勇者と魔王の世界・13
本屋に入ると、まずはぐるりと周囲を一瞥する。
掃除は行き届いているようで、ぴっちりと整理された本棚には埃の1つも見えない。天井付近には陽の光を取り入れる窓が開いているが、本が焼けないように角度が調節されている。おまけに店内の至る所に小さな椅子が用意されており、雰囲気のいい音楽なんかも流れていた。
個人経営なのか規模は大きくないようだったが、良い店だった。
こんな状況でもなければ、ちょっとくつろぎながらテキトーにその辺の一冊を抜き出し、読書タイムに突入したいところである(ドスと同じく、ナインも読書が趣味なのだ)。
―ま、それは次の機会にとっておくかな
後ろ髪を引かれる思いで、まずは店員を探す。
あまり広くないので、すぐに見つけることができた。少し奥まったところの本棚の前で、メモを取っている太めの男性が1人。たぶん店主だ。在庫の確認でもしているのだろう。
「おい、裏口は?」
「は? なんですか、いったい?」
「ちょっと緊急事態なんだ。教えてくれ」
駆け寄りつつ声をかけると、その男は怪訝な顔つきでこちらを見た。そして、先ほどナインが通ったガラス戸を指さす。
「この店の出入り口は、あそこだけですが」
「そうか……なら、トイレは?」
「ああ! それでしたら、あの先に」
どうもナインの剣幕から何かを勘違いしたらしい、男が苦笑交じりに、店の一画にある木製の扉を指さす。表札には『スタッフルーム』と書かれていた。
「入ってすぐ右手の方にあります。使うのは構いませんが、汚さないでくださいね?」
「ああ、ありがとよ」
「ちょっとナイン! なんなんですか!?」
今頃になってノーリたちが入店してくるが、忙しいので無視だ。店主に軽く礼を言ってから、すぐにそのスタッフルームに跳び込む。
そこは、机と段ボール箱ばかりが置かれた小部屋だった。右を向くと、男の言った通りにまた扉がある。迷わず突入。
「あった!」
個室のど真ん中に便座型の便器が1つ、でんと設えられている。脇の壁には小さめの洗面台もあり、ご丁寧にタオルまでかけられていた。
さっきの店内と同じく、綺麗に掃除されているトイレだ。どうやらあの店主、かなりマメな性格らしい。
喜色を浮かべ、後ろ手にトイレの扉を閉める。もちろん、本当にもよおしたわけではない。本当の目的は、便器の“向こう”にあるもの。
窓の方だ。
「どれどれ……」
レバーを軽く捻って引っ張ってやると、窓はすんなりと開いてくれた。
軽く頭を覗かせる、外の様子を確認。首を回せば、裏路地の向こうに表通りが見える。これならば、うまく“裏をかく”ことが出来そうだ。
ナインは一人頷くと、さっそく便器の蓋の上によじ登った。土足なのが申し訳ないが、なにぶん緊急事態なので、容赦してもらうことにしよう。
クロールの要領で右腕を伸ばし、手、肘、肩と首の順で、窓の外へと這い出していく。
ちとキツイが、どうにかギリギリ通ることができそうだ。そのまま右手を外壁につき、上半身を引っ張り出して……
「ぐっ!?」
思わぬ事態に陥ってしまった。左肩と脇腹が、窓枠にぎっちりとはまってしまったのだ。
マズイ、予想していたよりも狭い。どうしようか。
一瞬、大声を上げてノーリたちを呼ぶ案が頭をよぎるが、即座に却下した。怒られるよりも、まず間違いなく笑われる。その上で他の団員に吹聴される。
死に等しい恥辱だ。絶対に自力で解決せねばならない。
「えぇい、こなクソッ!!」
深く息を吸い込み、力いっぱいに便器を蹴立てる。すると、ベキベキという耳障りな音と共に、少しずつ身体が外に向けて動き出した。
―やった! これなら……!?
