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メトロポリス・19


「何が、起こっているのだ……?」


 モニター画面に映し出された光景を目の当たりにし、署長は思考停止に陥りかけていた。急転直下の事態に、理解が追い付かないのだ。

 奇跡を御下賜くださる神の存在を確信すると同時に、確保対象である少女の発見に歓喜したのも束の間。闇市を中心にしてスラム全域へと分布していた隊員たちを、廃棄物集積所へと終結させたのがほんの15分前。


 そして現状が、これだ。


『こちらアルファ、正体不明の女と交戦中! 支援を求む!』

『こいつら化け物だ! 速過ぎる!』

『メイドだ!? メイドが襲ってくるぞぉ!?』

『援護要請! 援護よう――』


 少女確保の吉報を待ちわびる彼の下に次々と送られてくるのは、悲鳴を伴った損害報告と、それをもたらした意味不明な存在についての情報のみだった。曰く、『巨大な杖で殴られた』だの、『メイド服の女性に襲われた』だの、『化け物のような女たち』だの、現場の隊員らの正気を疑うものばかりだ。

 それらを総括するに、浮かび上がる事実は1つ。最先端の軍事技術を結集した実働部隊が、たった15分のうちに壊滅状態に追い込まれている。“ギャング”の手先と思しき何者かの手によって。


「馬鹿な、そんな馬鹿なことがっ」


 悪態をつく署長の眼の前で、スラムに投入された500名からなる精鋭たちが、次々に打倒されていく。日頃の訓練の賜物と忠誠心により、健気にも逃亡ではなく徹底抗戦を選択した彼らではあったが、奮闘虚しくもその人数は減少していくばかりだ。

 モニターにちらりと何かの影が映った瞬間、隊員が気絶状態に陥ったことを示す警告文が、一度に5・6個程表示される。戦術データリンクと高性能の識別装置により、数と装備を生かした理想的な部隊運用を行っているというのに、まるで歯が立たない。


―相手はギャングではないのか。それどころか、同じ人間なのか。


 あまりの惨状にそんなことを考え始めた頃には、すでに事態は終わっていた。最後に生き残っていた隊員の、『助けてお母ちゃん』という通信の後、現場からの映像は完全に途絶えてしまったのだ。


 全滅、全滅だ。

 もとより一度の派兵で目的を達成できるとは思っていなかったが、こんな結果になるなど完全に計算違いだ。否、メトロポリスどころか世界で最高峰の軍事力が、こうもあっけなく殲滅される事態など、誰が想像できたというのか。


 署長はしばしの間、ノイズだけが漏れ出てくるモニター画面を眺め、佇んでいた。

 終戦からこっち、莫大な資源と時間を費やして築き上げてきた自身の力の象徴が、この短時間で木っ端みじんに打ち砕かれた。その恐ろしい事実に愕然としてしまう。

 この大敗を前に、メトロポリスの平和を担う軍警察の長として、自分はこれからどうすればいいというのか。

 

―いや、違う。最も重要なのは、そんなことではない!


 執務机の上で拳を握りしめ、血が出そうなくらいに奥歯を噛み締める。


 自身の地位も名誉も、大勢の部下たちのことも、メトロポリスのことすら最早どうでもいいのだ。

 問題なのは、ただ1つ。“あの御方”のご信頼に背いてしまったという……











「あらあらあら~」









 茫然自失状態に陥りかけていたその時、署長のすぐ隣から声が響いた。

 反射的に、身体に刻み込まれた動作で腰のホルスターから拳銃を引き抜く。そして、脇に立つ何者かにそれを向けた。一瞬遅れてから、自分以外には誰もいなかった筈のこの部屋に、かすかに甘い香りが漂っていることに気が付く。


 と、同時に。

 

 驚愕した。


「残念ねぇ、先を越されちゃったみたいだわ」


 そう言って署長の眼前で上品に笑っていたのは、“人の形をした何か”だった。少なくとも署長の常識においては、“それ”を人間とは呼称しえない。

 長い銀髪を揺らす妙齢の美女。しかし頭の両脇からはにょきりと角が生え、背後には黒く禍々しい一対の羽。まったく知識にない、人の形をした人外の化け物だ。


「貴様は何者……? い、いつからここに?」


 大惨事を目の当たりにした直後の出来事で、精神的動揺を隠せない署長であったが、右手の40口径の銃口は女の額にピタリと狙いを定めていた。現場を退いて久しいとはいえ、半生をメトロポリスの治安維持の為に捧げてきた男の矜持である。

 

