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勇者と魔王の世界・14


 廊下を突き進むバイラムの姿は、はた目からも近づきがたいオーラを放っていたのだろう。

 すれ違う政治家や官僚たちは、こちらを一目見るなり顔を背けたり道の隅に退散したりと、怯えたような態度ばかりをとった。

 つい数日前まで任務内容について不服を述べに来ていた、若いが気骨のある部下たちでさえ同じような有様だ。

 実際、現在の自分が感情に飲まれてしまっていることは、バイラム自身がよく分かっていることだった。

 執務室が近づくにつれ、足取りはいよいよ勢いを増していく。ほとんど小走りの状態だ。単なる状況報告に過ぎないというのに、気が急いてしまって仕方がない。それに、こんな雑務のようなことは部下に放り投げてしまうべきだとも思う。

 だがバイラムはそうしなかった。理由は単純だ。こんな些細なことにかこつけてでも、大統領に会うべきだと思っていたからだ。


「開けろ」


 執務室前の扉に到着するなり、見張りをしていた部下の護衛官たちに命じる。彼らは、「はっ」と短く返答し、きびきびとドアノブに手をかけた。

 大統領に面会するとなれば、例え護衛部隊の指揮官と言えども事前にチェックを受けることになっている。そのように取り決めたのは、他ならぬバイラム自身だ。

 それなのに、つい先日訪れた“あの青年”のせいで、そういった諸々のルールを無視せねばならない現実がある。口惜しくもあるが、今だけは煩わしい思いをしないで済むのは良かった。


「失礼します」

 

 暗澹たる思いで入室する。執務室の中には、2人の人間がいた。

 1人は大統領だった。彼がこの部屋にいることを承知の上で来たのだから、当然である。そしてもう1人は……件の青年ことスィス二世だった。向かい合うようにして椅子に座っている。

 いったい何の話をしていたのやら。バイラムが入室するなり、大統領はいかにもきまりの悪そうな表情で肩をすぼめた。その卑屈な姿に、無礼ながらも嘆息をしてしまう。

 あの勇敢で威厳に満ちていた上司の姿が、もう見る影もない。

 どんな危機や困難であっても、素晴らしいひらめきと胆力で乗り越えて来た漢の中の漢。バイラムを始め、多くの仲間たちを力強く導いてきた“勇者アクバル”。その栄光はもはや記憶の彼方に消え去り、ここにいるのはただの疲れた老人だ。


「悪だくみの最中でしたかな? お邪魔してしまったようで申し訳ありません」


 肩をすくめ、皮肉を投げつける。以前のバイラムならば考えられない行為だったが、大統領の反応も同様だった。


「バイラム、何を馬鹿な……!?」


 口だけは非難しつつも、ちらちらとスィス二世の方を窺うアクバル。ただでさえ顔色が悪いところに、さらに血の気が失せて、肩がぶるぶると痙攣のように震えている。

 6歳になる2番目の息子が、悪戯をして家の絨毯を燃やしかけたときも、確かこんな感じだっただろうか。


―ああ、なんと情けない……


 そう思わずにはいられなかった。

 今の大統領の心中には、この得体の知れない青年の機嫌を損ねたくないというその一点しかないようだ。世界を束ね、あまねく人類を救うという重責を担う人物にはふさわしくない姿だ。

 そこでバイラムたちの様子を観察していたスィス青年が、ゆっくりと口を開いた。


「貴方の推測は、おおむね正しい。私たちは企てをしている最中だった」

「ほう?」


 胡散臭い顔つきで問い返すと、スィス二世は笑顔を湛えたままさらに答える。


「閣下が、この世界の行く末に関して憂慮されておられたのでね。微力ながら、助言をさせていただいた」

「この世界の未来について考えるのは、確かに閣下の仕事だ。しかしお前が何の役に立つ? 偉大な父親の、半分の能力も持たないお前が」

「バイラム、よせ!」

「その通りでしょう、閣下。この程度の男が、貴方の御役に立てるとは思えません」

 

 唸り声を上げるアクバルに対し、真っ向から食って掛かる。

 あるいは、あの善良にして優秀だった初代スィスの方ならば、大統領の補佐となれたのかも知れない。事実、彼の経営能力や人脈は、監視していたバイラムから見ても尋常ならざるものだった。