と、安堵した途端。
一際大きな音を立て、窓枠ごとナインの身体が壁からすっぽ抜けた。
まるで放たれた砲弾のように、束の間宙を舞うナイン。しかし1秒と経たずにその身体は重力の虜となり、汚らしい裏路地へと墜落してしまう。
しかも、窓枠に上半身を固定されている形で。
「ぐおぁっ!?」
満足に受け身を取ることもできず、そのまま五体で接地。上等なスーツの上下と、ついでに顔面が、一瞬で砂埃に塗れることと相成った。
「いててて……。散々だな、クソが……」
酷く間抜けな格好だったが、とにかく脱出することには成功した。衝撃で壊れかけた窓枠を剥ぎ取り、スーツと顔の埃を払う。どちらも丈夫な造りなので、この程度では傷一つつきはしない。それに誰にも見られていないので、恥もかかずにすんだ。
完全にノーダメージ。ノーダメージだ。
ナインは誰にともなく咳ばらいを1つすると、小走りに小道をつき進んだ。そして、そっと表通りを窺う。
先程自分が通った本屋の入口の付近に、いた。
ボロボロのキャラクター物のシャツに身を包んだ、1人の少女の姿。間違いない。
一度目はナインの財布を奪い、二度目は情報収集の妨害をした、あのストリート・チルドレンだ。
―今度こそ逃がさねぇぞ……
何食わぬ顔で表通りに出ると、本屋の方向へ。つまり、店内を窺っているであろう少女の背後に向かって歩き出す。
人混みの中だが、念のために出来るだけ気配を殺しておく。果たしてその効果があったのか、接敵するまで対象に気づかれることは無かった。
「おい」
「ひゃぁっ!?」
後ろからがっしりと肩を掴んでやると、少女は跳び上がる様にして驚いた。そして肩越しにこちらを振り返り、再び驚いた表情になる。
「そんな。……この店に、裏口はないはずじゃぁ」
語るに落ちるとはこのことだった。
この三度に亘る接触は、偶然ではない。この少女は、何らかの意図をもってナインに近づいてきているのだ。
「調査が甘いな。トイレの窓のことを忘れてるぜ」
「あれ? でもあそこの窓、かなり小さくなかったっけ?」
「うぐ……」
「え、まさか壊したの? そこまでやる? フツー」
「う、うるせぇ! 他人様の財布に手ぇ出した奴に言われたかねぇや!」
図星を刺されてイラついてしまうが、さすがにこんな子どもに乱暴はできない。
とりあえず右腕を掴んで背中の方にひねってやり、逃走を封じる。道行く人々に「何でもないんですよ」と苦しい言い訳をしつつ、尋問を開始。
「で、お前は何者だ。何の目的で嗅ぎまわってる?」
「私はただの宿無しだよぉ。またカモが来たから、スろうと思ってただけだよぉ」
「ツラが割れてんのに、同じ相手の近くをうろつくスリがいるかっての。なめんな」
これで自分の財布をスられたことにも気づかない間抜けが相手ならば、何度でもカモにしてやろうと思っても不思議ではない。だが1度目の邂逅の際には、ナインはしっかりと自分の被害を認識している。少女もそれは理解している筈だ。
さらにもう1つ、はっきりとした状況証拠があった。
「やっぱりそうだ。前に会ったときもそうだったが……。お前、宿無しじゃないな」
「え? そんな言いがかりを」
「“綺麗すぎる”んだよ」
宿無し、つまりストリート・チルドレンというやつらは、その日をどう生き抜くかに精一杯の連中ばかりだ。身なりに気を回すような余裕など無く、つまり一言で言えば不衛生なのである。
風呂にはもちろん入らないし、洗濯だってしない。だから本来は垢だらけで、臭気がとんでもないことになっている。故郷のスラムでは、そんな有様のガキ共がゴロゴロいたものだ。さらにこっちの世界では、ノミやシラミも酷いことになっているだろう。
だのにこのクソガキは、異様な程に臭わない。こうして腕を掴んでいても、わずかに汗のべたつきを感じる程度だ。
前回もそうだった。つまりコイツは、身なりこそ見すぼらしいが、中身はその限りではない。ストリート・チルドレンを装っているだけなのだ。
「さぁ、神妙に白状しやがれ。演技までして、何が狙いだ?」
「ちくしょう、ちくしょう……」
勝ち誇るナインに対し、この期に及んでまだ抵抗の素振りを見せる少女。しかし、所詮は大人と子どもだ。知恵比べでも力比べでも、ナインに敵う筈がない。
後はゆっくり、煮るなり焼くなりと……
「やめろぉっ!」
そこで、突如邪魔が入った。
怒声を上げながら、1人の少年がナインを目掛けて突撃してきたのだ。
その左手には、小さなきらめき。ナイフだ。
「ちっ!」
反射的に少女を突き飛ばし、身構える。下手にかわしたり転ばせたりしたら、周囲の人間や少年自身に怪我を負わせかねない。
咄嗟に左手を突き出し、ナイフを握る少年の手をつかんで向きをそらす。そして空いた右手で、少年の襟首をとる。
「がっ!?」
突進の勢いが災いし、少年の首が服の襟によって締め付けられる。そのまま足を引っかけてやり、地面に転がす。かなり手加減をしてやったので、頭を打ち付けるようなことにはならなかった。
「馬鹿がっ。ガキが物騒な物を振り回しやがって」
背中を押さえつけながら、手からナイフをもぎ取る。そしてその際に気付く。
―右腕が、ない……?
