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勇者と魔王の世界・5


 あんなにはっきりした襲撃まがいの追跡を受けてしまっては、さすがに堂々と表通りを歩くわけにもいかず。

 塀の上を乗り越え他人の家の敷地を踏み越え、人目につかないところをばかりを選んで通り抜けて行くこと小一時間。どうにか旧首都中心部にある住処へと帰還することができた頃には、もうナインはくたくたになっていた。


「散々だっ、クソが」


 汗と一緒に額にこびり付いた埃を拭いながら、いかにも後ろめたいことを抱えているようにコソコソと“根城”の玄関先に足を踏み入れる。

 そこはアラインの城ではなく、戦後に建設されたばかりの30階建てのタワーマンションだった。鉄筋コンクリート製の上に防犯設備でガッチガチ。軍隊が攻めてきたとしても簡単には落とされない立派な城なのだが、入居しているのは―スィスが他の人間を退去させたので―団員だけだ。

 ちなみに本物の“アラインの城”はこの世界のどこかに隠してあり、その場所はナインも教えて貰っていない。不満はあるが、さっきのようなことがあったばかりでは、情報の秘匿のための正しい処置だと納得する他なかった。


 カメラに向かって軽く手を振りながら、入口のタッチパネルに近づく。暗証コードを打ち込み強化ガラス製の扉を開くと、心地よい冷気とメイド服の女性が出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、ナイン」


 正面にある受付で、タムがいつものように恭しく頭を下げる。それに会釈を返していると、ようやく危機から脱したという実感がわいてきた。同時に、疲労がどっと襲ってくる。


「あらあら、ひどい格好で。何かトラブルでも?」

「いやぁ。“課題”でちょいとばかり、手こずっちまいまして」


 曖昧に答えると、麗しのメイド様が表情を曇らせた。


「あらあらそれは。ともかくご無事でなによりでした」

「ええ、はい。それで、トリーは帰ってますか?」

「あちらで皆様とくつろいでおられます」

「……ありがとうございます」


 ナインは礼を言うと、メイドが指し示すホールへと向かった。本当はこのまま自室に戻ってシャワーを浴びて、一気にベッドに跳び込んでしまいたかったのだが、まずはセンセイへの報告を済ませねばならない。

 

 受付から少し歩くと、日当たりのよい広い空間があった。そこにはソファやテーブルなどが並べられ、何人かの団員たちがくつろぎながら歓談をしている。いずれも女性ばかりで、その周りではタムの分身体がジュースをついだり菓子をくばったりと忙しそうに働いていた。


「あ……ナイン、お帰り……」


 真っ先に声をかけてきたのは、くだんのトリーであった。相変わらずの眠たそうな顔でこちらを見つめてくる。すると他の女性陣もナインに気がつき、一斉に嫌らしい笑みを浮かべた。


「おやぁ? ようやくのご帰還ですね」

「なんだよ」

「いえいえ。さぞやお疲れかと思いましてね。まあどうです、駆けつけ一杯」


 『お疲れ』の部分を強調しながら、ノーリが飲みかけのオレンジジュースを勧めてくる。実に気に入らない眼つきと態度だ。即座にピンときたナインは、しかめっ面のまま硬直する。


「まさかお前ら、見てたのか!?」

「あったりー! ですわ!」

「占術を使って観戦してたのよぉ。貴方が路地裏で大慌てしてたところなんてぇ、皆で爆笑してたわぁ」


 セーミとフィーアが顔を見合わせてハイタッチする。どうやら魔法か何かで覗き見をされていたらしい。

 弁明の機会があればとわずかばかりの希望を抱いてノコノコやってきたが、すでに評価は決定していたのだ。やはり部屋に逃げ込んでおいてた方が良かった。


「あー、ってことは?」

「……うん……不合格……」


 他の連中が笑い転げるなか―タムまでもが笑いをこらえている―、ただ1人トリーが真顔で言う。ナインの「クソが……」という呟きは、女どもの姦しい声のせいで虚しくかき消された。


 隠密術の師であるトリーから与えられていた“課題”。それはすなわち、『アラインを知ろうとする者を見つけ、その素性を明らかにすること』だ。


 ナインを含めた団員たちは、いずれもが世界にとっては異物であり、その正体の露見には多大なる危険性リスクが付きまとう。

 排除されるというのももちろんそうだが、ノーリのもつ“世界渡り”の超魔法や団員たちの様々な“不死性”という異能は、人もしくは人ならざるものによってはどんな犠牲を払ってでも手に入れたいパワーと言えるだろう。アラインが“世界渡り”の直後にまず訪問先の世界を調査するのは、そのようなアラインにとっての危険性リスクの存在の有無を確認せねばならないからでもある。

