勇者と魔王の世界・10
「あらぁ、お帰りなさぁい」
「なんじゃお前さん、戻ったのか」
「お客様ですわよ!」
団員たちの挨拶に軽く手を挙げて答えながら、黒い肌の青年が部屋に入ってくる。
人懐こい笑みを浮かべ、愛用の杖をくるくると弄びながら、尊大な足取りで。
「クソジジイめ。結局くるんじゃねぇかよ」
つい先ほど呼び掛けたときは気のない振りをしていやがったくせに。
それにしても随分早いが、たぶん瞬間移動してきたのだ。団員の証として皆が携帯しているペンダントに備わっている、便利機能の1つだ。
「貴方はもうご存知だろうが、改めて名乗らせていただこう。ここを取り仕切っている、スィスです。二世と呼んでくださって結構」
その自己紹介を受け、バイラムが呆けたように言った。
「まさか……まだ、ホテルにいる筈では……?」
「いやぁ、なに。秘密の抜け道がありましてな」
バイラムがスィスからの喝破を受けた際には、彼はまだここから離れた別の場所に居たのだろう。だからスィスと鉢合わせしないようにと、このタイミングでマンションに転がり込んできた。
自暴自棄に見えたが、しっかりと考えている。残念ながらその目論見も、敢え無く潰えたようだが。
「どういう風の吹き回しです、スィス?」
どうも『取り仕切っている』のくだりが気に障ったらしい、ノーリが眉をひそめる。
「てっきりナニで愉しんでおられるかと思ってましたよ」
「こちらの方が退屈しのぎになりそうなのでな。さあ交代だ」
「いえ……まだ話の途中で」
「彼が用があるのは“貴様”ではない、“我”だ。いいから退け」
ノーリが口をとがらせ、のろくさと立ち上がる。空席になったソファにどっかと腰を下ろすと、スィスは長い足を組んだ。
「さて、“私”に御用だとか?」
「い、いや」
「そんなに畏まらないで。それにしても慎ましい方だ、私のことを知りたいのなら、直接お聞きくださればよいものを」
「私は……」
「さあぁ、遠慮なさらずに。可能な限りにお答えしますよ」
監視されていたことに怒ったという話だったが、スィスの態度は随分と柔らかかった。しかも猫なで声だ。
対するバイラムは、苦虫を噛み潰したような、というより必死に苦痛に耐えるような表情である。先のノーリに対するイニシアティブは完全に失くしてしまったらしい。まるで一方的にナイフでメッタ刺しにされているようで、他人事ながら見ていられない。
「……私たちは、貴方の監視を命じられただけだ。申し訳ないがこれで」
バイラムが立ち上がろうとしたところで、スィスが鼻先に杖を突き付けた。
「このまま帰れるとお思いですかな?」
「それは脅迫か? 私を人質にとると」
「まさかまさか、その逆です。助言をしているのですよ」
バイラムに座るように促し、スィスが続ける。
「調査対象に存在が露見し、作戦は敢え無く失敗。どころか禁じられていた接触までしてしまった。いくら“大統領と旧知の仲”とは言え……」
「……懲戒は免れない。下手をすれば、罷免もあり得ることだ」
「左様。だからこそ貴方には、分かりやすい結果が必要なのでは?」
バイラムは腕を組み、しばし瞑目した。それからやにわに懐に手を突っ込む。
反射的にナインが熱線銃を抜こうとすると、「落ち着け」と空いている左手でこちらを制した。
「携帯電話だ。雇い主にお伺いを立てても?」
大統領のことだろう。いったい何を相談するつもりなのか。
スィスが鷹揚に頷くと、バイラムはせわしない動作で携帯電話を取り出しボタンを押した。やや間を空けてから、小声で通話を始める。
ナインは強化された聴覚で、漏れてくる会話を盗み聞いた。
叱責。
慰撫。
提案。
了承。
細かい内容までは今一つ掴みかねたが、どうやら話はまとまったらしい。バイラムが電話をしまい、スィスの方に向き直る。
「……許可が下りたよ。貴方を大統領府に案内したい。もちろん、そちらが良ければだが」
「では話は決まりだな」
スィスが笑顔で頷き立ち上がる。そこでナインとノーリが同時に仰天した。
「オイオイ、どういうこったよ!?」
「大統領府って、そんなとこに行って何をしでかすつもりです!?」
「言ったろう、退屈しのぎになりそうだ」
そろって掴みかからんばかりの勢いで詰め寄るが、スィスの声は弾んでいた。言葉通り、これから起こるであろう悶着に想いを馳せているのだろう。もしくは、彼がこれから悶着を起こすのか。
その間にもバイラムは、無線機を通して部下たちに指示を飛ばす。『撤収しろ』だの『正面に車をまわせ』だの。止めたかったが、今もっとも気にすべきはこのスィスの動向の方だ。
「スィス、約束を忘れてはいませんよね? 世界を乱すようなことは……」
「承知しているとも。だが同時に、悦楽を求めることも団の指針であろう」
「それはまあ、そうなんですが」
「オイオイオイ、しっかりしろよノーリ! 団長様!」
先のバイラムとの攻防を引きずっているのか、簡単に丸め込まれそうになっているノーリを叱咤する。
