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メトロポリス・12


 9号は欠伸を噛み殺しながら、明かりの消えた廊下をひたひたと歩いていた。

 時刻は、すでに夜の11時。しかし今夜は珍しく空が澄み渡っており、窓から差し込んでくる月明かりのおかげで、壁に頭をぶつける危険はない。長時間にわたる初実戦の緊張が解け、泥の様に眠りこけているであろう後輩たちを起こす心配は、しなくて済みそうだった。


「あぁ、クソ。疲れた…」


 今日何度目になるか分からない悪態をつきつつ、9号は疲労した身体を引きずるようにして進む。

 彼がこの宿舎に戻ってこられたのは、基地に帰還してからおおよそ12時間後のことだった。“大洋連合”との偶発的戦闘の詳細については、すでに隊長殿が報告をしておいてくれたから良かったものの、医務室で嫌という程の精密検査を受けねばならなかったのだ。

 身体機能の修復状況を確認するのはまだしも、記憶の破損についての確認作業は大袈裟に過ぎる。やれ『自身の存在理由について述べよ』だの、『党への忠誠句を唱えるべし』だの、『直近の記憶を言え』だのと、100を超える項目にいちいち丁寧に返答するなど、うんざりするばかりだ。

 “少しばかり”無茶をしたのは確かだが、こうして五体満足で戻ってきたというのに。


「ふぁ…」


 涙で歪んだ視界が、ようやく目的地を捉えた。1階の中央階段のすぐ脇にある、102号室。ここが彼の寝床だ。いや。昨日までは、彼と彼の相棒バディの寝床だった。 

 若干ふらつく足取りでその扉の前に立つと、嫌でも頭にかかっていた霧が晴れていく。それとは逆に、肉体と心は小さな悲鳴を上げた。


 これからしなければならないことを思うと、全身を包む倦怠感に拍車がかかる。そして同時に、どうにかして抑えていた喪失感が、また噴き出してくるのだ。


『1号の件は残念だった。だが、問題ない。すぐに“次”を起こす』


 検査中、わざわざ医務室までご足労下さった司令殿は、悲観に暮れる9号にそのような慰めの言葉をかけてくださった。流石、党内でも上位の権力者であられるお方というのは、人民への思いやりの心をおもちである。


「…記憶を受け継いだところで、そいつはもう1号じゃぁねぇってんだよ。クソが」


 9号は吐き捨てるように呟くと、ドアノブに手をかけた。

 ここは彼と、彼の相棒バディとの相部屋。つまり戦死した1号の部屋でもあったのだ。然るに1号はもうそこにいる筈もなく、同時にこれから9号は、室内に遺された1号の私物をまとめなければならない。

 つい昨日まで同じ部屋で寝起きし、他愛もない愚痴を言い合い、想い人について語らい合った友人の、その思い出が詰まった品々を。1つ1つ確認して記録し、1㎥にも満たない段ボール箱に詰め込み、明日にも目覚める1号の“後任者”に渡さねばならない。


 この部隊でも最古参の1人とはいえ、まだ目覚めてから2年程度の人生経験しかない9号にとっては、とても、酷く、非常に辛い作業だ。





 …だったのだが。


「あれっ!?」


 9号が意を決して部屋に入ると、消灯時間が過ぎているのに明かりがついていた。

 予想外にも、先客がいたのだ。


「む、遅かったな」


 まだ十代も半ばといった年頃の少女が、タンクトップにショートパンツという下着姿で、1号のベッドの上に胡坐をかいて座っている。その周囲には、撮影機だの小型記録媒体だの動画再生機だの、見覚えのある品が散乱していた。すべて1号の遺品だ。


「無事だったようだな、9号」


 少女が長く艶のある黒髪を揺らして、こちらに顔を向けた。

 想い人が、あられもない姿でそこにいる。それなのに、何故か唇の方にばかり視線を奪われそうになりながら、どうにかして9号は口を開いた。


「ああ、はい、おかげさまで。隊長殿が活性剤を打ってくださったので」

「それでも異常な再生能力だよ。殆ど上半身が吹き飛んでいたではないか」


 あの大洋連合の部隊との戦闘で、9号は囮として輸送車を暴走させて敵陣に突っ込み自爆した。目論見通りに敵に大打撃を与えることには成功したが、それに巻き込まれた9号は当然無傷という訳にはいかなかったのだ。


 頭蓋骨陥没、両鼓膜破裂、両眼球脱出、右腕欠損、右肺破裂、脊髄破損。


 脳の損傷が奇跡的に少なかったというのもあるが、彼女が即座に“再生能力活性剤”を投与してくれなかったら、今頃1号と同じく生物分解炉に放り込まれていただろう。

 医療班の連中は『お前は最高傑作だ!』などと歓喜していたが、そういった事情があるので喜べはしない。何より、1号が失われたという事実がある。


 そこまで思い出したところで、9号は我に返った。


「…あの、隊長殿は何を?」

「遺品の整理だ。今度目覚めることになる、“81号”へと引き継ぐ」


 隊長は静かに答えると、ベッドの上に眼を落した。遥か昔に廃れた円盤状の記録媒体を手に取り、しげしげと観察し、手元の記録用紙にペンを走らせる。その顔にはいささかの悲哀もなく、苦痛の色もない。ただただ黙々と、かつての副官の私物を確認して箱にしまっていく。

 その様子があんまり無機質だったので、9号はしばしの間話しかけることができずに彼女を眺めていた。

 

「何を突っ立っている」

「え、いや、その」

「ぼぅっとしているのなら、手伝え。私も早く寝たいんだ」

「…了解です」 


 ややあって、隊長の方から声をかけられ、9号は我に返ったように応じた。軍靴を脱いで1号のベッドの上、隊長の対面の位置へと足をかける。


「そっちではない、ここだ」

「へ?」

「ここだ」 

 