もしやと思って顔を確認し、驚愕する。
なんとこの襲撃者、先日会った新聞売りの少年ではないか。
「お前、なんで?」
「うぅ……逃げろ、ファティマ!」
苦悶の表情を浮かべながら、尻もちをついている少女に向かって少年が叫ぶ。どうやらこのファティマという少女とは、知り合いであるらしい。
ナインに捕まった彼女を見て、助けようとしたのか。だがナイフを抱えて突貫してくるとは、いささか直情的過ぎやしないだろうか。恋仲なのかも知れないが、それにしたって無茶が過ぎる。
などと思っていると、さらに事態は妙な方向へと転がり出した。なんと周囲で見ていた通行人たちが、怒りの声を上げ始めたのだ。
あろうことか、ナインに向かって。
「おいお前、その子たちを離せ!」
「余所者め、ただじゃおかねぇぞ!」
「構うこたぁねぇ、やっちまえやっちまえ!」
口々に叫びながら、ぐるりとナインを取り囲む群衆たち。その殺気を帯びた眼は、いずれも被害者である筈のナインに向けられている。
まったく予想外の出来事に動けないでいると、騒ぎを聞きつけたノーリとチィが、本屋から跳び出してきた。
「ちょっとちょっと! 何事です!?」
「無事か、ナイン!?」
「いや、俺にも何が何だか……」
実際、まったく訳が分からない。
少女をふん捕まえたところまでは良かったのだが、直後に少年に刺されかけ、今度は群衆に袋叩きにされそうになっている。子どもに暴力を振るったと勘違いしたにしては、ちょっと常軌を逸した雰囲気だ。見れば、手に棒切れやレンガを持った者がまでいる。
はっきりとした原因は分からないが、とにかく良くない状況であることは間違いなかった。このままでは、ノーリにまで危険が及んでしまう。ここはチィの力を借りてでも、強行突破して逃げるしかない。
ナインがそう決意し、懐の熱線拳銃に手を伸ばした、まさにそのときだった。
「ちょっと待ったぁぁぁあーーーーーー!!」
ファティマと呼ばれた少女が絶叫した。
瞬間、すべてが動きを止める。
ナインの下でもがいていた少年も。
今にも跳びかかろうとしていた群衆も。
車道を走っていた車までもが。
まるで少女の命令に従うかのように、一斉に静かになる。
「な、なんなんですか、貴女は……?」
訝るノーリに対し、少女は何も答えようとしなかった。ただ黙って眼を細め、ノーリをじっと見つめている。
奇妙な沈黙が、一帯を包みこんでいた。誰1人として動かない。動こうとしない。変な緊張状態が続き、ナインまでもが動けないでいた。
いい加減にしびれを切らしそうになった頃、ようやく少女が動く。
「ああ、やっぱり間違いない!」
何やら感極まったような声を上げながら、とてとてとノーリの下に駆け寄る。そして彼女の手を取ると、恭しく跪いて言った。
「貴女こそ勇者様! この世界と、私たちをお救い下さる救世主様ですね!」




