勇者と魔王の世界・28
ノーリたちと別れた後、ナインはエレベーターで地下へと向かった。
そこには半ば倉庫と化した駐車場があり、スィスが道楽で収集した品々が所狭しと並べられている。団の城でも見かけたような、良く分からない絵画に彫刻、壺、武具。
ノーリも似たような趣味をもっているし、全体、人の価値観というのは様々なのだから言うだけ野暮なのだろうが、それでもここに山積されている品々には『無駄』の烙印を押さざるをえない。なにせ運び込まれてからずっとほったらかしにされているので、ガラスケースが埃塗れになっていたり、酷い場合は梱包されたままになったりしているのだ。
自身を実用主義的で美的感覚に乏しい人間だと思うナインではあるが、さすがにこの惨状を前にしては一種の憐みを覚えてしまう。タムに頼んで、団員たちの部屋にでも置いてやれば、こいつらも多少は浮かばれるだろうに(すでにマンションのそこいら中に、同じようなものがこれでもかと飾られているのだが)。
「ま、今さらどうでもいいや」
投げやりに呟きながら、駐車場の入口付近へと向かう。そちらにあるのは高級車の数々だ。
セダン、クーペ、オープンカー、スポーツカー。どれもクソほど値の張るものばかり。自分で運転するわけでもなく、整備や税金のせいでとんでもない維持費がかかるのに、あのクソジジィときたらお構いなしだ。しかもどれもこれもキィが差しっぱなし。このマンション自体がセキュリティでガチガチなので、問題ないといえばそうなのだが、管理がズボラすぎる。
―だがおかげで、ちょろまかすぶんには困らねぇ
派手な見た目のものばかりだったが、その中でも大人しめなものを選択することにした。少々箱っぽい外見のスポーツ多目的車両(SUV)。やや大型だが、他と比較してグレーの色合いが落ち着いていていい。
すぐにタイヤの空気圧、エンジンオイル、ガソリンの量、その他もろもろをチェック。
「よし、問題無し」
ナインも何度か手伝っていたが、普段からタムたちがきちんと整備してくれていたのですぐにでも使えそうだ。
後部のトランクを開き、そこに前もって用意しておいたトランシーバーを放り込む。先日近所の電気屋で購入しておいたものだ。そして運転席に座り、エンジンを始動。
昔運転したことのある軍用車両と同じ、パワフルな音と振動が響く。整備された平坦な道路を走るには明らかにオーバーなポテンシャル。スィスに購入された後はろくに触ってすら貰えず、さらには恐らく本日がラストラン。
性能を生かし切ることなくその生涯を終えるであろうコイツのことを想うと、先の芸術品たちよりもずっと可哀相だ。せめて今回だけでも、きっちり走らせてやろう。
1人頷き、胸元のペンダントを起動。通信機能を用いてタムを呼び出す。
「そろそろ出発します。入口を開けてください」
『はい、かしこまりました』
駐車場内に警報が鳴り響き、ガタガタとシャッターが上がる。地上へと続くなだらかなスロープに陽光が差した。さあ出発だ。アクセルを踏む右足に力を込める。
しかしそこで、タムが問うてきた。
『お帰りは何時頃になりますか、ナイン?』
「えっ」
『昼食の件です。大まかにでもご予定をお伝えいただけますと、調理したてをご用意できますので』
「いや……今日は結構です」
断腸の思いでメイド様からの申し出を断ると、ナインはSUVを発進させた。
『承知しました。“無事の帰還を”』
「……ありがとうございます」
通信を切り、ため息をつく。どうやら彼女も、ナインがしようとしていることを知っていたようだ。だがそれでも喧しく引き留めないでくれる。
いい女というのは、彼女のような人物のことを言うのだ。ガキっぽくぎゃあぎゃあとがなる奴はいけない。
苦笑しながらハンドルを切り、車道へ出る。
通勤ラッシュにはまだまだ時間があるが、周囲にはちらほらと通行人や他の車両が見受けられた。ナインはさりげなくそれらに目を走らせつつ、その中に溶け込むように車を転がしていった。市街の中を当ても無く、テキトーにぐるぐると巡り続ける。
―やはり監視も尾行もねぇな
もはや護衛部隊たちからは、何の利用価値もないと判断されているのだろう。だがそれは警戒されていないということでもある。
