メトロポリス・18
――無事に仲間と再会できてよかった!
――他の皆はどうなのかな?
「ほう、何故じゃ?」
巨漢が腕を組みながら、動けない分際で壮語するパワードスーツを、見下ろすようにして問い正した。本人にそのつもりはないのだろうが、はち切れんばかりに膨れる両腕に鋭い眼つきが相まって、威圧感たっぷりである。
それに気圧されたのかどうかは分からないが、スーツの男は少し震えた声で答えた。
『もうすぐここに、俺の仲間が全員終結する。少しばかりは力があるようだが、我々軍警察の精鋭には敵うまい』
「うん? 数を頼んどるのか力量を頼んどるのか、どっちじゃね」
『両方だ! どんな手品を使ったのかは知らんが、卑怯な不意打ちが何度も通じると思うなよ! 真正面からなら、お前などに負けるものか!』
「負け惜しみ……格好わる……」
『う、五月蠅い! 大体、お前のその格好の方が余程おかしいじゃないか!?』
「ムカ……とりゃ、とりゃっ」
『うわ、何すんだ!? 止めろ、止めろって!!』
自身の装いについての評価が気に入らなかったらしく、トリーが三白眼になって無抵抗のパワードスーツをけたぐり始めた。
少女の脚力では分厚い装甲版の下に衝撃など伝わる筈もなかろうに、何故かスーツの男は悲鳴を上げる。ノーリと巨漢は、その様子を見て苦笑していた。
「その辺にしとけよ、お嬢ちゃん」
ただ1人、事態の深刻さを知るマトイが、静かに言った。
マトイとしても、トリーのファッションセンスは理解しがたいところだったが、巻き添えを食うのは御免なので同調するのはやめておいた。それにこの男の話が事実ならば、時間の無駄は避けねばならない。
いじけるのを止めてよたよたと歩き、トリーを押しのけるようにしてパワードスーツのすぐ横に立つ。
「おい、ポリ公」
すでに再生を始めた右腕の感触を確かめつつ、可能な限り凄みを利かせ、短く呼びかける。するとヘルメットのバイザー越しに、中の男がこちらを見たのが分かった。
『なんだ、スラムのドブネズミ奴。言っておくが、俺を人質にとっても無駄だぞ』
そう言ってスーツの男が、また陰湿な笑いを漏らした。しかしマトイは、構わずに続ける。
「確かにお前みたいな役立たず、盾にもならねぇだろうな。じゃあ代わりに質問に答えろよ」
『クソ喰らえだ、ドブネズミ。精々踏み潰されて、無残な姿を晒すがいい。命令が無ければ、貴様の様な存在価値のない人間は――』
「分かった分かった。たった1つだけだからよ」
脇に立つノーリの表情が徐々に歪んでいくのを見ながら、マトイは遮るように言った。大方“悪い言葉”を連発されて気分を害したのだろうが、ここで水を差されては余計に面倒だ。
マトイが確認したいのは、たった1つだけ。
軍警察が、わざわざ重い腰を上げてこのスラムに降りて来た理由である。即ち。
「お前らの狙いは、この娘なんじゃないのか?」
ノーリを指し示しながら、それだけを問う。
その瞬間、トリーと巨漢が眼を細めた。当のノーリは、首を傾げるばかりだったが。
『……』
返事はなかった。饒舌だったスーツの男が、急に押し黙る。
しかし逆にその沈黙が、マトイの推測の正しさを裏付けていた。
軍警察の連中は、浮浪者やギャングたちを相手取った際には、迷うことなく攻撃をしてのけた。あの闇市での襲撃や、つい先刻の集積所での待ち伏せがそうだった。それなのに、マトイたちを前にした途端に発砲を躊躇した。
おまけにこの男が言うには、間もなくここに軍警察の精鋭たちが“全員”集まってくると言う。パワードスーツで武装した実働部隊が打倒されたというもっともらしい理由があるが、それでもスラムに投入された全戦力を集中するのは大袈裟に過ぎる。
ここまで材料がそろえば、キョトンとしているこの娘以外にそれらの原因は考えられないではないか。
「え? つまりどういうことです?」
1人納得するマトイを余所に、出し抜けに俎上に載せられたノーリが訝る。
「あー……。つまり、お前の身が危ないってことだ」
「はぁ」
