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メトロポリス・13

―うぅ…

―なんか、身体がムズムズする…


 スラムの中でも一等の地。

 …などと表現すると支離滅裂だが、要するにごみ溜めの中でも比較的綺麗で住みやすい区画に、『Crusher Cats』と名乗るギャング集団のアジトが存在していた。

 元はそこそこ裕福な家だったらしく、四方を壁に囲まれた1㎢の敷地内には、まだ崩れていない3階建ての家屋と、改造電気自動車が停められた大きな車庫がある。正門は辛うじて車両が走行可能な道路に面しており、監視カメラまで設置されている。底が抜けたプールに眼を瞑れば、まだまだ豪邸として通りそうであった。

 数々の抗争を生き抜いてきた元キングオブギャングの住まいとしては、やはりスラムの中でも一等と言えるだろう。


 その立派な玄関口に、歪な人の形をした機械が起立していた。

 人型重機だ。やはり既製品とは異なり、装甲板が前面に取り付けられている。丁度人間でいうところの頭に当たる部分からは、淫猥なタトゥーが彫られた禿頭が覗いていた。


「痒い…、痒い!」


 鋼鉄の棺桶の中で、禿頭のサイボーグ男は、忙しなく身をよじっていた。


 右腕が痒い。手首と、手の甲。右手の小指も。

 気のせいだと分かっているのに、掻きむしりたい衝動に駆られる。

 

 大戦中に失われ、機械に置き換わった右腕。それも憎たらしい探偵気取りに引きちぎられてしまった。だが感覚器官は止めてあるので、幻肢痛など現れることはないというのに。

 

―ああ、そうか。薬が切れちまったのか。


 男は荒い呼吸をつきながら、半ば絶望するように首を振った。


「畜生、畜生…」


 途端に嫌悪感が全身を這いずりだした様な気がして、男は一層悶える。

 一体何故自分は、こんな惨めな思いをしているのか。まともに身動きの取れない操縦席の中で、男はどうにか苦痛を紛らわそうと必死に頭を働かせた。


 考えてみれば、軍への復帰を志願してしまったことがそもそもの間違いだったのではないか。

 10年前の大戦真っただ中、男は大洋連合に所属する一兵卒だった。だが徴兵されて間もなくの初戦闘で、片腕と片足を失うという重傷を受けた。迫撃砲が至近距離で破裂したのだから、まだ運がよかっただろう。

 そこで傷痍軍人として故郷に帰り、僅かな年金を受け取ってせせこましく生きることもできたのに、愚かにもサイボーグ兵として生まれ変わる道を選択してしまったのだ。

 別に義務感や愛国心からの行動ではない。進んで被験体になることを志願した戦友たちに、臆病者と謗られることが恐ろしかった。何より、信じられない程の報酬を約束されたからだ。


 新たな肉体を得たその時は、素晴らしい高揚感に震えたものだ。

 防弾アーマーを着込んだ兵士を素手で吹き飛ばし、助走なしで30メートル以上を跳躍できる。耐弾・耐衝撃性を備えた特殊合金のボディに加えて、一週間休まず継戦可能なタフネスさ。

 ひ弱だった生身の頃では考えられないスーパーパワーに、戦友ともども喜んだ。


 『俺たちは、無敵の兵士に生まれ変わった!』…と。

 

 だが所詮は与えられた力に過ぎなかった。

 どれだけ強力で堅牢な鎧に身を包んでも、あの地獄の様な戦場で怯えて縮こまっていた軟な精神は誤魔化せず。程なくして、初陣で患いつつあったPTSDを発症して脱走してしまった。

 

 押し寄せる無数のクローン兵たちに恐怖し、蛮勇に狂った戦友たちを見捨てて、逃げて、逃げて、逃げて…。そしてたどり着いたのが、このメトロポリスだった。

 サイボーグ兵として終戦まで戦い抜き、退役軍人としての証明書を受け取った暁には疲弊しきった母国を捨てて、メトロポリス軍警察へ入隊。さらには、上層区への居住。現代の特権階級でない人間にとっては、理想的な生き方だ。

 

 だが現実の男が置かれた立場は、それとはまったく逆である。

 薄汚いスラム街でギャングなどと粋がる連中の用心棒をすることになるなど、終戦前に想像がついただろうか。


 それでも、戦場にいるよりは遥かにマシだった。確かに劣悪な環境ではあったが、腹いっぱい食えるし、何より命の危険がない。ほぼ余すところなく機械化し身体を見せびらかしてやることで、気の小さい連中は萎縮し、へいこらする。気分がよかった。


「それなのに、アイツのせいで…」


 残された左腕に、力がこもる。重機の腕部がそれを正確にトレースし、二本の爪を挟むようにして閉じた。丁度、何かを掴んで潰すように。


―あの忌々しいマトイ! あの男さえいなければ、俺のスラムにおける地位は安泰だったんだ!

