勇者と魔王の世界・33
静まり返った執務室の真ん中で、セーミが目をつぶり息を整えた。そしておもむろに杖を掲げると、それを振り回し始める。
もっぱら誰かを殴打することにしか使えそうにない凶器が、悍ましくもリズミカルに風切り音を響かせだした。ときおり、意味の分からない言葉を歌うように口ずさみながら、足を軸にしてくるりと一回転。
それが舞踏の一種であることには、そういった方面に疎いナインにもすぐに理解できた。
普段の幼稚な言動からはまったく想像もできない洗練された動作の数々は、実に神秘的かつ蠱惑的。ぼんやり眺めていると、まるで心の奥底にまで“語り掛けてられている”ような感覚を覚えてしまう。
「む!?」
どれくらいの時間が経過しただろうか。セーミの頭上に、何かが現れようとしていた。正確に言えば、周囲から集まって来た何かが、そこに1つの形を作ろうとしていたのだ。
スィスの使役する精霊よりもさらに覚束なく、向こう側の壁が透けて見えるくらいに薄弱だったそれが、やがてその存在が視認できるくらいには具体的になっていく。
間違いない、人の形だ。
「そんな……」
「あり得んっ」
「まさか!?」
どこか見覚えのあるその顔が現れてくると、アクバルが。バイラムが。そしてムハンマドが、一斉に声を震わせ呟いた。
ナインも気づいた。その顔つきは、今しも精霊に拘束されながら目を丸くしている少女と似ている。
そうだ、あの女性だ。すでに死亡した反体制組織のリーダー。その名は……
「ハディージャ……の、幽霊か?」
ナインが茫然としながら呻く。するとスィスが鷹揚に頷いた。
「おおむねその理解で正しい。死亡し、意味消失した記憶情報を再度寄り集め、具象化する。団の中でも稀有な、セーミの業だ」
「えっへんですわ!」
セーミが腰に手を当て薄い胸を張る。スィスの小難しい説明を彼女が理解しているとは思えないが、この超常現象を引き起こしていることだけは間違いないようだった。
『私は……』
幽霊が口を開いた。酷く透き通ったその声。耳に届くというより、頭の中に直接響いてくるような奇妙な感覚だ。
『これはどういうことなの? 貴方はアクバル? それにバイラム……ここはいったい』
「姫様、本当に姫様なのですか?」
困惑する幽霊に、ムハンマドが駆け寄った。だが宙に浮く彼女に手を触れようとした瞬間、それは虚しく空をかく。
『ムハンマド? それに、ファティマまで。いったい何がどうなって……いえ。この部屋、見覚えがあるわ。たしか父の……』
「そうです。ここは大統領の執務室。かつてのフワイリド陛下の書斎ですよ」
『……ああ、そうか。私、死んだんだったわね』
自身の、文字通りに幽かな身体を見下ろし、全てを悟ったように大きく息をつくハディージャ。
初めて出会ったときとは随分と印象が違う。あの他人を見下すような冷たさのない、むしろ穏やかで優しいとさえ思える目つき。その目が、壁際のスィスを捉える。
『貴方の仕業ですね、魔王をすら凌ぐ者よ。何用です?』
「眠りを妨げたことを謝罪しよう。折り入って貴女に、証言していただきたいことがある」
『死人の私に答えられることならば』
「では確認させていただこう。貴女のその“力”。アクバルと同質のそれが発現したのは……御父上が、そこのアクバルによって謀殺された後ではないのですか?」
手の中でくるりと一回転させた杖の、その先を突きつけながら、スィスが問う。するとハディージャの幽霊は少し考える素振りを見せ、それから答えた。
『……ええ、その通りよ。まあその程度のことは、私がそこのバイラムの“仕掛け”に気づけなかったことから、推測はついていたでしょうけど』
“仕掛け”というのは、恐らく20年前のクーデターの件のことを言っているのだろう。ナインも団の活動の一環として調査をしたが、このハディージャは12歳の誕生パーティーの最中、(表向きは)爆弾テロによって死亡したことになっていた。だが実際は半死半生になりながらも地下に潜り、反体制組織を組織していたわけだ。
全てを見通す“力”をもっていながらその罠を察知できなかったのは、実に単純な理由からだったようだ。
「くくく……やはりそうだ。魔王が1人に勇者が1人。それがルールか」
「何の話をしているのだ、お前は。訳が分からんぞ」
バイラムが恐怖に顔を歪ませる。自身が殺した相手が、ほんの一時とは言えこうして眼の前に蘇ってきたのだ。正気の者ほど、この状況には恐れを抱くものだろう。魔法だのなんだのを何度も目にしてきたナインとしては、もう受け入れることに慣れてきてしまったが。
「まあ待て、もう1つ確認せねばならん。ハディージャ殿?」
スィスが、他の人間に対するよりも幾分か改まった口調で再び尋ねる。
「貴女の御父上。フワイリド陛下は、当時民衆からどのように呼ばれておられたかな」
『それは……』
「答えていただこう」
『……日和見主義者。無能。そして魔王よ』
「ではそれよりも前は? 具体的には、貴女が生誕されるより以前は」
『……偉大なる征服者。武辺者。そして……勇者フワイリド』
「なにっ!?」
