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メトロポリス・17


『な、何だお前はっ!』


 突然頭上に出現した奇妙な娘を振り払おうと、パワードスーツが左腕を挙げた。無礼にも自分の肩を足場にする、子どもの様な細さの脚を掴もうとする。

 しかし次の瞬間、その手は虚しく空を切った。

 

 消えた。


 現れたときと同じように、娘の姿が忽然と消えてしまったのだ。


『何処へ行った!?』


 慌てふためくスーツの男が、銃を構えて後ずさった。その拍子にマトイの右腕から足が離れたが、それにも構わず警戒するように周囲を見回し始める。

 パワードスーツには、熱・音波・電磁波等の変化を捉える各種センサーが備わっている。しかしそれらを総動員しても、あの娘の所在をつかむことはできないようだ。


「ぐ……」


 皮肉なことに、最悪の闖入者のおかげで自由になったマトイは、ノーリの方を見やった。この隙に逃げればよいものを、尻もちをついたまま呆然としている。ショック状態に陥っているらしい。

 マトイは激痛を堪え、動かない右腕を庇いながらノーリの下へと這い出そうとした。


 すると不意に、顔に影が掛かる。ちゃらりという、金属のぶつかり合う軽い音。


「……ガッツ、あるね」

 

 そのとぼけた声音に、全身が粟立つ。見上げると、すぐ眼の前に金髪の娘の笑顔があった。気配も兆候もなかったというのに、“気が付けば”そこに居る。

 スーツの男もようやく彼女を認知したのか、『うおっ!?』と驚愕の声を上げた。


 まただ。この娘は、“こう”なのだ。

 そこに居た、あるいは居る筈なのに、それを認識できない。

 足音は勿論、匂い、体温、息遣いのすべてが、極限まで希薄なのだ。


―コイツは一体、“人間”なのか……?

 

 もはや驚くどころか、畏怖すべき程に高度な隠密能力を再確認し、戦慄するマトイ。

 その様子を眺めていた娘は、急に興味を失くしたように視線を外した。そして、未だに立とうともせずに経緯を見守るばかりのノーリの方へと、すたすた歩いていく。


「待てっ……!」


 瞬時に激昂し、マトイは叫んだ。

 あのトリーと呼ばれていた娘は、依頼人であるノーリを探し求めてマトイを襲撃した危険人物だ。卑劣極まるギャング共に比しても、なお脅威度は高い。決して依頼人に近づける訳にはいかない。

 

 マトイは血が噴き出る程に奥歯を噛み締め、震える脚で立ち上がった。


「お嬢さんに、触れるな……」


 肺の損傷によって上手く呼吸ができず、右腕は使い物にならない。相対するは、軍警察に超人。双方を出し抜いてノーリを守り通すのは、至難の業だ。だがそれでも、初めて請け負った依頼をやり遂げずして、どうして探偵を名乗れようか。


 悲壮な決意を固めたマトイの眼前で、トリーは片手を上げる。それに呼応し、スーツの男が電気銃テイザーガンを、マトイが左手で熱線拳銃レーザーガンを構え……

 










「だんちょー、おひさ」

「トリー! 会いたかった!」









 一転して喜色を浮かべたノーリが、弾かれたように立ち上がった。そして、親し気にトリーに抱き着く。それを受け止めたトリーの方は、ぼんやりした表情でノーリの頭をよしよしと撫でた。


