勇者と魔王の世界・26
―うぅん。なんですの? こんな朝早くから……
―大統領府に行くぞ。そろそろ準備をせねばな
―えぇ!? ちょっと待ってくださいまし。他の皆にも声をかけないと
今日はこの国を治めるフワイリド王の娘、ハディージャ姫の誕生日だ。
12回目となる此度も国中で様々な催し物が行われているが、中でも一等豪奢なのは、やはり王宮でのパーティーだろう。
下働きをしているムハンマドも、準備のために朝からずっと動きっぱなしになっている。
軽く1000人近くを収容できる大広間に、いくつものテーブルを運び込み、そこに食器に料理に飲み物、姫様への大量の贈り物を置いていく。ぼちぼち来賓の受け入れも始まったようで、外の方は賑々しくなりつつあるようだ。
姫殿下の為のパーティーともなれば、各界の重鎮がこぞって集まってくる。王家に連なる貴族や政治家たちは言わずもがな、各国の外交官や大企業の会長、大手マスコミ。それに軍人だっている。
息つく暇もない忙しさの中で、わざわざ人気のない裏口にムハンマドを呼び出したこの青年も、その来賓の1人だった。
「何の御用でしょうか、バイラム少佐殿」
「バイラムでいい。君は軍属ではないのだからな。それに年も近いんだし、気安くしてくれて構わん」
「では畏れながら。バイラム……様」
「おいおい、ほとんど変わらんぞ」
眼の前に立つ凛々しい青年が爽やかに言う。寸分の隙も無くビシリと着こなしている、その軍服姿には合わない人懐こい笑み。胸元にずらりと並び輝くいくつもの勲章と相まって、なんとも目に眩しい。
青年の名はバイラム。戦場にて数々の武勲を上げ、まだ20代も半ばに差し掛かったばかりだというのに異例の速さで佐官にまで昇格した、いわゆる英雄というやつだ。
彼が心酔しているアクバル“将軍閣下”と同じく、王宮勤めとはいえ下民に過ぎないムハンマドにとっては、雲の上の存在である。
そんな人物から声をかけられたのに気安くしろなどとは。まったくお偉い人というのは何方も無理難題をおっしゃるものだ。
「まあいい。君には折り入って頼みがあるんだ」
バイラムが笑顔を崩さぬまま、脇に抱えた大きな箱を差し出してきた。紅い包装紙に緑色のリボン。どこから見てもプレゼントだ。
「これは?」
「アクバル閣下から姫殿下に、な。これを直接届けて欲しいんだよ」
「畏れながら……」
「もうそれは止めてくれ。こそばゆい」
「ではバイラム様。中身は何でしょうか?」
深慮を伴わない、ただ反射レベルにまで刻み込まれた『規則』に従っただけの問いかけだったが、途端にバイラムの様子が激変した。笑みを消し去ったかと思うと、真顔でじっとこちらを見つめだしたのだ。ほとんど睨みつけるような眼力で。
異様な気配を帯びだした青年に、知らずムハンマドは背筋を震わせた。酷く居心地が悪い。まるで刃物を突き付けられたような気分だ。
「それは秘密だよ。なにせ誕生日プレゼントだからね。サプライズさ」
「しかし規則では、姫様への贈り物の中身はすべてチェックさせていただくことになっております。例え将軍閣下からとはいえ、例外は……」
言い知れぬ圧力を撥ね退けようと、ムハンマドはなけなしの勇気を総動員して訴えた。
パーティーの進行表では、主役である姫様が簡単なスピーチをした後に、恒例のプレゼント開封をすることになっている。姫様がその時の気分でプレゼントを選び、中身を見て一喜一憂するのだ。来賓の中にはその反応を楽しみにしている者たちもいる。
だがもちろん万が一のことがあっては不味いので、ムハンマドを含めた大勢の下働きは、前もって送られてきた数百に及ぶ贈り物の全てを入念に調べている。ハディージャ姫はまだ幼いが、国王に次ぐ重要人物だ。会場に集まってくるお歴々も含めてその安全を守るためにも、危険物・不審物の類の有無は確かめねばならない。
その程度の安全管理など、軍人である彼の方が余程詳しいだろうに。
「なあ、おい」
不意に青年が詰め寄って来た。空いている方の手をムハンマドの肩に回し、そして耳元で囁く。静かに、しかし重苦しい力を込めて。
「お前は姫殿下と仲がいい。お前ならできると見込んで頼んでるんだ。分かるだろ?」
「ですが……」
「つべこべ言うな。ほら」
バイラムが箱を押し付けてくる。不承不承受け取ると、存外に重い。彼は易々と抱えていたが、ムハンマドの細腕ではとても無理だ。
「大事に扱ってくれよ。壊れ物だ」
「壊れ物……」
