メトロポリス・14
「え…?ここ、何処?」
くらくらする頭を振りながら、ノーリは身体を起こした。寝起きの脳味噌を働かせながら、懸命に状況確認を行う。
―見覚えのない高い天井、“城”程ではないにしても綺麗で広い部屋。
―あれ、何だか上半身がスースーするなぁ。
―ああそう言えば、留守番をしていたら何か大変なことが起こって…
そこまで思い出したところで、急激に血流が加速する。
バリケードを突き破る鋼鉄の爪。まとわりついてくる手。下品な笑み。臭い息。
直近まで自身が置かれていた危機的な状況が、フラッシュバックする。
「そうだっ! 私、捕まって…!?」
慌てて周囲を見回し、ノーリは絶句した。
自身を取り囲む無数の男たちが、歯をむき出しにし、唸り声をあげ、三白眼になっている。
“すらむ”の人間にしては小綺麗であるが、派手で趣味の悪い装いには、見覚えがあった。マトイ氏の住居を襲撃してきた連中だ。多分、“ぎゃんぐ”とか言う犯罪者集団だろう。
「いい度胸だなゴラァ!」
「この死にぞこないがっ!」
「サイボーグ崩れを倒したくらいで、いい気になるんじゃねぇぞぉ!」
「そこ動くなよ、ぶっ殺してやらぁっ!」
ノーリの嫌う“悪い言葉”が、次々と男たちの口から発せられた。彼らが全身で表現するガラの悪さと相乗し、恐怖心を掻き立てられそうになる。
だがよくよく観察してみるに、皆一様に腰が引けており、引きつった顔中が脂汗で光っている。おまけに、飛び交う声には単語に比して力が籠っていない。まるで“脅している”というよりも、“脅されている”ようではないか。
…と、本来臆病なノーリがこのように冷静に彼らの様子を分析することができているのは、彼女が第三者的な立場にいるからであった。
なにせ野蛮な男たちが、その怒りと恐怖の入り混じった視線と妙に震えた罵声を浴びせている相手は、ノーリではなかったからだ。
「…よぉ、ご無事で何よりだ」
倒れ伏した機械人形の上から、聞き覚えのある声が掛けられた。
そちらに眼を向け、ノーリは思わず叫ぶ。
「マトイさんっ!?」
ボディガード。家主。この“すらむ”で唯一信用に足る人物その人が、危険な連中を前にして薄く笑みを浮かべていた。
途端に、怒りと不安と安堵がごちゃ混ぜになった感情が、爆発寸前にまで膨れ上がる。
「お、遅いじゃないですかっ」
「悪いね。注文の多いお嬢様のために、お買い物をしていたもんで」
「何を悠長に…!」
こんなときでさえ子ども扱いを止めようとしないマトイ氏に対し、ノーリはつい声を荒げかけ、そして気が付いた。
「マトイさん、その血!?」
「ああ、ちょいと土産を買い過ぎてね。バランス崩してスっ転んじまってな」
軽口を叩きながら、マトイ氏は左手の甲で口の端の血の泡を拭った。
しかしその左手もまた、おびただしい紅色に塗れている。よれよれのコートの至る所にまで滲みをつくっているあたり、相当な出血をしたようだ。顔色の悪さも相まって、まともに立っていられる状態には思えない。
彼の到着が遅れた理由は、間違いなくこの大怪我の原因と関係があるに違いない。きっと命に関わる程の危機だったのだろう。
―それなのにどうして、この人は子どもみたいに強がって…
ボディガードの窮地を悟ったノーリが、悲痛に顔を歪ませる。するとそれを見たマトイ氏は、何故か視線をそらした。
「さて、と。随分と好き勝手にやってくれたようだなぁ?」
訝るノーリを余所に、未だ紅い痕の残る口の端を釣り上げて、マトイ氏がぐるりと視線を巡らせた。一時蚊帳の外に置かれ、叫ぶことも忘れてやや所在なさげに立ち尽くしていた“ぎゃんぐ”たちの顔に、再び恐怖の色が浮かぶ。
「人ん家の物を勝手に持ってきたら駄目だって、ガキの時分に教わらなかったようだな? それじゃあお前らのママに代わって、俺が修正してやろうか…」
そう言って歯をむき出し、やにわに右手を頭上にかざす。ズタボロのマトイ氏が、見得を切ったその瞬間。
カッ!
