偏狭な世界・11
難航するかと思われたハリマ氏との会談だったが、結局、彼はすんなりとナインを受け入れてくれた。わざわざ仕事を中断してまで、話をしてくれるというのだ。
「店は開けたままでいいのか?」
「構わないよ。どうせ誰も来やしない」
この世界の年齢換算で四十代に突入しているであろう男が、ぼさぼさの頭をかきながら自嘲気味に笑う。人を嫌っているかのような第一印象を受けたが、実際はそうではないのだろう。事実、店舗兼工房に隣接した自宅へ招いてくれる彼は、どことなく嬉しそうに見えた。
あるいは飢えていたのかもしれない。
「元英雄の店ってんなら、繁盛してそうなもんだが」
「確かにこっちに逃げて来てからしばらくの間は、引っ切り無しにいろんな人が会いに来たよ。客じゃなく、俺を連れ戻そうとするやつらがな。でも全部無視した」
「何故?」
「まあ、おいおい話すさ。ほら、こっちだ。遠慮しないでくれ」
急かされるようにしてドアをくぐると、その向こうには生活感のあり過ぎる空間が広がっていた。
狭い食卓の上には皿と朝食の食べ残し。キッチンにはまだ洗っていない鍋やら食器やらが放置されている。部屋の隅には何かの荷物が詰まった箱が山積みになっており、その表面にはうっすら埃がくっついていた。
いちおう足の踏み場くらいはあるし、最低限の掃除はしているのか、カビやら虫の死骸やらは見当たらないのだが、まるでどこぞの不死人の団長様のような無精ぶりだ。この分では、目に入らないバスルームやベッドルームなども酷いことになっているだろう。
彼が長いこと男やもめでいるという情報は、間違いなさそうだ。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はナインだ、よろしく」
「よろしく。もう知ってるだろうが、俺は播磨宗一だ。ハリマでいい」
ハリマはせかせかと食卓の周りを片付けだした。といっても、卓や椅子の上に乗っかっていた物を別の場所に移して、取り合えず落ち着けるようにしただけであったが。
「テキトーに座っててくれ。それと悪いが、お茶みたいな気の利いたモンは置いてなくてね」
「お気遣いなく。勝手に押しかけて来たのはこっちなんだからな」
ハリマがキッチンに引っ込むのを見届けると、ナインは神経質っぽく椅子の上に残っていたゴミを払い落とした。そしてそろそろと腰を下ろす。そのまま待つことしばし。ハリマが、両手に何かを抱えて戻って来た。
それは、先ほどナインが購入したのと同じ芸術品だった。ひっくり返したドームのような形状の、ガラス製オブジェ。あろうことかその中に、水なんかを入れている。
「おいおい、それは飾っておくもんじゃないのか」
「いいや、これはコップだよ。“切子”っていってな。俺の故郷の、芸術品さ」
「キリコ? ふーん」
ハリマからそのキリコとやらを受け取り、じっくり眺めてみる。
硬質かつ滑らかな表面に刻まれた無数の直線。それらが織りなす氷の結晶の模様。実に涼し気だ。先の店舗のように棚に飾られていたときには終ぞ気付かなかったが、確かに言われてみればコップのようにも見える。
磨き抜かれたショットグラスもまた、ある種の宝石のような輝きを帯びることがあるが、これはまた違った意味での美しさを内包しているようだ。
ナインは、思い切ってそのコップに口をつけると、中身を呷った。
じんわりと口の中に広がるひんやりした感触。間違いなく只の水だ。だがこの美しい模様のキリコに触れていると、不思議と冷たさと旨味が増していく。陽気の中を長い時間かけて歩いて火照った身体に、しみ込んでくるようだ。
プラシーボ効果というやつだろうか? 我ながら単純だな、とナインは思った。
「アンタは、何だってこんなものを作ってるんだ?」
空になった切子の模様を指でなぞりながら、話を切り出す。すると、自身の作品に興味津々なナインに気を良くしたらしい。対面の席に座ったハリマが、少しだけ胸を張って答えた。
「俺がこっちに来る前に、故郷で仕込まれてたからだよ。本当なら後継ぎになる予定だったんだぜ」
「そういうことを聞いてるんじゃねぇ。何故お前は、全てを捨ててこんなところに居るんだ? 隠居するには早いだろ」
「ああ……そうだな。うん」
途端にハリマが、言いにくそうに顔をしかめた。躊躇するように一瞬口をもごもごさせるが、しかしナインをここに通してくれたときのように、あっさりと続きを話してくれる。
「さっきも言ったがな。俺は気づいたんだよ」
「何にだ?」
「この世界の仕組みってやつにさ。俺の経歴については調べてるんだろ?」
「まあ、ざっとだがな」
いわゆる“異常者”たちに関する追加調査が決定してから1ヵ月間。ナインはこのハリマという男に狙いを絞り、地道にその足跡を辿っていた。
彼が主に活動していたのは、ここから数万キロは離れたところにある、とある王国だった。この世界でよく見る、円形の外壁に護られていて、中央にデカい河が流れていて、建築物のおおよその配置が他のそれらとよく似通っているところだ。
ハリマはそこで、“勇者”として尊崇されていた。
