勇者と魔王の世界・9
「バイラムだ。そちらのお嬢さんの言う通り、アクバル大統領の身辺警護を仰せつかっている」
ご丁寧に顔写真入りの身分証明カードまで提示した上で、その男は堂々と自己紹介をしてくれた。偽造でないことはトリーの保証つきだったので、嘘ではないらしい。
来客と言うには物騒だったが、とにかくそのバイラムは最上階のノーリの部屋へ通された。運よく外出前だった他の団員たち、ドス、フィーア、セーミらも駆けつけてくれたので、もしもの場合にも対応できるだろう(ちなみにピャーチは、現在無人となった団の城を管理せねばならないので、この場にはいない)。
―にしても、よくも応じてくれたもんだな
ソファに腰掛ける熊の如き男を眺めながら、ナインはちらとそんなことを考える。
バイラムの対談相手として正面に座っているのはノーリで、あとのメンバーは2人をぐるりと取り囲むようにして立っているのだ。なんというか、色々と不釣り合いである。
本来その役目に最もふさわしいのはスィスなのだが、あの男は昨日からずっと留守のままで、先ほど連絡を入れた際の返答も『知るか』と取り付く島もないものだった。
しかしバイラムは、傍から見れば小娘でしかないノーリが名乗りを上げたことに対し、気を悪くした様子はなかった。このマンションの名義人がスィス(二世)である以上、てっきり奴を訪ねて来たのだと思ったのに。
その理由はすぐに判明した。
「君たちの家族……という認識で良いのかな。スィスという男について教えて貰いに来たんだ」
「スィス“兄さん”のことを?」
「その兄さんこと二世と先代のどちらも。できれば君たちのことも聞きたいな」
事前の取り決めにより、このタワーマンションに住んでいるのは初代スィスの家族と関係者ということになっている。ノーリたち女性らは養子で、ナインとドスは護衛だ。現在のスィス二世は、直系の息子である。
慎重な面持ちでその“設定”をもちだすノーリに対し、バイラムはまるで世間話でもするかのように軽い調子だった。
「二世には、つい今朝がたこっぴどく怒られてしまってね。だから代わりにここに来た」
「怒られた? どういうことです」
「盗聴と盗撮がバレた。いや、あの様子だとだいぶ前から露見していたようだな」
その一言で、室内の空気が一気に冷え切ってしまった。ナインを襲った黒ずくめたち、その本当の狙いはスィスだった訳だ。
ノーリが眼を細める。
「私たちのことも探っていましたね?」
「おや、君たちも気づいていたのか」
「仲間に直接手を出しておいて、その言い草はないでしょう」
「ああ。そこの彼、ナインだったかな。残念ながら取り逃してしまったが」
「はっ! まぁ、なんてこたぁなかったぜ。余裕だな」
バイラムに指さされ、ナインはわざとらしく肩をすくめた。
確かに今日は上手くいったが、昨日はわりかし危ないところだった。しかも窮地を子どもに救ってもらったという負い目もある。ともあれ、こういった場で必要以上に弱みを見せるのはよくない。むしろその逆に、誇大するべきだ。
しかしバイラムの方は、微塵も悔し気な様子など見せずに言う。
「人員の大部分が、あの二世に張り付いていたからな。適切な支援があれば、後れを取ることなどなかっただろう」
「後からなら何とでも言えるぜ。スィスにだって気づかれてたようだしな」
「そもそもお前を狙ったのは、スィスの関係者の中でも最も与しやすいと判断したからだ」
「んがっ……」
「話を戻しましょう。先ほど貴方は、スィス兄さんを探っていたのがバレたと言いましたね。それでどうしてここに来るんです?」
色めき立つナインを視線で制し、ノーリが言った。
「わざわざ私たちのところにきて事実をぶちまけて、それで彼のことを教えろとは。無茶苦茶もいいところですよ」
「まったくその通りだな。だが私たちには、もうこれ以外に手段がないんだ」
そのときバイラムの表情に影が差した。プライドを穢すような、何か後ろめたいことをしている人物のそれが垣間見える。
バイラムは言った。
「私たちが先代のスィスと君たちを監視し始めてから、もう1年近くになる。その間、君たちのことは洗いざらい調べた。毎日の行動パターン。購買履歴。人間関係。徹底的にだ」
ナインは驚愕に眼を見開いた。
ナインたちがノーリの超魔法によってこの世界に来てから経過したのが、おおよそ1年とちょっとだ。つまり彼らは、早くから団の異常性に気づいていたことになる。
バイラムによる追及は続く。
「そこで分かったことが1つ。君たちに関する情報が、ここ1年間よりも以前にはまったく存在していない」
「……私たちの出身は、こことは別の国ですから。この国に来たのも1年前ですし、当然では?」
「もちろん他国との出国記録も照会したさ。今はもう終戦から10年も経っているんだぞ? 敵対していた相手と足並みをそろえることもできる」
「その話が正しいと仮定して、つまり何をおっしゃりたいんです」
「そうだな。君たちはこの世界に今まで存在していなかったとか?」
「想像力が豊かですね。私たちが異世界からやってきたとでも言うんですか」
