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メトロポリス・15

――うう、恥ずかしい

――最近ゴロゴロしてばかりだったから、ウエスト周りが気になってたのに


「いい加減に、機嫌直せよ?」

「あううう……」


 すっかり人気の失せたギャングのアジト。その広場の中心で、こちらに背を向けて座り込んだまま、半裸のノーリが自らの肩を抱いて震えていた。寒さによるものでないことは、桃色の髪の影から見え隠れする耳が真っ赤に染まっていることから、はっきりと窺い知ることができる。

 マトイの住処に置いてやったときには、散々ズボラな格好で眼の前をウロチョロしていたというのに、中々どうして初々しい反応もできるようだ。


「ほら。取り合えず、これを着ろ」


 もう少しばかり眺めていたい気分ではあるが、色々な理由でそうはいかない。

 未だに痛みの消えない脇腹に気を払いつつ、マトイはトレンチコートを脱いだ。そして左手でそれを、縮こまって動こうとしないお嬢様に放ってやる。


「ちょいと汚れてるが、勘弁してくれ」

「むぅ」


 マトイの血が滲んだコートを頭からかぶったノーリが、そっとこちらを振り返る。


「マトイさんの方は……、本当に大丈夫なんですか?」

「ああ、見た目ほど酷くはないんだ。ほら」


 血の滲むシャツを軽くまくり上げて、上半身を見せてやる。若干血で汚れてはいるが、すでに“再生”した肋骨がうっすらと浮き出ていた。それどころか、皮膚の裂傷も完全に失せている。我ながらなんと便利な身体だろうか。


「そ、それなら良かったですが」


 いまいち納得のいかない様子ではあるが、ひとまず安心したようにノーリが頷いた。すると今度は、うっすらと涙が浮かんだ瞳が、恨めし気な光を放ち始める。


「ところで、その。み、見ました?」

「まあ、そりゃな」

「あううう……」


 再び縮こまるノーリに、マトイは盛大にため息をついた。

 何を、ととぼける気にはならない。彼女のあられもない姿を目に焼き付けのは事実だ。

 だが多分にそれは、不可抗力というもの。非難されるべきは彼女をひん剥いたギャングたちであり、その連中はすでにこの場にいない。寸でのところで奴らから彼女の貞操を守ってやったマトイは、むしろ感謝されて然るべきではないだろうか。


「まぁ、無事でよかっただろ」

「何処が無事なものですか!?」

「いや、ほら、“無事”だったろ? いいから早く着ろって」 

「うぐ……ですが! 心は穢されました!」


 もぞもぞとコートの袖に腕を通しながらも、半泣きで喚くノーリ。やはり年頃の娘にとっては、赤の他人に、しかも複数の男たちに肌を見られたとあっては、耐え難い恥辱を覚えるものなのだろう。

 その気持ちを理解できない程に人非人ではないのだが、今のマトイには彼女を慰めてやれるだけの余裕がない。度量もそうだが、圧倒的に女性を扱う経験が不足しているのだ。


―こういうときはどうすりゃ……って、そうだ。


 ふとマトイは、良い手を思いついた。

 血塗れの左手をシャツにごしごしと擦り付けてから、尻ポケットをまさぐる。体温で融けてしまったかと思ったが、予想に反してそこにはしっかりとした手応えがあった。

  

「ほらっ、これで機嫌を直してくれよ」

「え……?」

 

 マトイが愚図るノーリに左手を差し出す。その上には、銀色の紙で包装された薄い板きれがのっていた。当然、只の板切れではない。我がまま娘のためにと用立てた切り札だ。

 

「土産のチョコレートだ。無論、代用だがね」


 汚さないように気を付けながら、ノーリの眼の前で包装紙を破いて見せる。すると、甘い匂いと共に濃いめの茶色が姿を現す。闇市で購入した、菓子類の1つだ。サイボーグ崩れの強襲を受けて殆どは台無しになってしまったが、無事だったものを偶然見つけて拾っておいたのだ。


