者かが実在するのならば、これで捕捉できるだろう。
「宮内庁と総理官邸、それに警視庁にも連絡を入れておけ。警察には巡回の強化を依頼しろ」
「それは命令系統が……」
「緊急事態だぞ。向こうさんも分かってくれる」
状況はまったく不確かではっきりしない。しかし最悪な事態を考えれば、帝國の監視網を掻い潜る驚異的な何かが、この帝都の目と鼻の先に前触れなく現出したということになる。そしてそれは今、何処かでひっそりと機を窺っているのだ。
帝都に。帝國に。そしてそこに生きる臣民を害するために。帝國を護る責務を負った人間には、座視しかねることだ。そこは軍も警察も同じである。
それに現職の警視総監とは戦友だ(ついでに言えば、海軍と空軍のトップもである)。きっとこちらの意を汲んでくれるだろう。
と、そこで有澤はあることに気づいた。
「ん……おい。夢の島のはどうだ」
「は?」
「最近、また新たな拡張計画が開始されたんじゃぁなかったか?」
戦前に飛行場建設のために帝都湾の一画を埋め立てて造られた、人工島のことだ。戦争の影響で計画は頓挫し、今では戦後復興に伴う経済成長により帝都に溢れるゴミの最終処分地にされてしまっている。夢の島などとは、まったく酷い皮肉だった。
「はっ。そのように記憶しておりますが……さすがにこの時間まで工事をしているとは。なにより、重機程度でこの大きさの反応は出ません」
「ん……だが念のため、念のためだ。そっちにも人員を送って調査させろ」
ありとあらゆる状況を想定し、ありとあらゆる手段を講じる。
熱い戦争から冷たいそれに変わってしまった現代においても、その本質は同じことだった。
もちろん、何もないならないに越したことはない。
それならそれで後日、はた迷惑なガラクタをこさえた技術者どもを怒鳴りつけてやって、戦友たちに酒を奢ってやり、代わりに嫌味を三つも四つも頂戴すればいい。
極度の緊張にさらされた上に骨折り損をすることになる部下たちには……訓練の一環であったと諦めてもらうしかないだろう。
中佐を追いやってから、有澤は大きな欠伸をした。
妙に角ばった、図形のような島だった。
縁は直線のようにまっすぐで、表面は緑が一切ない、土砂ばかり。明らかに人の手によって造られた島だ。
その島の一画。種々の重機によって埋め立てが行われていた大きな穴の中に、これまた大きな城がはまりこんでいた。団の城だ。科学的・魔法的な偽装によって外部からは視認できないが、確かにそこに存在しているのだ。
その城壁のど真ん中からは、本来構造上ありえないはずの塔が一本、斜めに突き出ていた。否、塔ではない。とても巨大な杖だ。物理的にも魔法的にも強固に設えられていた城壁を深くえぐっており、先端部分はほぼ中心部に到達していた。
「う……」
管制室の床に横たわっていたナインは、呻きながら身体を起こした。
ノーリの超魔法、“世界渡り”。そしてそれによる逃避は完了したようだ。しかしつつがなくとはいかず、直前に同位体3号による一撃を喰らってしまった。
その際の衝撃により、少しばかり気絶していたのだ。
「ノーリ……ノーリ!?」
頭を振り、護るべき主人の姿を探す。すぐそばにいた。ナインより一足先に目覚めたらしく、立ち上がってモニター画面を見つめている。
「起きましたか、ナイン」
「おう。無事で何よりだ」
「ええ、貴方も」
ノーリの手を借りて立ち上がる。軽い脳震盪でも起こしたのか、まだふらついてしまう。不死身の再生能力だなんだといっても、脳みそばかりはどうしようもない。
「それで、ここが目的の世界なのか?」
ノーリと並んで、モニター画面を覗き込む。そこからは外界の様子がよく見えた。
どうやら3号は振り切ったようで、あの禍々しい姿は何処にも見られなかった。恐らく、一時的なものだろうが。
代わりに、さして遠くない場所に建築物群が見えた。かなりの規模だ。この世界の住人の手によるものだろう。
さらに別の画面では、上空で無数の物体が編隊飛行をしている様子が映されていた。やはりこの世界の住人が創造した航空機だ。音速を超えられるとすれば、技術水準はそこそこか。
旋回を続けていることから、どうやらこちらの位置を探ろうとしているようだ。だが城の隠密機能には太刀打ちできないのか、接近してくる様子はなかった。
「違う……」
ふとノーリが、か細い声で呟いた。
「違う、この世界じゃぁない……!」




