メトロポリス・1
――やっと到着した!
――のはいいけれど、正門は警備が厳重過ぎてとても潜り込めそうにない。まだこの世界の情報が少ないので、不必要な接触もトラブルも厳禁だ。でも、非常食はなくなっちゃったしなぁ。
――身を隠しながらぐるりと外壁を周っていたら、抜け穴をいくつか見つけた。でもその先は不衛生で、荒廃していて、治安が悪そうだ。
「おぅゴラァ!?」
「やんのかぁ!? アァン!?」
「ッすぞテメェら!?」
大分昔に閉鎖されたと思しき埃っぽい廃工場の真ん中で、派手な衣服とアクセサリーに身を包んだ男たちが数十人程、唸り声を上げながら睨み合っている。
口から飛び出してくるのは実に聞きなれた、それでいて耳障りなご挨拶の数々。思い思いの形に表情筋を歪め、少しばかり前傾姿勢になって顎を突き出しているのは、少しでも自らが発する言葉に力を持たせようとする涙ぐましい努力なのだろう。
だが、そんなチンピラどもを後ろから眺めるマトイとしては、『情けない』以外の評価を下し様がなかった。
なにせ一触即発という雰囲気であるのに、一向に手にした密造銃をハジこうとはせず、罵声の応酬を繰り返すばかりなのだ。こんな肝の小さい連中でも、このスラム街を仕切ろうと画策するギャング集団だと言うのだから驚きである。
大戦による世界の荒廃によって人類が種として劣化しつつあるという学説は、事実なのかもしれない。
「兄貴、やっちまってくだせぇ!」
廃工場の壁にもたれかかり、退屈気に欠伸をしていたマトイに対して、彼の前に並び立つチンピラ集団の片割れ、その中の頭目から声が掛けられた。
気安く兄貴なんぞと呼ばれる覚えはないが、前金として“労働トークン”をたんまりいただいているのだ。仕方なしにマトイは、真新しい縫い目のついたトレンチコートを翻し、歩き出した。
“私立探偵”を営むマトイのお仕事は、『Bloody Boys』なんて組織名をつけて粋がるチンピラ集団の方々の用心棒だ。ちなみにその対面におられるのは、『Crusher Cats』と名乗るチンピラ集団の方々である。
いずれもスラム街の中ではそこそこの規模のギャングであるが、どうにも最近になってから勢力範囲が重なってしまったのだそうだ。そこでこうして両陣営のお歴々が話し合いの場を設け、今後の事業展開について平和的解決の道を模索していたのだが。
劣化しつつあるとは言っても、商売敵への対抗心を完全に捨て去る程にタマが小さくなっている訳ではなかったらしい。果たして喜ぶべきか否かは分からないが。
探偵ならぬ用心棒としての仕事が始まっているというのに、ぼんやりとそんなことを考えながら、マトイは人垣の中心へと歩み出る。途端に『Crusher Cats』が恐怖に顔を歪めるが、即座に何かを思い出したかのように後ろを振り返った。
「そっちがその気なら、構やしねぇ!」
「先生! 出番だ!」
お相手方が、後ろを向いて口々に叫んだ。すると今度はマトイの前に、山と見まごう程の巨漢がのしのしと現れる。
数々の淫猥なタトゥーが彫られた禿頭に、耳だの鼻だの唇だのにジャラジャラと結わえたピアス。長袖の上着の上からでもはっきりと分かる逞しい上半身は、成程、マトイと同じく向こうの用心棒なのだろう。
“兄貴”よりも“先生”の方がなんぼかマシだなぁ。
会合の決着手段がお決まりの暴力に落ち着こうとしていることに辟易しつつ、名ばかり探偵マトイは無益なことを考えた。
ここスラム街を跋扈するギャングたちは、自らの意を通すためにそれなりの武力を有している。それが今、彼らが手やら懐やらに携えた密造銃と爆弾だ。だが軍警察が使用する正規品に比すれば、その性能は玩具に毛が生えた程度のものでしかない。
専門の職人が行政府によって徹底的に管理されている以上、それらの武器を作るのは素人ばかりだ。引き金を引いても弾丸は真っすぐ飛ぶどころか不発することが珍しくない。そもそも火薬の配合だっていい加減なものだから、いつ暴発したっておかしくない。
そんな代物をぶら下げていたって、それこそ何も知らない労働者を脅すことしかできず、だから結局こういった状況で頼りにされるのは、マトイの様に“腕に覚えがある人間”である。
探偵として生きたいマトイとしては不本意ではあるが、しかし食い扶持は稼がねばならない。人生の辛いところだ。
少しだけ俯き加減になったマトイの態度に、何かを勘違いしたのだろうか。巨漢がにやりと笑いながら口を開いた。
「テメェが“不死身”って言われてる男か!? 会いたかったぜ!」
「…俺は別に、そんな風に名乗っちゃいないがね」
つくづく自らの本業とは無関係な二つ名にうんざりしつつも、マトイは目の前に立つ巨漢を観察した。マトイよりも頭2つ分は大きい身長に、はち切れんばかりの体躯。だが、それ以上に気にかかるのは、かすかに耳に届く金属同士がこすれ合う様な音と、駆動音…
「この野郎! 余裕ぶりやがって!」
マトイの澄ました態度が気に障ったのだろうか。巨漢は憤ると、突然上着に手をかけてそれを引きちぎった。そこに現れたのは、思った通りの鍛え上げられた大胸筋。
そして。
「義腕!?」
「サイボーグか!?」
