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統一世界暦元年11月30日 クローン兵9号の記録(■メノセ■イ・5)

―ラストチャンスだ。恭順を示すならよし。さもなければ……

―うにゃぁにゃぁにゃ!?

―“彼の中”に、永遠に幽閉することになる


 人間というのは、習慣の生き物だ。

 最初は面倒に感じる小さなことでも、何度も繰り返していくことで、やがてそれが当たり前のことと身体が覚えていく。特に軍隊という、理不尽なまでに規則でがんじがらめにされた場所に身を置けば。

 平時には、軍靴をピカピカに磨いておくこと。

 命を預ける銃器の整備は、決して怠らないこと。 

 衣服は清潔にし、きっちりとアイロンをかけておくこと。

 クソ不味い完全栄養食を、毎日必ず食すこと。

 毎朝決まった時刻に眼を覚ますというのも、そうだった。


 早朝。6時から10分前といった頃。

 タールの中から浮かび上がるように、ゆっくりと覚醒する。うっすらと眼を開くと、見慣れた小汚い天井に、窓から差し込む薄明り。ああ、また今日もクソな1日の始まりだ。

 疲労が抜けきらない身体に鞭打ち、毛布の中で両腕、両足に軽く力を込め伸びをする。


―あれ?


 ふと、違和感を覚える。

 このベッドのスプリングはこんなにも固く、寝心地が悪かっただっただろうか? もっと全身をふんわりと受け止めてくれるような、優しいものではなかったか?

 上半身を起こし、改めて部屋の中を見回してみる。くすんだ白壁に張られた、大戦前の映画ムービーのポスター。床には私物の映像再生機器や記録媒体、そして脱ぎ散らかした戦闘服がそのままになっている。

 すべて寝る前と同じ状態だ。同じ筈なのだが。


―何か、おかしいような……?


 そう言えば、なんだか懐が寂しい気がする。なんとなく右手でまさぐってみるが、空を掻くばかりだ。

 視線を落とすと、細身ながらも引き締まった上半身があった。まさかと思って毛布をはぐると、辛うじてボクサー・パンツだけは確認できた。


「なんで俺、こんな格好で寝てるんだ?」


 コートだの上着だのを着ていないのは当然だとしても、この裸同然の有様はどういうことだ。昨晩、いったい何があったのだろうか。 

 そうやってベッドの上で胡坐をかいて悩んでいると、部屋の外からドタドタと荒々しい足音が聞こえてきた。そちらの方を向く同時に、ほとんど蹴破る様にしてドアが開かれる。


「起きろ、“9号”!」


 跳び込んで来たのは、きっちりと戦闘服を着込んだ女性だった。というよりも、少女だった。

 十代も半ばといった年頃には不似合いな、凛々しい顔つき。

 後ろでまとめられた、艶のある長い黒髪。

 そこで“9号”は、ようやく確信する。ここが何処で、自分が何者なのかを。


「ああ、0号か? おはよう……」

「寝ぼけている場合か、この愚か者めっ!」

「うぉっ!?」


 呑気に挨拶をしようとすると、腕を引っ掴まれベッドから引きずり降ろされてしまった。そのまま0号は、有無を言わさぬといった勢いで廊下に出ようとする。

 ケツをしたたかに打ち付けた上に、無様にも下着からはみ出そうになってしまい、9号は非難の声を上げた。


「な、何だってんですか!? 敵襲!?」

「それよりも大事だ! もう皆、集まっているぞ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ」

「落ち着いてなどいられるか、本当にとんでもないことなんだぞ!?」


 遺伝子的に強化されているとはいえ、この細腕のどこにこんな怪力が宿っているのか。9号の抵抗などものともせず、ずんずんと突き進んでいく0号。

 敵わないと判断した9号は、情けなく懇願した。


「せめてズボンだけでも頼むよ、0号!」

「なにィ?」

「ほら、これ!」 


 そう言って9号は、両手で股間部を指さした。すると0号は「あっ」と短く叫び、ややあってから顔を紅くする。

 下着だけだというのもあるが、それよりなにより昨晩“あれだけ頑張った”というのに、若さゆえかナニがとても元気なのだ。いちおう副官として部隊指揮を補佐する立場でもあるので、こんな情けない状態で部屋の外を出歩く訳にはいかない。


「ば、馬鹿者っ」

「仕方がないでしょうが。生理現象ってやつ」

「いいからさっさと身支度しろ!」

「へぇへぇ」


 9号は不承不承、床に落ちている戦闘服に手を伸ばした。そしてズボンを履きながら、ちらりと乱暴な女隊長殿を横目で盗み見る。

 

