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メトロポリス・16

――まったく、散々な1日だ。

――いろいろな世界を渡ってはきたが、ここまで酷い経験はしたことがない。

――マトイ氏も、もう少し労わってくれてもいいのに。


 ギャングのアジトである館を跳び出し、正面の大通りを横切る。四車線程の距離を小走りに進んでいると、遠くの叫喚が耳へと届いた。怯えるように肩を震わせながら、ノーリが訊ねてくる。


「これから何処へ向かうんです?」

「廃棄物集積所だ。差し当たり、身を隠すにはもってこいなんでな」

「うげぇ……」

 

 答えてやると、途端にしかめっ面が返ってきた。ギャングの手籠めにされかけたばかりだというのに、その直後にゴミ山に向かうとくれば、辟易もするだろう。天上人の身分でスラムの悪所巡りとくれば、同情の1つもしてやるべきか。

 しかし件の集積所は、地理的には闇市と反対の方向なので、軍警察の追跡から逃れるには良い場所なのだ。さらに言えば、あそこにはAIによって完全自動化されたブルドーザーと、時折やってくる住居やプラントのゴミを満載した収集車ばかりで、人の眼が殆どない。障害物や熱源も多いし、上手く逃げ込めれば見つからずに済むだろう。

 悪臭に眼を回すことにはなるかもしれないが。


「大通りは避けるぞ。目立つからな」


 有無を言わさず、マトイは歩き出す。背後から何やら小さく“悪い”言葉が放たれたが、無視を決め込んだ。

 以前マトイを探し回った際に、スラムの小さな道の歩きにくさについては、身に染みて理解しているのだろう。充分な広さのある車道を横目に見ながら、「こっちの方が楽なのに……」と、ノーリが呟く。

 確かに館のすぐそばにある大通りは、大戦中にも車両の行き来があったためか、比較的に綺麗だ。となれば、軍警察の車両がこれを利用する公算は大きい。鉢合わせを回避するためにも、早く離れるに越したことは無い。


 目に付いた脇道に跳び込むと、打って変わって瓦礫の山と穴の開いた地面が視界いっぱいに広がった。歩くというより、登ったり降りたりという表現がしっくりくるような荒れ具合だ。


「本当に大丈夫ですか?」


 すでに通路としての体をなしていない小道を眺め、ノーリがぼやく。


「……行くしかねぇだろ」


 お嬢さんに忠告した手前だが、マトイの足取りも危ういものであった。油断をすると、それこそ地面とキスしてしまいそうだ。それでも、上半身をぐしゃぐしゃに潰されるという大怪我の後に、この程度の貧血で済んでいるのだから随分とマシだろう。

 2人は、足場の悪い道を注意深く、しかしできるだけ急いで進んで行った。

 

 マトイが安定した足場を探し、ノーリがその足跡を辿る。ノーリが比較的楽そうなルートを進言し、マトイが時間的猶予を勘案して却下する。


「ついて来れるか?」

「ええ、なんとか。ですが、あんまり急ぐと身体に障りますよ」

「俺は平気だっての。お嬢さんこそ、また転んだりするなよ」

「……意地悪」


 そんなことを何度か繰り返しているうちに、かなりの距離を進んだらしい。前方から鼻を突く異臭が漂ってきた。食物の腐敗臭と、薬物の刺激臭。他にも何だか分からないものが混ぜこぜになったようなものが、周辺を包んでいる。

 ゴミ山の臭いだ。


「もうすぐだな」

「そのようですね……」


 元気づけるつもりでかけた言葉に、鼻声が返ってくる。この程度で鼻を摘まんでいるようでは、目的地に到着したらどうなってしまうのやら。


 やがて2人は、倒壊したビルディングに挟まれた道に出た。どうやら“ゴミ拾い”に通う浮浪者たちの通り道になっているらしく、狭いなりにも歩きやすいように、瓦礫が脇に除けられている。その向こうに見える高い壁は、集積所を囲う外壁だ。

 この道の先にある角を壁沿いに曲がった先に、フェンスがある筈だった。そこを乗り越えれば……

 

『うわぁっ!』

『ひぃっ!?』


 あともう少しというところで、微かに短い悲鳴が聞こえた。何とも困ったことに、角の向こう側からだった。

 異変に気付いたノーリを片手で制し、マトイは足音を殺して角のすぐそばにまで移動する。

 

 いた。

 人間を二回りほど大きくしたような武骨な鎧が1つ、ゴテゴテした小銃を構えている。その足元に転がっているのは、2人の見すぼらしい姿の男。後者は間違いなくスラムの住人だ。どうにか生きているようだが、身体をぶるぶると痙攣させたまま起き上がろうとしない。麻酔弾でも喰らったのだろうか。


 マトイは顔を引っこめると、引きつった表情のノーリに短く告げた。


「戻るぞ」

「え!?」

「いいから」

 