一瞬、『お前1人のためにスラム中が大騒ぎになった』と言いかけたが、止めた。
退屈だがそれなりに平穏だったマトイの日常が激変してしまったこと。“金のトークン”を巡るギャングの跳梁に、軍警察の襲撃とそれに巻き込まれた住民たち。それらすべての原因が自分にあると知ったら、この娘はどんな顔をするのか。想像はしたくない。
今のマトイは人生で5番目くらいには最悪な気分だったが、その鬱憤を依頼人にぶつけるのは、探偵以前に男としてやるべきではない。
何にしても、これでノーリや他の連中も差し迫った状況が理解できたことだろう。
「一刻も早くここから――」
逃げよう、と提案しかけたところで、猛烈な眩暈がマトイを襲った。その拍子にふらついたところを、ノーリが慌てて庇う様にして支える。
「マトイさん、その怪我で無理に動いては」
「大丈夫だよ」
「そんな訳ないでしょうが、右腕を踏み潰されたんですよ。ほら、肩を貸しますから」
言いながらノーリが、左脇から潜り込むようにして桃色の頭を突き出し、マトイに密着した。うんしょ、という小さな掛け声とともに、精一杯の力を込めて体重を受け止めようと踏ん張る。
その健気な姿に感じ入るものが無い訳では無いが……。残念なことに、それを満喫する余裕はなかった。
――限界か……
ギャングのアジトへの襲撃と軍警察からの逃避行。そして2度の大怪我と再生。僅か半日という短時間ではあったが、それは明らかな強行軍であった。なにせ今朝は……
「お、おいオッサンよぉ……」
「オッサン――儂か!?」
苦悶するマトイが呼びかけると、巨漢が心外とばかりに顔をしかめた。
ズタボロのマトイといい勝負なみすぼらしさと、気品とは無縁そうな振舞。とてもノーリの知り合いとは思えないタイプの人間だ。
だが、背に腹は代えられない。
「不躾で悪いが、お嬢さんを頼む。俺はもう、駄目だ……」
「あぁ? そりゃどういう――」
「頼む、俺の代わりに、この娘を守ってやってくれ……」
縋るような思いで訴えかける。
結局見ず知らずの他人を頼る結果になってしまったことは癪だが、最優先するべきはノーリの身の安全だ。幸いなことにこの男はノーリと親しいようだし、素手でパワードスーツを破壊するという申し分のない腕っぷしをもっている。
最早この男に託す他に、道はないのだ。
するとノーリが、血相を変えて叫んだ。
「マトイさんっ!? しっかりして!」
「す、すまねぇ。無理なんだ……」
「そんな!? 嫌! 死なないで!」
どんどんノーリの声が遠くなっていく。
依頼を放棄する形になってしまったのが心苦しいが、マトイにはどうしようもないのだ。
マトイは不死身の男だ。
比喩ではなく、そのようにデザインされた上で生み出された存在だからだ。
欠損した四肢は新たに生えてくるし、条件さえ満たせば、例え肉片になっても元通りに再生することができる。右腕の複雑骨折どころか、上半身が潰れたとて絶命することはない。
上層に住まうお偉いさん方が知れば、どんな手段を用いても手に入れようとするであろう能力であるが、しかし残念なことに完全無欠ではない。
数ある弱点のうちの1つが、“これ”であった。
「は……」
「は? 何ですか、どうしたいんです!?」
マトイは残る力のすべてを使い、腹の底から絞りだすようにして、自らの現状を呟いた。
「腹減った……」
そしてそれきり、沈黙した。
「うわっちょっ」
急に肩にかかる重圧が増し、ノーリは悲鳴を上げた。足腰の筋力を総動員して耐えるが、運動不足が祟って潰されそうになる。見かねたトリーが反対側から支えてくれたことで、どうにかバランスをとることはできた。
「マトイさんっ!?」
呼びかけるが、返事はない。血の気を失った顔のまま、がっくりと首を垂れている。しかし、かすかに呼吸音を聞き取ることができた。
―良かった、彼はまだ生きている。それならば、救うことはできる筈だ。
『ハッ! ドブネズミの分際で格好つけやがって、見苦しいぜ!』