 しかし化け物女は、そんな叩き上げの男の様子を、さも面白そうに眺めながら言う。


「そんなに怖がらないで欲しいわ、失礼しちゃう」

「ふざけるな! 貴様は何者だ、何の目的があってここにいる!?」

「ただ伝えに来ただけよ」


 拳銃を握る手がぶるぶると震える。卑劣な暗殺者を数え切れぬ程誅してきたというのに、眼前でただ笑っているこの女が恐ろしくて堪らない。

 その異形に怯えたからではない。気配をまったく感じないまま接近を許したという引け目からでもない。

 なにかもっと本質的な、この怪物女には何をどうやったとて抗しえないという、本能的な諦観によるものが、彼の心臓を鷲掴みにしているようだ。


 そんな、驚きと怯えと憤りがごちゃ混ぜになったような表情をする署長に対し、怪物女は妖艶に微笑んだ。


「貴方の大好きな、スィスからの伝言。『今までご苦労様、後は結構』……だそうよ」

「な、なんだと!?」


 何故この怪物女が、あの人物の名を。

 真っ先に抱いたその疑問は、即座に浮かんだ嫌な予感に塗りつぶされた。

 

―今この怪物女は、何と言ったのだ?

―『後は結構』、だと?

―馬鹿な、それでは私は……


 署長の動揺が増していくのを感じ取ったのか、女が一層笑みを深める。


「あの娘が確保できないとなれば、もう貴方に用はないのよ」

「そんな馬鹿なことがっ!」


 署長は激高し、女の額に銃口を押し付けた。

 あの偉大な男、スィスに捨てられる。その死よりも恐ろしい事実が恐怖感を薄れさせる。


 ようやく出会えた、自分を肯定してくれる存在。それが自分の前から去ってしまう。

 また自分は、ただ生きているだけの満たされない人生を送ることになってしまう。

 そんなことは、断じて許容できない。


 渇望じみたその情動で、署長は引き金に指をかけた。如何に人間離れした存在であっても、この至近距離では無事ではすまない。


 しかし。

 怪物女はまったく意に介した様子もなく、唇を舐めてから、ただ短く呟いた。


「“私たち”のことは忘れなさい。ずっと、永遠に」


 そして、両眼を見開く。 

 

 するとそこから、奇妙な金色の光が……

 



 




 

 気が付くと署長は、一人で立ち尽くしていた。何をするでもなく、ただ茫然と。薄暗い室内を見回し、首を傾げながら考える。


 一体自分はどうしたのだろうか。何かとても大切な、それこそ一緒に関わる様な大きな“こと”を為そうとしていたような気がするのだが。だがはっきりとしない。頭の中に深い霧がかかったように、思い出せない。


 もどかしさを覚えながら、ふと壁中に設置されたモニター画面を見やる。

 様々な地区に出動した軍警察の部隊から送られてくる、現場映像や隊員らのコンディションなどを表示するものだが、今起動しているのはたった1つだった。

 その1つに表示された告知によれば、下層区域、いわゆるスラムと呼ばれる地域に出動していた実働部隊から、無線連絡が入っているらしい。


―スラムだと?


 署長は言い知れぬ不安を覚え、顔を撫でようとした。そこで自分が、拳銃を硬く握りしめていたことに気づく。


「何をやっとるのだ、俺は……」


 非常時でなければ決して抜かない護身用の拳銃を机上に置き、独り言ちる。

 奇妙だ。肝入りの実働部隊を動かすとなれば、他ならぬ自分の承認が必要な筈だが、それに関わる記憶の一切が無い。ましてやスラムへの派兵などと、何故そんな馬鹿馬鹿しいことに自分はゴーサインを出したのか。


 まったく理解できない。覚えがない。まるで頭の中を引っ掻き回され、脳みそを引き抜かれたような気分だ。


 とにかく現状を把握しようと、署長は卓上に据え付けられたパネルを操作する。すると、起動していたモニターの向こうに、よく知る男の顔が浮かび上がった。実働部隊の隊長、自分が最も信頼を置く部下の1人だ。

 

『こちらアルファ。作戦目標である、“ギャングの掃討”を完了しました』

「……む、ああ、そうか」


 現場指揮官の言葉に、署長は“ようやく思い出した”。


―そうだ、そうだった。俺はスラムに蔓延る不穏分子を一掃しようと、派兵を命じたんだ。

―いつも俺のやり方に口出ししてくる偉いさん方も、今回は豪く乗り気で……


『こちらも損害を受けましたが、特に緊急事態も起こらず、概ね想定通りの作戦でした。流石の采配でしたね』

「いらん世辞はよせ。直ちに撤収し、後程報告を上げろ」


 部下からの賞賛につっけんどんに返しつつ、署長は通信を切った。しかしその態度とは裏腹に、胸中には安堵が満ちていく。合点がいかなかった自身の行動に確固たる裏付けがなされ、落ち着きが取り戻されていった。


―いや、しかし、何かが……?