やがて道路が混み始めると、ナインは頃合いとばかりに市街の中心部から離れていった。そして貧民街にほど近いところにある、大きなスーパーマーケットの駐車場に入る。
まだ開店前だったが、ぼちぼち客と思しき人間が集まっているようだ。入口の前にバッグを抱えて突っ立っていたり、少し離れた位置で煙草を吹かしていたり。ナインと同じように、車の中で待っている者もいる。
ナインは駐車場の一番端の目立たない位置にSUVを停めた。急発進に備えてエンジンをつけっぱなしにしたまま、窓を全開にする。すると熱風が車内に吹き込み、一気に全身から汗が噴き出した。
堪らずクーラーの出力を最大にするが、追い付かない。だがこうしないと“外からナインの姿が見えない”ので我慢だ。
ハンドルの上に両腕を置き、うだりそうになりながら待つこと数十分。さらに客の数が増えてきた。開店も間近。そろそろ約束の時間だ。
そのときなんとなく気配を感じ、ちらりと運転席の窓から外に視線を移す。
いた。客の群れの中に、見覚えのある顔の男が1人。皺くちゃの作業着に無精髭だらけの、冴えない格好。客の列から離れるように、ふらふらとこちらに近づいて来る。
そのまま黙って様子を窺っていると、やがて男はSUVの後ろへ回り込んだ。そして数秒間周囲を見回してから、おもむろにトランクを開けてその中に潜り込んでしまう。
バン、と蓋が閉まる。それからややあって、懐からノイズ音が響いた。トランクに放り込んだのと同じトランシーバーからだ。即座に取り出してスイッチを押す。
『……いいぞ』
くぐもり、少し反響したような声。ナインはそれに無言で頷くと、SUVを発進させた。再び市街中心部へと向かう。
「準備は完璧か、ムハンマド?」
右手でハンドルを握りながら、左手のトランシーバーに語り掛ける。相手は反体制組織の構成員。否、現在は事実上のリーダーをやっている人物だ。
『ああ。このまま大統領府へ頼む』
「言われるまでもねぇ。きっちり連中のところへ送り届けてやるさ」
『今さらになるが……お前は本当にいいのか?』
「マジで今さらだな。聞くなよそんなこと」
『すまない。急な話だったから、私も落ち着かないんだ』
「ここまで来てイモを引くなんてことはしねぇよ。ファティマのためでもあるしな」
『……感謝する』
「それも止してくれ。もとはと言えば俺のせいだし、これはあくまでも勝手にやってることだ。お前はそれを利用してるだけ」
そう。
ナインはただ、大統領の下にいるであろうスィスに会いに行くだけだ。その際、“たまたま”反体制組織の人間がついてきた。それだけのことである。
トランクの中に乗っている男が何を持ち込んでいるのかなどナインのあずかり知らぬことだし、これから大統領府で何が起こるのかの予測などできよう筈がない。
あのときバイラムがそうしたように、ムハンマドもまたナインを利用して本丸を墜とす。
そして二度にわたる失態の責任をとり、今度こそナインは団を去る。
これでフェアだ。何の問題もない。
屁理屈にもなっていないどころか、完全に論理が破綻しているのだが、それでもナインが自分自身を納得させるにはこれしか方法がなかった。
『しかし利用しておいてなんだが、本当に潜り込めるのか? 我々の組織も何年もかけて計画を練ってきたが、終ぞ叶わなかったことだぞ』
ムハンマドが若干不安気な口調で言う。
たった2人で世界最高の権力者の下にカチこもうなど、上手くいくと思う方がどうかしている。不死者であるナインはまだ気が楽なものだが、彼の方は正気を保っていられるだけ見事なものだ。
そんなムハンマドを勇気づけてやるつもりで、あえて軽い口調で答えてやる。
「応よ。昨晩のうちにじっくり打ち合わせをしておいたからな、抜かりはねぇ」
『例のピャーチという奴か。“クラッキング”というのが、どうにも理解できなかったが』
「なら楽しみにしてな。ぶったまげるぜ」
そのまま走り続けること小一時間。見覚えのある石造りの巨大建築物が視界に入った。
大統領府だ。ナインは『着いたぞ』とトランシーバーに向かって短く告げると、それを上着のポケットに押し込む。