「本当は他にももっとあったんだが、今はそれだけだ。我慢してくれ」

 

 そう言ってマトイは、代用チョコレートを半ば押し付けるようにしてノーリに手渡した。

 ノーリはしばらく頬を膨らませたままそれを眺めていたが、やがて小さく一口。


 ぱきり


 小気味のよい音と共に、板の角が削れた。


「……大雑把な味ですね」

「ああ、そうかよ」

「でも、美味しいです。ありがとう」


 随分と引っかかる言い方だったが、ノーリの顔にほんの少しだけ笑みが戻ってきた。そしてまた、2口、3口と頬張っていく。

 お嬢様の舌には物足りなかったようだが、やはり嗜好品として配給されるだけはある。それとも、余程完全栄養食の味や食感にうんざりしていたのだろうか。


―今度は俺も食ってみるかな。


 マトイはちらりとそんなことを考えながら、黙々と菓子を貪る娘を眺めた。


 広場にしばしの間静寂が満ちる。

 すると、うっすらと耳に届いてくる音があった。


 悲鳴、怒号、特徴的な発砲音に、燃料式エンジンの音。

 遠くから、しかし確かに聴こえてくる。


「え…!?」

「来やがったな」


 冷静さを取り戻したノーリも、断続的に響いてくるそれに気が付いたようで、不安気な表情をマトイに向けた。

 この館に来る途中にも聞いた、無数の影たちの進軍と、蹂躙されていくスラムの断末魔だ。


「何なんです?」

「軍警察の実働部隊だよ。かなり近いな」


 マトイは入口の方を振り返ると、ひっくり返った人型重機へと近づいた。未だに操縦席で眼を回している禿頭の男を一瞥し、機体に左半身を預けるようにして寄り掛かる。大きく曲げた右肘を痛む脇腹に密着させ、銃床代わりにするようにして“右手に握る物”を構えながら、外の様子を窺った。


 未だにその姿は確認できないが、騒音ははっきりと聞き取ることができる。もう間近だ。闇市の襲撃から精々1時間といったところなのに、随分と手際のよいことである。

 あの時に見たのは歩兵のみで構成された部隊だったが、移動は装甲車で行っているのかもしれない。だとすれば、大通りに面したこの館には、それ程間を置かずに到達するだろう。

 

「……あの、マトイさん。“それ”は一体?」

「あん?」

「その右手に持っているもの」

「ああ、これか」


 少し考えてから、マトイは射撃の姿勢を解いた。ギャング連中にはいいハッタリになったが、パワードスーツで完全武装をした歩兵相手に、“これ”は通用しないだろう。格好をつけるだけ無駄だ。

 訝るノーリに指さされて誤魔化すように右手を振ると、握りしめていた物を見せてやる。


「あの“ぎゃんぐ”たちが持っていたのに、似ていますけど」 

「なんだお嬢さん。知らないのか」


 確かにマトイが持つこれには銃口があり、グリップがあり、引き金がある。形だけならば密造銃と似ているだろう。だがマトイにとってのこれは、単なる武器ではない。


 熱線拳銃レーザーガン

 増幅された電磁波を照射し、対象を破壊するという熱光学兵器の一種である。

 大戦中の大洋連合において開発され、現代のメトロポリスでも正式採用されている、殺傷能力の高い武装だ。

 しかしマトイが所有するこれは、正規品ではない。

 そもそもがコピー品であるというのもあるが、本来狙撃銃だった物を無理やりに小型化したため、射程距離はせいぜい10メートルと少し。出力が大きすぎて頻繁にオーバーロードを起こす上、加熱したバッテリーが爆発する恐れまである。

 奇跡的に人型重機の脚部を焼き切るところまではできたが、その後のギャングを前にした乱射は、いつ暴発してもおかしくない非常に危険な行為だったのだ。無神論者のマトイでも、霊的なものを感じずにはいられない。