 押し殺した声で一方的に伝え、引き返すように促す。ノーリは数秒程押し黙ったが、やがて振り返ると元の道を歩き出した。

 揺れる桃色の髪を見つめ、マトイは内心舌打ちをする。


 どうやら、軍警察の方が1枚上手だったようだ。追い立てられたスラムの住人がここに逃げ込むことを予想し、予め部隊を配置していたのだ。今回の理不尽な襲撃は、相当綿密な計画の基に行われているらしい。


―ここを離れるにしても、これから何処に向かえば……


 ひょっとすると、軍警察の手はスラム全域にまで及んでいる可能性もある。こうなればいよいよ、メトロポリスからの脱出という選択も視野に入れねばならない。


 暗澹たる気分で今後を慮ろうとするマトイだったが、思考は即座に中断されることとなった。正面を歩いていた筈の少女が突然立ち止まってしまったために、その背中とぶつかってしまったのだ。

 

「おい、どうした?」


 一刻も早くここから離れたい思いが、マトイの口調を強くする。しかし、それでもノーリは動かない。

気のせいか桃色の髪が逆立っているようにも見える。釘付けになっている視線の、その先には……

 

『動くな』


 少女越しに電子加工された声が聞こえた瞬間、マトイは反射的に細い腕を引っ張った。硬直した身体を、庇う様にして背後に隠す。


 がちゃり


 重々しい足音と共に、人の形をしたシルエットが、両眼を赤く光らせて歩み寄ってくる。艶消しされた黒い金属の腕の中で、電気銃テイザーガンの銃口がこちらに向けられていた。


 パワードスーツ。

 銃弾どころか手榴弾によってさえ傷一つつかない特殊合金の装甲、長大な射程と高威力の重火器。人工筋肉の補助によってそれらを両立させた、現代の鎧武者。大戦末期から実戦投入され、サイボーグ手術を介さないという利点もあってか、終戦後もこうして軍警察で利用される汎用装備だ。

 その性能の高さは、先のサイボーグ崩れや、改造人型重機など比較にもならない。

 

『両手を挙げて膝をつけ。女の方は後ろに下がるんだ』 


 スーツの男が足を止め、短く命じてくる。

 彼我の距離は5メートルといったところ。相手は1人しかいない。しかし、頼みの綱の熱線拳銃レーザーガンは使用限界に達しており、もとより白兵戦では力負けしてしまうことは自明。

 抵抗も逃亡も無意味。完全に詰みだ。

 絶体絶命という状況の中、マトイは歯ぎしりをした。しかし、ふと疑問が頭をよぎる。


―何故、出会い頭に撃たなかったんだ?


 マトイたちを無力化をしたいのならば、先の浮浪者たちの時と同じように、さっさと電気銃テイザーガンを撃てばいい。それなのに、わざわざこちらを“人道的に”扱おうとするのは、どんな理由があってのことか。 


 つまり撃てない、撃ちたくない事情があるということだ。


 ちらりと背後を振り返ると、すぐそばにはマトイに縋り付くようにして隠れるノーリの怯え顔がある。

 例えば、万が一にもこの娘に当てる訳にはいかないとか……?


―それなら、もう1度だけ奇跡をねだってみるかね。 


「おい、ノーリ」


 再び正面を見据えながら、マトイは囁くように言った。


「土産の残りを寄こせ。今すぐに」

「えぇ!?」


 軍警察の威容に震える少女を庇う振りをしつつ、両手をスーツの男の死角へと隠す。右手は自分の尻の方に、左手は背後に向かって突き出す。


『さっさと手を挙げろ』


 スーツの男が、抑揚のない声で繰り返した。焦れたように銃先で指し示してくるが、あくまでも発砲するつもりがないようだ。

 それには構わず、後ろ手にズボンの後ろにねじ込んでおいた熱線拳銃レーザーガンを取り出し、出力を最低にまで落とす。そして、左手を催促するように振る。 


「何をするつもりです?」

「いいから早くしろ。……隙を見て逃げるぞ」


 左手の指先に、人肌で温まった小さな板切れが乗せられた。

 マトイは、それに熱線拳銃レーザーガンを押し付け、引き金を引いた。途端に左手が猛烈な熱さに包まれたが、奥歯を噛み締めて耐える。間を置かず、手の中で板切れが形を失っていく。

 

 従軍経験の中では終ぞ使用することはなかったが、マトイの脳内にある与えられた記憶の中には、極限状態における生存術がある。その中の1つが、これだ。

 