 だが残念なことにあの老人は、恐らくは反体制組織レジスタンスどもの襲撃によって殺害されてしまった。アクバルも、さぞや無念だったことだろう。

 しかしその後、突如として現れた二世を名乗るこの青年。こいつは父親とは比肩することすらおこがましい愚物だ。

 さしたる実績は無く、美食に女にギャンブルと日がな一日遊び惚けてばかり。我が子らには絶対にこうはなって欲しくないと思う様な、典型的な駄目人間だ。

 一度だけ、こちらの情報を掴んでいるかのような言動を見せたが、あんなものはただの脅しだ。おおかた初代スィスからのささやかな入れ知恵されたのだろう。

 

「バイラム。お前はそんなことを言うために、わざわざここにきたのか」

「いいえ。先程、そこの二世殿の関係者が、街中で騒ぎを起こしまして。その件でご報告に参りました」

「関係者……まさか、まだ監視をしていたのか!?」

「規則ですから。閣下に近づく人間は調べるようにしています」


 今までよりもかなり規模は縮小したが、それでもこのスィス一味に対する調査活動は滞りなく続けられている。金回りや人間関係、それこそ反体制組織レジスタンスどものような危険な連中と繋がっていないかを、用心深く。

 なにせ国家の、それどころか世界最高の権力者に接近してくる者なのだ。その背後関係は、徹底的に洗わなければならない。


「いくら貴方の“お気に入り”であっても、この規則だけは遵守させていただきます」

「さっきから聞いていればお前は。いい加減にしろ!」

「違うのですかな? 貴方と対面してからたった1日かそこらで、もうこの男はこの大統領府を我が物顔で歩き回っている。聞けば機密書類の閲覧までお許しになったとか? 彼に雑用を命じられた部下にも確認をとりましたよ」

「うむ……」


 激昂して立ち上がりかけていたアクバルが、その姿勢のまま硬直してしまう。呆れたことに、こちらが知らないでいると思っていたのだろう。

 バイラムは大統領直属の護衛部隊の、その指揮官を任ぜられた男だ。大統領の安全を護るため、その周囲には常に目を光らせている。スィス二世という異物がここに紛れ込んだ今、わずかな変化にも神経を尖らせるのは当たり前だというのに。

 

「ふむ。ふむふむ」

「……なんだ?」

 

 スィス二世が愉快そうに頷いたのを見て、バイラムは矛先を変えた。

 大統領もそうだが、もっとも気に入らないのはこの男の存在だ。全体、この男が現れさえしなければ、何の問題も……


「嫉妬だ」

「なにっ」

「気に障ったのならば失礼。しかし貴方の態度からは、閣下に対する怒りと愛情の両方が見えたように思えてね」


 手の中で杖をくるくると回しながら、青年がそう指摘した。杖にくっついている宝石が、ぎらぎらと怪しい光を放つ。

 嫉妬。その通りなのだろう。

 バイラムは今、この青年に対して嫉妬心を抱いている。

 バイラムは、アクバルが大統領の地位につく以前から、ずっと彼の下で働いてきた。彼の“力”に魅せられ、心酔し、信頼を勝ち取るために長い年月をかけてつくしてきた。

 それなのにこのスィスとやらは、たった1日でアクバルを虜にしてしまった。

 彼が大統領府という自分の居城を。かつて“魔王から勝ち取った”この宮殿を、半ば彼に明け渡していることからも、それは明らかだ。挙句、部下たちまで使用人のようにこき使わせているというのだから信じられない。

 バイラムも、その部下たちも。現在護衛部隊としての任に就いている者たちは皆、10年前までは軍人としてアクバルの為に命懸けで闘っていたのに。そんな自分たちを差し置いて、どうしてこんな男を。


「ふむ。ふむふむ。いや素晴らしいな、実に素晴らしい」

「今度はなんだ?」

「実は、閣下にも申し上げたのだよ。後継者として相応しいのは、君なのではないかとね」

 