この言葉にまず血相を変えたのは、バイラムだった。今しがたまでの恐怖心を完全に捨て去り、ハディージャに食って掛かる。
「デタラメを言うな、奴は魔王だ! 勇者ではない!!」
『いいえ事実よ。政敵によって改竄された情報が流布されたようだけれど、若い頃の父は豪族が跋扈する周辺一帯を武力で平定していたわ。そして……』
ハディージャが、ついと指を向ける。その先には、相変わらず机の陰に隠れて震えているアクバル大統領の姿がある。その顔色は、幽霊もかくやというほどに青ざめていた。
『彼も父と共に戦場に立っていたらしいわ。部下として。そして友人として』
「馬鹿なっ……そんな、嘘だ……」
『でもあるときから、父と彼は仲違いをした。原因は知らない。ただ確かなのは、その男が父もろともにその功績まで葬ってしまったということ』
旧体制の崩壊と同時に、前時代の都合の悪い事実が消し去られるというのはよくある話だ。だがしかし、その消し去る側に与していた筈のバイラムですら知り得ない情報があったということらしい。
「積もる話もあるだろうが、少し待っていただこう。私の用向きとは違うのでね」
スィスが杖で床を突きながら言った。
「整理すると、だ。彼女の父であるフワイリド王は、かつて勇者と呼ばれていた。そして後に魔王とされ、代わりにアクバルが新たな勇者の称号を得た。ここまでは良いかな?」
ぐるりと視線を巡らし、その場の全員が話の内容を飲み込めていることを確認していく(たぶん、セーミのことは無視している)。まるでお偉い教授が講義をしているようだ。あるいはスィス本人は、似たような心持なのかもしれない。
「そしてアクバルがフワイリドを討ち、大統領となると、今度は彼が魔王と呼ばれるようになった。……では次にどうなる、ナイン?」
「どうなるって……つまり、これからも同じような交代劇が続くってことか」
突然話を振られ、思いついたままに答える。
世界は違えど、体制の変革というのはそういうことだろう。そこに武力や人の死が含まれるかどうかは置いておいて、それまで社会を支配していた勢力がひっくり返るというのは間々起こることだ。
平和的に選挙などで与党と野党が覆るとか、今回のハナシのようにクーデターが起きるとか。
「うむ。しかし貴様の理解している“交代”とは少々本質が異なるな」
「あぁ? 何が違うってんだよ」
「単なる称号の付け替えということではないのだ。これは連綿と続く、“力”をもつ者たちの闘争なのだよ」
「“力”って……何故ここで、それが出てくるんだ」
「それこそがもっとも重要な要素だからだ。フワイリド、アクバル、ハディージャ。3人に共通するもの。それがつまり、直感と直観の異能。“力”なのだ」
「待ってくれ。ではフワイリド陛下も、その“力”をおもちだったというのか?」
ムハンマドが訊ねる。
「姫様が“そう”なのは知っていたが、あの方のことは初耳だ」
「もちろん彼だけではないぞ。他にも大勢いた」
スィスが頷き指を鳴らす。
すると精霊が空いている方の手を動かし、何かを床の上に置いた。いつの間に持っていたのだろうか、巨大な本だ。革張りで、随分立派な装丁が施されている。
「フワイリド王が所有していた歴史書だ。そこにすべて記されていたよ。連綿と続く勇者と魔王の交代劇がな」
その言葉に、バイラムが弾かれたように跳び出した。床に両膝を突き、見開きになったページを食い入るように見つめる。
ナインとムハンマドも慌ててその後に続いた。敵対関係であることも忘れ、しばし身を寄せ合う。
古い文字でびっしりと書かれているのは、どうやら年表のようなものだった。
ペンダントの翻訳機能で苦労して読み解いていくと、“恐るべき力”をもつ魔王と、“偉大なる力”をもつ勇者の出現と闘いをまとめている。
勇者ザバーニーヤと魔王ハニエル。
勇者ハールートと魔王ザバーニーヤ。
勇者マールートと魔王ハールート………
いくつもの固有名詞が出てくるが、近い年代では必ず勇者と魔王のそれが一致している。この記述が全て正しいのならば、勇者だった人間が数年から数十年後に魔王となり、そして新たな勇者が誕生して……ということを繰り返していることになる。
だとすれば、この“恐るべき力”も“偉大なる力”も、やはりどちらも同じ“力”なのだろう。
確かにファティマやハディージャ、そしてアクバルがもつ神がかり的な洞察を行う“力”は、相対する者にとっては脅威だが、味方にとっては先行きを照らす道しるべになる。同質の異能であっても、
立場が違えば印象も変わるものか。
―にしても、“偉大な”勇者って祭り上げておいて、しばらくすると“恐るべき”魔王とは
大衆の身勝手さを垣間見たような気分になり、妙な不条理を感じていると、ふとページの端に走り書きされた一文に眼がいった。
『いずれ私もこうなる』
動揺していたのか、酷く乱れた字だ。
話の流れから察するに、書いたのは恐らく……
『父の字だわ。間違いない』
後ろから覗き込んでいたハディージャが、まるで懐かしむように呟いた。
『そうか、父は知っていたのね。自分が魔王として、勇者アクバルに討たれるという運命を』