嫌な予感を覚えたムハンマドは、抱きしめるようにして持ち上げたその箱を凝視した。
近年、国王と軍部との折り合いが悪くなっているらしということは、まだ子どもであるムハンマドも知っている。
造反。
蜂起。
謀反。
父が愛読している新聞の1面には、毎日のようにそんなキナ臭い言葉が躍っていた。ムハンマドの同僚や王宮を警護する近衛兵たちも、最近の軍の動向に対しては皆一様に懐疑的な噂話ばかりだ。
まさか。
いや、そんな。だがまさか……
「おい」
バイラムがムハンマドを乱暴に揺する。その鬼気迫る表情には、もはや最初の頃の人懐こさは微塵も見えない。
「深く考えるな。その方がお互いのためだ。お前の周りの人間だって、きっとその方が助かる」
「それはっ……脅しですか?」
「いいや、単なる想像だ。自分は閣下からプレゼントの件を頼まれてはいるが、他の一切については関知していないのでね」
「結局同じことのように思えますが」
「あくまでも想像しただけだ。知らないことについては確言できない。……君もそうだろう?」
脅迫であることは明らかだった。
この怪しげな箱を姫様の下に届けなければ、この男だかその仲間だかがムハンマドを、そして家族を殺す。執事長として王に仕えている父を。調理師をしている母を。そして、“まだ生まれたばかりの妹であるファティマ”のことも。
押し黙って震えていると、バイラムが念を押すように言った。
「いいな? 君はただこれを運ぶだけだ。中身が何かなど知らない。だから何も問題はない」
「……」
「分かったのか?」
「……はい」
「よし」
バイラムがムハンマドの両肩に手を置くと、振り向くように優しくうながす。その先には、会場へ通じる扉がある。逃げ道はない。
今すぐに大声を出せば間に合うかもしれないが……否、相手は人殺しのプロだ。ムハンマドが怪しいそぶりを見せた瞬間に後ろから首をへし折り、すぐに代役を探すだろう。いざとなれば自分で手渡しに行くのかもしれないが。
「さあ行け」
背中を押され、ノロノロと歩き出す。ドアノブに手をかけると、背後から声がかかった。
「ああそれとな。これも勝手な想像だが、そのプレゼントを会場に置いたら、その場を離れておいた方がいい。なに、扉一枚隔てれば充分だ」
初めの頃と同じ爽やかな声。いったいどんな表情でこちらを見ているのだろうか。
だが振り向くことなどできよう筈も無く、ムハンマドは黙って扉を開いた。そして会場へと足を踏み入れる。
かちゃり。背後で扉が閉まる。このままこの箱を持って何処かへ走り出すべきだとの考えがよぎるが、それも無理だった。
歯の根が鳴りそうになるのを堪え、会場の中央へと向かう。そこにあるのは一等大きなテーブルの上に積み上げられたプレゼントの山だ。
―ああ、なんてことだ
自分を犠牲にするなど恐ろしくてできない。家族を失うことだって嫌だ。だからもう、言われた通りにするしかない。
あまりの恐怖に膝が笑いそうになるが、それでも懸命に父親から叩き込まれた所作で背筋を伸ばし、準備に勤しんでいる同僚たちに怪しまれないよう気を付けながら歩いていく。
そのときだった。
「あらムハンマド、何処に行っていたの?」
聞きなれた、天使のような声が響く。振り向けばそこには愛しい人が。ハディージャ姫様の姿があった。
「んもぅ、ずっと探していたのに。……にしても、なんだか顔色が悪いわよ」
「も、申し訳ありません姫様。あんまり準備に忙しくて」
「そう。ところでそれ、とっても大きいわね。誰からのプレゼントなの?」
抱えている箱を指さされ、心臓が止まるのではないかと思うくらいにぎょっとする。
「これはその。アクバル将軍閣下からです」
「アクバルから? ふーん……」
一瞬少女が不審な顔をする。一応招待客に含まれているとはいえ、父親との不仲が噂される男からの贈り物だ。怪しんだのかもしれない。いや、もしかすると、気付かれて。
「まあいいわ。それ、一番手前に置いてちょうだい」
「は?」
「一番最初にそれを開けるわ。きっとアクバルも、父上と仲直りするきっかけが欲しいのよ」
あっけらかんと言い放ち、少女が踵を返す。そしてステージのすぐそばにある控えの間―パーティーの開始と同時に、彼女がそこから登場する予定だ―へと姿を消してしまった。
少年はそれを見送ってから、やがてそっとため息をついた。そして言われた通りに箱をプレゼントの山の手前に置き……そして気付く。
―なんで俺、今ほっとしたんだ?