マトイの背後で高みの見物を決め込んでいた雇い主らが、不味いといった声を上げた。逆に、対面に立つチンピラたちは歓声を上げる。
上着だったものを放り捨てる巨漢の両腕は、どちらも生身のそれではない。機械仕掛けの義腕であった。
“サイボーグ”。
五年前に終結した大戦で活躍した、人間の身体と機械を融合させた戦闘マシーンである。当然その身体能力は一般的な人間のそれを遥かに凌駕し、場合によっては戦闘車両を“素手”で撃滅する。
こうして早々に話し合いがこじれた今、意にそぐわない交渉相手を黙らせるにはもってこいのカードと言えるだろう。見えているのは腕部だけだが、脚部も同じく機械と置き換えている筈だ。普通に考えれば、同じサイボーグではないマトイには分の悪い相手である。
しかし。
背後の“坊やたち”が慄く中でも、マトイは驚きも恐れもしなかった。大げさにため息をついてから、穏やかに巨漢に語りかける。
「へぇ、戦争帰りか」
「おうよ。大陸で人擬共を殺して回ってたぜ。」
「サイボーグ兵なら、さぞかし活躍したんだろうな?」
「ふん。戦車5両に、機械化歩兵の部隊を1人で壊滅させてやった! テメェも同じ目に遭いたくなかったら、土下座して許しを乞え!」
軋む機械仕掛けの両腕を組みながら、巨漢が下卑た笑みを深める。それを見た“子猫ちゃん”たちも、つられて笑い出した。
勝利を確信しているのだろう。確かに傍から見れば、体格も装備も圧倒的に巨漢の方が優れている。
だがマトイは鼻を鳴らすと、品のない笑い声の中でもよく通る声で言った。
「大した活躍っぷりだな。そんな英雄様がスラムでギャングの用心棒をやってるたぁ、“大出世”じゃないか?」
その瞬間。
巨漢の顔から笑みが消えた。
「…なんだと、テメェ?」
ゆっくりと腕組みを解く巨漢の禿頭に、大きな青筋が走る。やはり図星だったようだ。
マトイはわざとらしく口の端を釣り上げ、可能な限り相手を侮辱するような表情を作り上げると、頭の回転が悪そうな奴でも理解がし易いようにと、ゆっくりとした口調で語り掛けた。
「軍警察よりもチンピラの用心棒を選んだんだ。よっぽど報酬が良かったのか? それとも、恩義でもあるのかい?」
ごぎゃん!
握りしめられた特殊合金の右手が、マトイの左頬に直撃した。その勢いたるや、頭を180度回転させる勢いである。
たまらずたたらを踏んだマトイの周囲で、悲鳴の如き唸り声と歓声が渦を巻いた。
「舐めるんじゃねぇ!!」
一度では止まらず、二度、三度と巨漢がマトイを殴りつける。その度にマトイの頭が、捻じ切れんばかりにぐるんぐるんと忙しく回った。血しぶきと共に砕けた歯の破片が吹き飛び、二人の用心棒の足元に凄惨なアートが描き出されていく。
サイボーグの強化された肉体から放たれる一撃は、“素手”であっても並みの人間には致命的だ。
そんな危険な殴打の10度目を受けて、遂にマトイの膝が折れる。
元より明らかだった勝敗が遂に決したことを悟ったギャングたちが、勝鬨の声を上げかけ…
だが、しかし。
「ごあああああっ!?」
突然、それをかき乱す程の悲鳴が上がった。
その主は、口から血の混じった涎をたらしながら項垂れるマトイではなく、攻勢であった筈の巨漢の方である。
巨漢はつい今しがたまで振るっていた右腕を抑えて、両膝をつく。
いや、どうしたことだろうか。
機械の右腕の先が、無い。
「…やっぱり、碌にメンテしてねぇな」
驚愕に静まり返った廃工場の中で、ゆっくりとマトイが立ち上がった。左手で鼻の穴を交互におさえ、溜まっていた鼻血を吹き出す。そして、巨漢の方へと向き直った。
彼の右手には、何たることか。千切れた義腕の残骸が握られているではないか。
「お前、退役軍人じゃなくて脱走兵だろ?」
ゴキゴキと首の骨を鳴らしながら、マトイは巨漢に問いかけた。
あの大戦を生き延びた猛者、しかもサイボーグならば、このメトロポリスの軍警察でそれなりのポジションに抜擢される筈だ。それがこんなスラム街でくすぶっているとなれば、きちんと職務を全うしていなかったということになる。
生身と違い、定期的な整備点検が必要な義体を維持するには、技術者と資本と専用の設備が不可欠だ。そしてそのいずれも、この下層には存在しない。
マトイの様にその事実を知る者にとっては、老朽化した義体のサイボーグなど、少し喧嘩ができるチンピラと同じでしかなかったのだ。安い挑発に乗って傷んだ機械の腕を酷使したところに、素早く関節技を極めてやったら案の定へし折れてしまったという訳だ。
もしも万全のサイボーグ兵が相手だったら、今頃はマトイの方が挽肉にされていただろう。
「で、まだやるか?」
腕の残骸を放り投げながら、マトイは巨漢とその雇い主たちに問いかける。
ようやく状況を理解し、戦意を喪失した彼らには、首を横に振る以外の事はできなかった。
これにて取引は成立である。
――ここはとても酷い場所だ。住んでいる人は皆汚らしいし、不健康そうに見える。どうもこの大都市は多層構造になっているようで、上に行けば行くほど生活環境が良くなるようだ。
――つまりここは、最底辺ということか。
――これからどうしようか。