恩人が一応のところ無事だったことに安堵していたノーリに、くぐもった声が投げかけられた。あの鎧武者の男だ。
ノーリはムッとしてそちらを睨みつける。
「貴方、いい加減に……」
先刻からどうも気に入らないと思っていた相手に、一言文句を言ってやろうと歯をむき出す。
“悪い言葉”を乱発することもそうだが、本質はそこではない。重要なのは、マトイ氏に対する不当な評価だ。
マトイ氏はグチグチと口うるさいところがあるが、身寄りのなかったノーリの面倒を見てくれた。何より、どんなに傷ついてもノーリを救おうとしてくれた素晴らしい人間だ。
それを侮辱するようなことは、断じて許しておけない。
そう思い口を開きかけたところで、ドスがゆらりと動いた。
「お前さん、少し黙っとれや」
そう静かに言って、鎧を踏みつける。軽く、ほんの少しだけ。まったく体重はかけていない。
だというのに鎧の男は短く呻き、それきり黙りこくった。“気を絶たれた”のだ。
「やはり弱いな。つまらん」
呟きながら、大きな肩をがっくりと落として嘆息する師範。
遥か遠くの世界において、武術とそれにまつわる“業”を窮めた彼にとっては、この世界の武人らでは無聊を慰めるだけの相手にならないのだろう。
不憫な気もするが、今は慰めてやる時間はない。
探偵の身体を背負いつつ、ノーリは現状を確認する。
「トリー、他の団員たちは?」
「無事」
その短い報告に、ノーリは一際大きなため息をついた。
“あのおぞましい化け物”との戦闘で、よくも生きながらえたものだ。一番の懸念だった仲間の安否が確かめられたことで、身体に力がみなぎってくるような気分だった。
「では、“城”への帰還は可能ですか?」
「応とも、この街から遠くない位置に隠れとるよ。しかし“3号”との一戦で相当傷んでおってな、転移装置はまだ使えんそうじゃ」
今度はドスがそう答えた。
ノーリは俯きつつ唸る。
つまりノーリたちは、いずれここに集結する“ぐんけいさつ”の包囲を掻い潜り、徒歩で拠点へと向かわねばならないということだ。団の拠り所たる城が無事だったことは幸いだったが、そこまでの移動に時間がかかるのは痛い。
「して、どうするね?」
ドスがノーリの背後に視線を送りながら、あえて問いかけてくる。マトイ氏をどうするか、ということだ。
「放っては置けません」
「そうか」
「ん……」
意外にも2人は、応じてくれた。てっきりその辺に捨て置けと言われてしまうかと思ったが、気を失った鎧の男とは違い、マトイ氏の人間性をきちんと理解してくれているらしい。
しかし、懸念材料が今一つ。
「それでですね、ドス。彼を安全に連れ帰るためにも、“ぐんけいさつ”と闘っていただきたいのですが……?」
ノーリが、恐る恐るといった具合にお伺いを立てた。
なにせ、ドスという達人は気難しい男で、『弱者を相手にするのは無益』だの『強者を打倒してこそ誉』だのと、闘争に意味不明な矜持をもち込むきらいがあるのだ。他ならぬ体術の師範であり、尊敬に値する人格者なのだが、非戦闘員たるノーリには理解しがたい価値観の持ち主でもある。
そんな彼が、易々とノーリの提案を飲んでくれるだろうか。
そう思ってハラハラしていると、ドスは驚いたように眼を見開いた。
「儂が手を下すまでもなかろう」
―やっぱりそう来たか。
ノーリは落胆し、がくりと肩を落とした。
その拍子にマトイ氏の身体が傾き、反対側のトリーが「うわ」と短く叫ぶ。
困った。このまま彼を連れて城まで歩くとなれば、どれ程時間がかかるか分かったものではない。当然、“軍警察”と遭遇する確率は増すだろう。そうなれば否応なく闘ってはくれるだろうが、瀕死のマトイ氏が危険に曝されることにもなる。
かと言って、ドスにマトイ氏を背負ってもらうとしても、今度はノーリが足手まといになるだろうし……
どうしたものかと困り果てるノーリ。
しかし悶々とする彼女に対し、ドスは続けてこう言った。
「おいおい、話を聞いとったのか? 他の団員も無事だと、トリーが言ったじゃろ」
「……あら」