「は……え……?」


 事態に理解が追い付かず、マトイはしばし眼をしばたたかせた。護衛対象とそれを脅かす脅威が、なんとも仲睦まじい様子で抱き合い、じゃれ合っている。

 視界の端では、スーツの男が銃を構えたまま、所在なさげに立ち尽くしていた。


「トリー、どうやってここが?」

「あー……探偵の、お蔭……かな?」

「……えっ、俺?」


 急に話を振られ、気勢をそがれていたマトイは狼狽えた。マトイの方には、このトリーと仲間たちからは脅迫を受けた覚えしかない。何をしてやっただろうか。

 しかしノーリは、頭をひねるマトイに感極まったように笑いかけた。


「マトイさん、見つけてくださったんですね!?」

「はぁ? 見つけるって、何を」

「人探しですよ。彼女は依頼したうちの1人です!」


 そこまで言われて、マトイは“雷に打たれたような”衝撃を受け……。

 ではなく、つまり、酷く驚いた。


 抑え込んだままだった幾つかの疑問が1つに繋がり、脳内で氷解していく。

 闇市から逃げ延びた際に遭遇した、トリーを含む3人の女たち。その顔にどこか見覚えがあったのは、実に簡単な理由だった。


 マトイ自身が、ノーリの証言を基に3人の似顔絵を描いたからだ。

 つまり彼女らこそが、ノーリが探し求めていた……


「マジかよ……」


 マトイは信じられないとばかりに呟いた。空気が抜けていくように膝が折れ、へなへなとその場に座り込む。

 何という間の抜けた話だろうか。人探しの対象を襲撃者と勘違いし、あまつさえ依頼人から遠ざけようなどと考えていたとは。今思えば、懸命に再現した顔の特徴が一致するように思える。あの時のマトイは、それ程に動転していたということだ。


「ま、マトイさん?」

「うん、もういいよ……」

「どしたの、探偵?」

「どうせ、俺なんて……」

 

 左手の熱線拳銃レーザーガンで、自分の頭を撃ち抜きたい気分であった。

 初めて請け負った依頼の結末に絶望を禁じ得ず、この世の終わりとばかりにがっくりとうなだれるマトイ。心配そうにこちらを覗き込む2人の娘に対しても、虚ろな声で応じるばかりである。


『貴様ら、いい加減にしろぉ!』


 その時、弛緩しかけていた空気を切り裂く声が響いた。殆ど無視に近い扱いをされていた、パワードスーツの男だ。

 

『立場を分かってるのか!? これ以上なめた態度をとるなら、女子どもでも撃つぞ!』

 

 怒声を放ち、小刻みに肩を震わせるスーツの男。

 この場の主導権を握っているという自負心でもあったのだろうか。銃を振り回すその様を見れば、やはりお冠であろうことは容易く窺い知れる。超人的な能力をもつトリーが敵対関係になかったと判明したはいいが、依然として脅威はそこにあった。


 このパワードスーツを排さない限り、ノーリを守るという第一の依頼は達成したとは言えない。


 マトイはそう自分に言い聞かせ、奮い立とうとした。 


 しかし。


「うんにゃ」


 トリーがやれやれと首を振り、通告した。


「それは、ムリ」

『何だと!? ……おっ!?』

 

 訝るスーツの男に、異変が起こった。腰を落として両手で大型の銃器を構えていたというのに、突然両肘を伸ばし、つま先立ちになったのだ。よくよく見れば、足が地面から離れているではないか。


「何だぁ……?」


 何とも奇妙な光景だった。

 総重量にして2トンはある筈の完全武装したパワードスーツが、宙に浮かんでいるのだ。手足をばたつかせて必死にもがいているのは、より高くへ飛ぼうとする試みか何かだろうか。

 

 またもや眼前で繰り広げられる超常的現象に、しかしすでに驚くことを放棄したマトイは、へたり込んだままそれを見つめているばかりだった。


「……今度は何だよ?」


 憮然とした表情で呟くと、宙にあるスーツの男がぶるりと大きく震えた。


 べきべき、みしり。


 何かが砕ける、嫌な音。その直後に、手足を“ぶらりん”と力なく投げ出す。さながら電源の切れたロボットのようだ。

 その拍子に、ちらりと見えた。スーツのバックパック部分を“片手”で鷲掴みにする太い腕。つまり、このスーツの男は自力で浮いている訳ではなく、何者かに背後から持ち上げられているということだ。

 種さえ分かれば大したことはないと、マトイは乾いた心で感じた。

 

『うう、や、止めろぉ……』


 男の口からうめき声が漏れる。どうやら動力装置を破壊されたらしい。電力の供給が止められ、関節をロックされたか。あるいは人工筋肉の恩恵を失ったため、自重を支えることができないのだろう。

 

「他愛ない。こんな細工鎧に頼っとると、いざという時動けんぞ」


 しゃがれた声とともに、背後の何者かが手を開いて拘束を解いた。代わりに重力の戒めに囚われた重厚なパワードスーツが、物理法則に従って地面へと落下する。


 ずずんっ


 瓦礫と一緒に埋まってしまう様な勢いで、分厚い鎧が地面へと叩きつけられる。すると、背後に立つ何者かの姿が露になった。


 巻き上げられた砂埃の向こうに立っていたのは、ぼろぼろの布切れでどうにか肌を隠しているような浮浪者の男だった。年齢は三十代といったところで、伸ばした黒髪を乱雑に後ろで結わえ、無精髭を伸び放題にしている。