―あの野郎に右腕を折られてから、『Crusher Cats』の連中すら俺を『サイボーグ崩れ』などと呼びやがる。

―以前は卑屈な態度でお伺いを立ててきやがったのに、今では頭ごなしだ。


 ただでさえ先日の抗争で無様な姿を晒したというのに、虎の子の改造重機を1台オシャカにしてしまったことも、評価を下げる一因になっている。マトイへの復讐は果たせたとは言え、最早『Crusher Cats』における男の地位は皆無に等しい。

 だから、今まさに始まろうとしているであろう“お楽しみ”に加わることを許されず、こうして隠れ家の門番なんて仕事を押し付けられたのだ。

 全体、サイボーグ化手術に伴い生殖器を失ったため、楽しもうにも楽しめないのだが…


「ん…?」


 ふと、男は気配に気が付いた。

 ドラッグの効果が切れて過敏になった神経と、腐っても軍人として実戦を経験した感覚が、何者かの接近を察知したのだ。


 男は冷や汗をかきつつ、人型重機を操作した。機体がきな臭い方角を向き、閉じていた爪が鋏の様に開いて攻撃態勢を整える。

 先刻は生身の人間だったために上手くいったが、相手が軍警察ではそうはいかない。ましてや、あの化け物のような女たちでは…


 かつんっ


 道路の向こうから現れた人影が、瓦礫を蹴とばした。小さな破片が人型重機の脚部にあたり、乾いた音をたてる。


 1人だ。

 他にはいない。

 軍警察の様なごてごてした装備もなく、ただ右手に“密造銃”をぶら下げ、足を引きずるようにして近づいてくる。

 俯き加減なので顔はよく見えないが、血に塗れたよれよれのトレンチコートは、何処か見覚えが…?


「いよぉ…、さっきはどうも…」


 人影が顔を上げ、“密造銃”の銃口をこちらに向ける。

 血の泡をつけた口の端が、釣り上がっていた。










―まったく世の中というやつは分からないもんだ。


 一仕事を終えた後のアジトで、『Crusher Cats』の頭領はそう思った。

 ほんの1カ月前まではスラムの王として君臨していた自分が、たった1人の用心棒のために弱小チームにその地位を丸ごと奪われた。かと思えば、突然の軍警察の手入れによって、連中は壊滅状態。用心棒の住処へのカチコミは空振りに終わったが、『サイボーグ崩れ』が復讐を果たしてくれたらしい。

 このままいけば、スラムでの地位を取り戻すのは容易だ。


 1階の大広間。

 数十人のギャングたちが、計画の達成と戦利品の算用に沸き立っている。

 トークン、食料、良く分からない電化製品に、本。あの用心棒の住処から持ってきた物だ。殆どは役に立ちそうになかったが、それでもトークンの数枚にはなるかもしれない。何より敵対者から全てを奪うというのは、復讐を成し遂げるという意味において重要なのだ。

 この“おまけ”も含めて。


「あの小娘どものこと、よかったんですかい?」


 ガラクタを吟味していた部下が、気を取られる頭領に声をかけた。

 小娘というのは、奇妙な格好をした3人の余所者たちのことだ。丁度『Bloody Boys』との抗争に敗れた頃に、とんでもない値打ちがありそうな“きんか”を大量に持ってきて、人探しの助力を求めてきたのだ。

 初対面のときに部下たちを数人叩きのめされ、女と侮ることは止めていたが、化け物じみた強さをもっていても所詮は人間だ。

 

「手掛かりはくれてやっただろうが。『あの探偵気取りの男』が怪しいってな」


 頭領は“おまけ”から眼を放さずに答えた。


 実際、手助けはしてやった。

 『“尖った帽子”を被った“桃色の髪”の少女は、スラムでも名の知れた用心棒を探し周っていたらしい』

 たったこれだけの情報で、“きんか”が10枚だ。

 だが、そこで問題が起きた。依頼主の女たちが、『これ以上は手出し無用』と、こちらの介入を突っぱねたのだ。

 