眼が眩むばかりの凄まじい光が、マトイ氏のその手から放たれた。ほんの一瞬の出来事だったため、顔を覆うことすらできない。
「ひぇっ」
「ぐあぁぁ!」
「眼がぁ」
強力な閃光に“ぎゃんぐ”たちが浮足立つ。
だがそれとは逆に、ノーリは好機の到来を悟っていた。
―今のうちに…!?
真っ白だった視界が即座に元に戻り、呆気にとられて立ちすくむ男たちの姿を捉える。もう誰も、彼女のことなど気にしていない。
犯罪者集団の襲撃の原因がノーリにあるにしろマトイ氏にあるにしろ、現状足かせになっているのは間違いなくノーリというひ弱な存在だ。ならば一刻も早く、この場から立ち去らねばならない。自力では抗しえない彼女がこの場に留まるのは愚行であり、彼女のボディガードへの多大な負担となることは自明なのだから。
だが、動けなかった。
ノーリもまた、呆けてしまっていたからだ。
「そんな、まさか…」
男たちの視線の先。マトイ氏の頭上。その天井にはなんたることか、大穴が開いていたのだ。
今の一連の動きから察するに、マトイ氏が引き起こした結果なのだろうか。だが人の手で為すのはそう容易くない。それも一瞬でとくれば。
「…まさか、魔法!?」
ノーリは眼を見開いたまま呟いた。
頭に浮かんでくるのは、魔法に長けた仲間が扱う術の1つ、“分解”。強力な破壊光線を指先から放ち、対象物を塵にしてしまうという恐ろしい攻撃呪文だ。
だが、それはあり得ない。魔法というものは、先天的な能力として有しているのでない限り、気の遠くなるような修練の末にようやく習得することができる技術である。2週間に亘り寝食を共にしてきたが、マトイ氏にそういった様子は見られなかったし、彼の住処には魔法書の1冊も無かった。
―だから、あり得ない。マトイさんが、魔法を使えるだなんて!
焦燥、嫉妬、憤怒。
恩人であるマトイ氏に対して抱くべきではないそれらの感情が、チリチリとノーリの心の奥底を焼いていく。論理的思考というもっともな理由を付けてそれを消し飛ばそうとするが、永年に亘って累積していた劣等感が、それを許さない。
―そんなこと…、そんなことって。
知らず知らずのうちに奥歯を噛み締めるノーリ。
その様子を一瞥したマトイ氏が、ほんの一瞬顔をしかめた。そして少し考える素振りを見せてから、小さく頷き口を開く。
「あー…よし。今から10数える。その後まだこの場に残っている奴のドタマに、コイツを撃ち込む」
言いながらマトイ氏は、鷹揚に右手を下ろす。左手と同じように血がべっとりと付着しているそこには、奇妙な機械が握られていた。
ノーリの仲間の1人がもつ“兵器”をうんと小型化したようなそれが、居並ぶ男たちをなぞるようにして向けられていく。
「念のために付け加えとくが、その娘を人質にするのも、命乞いも、時間稼ぎのネゴシエーションも無しだ。お分かりかな? じゃあいくぞぉ」
突然の最後通牒を突きつけられ、仰天する“ぎゃんぐ”たち。それに反してマトイ氏は、勿体ぶる様にして秒読みを開始した。
「いーち…」
マトイ氏が壮絶な笑みを浮かべる。
するとようやく状況を飲み込めたのか、にわかに“ぎゃんぐ”たちがいきり立った。
「いい加減にしとけよ!!」
「チョーシこきやがって!!」
「息の根止めてやる!!」
未だに恐れが抜けきらない表情のまま、男たちは皆一様に伸ばした手をマトイ氏に向けた。
そこでノーリは、彼らもまた手に何かを持っていることを理解する。
金属製の板やパイプをワイヤーで無理やり固定した、酷く粗雑な造りの道具。とても洗練されているとは言えない見てくれだが、察するに遠隔武器の一種だ。
ならば、マトイ氏が今構えているものも武器なのだろうか。
「にーい…」
「いや、だから止めろってんだよ!」
「ま、マジでやる気なのか!?」
「ちょ、待てよ、待てって…」
やけに間延びしたマトイ氏の声が広間に響く。
それに対して男たちは、反撃をするでもなく武器を構えたまま、吠えるばかりだ。むしろ哀願の念すら感じ取れる始末。
これだけの人数がいるというのに攻勢に出ないのは、手傷を負ったマトイ氏との間に大きな戦力差があるということだ。それは単に、各々が手にもつ装備に要因があるに違いない。つまりマトイ氏が持っている物は、それ程に大きな力を内包した武器なのだ。
―だとすれば、あの天井の大穴はマトイ氏自身の能力によるものではなく、彼の手にある何かの恩恵ということなの?