 スィスが口の端を釣り上げながら、杖の先でバイラムを指す。

 とんでもない発言だった。バイラムが大統領の後継者など、あり得ないことだ。何故ならバイラムには、彼のような“力”がない。例え継いだとしても、間違いなく失敗する。

 その程度のことは、“力”がなくとも容易に予測できる。


「光栄なことではあるが、それは閣下のご息女の役目だ。私程度には到底務まらない」

「いやいや、適任だよ」


 二世が椅子から立ち上がり、芝居がかった仕草で両手を広げた。


「大統領の懐刀にして、長年の戦友。そんな貴方が、長年に亘る魔王の所業に、ついに反旗を翻す……」

「何を……言っている?」

「つまり貴方が、この世界を救う新たな勇者となるのだ。“かつてのアクバル大統領”のように。なかなかに劇的ドラマティックで、民衆が好みそうなストーリーではないですかな」


 そのときスィス二世に殴りかからなかったのは、バイラムの中にわずかばかりに残っていた理性と、そして敬愛する大統領への忠誠心のおかげだった。曲がりなりにも大統領の客人なのだから、殺す訳にはいかない。

 それ故にいきり立ったバイラムは、溜まりに溜まった怒りを代りにアクバルにぶつけることにした。

  

「本当なのですか、閣下!? こんな……侮辱にもほどがある! 私は貴方を……!!」

「あくまでも、選択肢の1つとしてだ。もちろん作り話だし、本当にお前が私を殺す必要はない」

「当たり前です! それに、演技だろうがなんだろうが、そんな真似はお断りだ!」

「だが、そういった事態があり得ることも頭に入れておいてくれ。事実として、私の治世は上手くいっていない。もう限界なのだ。分かるだろう?」

「閣下、そんな弱気はお止めください。この世界をまとめ上げたのは、紛れも無く貴方の御力なのに」

「お前が私を慕ってくれるのは嬉しい。だが、引き際は分かる。私ではもう駄目なのだ」


 憤るバイラムの肩に、アクバルがそっと手を置いた。

 早くから父を亡くしたバイラムを、若い頃から支え、鍛えてくれた男の手。だが、もうあの頃のような力強さはまったく感じられない。

 彼は酷く老いてしまった。そして、かつての“力”を失いつつある。だから縋ろうとしているのだ。バイラムに、そして胡散臭いことこの上ないスィス二世に。


「さあ、報告があるのだろう? 聞かせてくれ」


 アクバルが椅子に座りなおし、優しく促す。

 バイラムは神妙な面持ちで頷き、懐から数枚の写真を取り出しかけたが……そこではたと気が付いた。本人の眼の前で、その関係者についての調査情報を述べるというのは、いろいろと問題があるのではないか。

 しかしその懸念は無用のようだった。ちらと横を見れば、スィス二世は薄ら笑いを浮かべて頷いている。

 探られて困る程に、腹は痛くないということか。それとも探ったところで無意味だということか。あるいはひょっとして、本物の馬鹿なのか? もう考えるだけ無駄に思えてきてしまう。

 ともかく、アクバルに写真を手渡した。


「彼の護衛、ナインでしたか? 彼が街中で浮浪児と口論になったようです。これはその際の、近くの監視カメラの映像です」

「これは……まるで取り囲まれているように見えるが」

「ええ。何故だか周囲の民衆が、暴徒化しかけまして。恐らく少女を庇ったのでしょうが、ほとんど彼に襲い掛かりそうな勢いでした」

「たかが浮浪児を庇うだと。こんな大勢で。妙な話だな」


 アクバルが写真を眺めながら、鼻を鳴らした。二世もまた、横から興味深そうに写真を覗き込む。何かボロを出してくれればと淡い期待をしたが、ナインを心配している様子すら見えなかった。

 自分の護衛をしている男が危うく殺されかけるところだったというのに、なんとも落ち着いたことだ。やはりろくな人間ではない。


「その後、事態は沈静化したようです。しかし、彼らの足取りは……閣下?」


 そこでバイラムは、アクバルが一枚の写真を凝視しているのに気づいた。ナインという名の青年と揉め事を起こした、浮浪児の姿を写し取ったやつだ。その少女の顔を見つめ、眼を細めている。


「閣下、いったい―」

「この娘……この娘は……まさか?」

 

 やがてアクバルの身体が震え出した。ガタガタと、恐怖に飲まれたように。


「まさか、生きていたのか?」


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