―ありがとうよ、0号……


 マトイはそっと微笑んでから、熱線拳銃レーザーガンをズボンの後ろ部分にねじ込んだ。これ以上酷使しては、本当に自壊しかねない。1日の内に何度も奇跡をねだるのは、止めておくべきだ。

 

「それで、これからどうする?」

「どう、とは?」

「このまま『家出ごっこ』を続けるのかってことだよ」


 質問に質問で返してくるノーリに対して、相変わらず鈍い娘だな、とマトイは思った。

 

「ここいらで満足して、上層うえに帰るってのは?」

「ですから! 私は家出なんてしてません! そもそもこの世界の出身ではないと……」

「あーあーそうかい。なら、連中に保護してもらうってのは? 少なくとも、俺といるよりは安全だぜ」


 この館は巨大な勢力をもつギャングのアジトだ。軍警察が何を求めてスラムくんだりにやってきたのかは分からないが、ここを調べないという選択肢はまず有り得ないだろう。このままこの場に留まっては、捕捉されるのは時間の問題だ。

 だが、かえってそちらの方がこの娘にとっては良いのかもしれない。

 全体マトイは、攫われたノーリを救うためにギャングのアジトに単身乗り込むという、とんでもない大立ち回りを演じて見せた。ここで契約を終了して彼女の身柄を預けたとしても、無責任との誹り受けることはあるまい。むしろこのままこの少女を連れ回し、更なる危険な眼に遭わせることの方が、余程無責任なことではないのか。

 

 しかしマトイの懸念を余所に、ノーリはきっぱりと言い放った。


「いいえ、彼らの厄介にはなりません」


 はだけそうになるコートの前部分をしっかりと押さえつつ、きっとこちらを見据えてくる。


「私が“この世界”で最も信頼できると確信しているのは、貴方ですから」


 マトイは切れ長の目を細めるようにして、少女を睨みつけた。だがノーリの方も、負けじと見つめ返してくる。初めて依頼を受けたときの、『見捨てないで欲しい』と訴えかけてくるような弱々しさは、もうその表情にはない。

 

 ノーリは確信しているのだ。

 マトイは決して、彼女を放り出すことはしないと。


「……分かった、それなら守ってやるよ」


 ならばこれ以上聞くまいと話を打ち切ると、ノーリは茶色い欠片を口の端につけたまま、ほっと安堵の溜息をついた。

 マトイはそれを横目に見ながら、頬が紅く染まっていくのを悟られないように背中を向ける。

―こうなりゃ、最後まで付き合ってやるさ。


 全体、マトイの知る探偵というものは、決して中途半端なところで依頼を投げ出すことをしないものだ。ノーリが上層から堕ちてきたにしろ、異世界からやってきたにしろ、やるべきことをやり遂げるのみ。

 

「しっかしどうすっかなぁ。格好つけたのはいいんだが、キツいかも」

「え、やっぱり傷が?」

「いや、傷の方は本当に大丈夫なんだがね……」


 実際、肉体的な損傷はほぼ完治しているようなのだが、造血の方が間に合っていない。全身がだるいし頭がくらくらするしで、気を抜くと倒れてしまいそうなのだ。

 これからお嬢様を連れて精強な部隊から逃げおおせるというのは、それこそ骨が折れるだろう。


「まあ、いざとなったら肩を貸してくれ」

「それって、立場が逆じゃないですか?」

「そいつが前払いってことで、頼むよ」


 チョコレートを指さしながらマトイが冗談めかして泣き言を言うと、ノーリがくすくす笑いながら立ち上がった。そして、食べかけのチョコレートを大事そうにポケットに入れ、コートの前ボタンをすべて留める。

 移動する準備が完了したのを確認して、マトイは頷いた。


「それじゃあ行くぞ。離れるなよ」

「はい!」


 







 扉が全壊した玄関から、2人の男女が跳び出していく。




 その様子を、屋根の上で静かに眺めている少女がいた。


――それにしても、マトイ氏の怪我はどうなっているのだろうか

――この出血量はただ事ではないのに、今の彼は貧血程度で済んでいる

――まさか、ひょっとして彼も……?

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