 

 どうしても、心の奥底に欠落した部分があるように感じる。

 とてつもない大きな何かを喪失したという覚束ない感覚が、署長の精神をチクチクと啄むのだ。


「何を馬鹿な」


 理由の分からない哀しみに襲われかけ、署長は自分自身を叱咤した。

 この大きな作戦が完了したからといって、これからの仕事が少しでも楽になるということは絶対にありえない。このメトロポリスという地上の楽園は、常に陰謀や闘争という危険がひしめいているのだ。


 なべて世は事もなし、とはいく筈もなく、署長はこれからも身を粉にして職務に邁進せねばならない。

 この楽園の果実を狙う薄汚い外界の蛇に備え、待遇改善を訴える怠惰な労働者共を蹴散らし、ふんぞり返りながら尻で椅子を磨く連中との政争に明け暮れる、退屈で満たされない日々に……





  

 軍警察本部。

 メトロポリスの上層部と下層部を繋ぐ中間点に構築された大要塞。

 その人気のない屋上で、スィスはただ1人、ときに絢爛なビルディング群を見上げ、そして薄汚れた一般市民とそれ以下の者どもの住処を見下ろしていた。


 度重なる大戦によって荒廃し、死にかけた大地。

 そんな中にあって、一部の人間だけが効率よく搾取を行えるように構築した社会システム。

 美しい輝きを見せる魂の持ち主は一握りもおらず、変化しない日常を惰性で生きる俗物ばかり。

 矛盾に満ちた、緩やかに壊死していくだけの世界だ。


―もはや得るものは無し。潮時だな。


 両極端な光景を眺め、評定を下す。

 このメトロポリスは、滅びの象徴だ。燃え尽きる寸前の蝋燭と同じ、死に際に輝いているに過ぎない。それはそれで趣があるのかもしれないが、少なくともスィスは好きではなかった。

 彼が生きる目的とは、新しい何かを探して“世界を巡る”ことなのだ。終わりを観賞することではない。

 

「まったく、人使いが荒いわねぇ」


 老人の背中に、声がかけられた。スィスはその甘えるような声に、振り向きもせずに答える。

 

「そう言うな。我が成金共の相手をしている間、ずっと楽をしていただろう。最後くらいは働くべきではないかね」

「仕方がないでしょう? この世界には、魔法技術が皆無なのだから」


 言いながら声の主が、スィスの背後からすぐ脇へと歩み寄った。美しくも悍ましい怪物の姿の女性が、横から覗き込むように顔を近づけてくる。


「あの署長さんはまだしも、“めとろぽりす”中の貴方が関わった人間の記憶を操作するだなんて。流石に骨が折れたわ」


 悍ましい姿の女性が、いかにも気に入らないとばかりにふくれっ面をした。

 しかしそんな表情をしていても、本心ではそれ程不満ではないことをスィスはよく理解していた。成熟した肉体の彼女がそんな子どもっぽい仕草をするものだから、かえって愛おしさを感じてしまいそうになる。

 それも当然であろう。その怪しい姿の中でも隠し切れない魅力を、どのように扱うかべきかを、このフィーアという女性は熟知しているのだから。


「文句なら“あの連中”に言うがいい。後先考えずに大立ち回りをしおって、我の緻密な計画が水の泡だ」


 悍ましくも美しい女に魅了されることもなく、スィスは杖で1度床を突いた。カツンという乾いた音が響き渡る。

 それを見たフィーアが、薄く笑いながら眼を細めた。

 

「ひょっとして、“彼女”を掠め取られて怒ってる?」

「馬鹿を言うな」


 スィスが無表情に即答した。視線は彼女から外したままだ。

 しばしその場に沈黙がおり、2人は黙ってメトロポリスの情景を見つめた。老紳士と美しい化け物。奇妙な組み合わせの男女が、寄り添うにして立つ。


「……さて、そろそろ帰るとするか」


 ややあってから、老人が誤魔化すように言った。杖を軸にして身体を回し、すぐ横の女性へと向き直る。

 するとフィーアは、何も言わずに優しく頷いた。男を誘う様なそれではなく、深い信頼関係にある人間に対して向ける表情で。

 2人の付き合いは長い。そこいらの老夫婦などよりも、お互いの心中を推し量るのは容易いのだ。

ゆえに無益な言い訳はせず、追及もしない。

 

 フィーアはぶるりと肩を震わせると、背中の黒い翼を開いた。屋上に吹き込む風を受け、それは2人を包み込むようにして広がる。

 

 次の瞬間、2人の姿は陽炎の様に掻き消えていった。


 スィスとフィーアという人物がこの世界にいたという事実、その最後の証明は、この世界の住人の記憶と共に、綺麗に消えてなくなったのだ。

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