定期的に王国に降りかかる災厄を剣一本で難なく振り払い、数えきれない武勲を立て。さらには大勢の、出自も身分も異なる女性たちと同棲し、酒池肉林の毎日を過ごしていたらしい。
しかし、この世界の暦でおおよそ10年前。彼は突然失踪した。
勇者としての地位も、豪邸も、財産も、そして女たちすらも。すべてを捨てて、蒸発してしまった。
そして行きついた果てが、遠く離れたこの僻地だ。誰も名前も知らないような小さな町。そこでたった1人、まるで何かから隠れるようにひっそりと生きている。
「今の俺の姿は、前評判からは考えられない落ちぶれっぷりだろうな。だけど俺は、逃げて良かったと思ってるよ」
ハリマが哀し気に笑った。昔を懐かしんでいるかのようなその遠い目。先ほどはまるで恥じるような物言いだったが、それでも彼がこの世界で為した偉業について、少なからず思い入れがあるのは確かだ。
「俺はこっちに来る前までは、どうしようもないクズだった。初めての大学受験で見事に失敗しちまってな」
「さっき言ってた、ローニンとかいうやつか。学業従事者ってことかい?」
「いや、それよりもずっと酷い。引きこもりのニートだった」
「ヒキコモリ……ニートって?」
「仕事も勉強もしない。家から一歩も出ないってことさ。そんな俺が、あるときこの世界に召喚されたんだ。『勇者様、この世界をお救い下さい!』ってな。引きオタニートだった俺をだぜ? 無茶苦茶だろ?』
「確かに無茶かもしれんが……しかし実際に勇者として活躍したじゃないか。アンタを呼びつけた奴らが慧眼をもってたってことだろ」
むしろナインとしては、世界の壁を越えて人を召喚するという技術の方に興味をそそられる。
ナインが所属する団も、“世界渡り”という無限の宇宙を旅する超魔法を有しているが、この世界にもそれと似たような手段が無数に存在しているということなのだ。
「傭兵とか用心棒ってことだ。戦力を外部から取り寄せるなんて、珍しくもない」
「戦力? そんなワケあるか。俺はこっちに来るまで、喧嘩だってしたことがなかったんだぞ」
「そりゃ……じゃあなんで、呼ばれたんだ」
「そこだよ。俺が気付いたことってのはさ」
真顔になったハリマが、自分の切子の中身を一気に飲み干した。そして空になったそれを卓上に置くと、ナインを真正面から見つめてくる。
いよいよ、核心部分について語ってくれるらしい。ナインも居住まいを正す。それを見て頷くと、ハリマはゆっくりと口を開いた。
「俺はこっちに来たばかりの頃、王国の城下町を歩いてた。そこで偶然、女の子が何人かのチンピラに絡まれてるのを見つけたんだ」
「……急に何だよ?」
思わずがくりと崩れかける。何か、どこかで聞いたような覚えのある話だ。というか、似たようなシチュエーションで思い切り当事者だったような記憶がある。
「まさかお前、助けに入ったりなんかしたか?」
「した。地球にいた頃じゃぁ絶対ありえないことだけど……何故かこっちに来てからは、妙な自信が湧き上がってきてさ。『俺ならできる。絶対負けっこない』って」
「じゃあまさかまさか、そのチンピラさんたちをボコったりしなかっただろうな?」
「した。気がついたら、そいつら全員殴り飛ばしてた。で、助けてやった女の子がソッコーで俺に惚れてな。ハーレムの第一要員になった」
「あー……まあ、人助けをしたんだろ。ならそれでいいじゃないか」
「実際、物凄く気分が良かったよ。自分の意志で悪い奴をぶちのめすことができて、しかもそれで他人から感謝されて賞賛されるんだからな。だが、それで終わりじゃなかった。すぐに次があったんだ」
不意にハリマが腕を組んだ。否、抱きしめるようにして、自分の両肩に手を回したのだ。そしてそのまま俯きながら、暗い声を絞り出す。
「今度は街道を歩いている最中に、ゴブリンの群れに襲われているお嬢様に会った。その次は盗賊団に囚われた女騎士。次はドラゴンの生贄にされかかっていた女奴隷。全部助けてやったよ。残らずな」
「なんつーか、それは……」
「ああ。『都合が良すぎる』だろ?」
都合が良すぎる。
それはあの団長様も口にした言葉だ。行く先々で遭遇するトラブル。それを解決せんと、どこからともなく颯爽と現れる“助け”。
何故そうもタイミングが良いのか?
それについての疑問を抱いたのは、“助ける”側であった彼も同じだったようだ。
「なんとなくおかしいとは思ってたんだよ。でも初めの内は抗えなかった。ドラッグみたいなもんでさ。あの快感を味わっちまうと、もう駄目なんだ。すぐに次が欲しくなる。何のことかは分かるよな?」
「つまりそれは。お前が活躍できるような、シチュエーションってことか」
「そう、その通り。俺がそれを望むと、何故かちょうどいいタイミングで事件が起こる。そんなことを繰り返してるうちに、俺は気づいた。気づいちまったんだ」
ハリマが椅子の上で両膝を組み、背中を丸めて身体をゆすり始めた。その顔は、侮辱に耐えかねて涙ぐむ子どものように、くしゃくしゃに歪んでいる。
とても、酷く心を傷つけられているのは、明らかだった。
ハリマが、鼻をすすり上げながら言った。
「何か1つでも、俺の力で成し遂げられたことなんてない。ぜんぶ俺にとって都合が良いように、お膳立てしてもらっていただけなんだ」