 そしてこちらが世界を探ろうとすれば、世界の誰かもこちらに気づく場合がある。当然そんな勘の鋭い奴らならば、同じように異物であるアラインを嗅ぎまわってくることだろう。

 ゆえに『そうした存在』を早くから感知して見極めるというのは、多世界間を旅する者としてなくてはならない技術スキルなのだ。

 

 今回ナインは、黒ずくめの集団に対してそれを行おうとしていたのだが……結果は完全に失敗、逆に囚われの身となるところであった。

 さらに悪いことに、ナインの評価を下げる要因がまだまだある。


「他人の……助けを借りた……追試は不可避……」

「おまけにその女の子に、財布まで盗られちゃいましたからねー」

「カッコ悪いったらありませんわー!」

「クソが……クソが……」

 

 もはや反論すらできない。

 相手の実力を見誤り窮地に陥っただけでも叱責ものなのに、そこから自力で脱出できなかったばかりか財布までスられてしまった。あの中にはこの世界の現金やキャッシュカードの他にも、ナインの身分証明書なんかも入っていた。もちろん記載されている個人情報はデタラメばかりなので、奪われてもこの根城まで辿られることはないのだが、それでもあんなガキに出し抜かれたというのは嘲笑を受けるに充分過ぎる理由だ。

 のほほんとした口調ではあるが、指導しているトリーとしては立つ瀬がない思いだろう。

 

 がっくりと力なく項垂れ、床に這いつくばっていると、出し抜けにチィが声を上げた。


「みんな、もうそろそろ勘弁してやれよ。相手の数が多かったんだし、仕方ないだろ」

「おや珍しい。貴女がナインを庇うだなんて」

 

 守護女神からの思わぬ反撃を受け、ノーリを始めとした他の女性陣が眼を丸くする。

 これはナインにとっても意外だった。初対面からずっとつんけんしていた娘だが、そういえばここ最近随分と態度が軟化している。あの“夢の世界”での一件があった直後からだろうか。

 ホールが静まり返る中、チィがノーリと同じくらいに薄っぺらい胸を反らせて言う。


磨揉遷革まじゅうせんかくは一朝一夕にしてならずだ。そうだな、あと1000年もあれば使い物になるさ! たぶん!」

「それ、庇ってくれてるんスかね?」

「ああ、心配するな! トリーやドスみたいな達人が鍛えてくれてるんだから、お前みたいな雑魚でもそれなりにはなるさ。……そのうち」

「ああ、さいですか」


 結局のところ、現在のナインの評価が他の団員たちに比して著しく低いという点は変わらない。

 再び項垂れていると、今度はノーリがわざとらしく大きなため息をついた。


「でもこっちはいい迷惑でしたよ。もしもの場合を考えて、ショッピングを切り上げて来たんですからね」

「ショッピングだぁ?」

「ええ。みんなでこの世界の衣服を物色してたんですよ」


 そこでナインは顔を上げ、一同を見回してみた。

 そういえばみんな、いつもとは違う装いだ。紅や緑などの、色鮮やかでありながら肌が透けて見えそうな薄手のドレス。たしかこの地域の女性が祝い事の席などで着用する、伝統衣装の一種だっただろうか。


「アパレル・ショップを片っ端から梯子してぇ、皆にぴったりなやつを買いそろえたのよぉ。似合うかしらぁ?」


 そう言ってフィーアが―今は魔法か何かの力で、頭の角や背中の翼を隠している―わざわざナインの眼前でかがみこみ、豊満なバストを強調するように両腕を組んだ。すると背後から差し込んでくる日光がヴェールの内側に入り込み、身体のラインがくっきりと浮かび上がる。なんと神秘的で、それでいてエロティックなことか。

 思わず凝視していると、ノーリが不機嫌そうに唸った。


「ナイン、眼つきが嫌らしいですよ」

「あ? そりゃあ結構なものを拝ませていただいて……いや、何でもありません! マム!」


 悍ましいオーラと共に桃色の癖毛が逆立ったの見て取ったナインは、電撃の如き素早さで立ち上がり最敬礼の姿勢を取った。毎度不思議でならないのだが、なんだってこの娘はナインが他の女に気を向けると気を悪くするのだろうか。