一触即発の事態にあって、ノーリはぐずぐずと無益な思考に拘泥していた。
それを見たマトイ氏が苛立たし気な表情を向け、意味ありげな視線で何かを訴えてくる。
しかし、その含むところを読み取ることができない程に冷静さを欠いたノーリは、反射的に小首を傾げることしかできなかった。
「さーん。…ああ、もう面倒臭ぇや」
たっぷりと時間をかけた秒読みが、突如中断された。
拍子抜けする一同の視線が集中する中、マトイ氏が盛大な溜息をつく。
「つくづく察しの悪いお嬢さんだよな」
次の瞬間、またもやその右手から閃光が放たれた。
1回、2回、3回…
断続的にじゅわっという水がはじける様な音が鳴り、次々に床に穴が穿たれていく。襲い来る熱波に煽られて、ノーリの癖のある髪を激しく揺らした。
―間違いない。やはりこの現象は、マトイ氏が持つ武器によるものだ。
急転する事態の中、奇妙な安堵がノーリの胸に広がっていく。
だが周りの男たちの方は、そうはいかなかった。
「ぎゃああああああっ!!」
「お母ちゃーんっ!」
男たちは一斉に叫び声を上げて、粗製の武器を放り出した。そして我先にとマトイ氏の反対方向へ走り出す。無防備なノーリの横をすり抜け、その背後にある立派なキッチン。そこに据え付けられた両開きの勝手口へと、一目散だ。
だが大柄な人間たちが一度に大勢で殺到したため、扉のところでぎゅう詰めになってしまう。
「痛ぇ! 馬鹿野郎、押すなよ!」
「ひでぇな頭領! 自分だけ先に逃げようなんて!?」
「うるせぇな! 黙ってろ!」
「き、きつい…!」
下敷きになった者を踏み越えようとしたり、僅かな隙間に潜り込もうとしたりと無茶をするせいで、男たちはどんどん自縛していく。見ているだけでむさ苦しくなるような光景だ。
やがてその体重と圧力に耐えきれなくなった勝手口は、ベキベキと音を立てて枠ごと壁から抜けてしまった。
『うぎゃあああぁぁぁぁ…』
1つの塊となった“ぎゃんぐ”たちが、庭へと飛び出した。歪なブーケの様にして宙を舞うが、当然誰かにキャッチしてもらえることもなく、そのまま倒れ込む。
どずん、ごたごた、がしゃん。
花束ならぬ“ぎゃんぐ束”が、もつれたまま地面と激突した。その拍子に、拘束具となっていたドア枠が、弾けるようにして壊れる。バラバラにほぐれた男たちは、地面に投げ出されると、即座に立ち上がった。
「に、逃げろぉっ」
「ひぇぇぇ」
晴れて自由の身となった“ぎゃんぐ”たちは、振り返ることもなく走り出した。一緒に転がり出た扉を蹴とばし、お互いを押しのけるようにして、一心不乱に塀に向かって駆けていく。
最後の1人がそれを乗り越えるまでに、30秒とかかることはなかった。
「…ぷっ」
「…くはは」
あまりにも滑稽で見事な遁走に、その場に残された2人の男女は堪え切れず笑い声をあげた。つい先刻まで危機的な状況に置かれていたのが嘘のようだ。
ノーリは眼尻の涙を拭い、優秀なボディガードへと向き直った。
「お見事です、マトイさん」
「別に、どってこたぁねぇさ」
ひとしきり笑うと、マトイ氏は機械人形から跳び下りた。しかし、大した高さでもないのに着地の際に膝をつき、大きく咳き込んでしまう。
その際に彼が喀血したのを、ノーリを見逃さなかった。
「マトイさん!? 大丈夫ですか!?」
ノーリは血相を変えて立ち上がると、よろめくマトイ氏に駆け寄った。
すっかり失念していたが、彼は負傷をしていたのだ。犯罪者集団をあしらうことができたからよかったものの、あのまま戦闘に突入していたら致命的だったに違いない。
しかしノーリの心配を余所に、マトイ氏は血塗れの左手をかざしてノーリを制す。
「いや、いいから…」
「何を言ってるんですか、マトイさん。早く応急処置をしないと」
まだ格好をつけるつもりなのか、と憤るノーリ。
しかしマトイ氏はあくまでも視線を合わせようとせず、気まずそうに口を開いた。
「あー、その、お嬢さん。取り合えず、“それ”を隠して貰えんかね?」
「あっ」
言われてノーリは、自分の胸元が露になっているという事実に初めて気が付いた。