『貴様ら、いつまで…?』


 業を煮やしたスーツの男が、足を踏み鳴らしながら近づいてきた。


―頃合いだ。


 マトイは背中に隠していた左腕をしならせ、手の中の“燃え盛る”物を放り投げた。






『何っ!?』





 それは燃え上がり、ドロドロに融けた代用チョコレートの塊だった。


 殆ど粘体めいたそれは、狙い過たずスーツのヘルメットに命中する。即座にヘルメットのゴーグル部分が、火に包まれた。


『ウアアアッ!』


 燃える自らの頭を叩きながら、パワードスーツが奇妙なダンスをし始めた。あの特殊合金の装甲を燃やすことなどできる筈もなく、熱が内部まで伝導することもない。だが、視界いっぱいに炎がちらつけば、冷静でいられる筈がない。


「今のうちだ、逃げるぞ!」

「は、はい!」


 華奢な手を引き、マトイは走り出した。悶えるパワードスーツの脇をすり抜け、元来た道を戻ろうとする。

 しかしながら、所詮は姑息な手段であった。

 

 ばちばちばちっ!


 ほんの数秒走ったところで、乾いたような破裂音が断続的に響いた。


「ぐあっ!?」


 背中に突き刺さる鋭い痛みの直後、マトイは硬直したように地面に倒れ伏した。何十万ボルトかの高電圧が全身を駆け巡り、意志とは無関係に筋肉が萎縮する。

 電気銃テイザーガンを撃たれたようだ。威力を抑えてこれだというのだから堪らない。

 焦げ臭い匂いが、口中に広がる。あまりの高電圧に、身体が焼けてしまっているのだろうか。いや、どうやら焼けているのは肺の中らしい。


「ぐぁっ、げぼっ」

「マトイさん!?」


 全身から湯気と異臭を放つマトイに、ノーリが慌てて駆け寄った。だが、その細い身体が弾き飛ばされてしまう。


『スラムの塵奴っ! よくもやりやがったな!』


 ノーリを押しのけたスーツの男が、うつ伏せになっていたマトイの身体を蹴り上げた。


 サバイバル教練において、本物と比較して大量の油脂で水増しされている代用チョコレートは、緊急時の燃料として使用可能であるとされている。だがそれには、どうしようもない欠点があった。固形燃料よりもはるかに短時間で燃え尽きてしまうのだ。


 奇跡は起こらず、パワードスーツのヘルメット部分の火は、とうに鎮火していた。


 わずかにチョコレートの焦げ跡が付いたゴーグルの奥の表情を窺い知ることはできないが、そうとうにお冠であることは明らかである。


『お返しだっ!』


 大きな金属の足が持ち上げられ、直後に振り下ろされる。その着地点にあったのは、マトイの右腕だった。


「ぎっ!?」


 凄まじい重量に、硬直していた身体が跳ねあがった。自由な左手でどうにか押しのけようと奮闘するが、仰向けの姿勢で、しかも片手とあってはびくともしない。数秒と経たずに二の腕の骨にひびが入り、砕け、潰れる。


「があぁぁぁっ……」


 本日2度目の骨折に、転げまわりたい程の苦痛を覚えるマトイ。しかし皮肉にも、1度目と同じく身体の自由が利かず、無様にも残った手足をばたつかせてもがくことしかできない。


「お止めなさいっ! 止めてっ!!」


 ノーリが悲鳴を上げ、マトイを踏みつける太い足に跳びついた。

 スーツの男はそれを振り払うこともなく、かと言って応じることもない。代わりに陰湿な笑い声を漏らし、告げた。


『次は左だ。安心しな、命令だから命までは奪らん』

「いやぁっ! 駄目っ!」


 懇願する少女が、とうとう涙を流した。

 桃色の髪を振り乱すように頭を振り、必死に叫ぶ。


―ああ、なんつー酷い顔して泣いてんだ。


 あまりの激痛に遠くなっていく意識の中で、マトイはそんな益体のないことを考えた。

 



 

―つくづく世の中ってやつはクソだ。奇跡どころか、こんな仕打ちをくれやがって。



 薄れゆく視界の中で、綺麗な顔がくしゃくしゃに歪む。自分の不甲斐なさのせいで、せっかくの美人が台無しだ。










―名ばかりの探偵気取りには、たった1人の女さえ救えないのか。




 あの時の0号と同じように……











「ぴんち、かな?」







 絶望に屈しかけたマトイのもとに、気の抜けた様な声が降ってきた。


 くぐもってはいるが、変声されてはいないので、スーツの男のものではない。

 どこかで聞いたような舌足らずな口調に、マトイは思わずそちらを見上げた。


「えっ!?」

『なっ!?』

「……テメェッ!?」


 三者が一斉に驚愕した。

 

 長い金髪に鋭い眼つき。口元をマフラーで隠した、見覚えのありすぎる美しい顔。不可思議な光の反射をする鎖帷子を着込んだ少女が、いつの間にかパワードスーツの両肩に足を乗せて、仁王立ちをしていたのだ。


「……おひさ」

――トリー!?

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