「あの女たち、このまま黙ってるとは思えませんぜ」

「ここを襲われたら不味いですよ、あの『サイボーグ崩れ』は役に立たねぇ」

「構うもんかよ。“コイツ”が俺たちの手にあるなら、いくら強くたって無茶はできねぇだろ」 

 

 衰退の原因となった敵用心棒への報復は、今後のスラムにおける復権のためにも、避けては通れない道であった。

 悩んだ末、頭領は先手を打つことにした。『あの用心棒は、闇市を取り仕切るギャングと懇意にしている』と伝え、とっくに探り当てていた根城へは自分たちだけで襲撃をかけた。

 今頃依頼人たちはカンカンだろう。しかし、こちらには切り札がある。


「すんげぇ美人だよなぁ、見たことないぜ」

「ああ、商売女とは全然違う。上層の人間なのかね?」


 ギャングたちが、床に横たわったまま動かない“おまけ”こと桃色の髪の少女を眺めながら、口々に呟いた。じっとりと粘ついた視線の中に、情欲の炎が揺れる。

 なんとも色鮮やかな髪はもとより、整った顔立ちに穢れのない肌。この場の誰一人として眼にしたことはないが、芸術品というのはこういうもののことを言うのだろう。


 この少女こそが、依頼人が探し求めていた人物。化け物共への切り札にして、さらなる利益を呼び込む幸運の女神だ。あの用心棒の下に転がり込んだ可能性が高いと踏んではいたが、まさか本当に捕えることができるとは僥倖だった。


「んぅ…」


 野卑な男たちに囲まれていることなどつゆ知らず、少女が気だるげに寝返りを打つ。その艶めかしくもすれていない仕草に、ギャングたちは生唾を飲み込み、舌なめずりをした。


 人型重機のアームで摘まみ上げた際に気絶し、そのまま目を覚まさないでいるが、息はしている。骨折も、目立った外傷もない。まだ“使える”、ということだ。


―よし、決めた。


 頭領は1人頷き、少女の顎を掴んだ。指先から伝わってくる、吸い付くようで、それでいて実に滑らかな感触。スラムで何人も囲っている娼婦どもとは、比較にもならない。まさに、天からの落とし物といったところだろうか。  


「ひでぇな頭領、抜け駆けかよ」

「こんな上玉、独り占めするなんて殺生だぜ」

「うるせぇな、まずは俺だ。その後はお前らで好きにしろや」


 部下たちに釘を刺しながら少女の胸倉に手をかけ、上等なシャツを力まかせに引きちぎる。すると鋭い音と共にボタンが幾つか飛んでいき、胸元が露になった。形の異なるネックレスが2つ、ちゃらちゃらと激しく揺れる。


「取り合えず、飽きるまでは遊ばせてもらおうか。その後はあの女どもを脅して、“きんか”をもっと頂いてやろう」 


 強敵を討ったという達成感が、頭領に自身の器の大きさを誤認させ、軍警察のスラム襲撃という一大事を楽観視させる。鬱憤と緊張により、すでに理性はブレーキが利かない状態に陥っていた。

 もとより、こんな上物の女を前にして、どうして我慢などできようか。

 

 股間の怒張を抑えきれなくなった頭領の手が、いよいよ少女の身体を隠している布切れの残りへと伸びていき…





 カッ!!





 突如正面の窓から、強い光が飛び込んできた。立て続けに三度。次いで、野太い叫び声。

 雷光の如き激しい明滅に、ギャングたちが眼をくらませて慌てふためく。


「な、何だぁ!?」


 少女のズボンのジッパーに手をかけていた頭領を始め、ギャングの一同は跳び上がった。手に手に密造銃を構えて、広場に直結している玄関の扉の方を向く。


 ばきばきぃっ!

 ずずんっ!


 身を硬くするギャングたちの眼前で、扉が代用チョコレートの様に割れ、砕け散った。そして同時に広間へと倒れ込んできたのは、人型重機だ。

 だが、様子がおかしい。

 操縦席で悶絶しているサイボーグ崩れはもとより、重機の両膝部関節から下が切られているのだ。その切り口は、まるで溶断されたように滑らかである。


「ぐ、軍警察の手入れかぁ!?」


 泡を食った頭領が、密造銃を振り回しながら叫ぶ。

 だがその懸念に反して、重火器を担いだ鎮圧部隊が突入してくる気配はなかった。その代りに、かつんかつんと足音を響かせながら、人型重機のボディの上へ登ってくる人影が。


「違ぇよ、名ばかり探偵だ」


 その人影は。


 マトイは、静かにそう答えた。



―え

―ここ、どこ?

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