家族や自分の代わりにあの娘を犠牲にしようとしているのに、どうして。自分はそんなに彼女のことを軽んじていたのだろうか? 身分不相応であると理解しつつも、密かに恋慕する程には想っていた筈なのに。
ぐちゃぐちゃ考えていると、今度は会場の入り口の扉が開いた。そして来賓がどっと詰めかけてくる。ムハンマドは慌ててその場を離れると、先ほどバイラムに連れ込まれた裏口へと逃げるように跳び込んだ。
バイラムの姿はない。ムハンマドが指示通りに動いたのを確認したので、もう行ってしまったのだろう。
「うう……」
扉を閉め、背中からもたれかかる。やってしまった。脅されたとはいえ、とんでもないことをしてしまった。
やがて扉の向こうから、司会である大臣の声が聴こえてきた。祝賀パーティーが始まったのだ。次いで、クラッカーが弾ける音に、鳴り響く拍手。そして『おめでとう』の言葉の嵐。
扉越しにそれを聞きながら、ムハンマドは奥歯を噛み締めた。
「僕は知らないんだ。あれの中身が何かなんて。だから……」
そうだ。バイラムは、あの箱の中身については何一つ答えなかった。だから仕方がない。これから起こるであろうことに対し、ムハンマドは何らの責任ももたない。なにせ知らないからだ。
……いや違う。そんな卑しい下種のような言い訳など関係ない。家族を守るためだ。やむを得ない理由があるからだ。だから仕方ないのだ。
脳裏に父と、母と、妹の顔がよぎる。大事な家族。失いたくない。失うわけにはいかない。
そうだ。自分は決してわが身可愛さで姫様を売ったわけではない。そうではない。そうではないのに……
「姫様……」
今度は幼馴染の少女の笑顔が次から次に浮かんでは消えていく。
年が近いということで、いつも遊び相手をさせられてきた。
一緒に勉強もした。
毎日のように身の回りの世話もしてやった。
悩み事も聞いてやった。
ほとんど兄妹のような関係だった。
……でも本当は、もっと別の関係になりたくて。
「ああ畜生! やっぱり駄目だ!」
ムハンマドは大きく息を吸い込むと、ほとんど体当たりをするようにして扉を開けた。そして会場へ跳び込んでゆく。
「姫様!」
歓声にかき消されないように、必死に叫ぶ。来賓たちの中に突撃。しかし人の壁に弾き飛ばされてしまい、仕方なく足下を縫うようにして這いずり、ホールの中心を目指す。
見えた。美しいドレスで着飾った憧れの少女。今しも紅色の箱に手をかけ、リボンをほどこうとしている。
どうにか人垣を転がり出ると、ムハンマドは少女に向かって走った。
「姫様! ハディージャ!」
「……えっ?」
少女がムハンマドに気づき、目を丸くしてこちらを見た。すでにその手は、箱の蓋を開けかかっている。もう時間がない!
「駄目です姫様! それは……っ!」
喚きながら少女の手から箱を叩き落とし、即座にその身体に覆いかぶさろうとする。
その瞬間。
世界の終わりと思う程の激しい揺れと音がムハンマドを襲った。
ナインとの会合の明朝。空が白み始めるよりも前に、ムハンマドは動き出した。
貧民街にある打ち捨てられたあばら家の一室。ベッド脇の椅子から立ち上がり、準備を始める。
上着を脱ぎ、テーブルの上に置いてある数個の四角い粘土のようなものを取り上げると、それをシャツの上に押し付けテープで固定していく。最新式のプラスチック爆薬だ。軍内部の協力者が苦労して手に入れてくれたものである。
「思えば私は、あの頃から何も変わっていないのだな。世界を救うなどと嘯きつつ、結局失うことを恐れてばかりだ」
爆薬にコードを繋ぎ、その先端にグリップ状の起爆装置を接続すると、それをポケットの中にねじ込む。使用するには安全ピンを抜かねばならないので、誤爆することはまずありえない。
この爆薬は強力だが、それでも目標を確実に殺し切るためには可能な限り接近しなければならないだろう。これまでは護衛部隊という障害のために実行不可能だったが、あのナインのおかげでにわかに成功の可能性が出てきた。
この好機を逃す手はない。
―今度は必ずやり遂げるぞ。この娘のためにも
シャツを羽織りながら、ベッドへと視線を移す。
そこには1人の少女が。あの姫殿下の面影を残す愛娘ファティマが横たわり、くぅくぅと寝息を立てている。昨夜はあんまりムハンマドのことを心配するものだから、寝かしつけるのが大変だった。『行かないでくれ』、『一人にしないでくれ』と泣き喚いて。やはりあの方の血を引いているだけあって、これから起こることを理解しているらしい。
「すまないファティマ。お前の言う通り、親子3人で暮らせたらよかったのにな」
そっと手を伸ばし、涙の痕と髪を撫でる。
あの時は踏ん切りをつけることが出来ず、最愛の人を救うことができなかった。だが今回は違う。この身、この命を捨てでも、もう1人の最愛の人を護ってみせる。
「さらばだ我が娘。姫様の忘れ形見。どうか健やかであれ」
―ナインに声をかけなくて良かったんか?
―構わん。それより何故貴様までついてくるのだ
―心配だからに決まっとろうが。またぞろ悪さを働く気なんじゃろ?
―失敬な。ゲームだと言ったであろうが