 何を思ったのか、隊長はそう言って自分のすぐ脇をぽんぽんと叩いた。そして胡坐の形を崩さぬまま、少しだけ横にずれてスペースを作る。隣に座れ、ということだ。

 9号は生唾を飲み込むと、ベッドの上に散乱したガラクタ類を掻き分け、のそのそと指定された位置へ移動した。ベッドの端から堕ちないように、さりとて少女の身体に密着しないようにと、絶妙なポジションに腰を落ち着ける。


「私が品目を読み上げるから、お前が記録しろ」

「はぁ、はい…」


 肌着の少女から記録用紙を押し付けられ、9号はぎこちなく答えた。

 名状しがたい素晴らしい香りが鼻腔をくすぐり、接触してもいないのに隣から体温を感じ取れる。心拍数が跳ねあがり、ペンを握る指が震えた。

 元副官が戦死したばかりとは思えないあっけらかんとした態度に、わずかに生じた苛立ちはどこかに吹き飛んでしまった。それどころか、恋敵のベッドの上で愛しの0号と急接近しているという事実に舞い上がる自分が…



 


―ああ、またこれか。


 見覚えのある少年少女2人の姿を、何処か遠くから見つめながら、“彼”は独り言ちた。


 あれはまだ、彼が世の不条理の半分すら理解していなかった頃の姿。戦友の死という悲しむべき事実と向き合う最中に、意中の娘にばかり気を取られていた、恥ずべき過去。


 パノラマ記憶。

 人が死の淵に立つ折、人生で経験した様々な記憶が、まるで走馬燈の様に想起される脳内現象だ。もっとも彼の場合は、次から次へと記憶が流れていくのではなく、1つの記憶をじっくりと鑑賞することになる。

 センチメンタルな彼にとっては、自らの弱さを見せつけられるような苦行であるのだが、同時に安堵することができるのも事実であった。


 何故ならこれは、“彼がまだ彼である”ということを示しているに、他ならないからである。

 



 

「う・・・ぐぁ」


 意識が戻った途端、彼は堪らずに仰向けの状態からひっくり返った。自分の身体から流れ出た血だまりの上で、両手と両膝をつく。


「ぐぅっ、ごはぁ…」


 上半身をまんべんなく包む激痛を抑えながら、肺の中に溜まった大量の血液を吐き出す。

 出血と呼吸困難からチアノーゼを起こし、眼の焦点は合わず、手足の指先には感覚がない。

 だが肋骨の骨折は、きれいさっぱりと再生していた。まだ肺の穴が塞がり切っていないのか、酷く息苦しいが、どうにか動くことはできそうだ。


「あぁ…クソが…」


 ぼやける視界のまま、彼は立ち上がった。

 周囲に人影はない。あの3人娘も、ラリったサイボーグ崩れも。彼の最終手段によって、彼を狙っていた者どもの眼を誤魔化すことには成功したのだ。


 擬死。

 すでに自然環境が荒廃しきったこの世界においては、研究者以外には知る由もなかったが、コガネムシなどの甲虫類や、狸などの哺乳類が実際に行っていた行為である。平たく言えば、自らの生命を脅かす何かに遭遇した際に、“死んだふり”をしてその危機を乗り切るという、生存のための戦術だ。

 単なる反射的な硬直に過ぎないとする説もあるが、確かにその効果が認められるという報告もある。実際に、“彼”もその恩恵にあずかってきた。

 

 通常の戦闘時は勿論。

 捕虜になり、拷問と情報の漏洩を回避せねばならないとき。

 敗残兵狩りを行う敵陣のど真ん中に、たった1人で取り残されたとき。

 そして、暴走した人型重機に襲われたとき。

 

 いずれも普通の人間ならば即死か、良くて致命傷になる事態だった。

 だが彼にとっては、それらのすべてを外敵の注意を反らす好機とできる。

 何故なら彼は、死なない。


 “不死身”だからだ。


―さて、問題はここからだ。

―首尾よく連中をだまくらかすことができた訳だが、それでどうする?

―逃げるか?

―いやいや、そんなわけにはいかねぇさ。


 彼の中で、再びの自問自答が行われる。だが、答えはもう先刻出したばかりだ。

 懐から血まみれの手でビーコン受信装置を取り出し、状況を確認する。


「…間に合うな」


 依頼人からの救援のシグナルから、まだ10分しか経っていない。位置はここから2キロ程度。この体調ではかなりキツイが、遂行不可能という訳ではない。

 彼は1人頷き、足を引きずるようにして進み始めた。ブーツのつま先についた血が、まるで絵筆の様に鮮やかな色を地面に描く。


 冷静に状況を分析すれば、今から彼がしようとしていることは無謀以外のなにものでもない。恐るべき襲撃者3人と、待ち構えているであろう悪徳ギャングたち。そして、背後に迫るのは軍警察。

 これだけの脅威と相対する危険性を勘案すれば、あの●●な依頼人など捨て置いて、何処へでも逃げおおせるべきなのに。


 ならば何故、そんな道を選択するのか?


 それは、“彼を彼たらしめる記憶”が、まだしっかりと脳内に残っているからだ。


「そうだよな、0号。そんなの、格好よくねぇもんな」


 今はもう世界の何処にも存在しない人物に向かって呟き、右手を懐へと這わせる。そこには、慣れ親しんだ感触があった。人型重機のアームに挟まれてしまったが、どうにか破損は免れたらしい。 

―ああ、まったく。

―世の中ってやつは、どうしようもない程にクソだ。

―だけど、もう少しだけ…


 彼は懐から“それ”を引き抜くと、目的地へ。

 あの腹ペコ娘が待っているであろう地へと向かった。

 


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