眼に見えない剣による鍔迫り合いが続く。これがスィスならば上手く煙に巻くこともできるのだろうが、残念ながらノーリでは少々不利なようだ。しかしかと言って、助け舟を出せるほどにナインも口が達者なわけではない。
冷や冷やしながら見ていると、見かねたドスが口を挟んだ。
「お主、そんな下らん妄想を垂れ流しにきたわけではなかろう。何のために調べて回ってたのか、その目的を言えい」
上手い具合に話が途切れる。そこでバイラムは、少しだけ考えるようなそぶりをしてから答えた。
「それを知りたいからこそ、私はここに来たのだ」
「……何じゃと?」
ドスを始め、団員たちが一斉に疑問符を浮かべた。セーミだけは、何がおかしいのかすら理解できていないようで、しきりに首をひねっていたが。
調査の目的をその対象に訊ねるなど、倒錯している。一国の元首を護衛するという責任ある立場の男が、何を訳の分からないことを言っているのだろうか。
「1年前、私たちは大統領から命令を受けた。『スィスという名の老人を無期限に監視しろ。ただし接触は絶対にするな』とね」
「……なんですか、そりゃぁ」
「私も大統領にそう言ったよ。だが宮仕えである以上、従うしかなかった」
呆れるノーリに、バイラムが苦笑を返す。
『眼を離すな。だが決して手を触れるな』。具体性に乏しい命令であるが、ナインにはそれが妙に的を射ているように思えた。
そうだ、それはあのスィスに対してはもっとも適切な対応だ。眼を離していれば、その間にどんな恐ろしいことを画策するか分からない。かと言って近づけば、どのような手段で応答してくるか分からない。あのクソジジイは、つまりそういう人物なのではないか。
「私たちはこの1年、ずっとあの老人を監視し続けた。だがいくら彼の動向を報告しても、大統領は監視を続けろとしか言わない。確保しろとも、排除しろとも。当然その間にも、本業である警護は続けなければならなかった」
疲れた声だった。恐らく肉体的にも精神的にも疲労しているのだろう。その理由については容易に見当がつく。
アクバル大統領は大戦によって世界を統一した英雄であるが、現在の彼はお世辞にも人気があるとは言い難い。現に反体制組織たちは機をうかがい活発に動いている。
護衛部隊であるバイラムらは、本来そういった手合いを相手にするべき組織だ。それなのに意味不明で余計な仕事を押し付けられたとあっては……
「君たちには申し訳ないが……あの老人の訃報を、部下たちの大半は肯定的に受け止めた。訳の分からない任務から解放され、本来の姿に戻れると」
「でも、そうはならなかった、と」
「ああ。今度はまったく事前の情報になかった後継者、スィス二世が突如として現れた。あのときは私たち現場も大統領も大慌てだったよ」
それは仕方の無いことだった。スィス二世は、先代のスィスが“転生”を行った結果としてこの世界に誕生した人物なのだ。それより以前に存在している筈がない。
ノーリが少しばかり憐みを漂わせながらたずねる。
「結局アクバル大統領から、兄さんに対しても同様に対応しろと命じられたんですね?」
「その通り。そしてその結果、ついに部下たちの不満が限界に達した。彼らにだって私生活がある。家族がある。それを犠牲にしてまで監視し続けねばならない相手なのかとね」
「……まあ、あの人の態度を見てれば、そうも思うでしょうね。私たちだって呆れてますから」
「身内である君たちの前で言うべきではないだろうが、あの二世はろくでなしだ。それで何度も突き上げを喰らって……確保のために数人が動くことを許可した」
「なるほど、そういう訳だったか」
ナインは不機嫌さを隠そうともせずに唸った。
襲われた経緯がようやく分かってきた。明確な目標も知らされず、先の見えないことを延々とやらされていては、モチベーションは下がる一方だ。
それで護衛兼運転手―と思われている―ナインを捕らえ、より直接的にスィスに迫る情報を得ることで、事態の進展を図ったのだろう。
どうやら彼らは、団にとっての脅威というよりも、スィスにとってのそれであったようだ。完全にとばっちりで、なんとも釈然としない。
だが、無視しきれない事実もある。向こうはどうやら、スィスの危険性を理解していたらしいということだ。
大統領アクバル。いったいどのような人物なのか。こちらも1年間に及ぶ調査を行い、この世界に同位体が存在していないと結論付けている。だが彼の人物は、同位体ではないにしても、ひょっとするとそれに近しい何かしらの力を有する男なのかもしれない。
「しかし作戦は失敗した。初代スィスの後継者の登場を察知することもできず、その二世からは最後通告を受ける始末。このままでは大統領閣下に会わせる顔がない、どうか助けてくれ」
バイラムが吹っ切れたように言って、苦笑しながら肩をすくめる。
もうヤケクソだ、どうにでもなれ。といったところだろうか。彼の部下たちがそうであるように、彼自身が限界に達しつつあるのだろう。そうでなければ、責任ある立場の人間がこんな敵陣のど真ん中に跳び込んできて、あまつさえ助けを求めるなんてことはしない。
はてさてどうしてやったものか。
一同がそろって悩み始めたときだった。
「成程。そういうことであったか」
その場にいる筈のない人物の声が響いた。