 その見すぼらしい身なりだけならばスラムにふさわしいだろう。しかし、体格がおかしい。2メートルを越える身長に、柱と見まごう程の太さの腕。鍛え上げられたその肉体は、それこそパワードスーツを着込んでいるのではないかと錯覚する程の見事さだ。

 

「やれやれ。やはり、この世界に強者はおらんな。……さて」


 謎の巨漢が、厳つい顔をしかめながら呟き、こちらを向いた。


 一瞬、新たな脅威が出現したかと警戒心が頭をもたげるが、それも即座に雲散霧消してしまう。

 何故なら、当のノーリが怯えるどころか、またしても笑顔で応じたからだ。


「ドス師範! 」

「いよぉ、久しぶりじゃな団長。我が不詳の弟子。ノーリ様よ」

「ああ、またお知り合いかよ」


 今度は浮浪者のおっさんに駆け寄るノーリを眺めながら、マトイは卑屈っぽく漏らした。

 それに気づくこともなく、鈍感娘は巨漢と親し気に言葉を交わす。

 

「ご無事で何よりです。貴方もトリーと一緒に?」

「いや、ついさっき偶然出会ってな。お前様も、壮健なようじゃ」

「勿論ですとも! 私だって、1人でもこうして立派に生き抜くことができるんですよ!」

 

 他人様のコートを着ながら胸を張るノーリを眺め、「なんでドヤ顔だよアイツ……」とマトイは吐き捨てた。

 衣・食・住のすべての面倒を見てもらいながら、どうしてあんな態度をとれるのだろうか。それどころか、どうやってこの逆境を切り抜けようかと必死になっていた自分を捨て置くとはどういった了見なのか。

 散々痛い目に遭い、それでも守り通そうと立ち上がった男よりも、サッとその場を収めた知人の方に気を向けるのは当然だろう。だとしても、労いの一言くらいはあってしかるべきなのに。


「あんた、いい奴」


 恨めし気な表情をするマトイを見かねたのか、トリーが声をかけてきた。


「いいこ、いいこ」

「あぁ!?」

「“ずっと”見てた。あんた、ノーリを守ろうとした。……えらい、えらい」


 そう言ってトリーがうんうん頷き、マトイの頭をポンポンと叩く。その視線や態度に微妙に同情や憐れみが感じ取れるので、そこはかとなくイラついてしまう。しかし同時に、ふと引っかかるものを覚えた。

 

―いや。この娘は、今何と言ったのだ?


「見てたって……ずっとか?」

「うん、ずっと……」

「俺がここに来た後から? 前から?」

「前から。……具体的には、ノーリが、剥かれる前から」


 マトイは呆れて閉口した。

 つまりこのとぼけた少女は、あの館でノーリがギャングたちに強姦される寸前という状況を認知しておきながら、それをただ隠れて眺めていたというのだ。

 ノーリはこの娘を貴重な“きんか”を払ってまで探し求めていたというのに、その対象である彼女にとってのノーリは、さして重要な存在ではなかったということか。


「んなっ!? どういうことですか、トリー!?」


 その発言に最も驚愕したのは、当然マトイではなくノーリの方であった。巨漢から向き直ると、桃色の髪を逆立ててトリーに詰め寄り、その胸倉に掴みかかる。


「わ、私があんな酷い目に遭っているときに貴女は……!」

「うん、まあ、無事だった」

「どこが無事なものですか!?」

「いや、“無事”だった。おっぱい、揉まれただけ……」

「うぐ……それはもう、身体も穢されています!」


 コートがはだけて胸元が露になるのにも構わず、力いっぱいに掴みかかるノーリ。そして、為すがままにふらふらと振り回されるトリー。鎖帷子が、ちゃらちゃらと虚しく鳴る。

 巨漢はその様子を面白そうに眺めているが、マトイの方はもういい加減にうんざりだった。


「お嬢さん方よぉ……」


 状況をわきまえない小娘2人に辟易してきたマトイは、声を掛けようとした。

 しかし。


『くくく……ははははっ』


 マトイの言葉と娘2人の漫才は、くぐもった笑い声にかき消された。

 スーツの男だ。固い重りに包まれたまま地面に叩きつけられたというのに、意識を保っていたらしい。その異様な雰囲気に、マトイを始めとしてその場の全員が、地面に横たわったままの鎧に眼を向ける。

 すると、ようやく自分に意識が集中したことが嬉しいのか、スーツの男はどこか満足げに言った。


『お前らはもう、終わりだ…』


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