スィスの態度は不審の一言に尽きる。レストランでウェイターをいびるのはまだ良いが、反体制組織相手に挑発紛いの行動、それに“これ”だ。いずれも彼が言った通り、『必要だと思ったからやっている』のだとしたら、この先にどんな絵を思い描いているのか。
何より、同位体6号についての話もある。スィスを野放しにすることで、ノーリや団に害が及ぶ可能性があるとなれば、とても見過ごしては置けない。
「この爺さんを1人で行かせるなんざ反対だ」
「ほう、心配してくれているのか?」
「誰がするか、クソがっ。とにかく、誰か監視を……」
「ふむ。それならば、丁度いいのがいるぞ」
するとスィスが、何かを思いついたようにこちらを見た。
数分後。
ナインはスィスとともに、護送車の中に納まっていた。護送車と言っても、見た目は普通の国産車だ。だが防弾用のガラスに装甲できっちりと護られており、さらには特製の二重タイヤを履いている、要人護送車である。
「クソがっ! なんだってオレがお前なんかと」
「いつまで喚いている。これも団員としての研修だと思え」
呑気に煙管を吹かしながら、スィスが言う。実にムカつく態度だ。
まだそうと決まった訳では無いが、これから“敵”の本拠地に向かおうというのだ。しかもスィスという爆弾を抱え、監視役はナインたった1人だけ。これで平常心でいられるわけがない。
確かに提案したのはナインだが、ここはドスやフィーアといった付き合いの長い連中に任せるべきところだというのに。
悶々としていると、運転席のバイラムが肩越しに問うてきた。
「参考までに聞きたいのだが。私たちの存在には、いつ頃から気付いていたんだ?」
「“こちら”に来てからおおよそ2カ月後だったかな。正体が判明したのは、もう少し後だがね」
「そんなに早くから? まさかそんな」
「信じる信じないは自由だ。まあ程よい組織力だったよ。新人教育に役立っている」
「ちっ……」
言うまでも無く、新人とはナインのことを指している。
“こういった手合い”に慣れた団の猛者たちは、早々にバイラムたちの存在に気付いていた。そのおおよその実力も。そしてその上で、ナインにその正体を探らせたのだ。技術を磨くために。
―獅子は我が子を千尋の谷に落とす、だったか……
子どもや弟子に試練を与え、成長を促すという意味だった筈だ。もっともナインが、ドスやトリー・センセイのような獅子の領域に到達できるのかは、甚だ疑問だが。
「では私と大統領の仲については? 調べたのか?」
「それについては私の父から。他にも色々と聞き及んでいますよ。例えば貴方の3番目の息子さんが、ようやく1人で立てるようになったとか」
「……化け物め」
その一言では納まりきらないのか、バイラムはまだ何か言いたそうに口をもごもごとさせていたが……彼の罵詈雑言の機関銃にはきっちりと安全装置が掛かっていたらしい、そのまま沈黙する。
しかし負の完全に感情を殺し切ることはできなかったようで、ハンドルさばきは荒くなった。
今の彼ならば、大統領が下した奇妙な命令にも納得がいってることだろう。
眼を背けることを許されず、なれども触れることを許されないその本質。“転生”という名の不死性などおまけに過ぎない。スィスをスィスたらしめているのは、この腐り切った人間性そのものだ。
相対する立場に回ってしまえば、ろくでもない目に遭うのは必至。
「着いたぞ」
もともと旧首都の中でも一等地の区域なので、それほどの距離はなかった。さらに十分も走っていると、目的地である大統領府の石造りの建物が見えてくる。
ひときわ目を引くのは、巨大な半球状の屋根だ。ここからではよく見えないが、表面にびっしりと、何かの絵が描かれている。周囲には幾本かの尖塔が立っており、ライフルを構えた見張りと思しき男たちが顔を覗かせていた。
ナインらの住まうタワーマンションに比すればかなり背が低いが、それでも広さは充分だ。それに“元は”王族が暮らす宮殿だっただけあって、荘厳である。
正門に到着すると、すぐに守衛たちが近寄ってきた。しかしバイラムに気づくと、すぐに門扉を引いてくれる。
「マジで偉い人だったんだな、アンタ」
ナインの言葉に、バイラムが鼻を鳴らす。
「なんだ、信じていなかったのか?」
「トップがたった1人で乗り込んでくるなんて思わなかったからな」
「それだけこちらも切羽詰まっていたんだ。だが、今はもっと酷い」
ミラー越しの彼の表情から、それは良く分かっていた。血走った眼はきょろきょろと落ち着きなく蠢き、呼吸は浅く回数が多い。最初に顔を合わせたときの、捨て鉢でありながらもどことなく威厳があった男の背中が、今は随分と縮んでいるように見える。
これから何が起こるのか。起きてしまうのか。それを恐れているのだ。
「どうなっちまうんだ、これから」
思わずナインがつぶやくと、スィスは愉快そうに笑った。
「だからこそ良いのではないか」
「何だと?」
「この先に何が待ち構えているのか。それが分からないからこそ人生は愉しい。そうではないのか?」