「ん? そう言えばお前は、今朝と同じカッコだな」


 ノーリが振り上げかけた拳を下ろしたのを確認したところで、彼女は変わり映えのしないとんがり帽子とマント姿であることに気づく。鏡写しであるチィもそうだ。

 ステルス状態で護衛をしていたであろうタムたちはまだしも、他の連中とともにショッピングを楽しんでいた筈のノーリは何を買ってきたのだろうか。


「なんですかナイン。探偵のくせに、こんなとんでもない変化に気づいていないんですか!?」

「え……いや、分からんのだが」

「マントですよマント! ほら、遮光性と通気性を両立させている上に、手触りだっていいんですよ。いい買い物でした」

「ああ、そうなんスか」


 たしかに探偵を自称していたこともあったし、トリーから観察眼を鍛えられてもいるのだが、彼女の言うところの“変化”はさほど大きいそれとは思えなかった。どうせなら他の連中のように服装に気を使って、もう少し色気を出した方が……いや、余計なことは言うべきではない。

 何にせよ、本人が満足していることが一番重要だ。


「まあ邪魔しちまったことは悪かったが……それなりに楽しめてるようだな」

「うん。同位体がいないからチィもゆっくりできるしな!」

「久しぶりにみんなと一緒にゆっくりできて、嬉しいですわね」

「たまには……こんなのも、いい……」


 再び女どもが姦しくくっちゃべりだした。のんべんだらり。あの宇宙の汚物のような“同位体1号”を相手に、想像を絶する死闘を繰り広げた猛者たちとは思えないような緩みっぷりだった。

 だが、これでいい。ふらりと立ち寄った旅先で文化やら情緒やらに触れ、満喫する。全体、アラインとはつまり“そういう”ことを目的とした集団なのだ。だからこれが普通なのだろう。


―オレも早く頭を切り替えて、自分なりに楽しもうかな


 いつまでも気を張っていても仕方がない。不死者にとって時間は無限だが、それは浪費してもよいことにはならないのだから。


 そう思いかけた次の瞬間。

 ノーリが放った言葉に、ナインは凍り付いてしまった。


「こうしていられるのも、スィスのおかげですね」


 スィスのおかげ。

 この状況を端的に表すその言葉に、吹っ切れかけていた心がまたどんよりと曇っていく。

 そう、その通りだ。

 あの男があぶく銭を稼いでくれているおかげで、ナインたち団員が良い思いをさせてもらっているのは、違えようのない事実。

 スィスがいなければ、未だに戦災から復興しきれていないこの世界では、部外者であるナインたちは社会的な基盤を確立することすら難しかっただろう。


 それは重々承知している。だが心情的には、とても受け入れられるものではない。


「どうかしましたか、ナイン?」


 渋面をつくっていると、何かを察したようにノーリが訊ねてくる。他の連中も、空気を読んだのか静かになった。

 ナインは少し悩んでから答えることにした。


「スィスのことで、ちょっとな」

「スィスが? また何か……」


 その折、ドスが帰って来た。

 スーツの上着とネクタイを乱雑に肩に引っかけ、暑苦しそうにシャツのボタンを全開にしている。左手には何か買い物でもしてきたのか、紙袋を抱えていた。


「あらドス、お帰りなさい」

「おう。なんじゃお前ら、こんなところに集まって」

「ああ……オッサンの方は大丈夫だったのか?」

「うん? 何の話じゃ」

「レストランから出た後、尾けられてな。かなりやばかったんだ」


 するとドスは、事も無げに肩をすくめた。


「儂はそんなヘマはせんよ。ここまで来るのに“気”配を遮断しておる。それに、周囲にこちらを探るような“気”配もなかったでな」

「あっそ。……ところで、スィスの奴は?」


 付き添いをしていた人間がそろってここにいるとなると、今はあの男は1人でいることになる。まったく心配などしていないしそもそも気に入らないのだが、ちょうど話題に上ったことでもあるので訊ねてみる。


「ああ。奴はたぶん今頃……ナニの真っ最中じゃ」

「ナニ?」

「って、なんですの?」


 ナインとセーミがそろって首を傾げる。しかし他の団員たちは、それだけですべてを理解したように深いため息をついた。


「まーたですか。若返って早々にまったく」

「……お盛ん……お猿さん……」

「それなら私に声をかけてくれればいいのにぃ。いけずなひとねぇ」

「それだけじゃねぇぞ。あ奴め、少しばかり調子に乗っておってなぁ」


 ナインのスィスへの不満は、おおかたドスが代弁してくれた。ところどころ説明不足な点はあったものの、付き合いが長い団員たちは事態を把握することとなった。

 

「なるほど。ひょっとすると、また彼の悪い癖が出てしまったのかも知れませんね」


 ノーリが腕を組み、難しい顔つきになる。


「悪い癖?」

「ええ、“6号”としてのね」

「6号だと? それは、つまり……」


 アラインにおけるナンバリングにはいくつかの意味がある。

 団員としてのそれと、もう1つは……


「同位体6号、“悪疫”としての、です」

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