前回と同じように正門に近づくと、弾かれたように守衛たちが手を上げて寄って来た。離れた位置の尖塔にいる連中も、油断なくライフルの銃口をこちらに向ける。
―さあ、ここからだ
深呼吸をしてから、窓から顔を覗かせる。しかしナインが口を開く前に、守衛たちはあっと口を開けて硬直した。そしてそろって苦虫を噛み潰したような表情になる。
「またか! あの“二世”の関係者だったな!?」
「ああ、そうだが……」
「朝早くから押しかけて来たかと思ったら、やりたい放題しやがって! ここを何処だと思ってるんだ、ふざけるな!」
「おいおい、なんなんだよ?」
入り込むための口実を述べようとしていたところを怒鳴りつけられ、訳も分からず鼻白むナイン。
どうも様子がおかしい。スィスに連れられて何人かの団員らがここに来ているはずだが、何があったのだろうか。
すると守衛の男がドア越しにナインに詰め寄り、言った。
「敷地内を好き勝手歩き回るどころか、『メシが不味い』だの『テレビがない』だのと好き勝手言って! 挙句に使い走りまでさせるとはどういう了見だ!? 護衛部隊の連中でも手が足りなくて、俺たちまで駆り出されてるんだぞ!」
「あー……それは……」
どうやら団員たちは、かなり傍若無人な振舞をしているようだ。しかし大統領と懇意にしているスィス(二世)の関係者ということで、要求には逆らえなかったのだろう。いったいどんな無理難題を吹っ掛けたのか。
ナインはこれから自分が何をしでかそうとしているかも忘れ、怒り心頭の守衛たちに頭を下げる。
「あの、ウチの連中がご迷惑をおかけしたようで……」
「本当に迷惑だ! それでお前は? あのアホ共と同じく引っ掻き回しに来たのか!?」
「いえ、その……アホ共を引き取らせて頂こうかと」
「ならさっさと行け! 護衛部隊の指揮官にはこちらから連絡しておく!」
「はい。どうもスンマセンね、はい」
咄嗟に口をついて出た嘘だったが、すんなり通ってしまった。門扉が開かれたのを確認し、ナインはそそくさと車を発進させる。
「なんつーか……締まらねぇなぁ……」
図らずも、もっとも危険度が高いと予測していた第一関門を簡単に突破してしまい、ナインは盛大にため息をついた。以前はバイラムがいたからこそ省略されたボディチェックや、車内の捜索といった安全管理が全スルーだ。酷過ぎる。
最悪の場合は強行突破することも考えていたのだが、これでは気分が弛緩してしまいそうだ。
トランシーバー越しにムハンマドが喚く。
『おい! 他にもお前の仲間が来てるのか!?』
「ああ。だがまあ、気にすることはねぇよ」
『なんだと? 巻き込んだらどうするのだ』
「だから気にするなって。奴らは死なねぇから」
『訳が分からん……』
そうこうするうちに、地下駐車場へとたどり着いた。適当な位置に停車し、まず周囲を確認。守衛も、護衛部隊の気配も無し。しかし至るところに監視カメラがある。
「出番だぜ、ピャーチ」
今度は胸元のペンダントの通信機能を開いて呼び掛ける。すると即座に反応があった。
『待ちくたびれておりました! ではやっちゃってよろしいですか?』
「おう。バレない程度に盛大にな」
『りょぉーかい!』
ナインは通信を繋げたまま運転席を降りた。そして後部へと回ると、トランクを開ける。
「いいぞ、出てこい」
「む……」
中に入っていたムハンマドが、眩しそうに眼を細めながら身じろぎする。服が汗でびっしょりだ。この暑さの中、狭い空間でじっとしているのはさぞきつかったことだろう。
だが、第二関門にはもう突入してしまった。
「本当に、出ても大丈夫なのか?」
「ああ。俺の仲間が、監視カメラの映像をリアルタイムで改竄してくれてるんだ。だからお前の存在は向こうには見えてない」
「……分かった」
ムハンマドは意を決したように表情を引き締めると、トランクの中から跳び出した。そして駐車場に降り立つと、きょろきょろと周囲を見渡す。
「それで、これから?」
「ああ。あれで上に上がる」
ナインが隅のエレベーターを指さす。以前にバイラムに連れられて一度だけ乗ったことがある。そこから大統領の執務室へ続く道順も、嫌になるほど確認した。あとは行くのみだ。
2人は軽く目を合わせて頷くと、歩き出した。