「なんだ?」

「いーえ、別に」


 胸の前で腕を組みながらむっつりとこちらを睨みつけている少女に、軽く嘆息する。

 今しがた一瞬見えた、年相応の少女らしい反応は、もう完全に消え去っている。その切り替えの速さは、さすが部隊指揮官といったところか。

 ベッドの上では、もう少し可愛げがあったのだが。


「終わったか。では行くぞ」

「何処へです? 司令室に?」

「いいや、食堂だ」


 9号が戦闘服を着るなり、0号は踵を返して歩き出した。

 ピロートークと言うには少々時間が経ちすぎているが、9号としてはもうちょっと余韻を愉しみたいところである。そんなふうに考えてしまうのは、やはり胸の内にどうしようもないセンチメンタルな部分を抱えているからなのだろうか。何やら大事とのことなので、仕方がないのだが。

 溜息をつきながら廊下に出ると、9号はまた違和感を覚えた。妙に、周囲が静まり返っている。9号らの個室があるこの寄宿舎には、同じクローン兵の仲間たちも寝泊まりしているというのに。

 

「何をぼぅっとしてる、行くぞ」


 そう言って歩き出す0号を追い、9号も早足で歩き出した。途中で部下兼後輩たちの部屋の前を横切るが、やはり人のいる気配はなかった。まだ起床ラッパまで少しだけ時間があるが、0号の言う通りに、もう皆が食堂に集まっているということなのか。どうやら本当に、とんでもない大事であるらしい。

 9号は緩んでいた意識を引き締め、指揮官に向かって問いかける。


「それで、何事です? 戦況に変化が?」

「ああ、大きな変化があった」

「出撃ですか?」

「いや、それは当分無い。……恐らく」

「では、配置転換とか?」

「それはあるかもしれないな。……たぶん」

「……?」


 含みをもたせながら答える0号の黒髪が、まるで尻尾のように左右に揺れている。親友のお古の図鑑や映像番組でしか見たことはないが、確か旧時代に存在したドッグなる生物は、機嫌がいい時にはこんなふうになるのではなかったか。

 してみると、いよいよ大洋連合への一大侵攻が敢行されることになったのかもしれない。あるいは、どこぞで行われていた作戦行動が成功裏に終わったのか。

 そんな発表を、こんな早朝に、食堂でするものなのかは分からないが。




 ゃぁ~~………




「ん?」


 ふと9号は、背後を振り返った。誰もいない廊下のその先を、眼を凝らして見つめる。

 

「どうした?」

「いや……気のせいです」


 9号は首を振ると、すぐにまた0号の後ろについて歩き出す。

 何かが聞こえたような気がしたが、間違いだ。


 





 にゃぁ~~ぉ…………








 0号の言った通り、すでに食堂は人で溢れかえっていた。

 9号たちのような下士官から、顔なじみの研究員たちの姿まである。見れば先程の9号と同じように、裸同然の格好の者たちまで。

 本当に、この基地中の人間が集まっているのではないかと思われる程にごった返している。

 だというのに、異様に静かだ。誰一人として、一言も発しようとしない。


「ほら、こっちだ!」

「わ、分かった。分かったから……」


 0号が小声で言い、人の海を泳ぐようにして食堂の一画を目指して進んでいく。9号も懸命にそれを追いかけた。

 その際、何人も乱暴に押しのける形になってしまったが、何故か誰も文句を返さず、どころか舌打ちの1つもしなかった。皆、呆けたように同じ方角を見つめているばかりだ。それも丁度、9号たちが向かう先を。


「どうしちまったんだ、いったい」

「とんでもないことが起こったんだ。基地中が、いや大陸中が……それこそ、世界中が大騒ぎだろうさ」

「そりゃあ、どういう」

「すぐに分かる」


 訝りながら進んでいくと、やがて2人は目的地に到着した。食堂の壁にかけられた、1台の大きなモニターだ。普段は戦況報告や基地司令からの訓示、あとはクソつまらないプロパガンダ・ニュース映像を垂れ流すばかりのそれだが、どうやらこの場の全員が見入っているようである。

 モニターから声が響いてくる。


『えー、その。繰り返し申し上げます。じゅ、重大発表です』


 朝食の際に見る、馴染みのニュースキャスターだった。

 毎度毎度、判で押したように同じ格好で登場する痩せた中年男なのだが、七三分けされていた筈の髪はぼさぼさに乱れ、真っ赤なネクタイは結び目が緩んでおり、黒縁の眼鏡はズレ落ちかかっている。とても大陸全土に晒せるような風体ではない。

 そんなベテランキャスターが、まるで新人がそうするように、何度も何度もつっかえながら言う。


『我が大陸連盟と大洋連合の両首脳が……今後一切の戦闘行動の停止に向けて、交渉に入ったとのことです。……つまり、ええとその、つまり……』


 原稿をもつ手が震えているのが見える。仲間たちの間で『いつもの冴えないオッサン』などと呼ばれていた男の顔が、驚愕と、悲哀と、歓喜でぐちゃぐちゃになっている。


『終戦です! 和平です! この戦いは、ついに終わりました! ああ、神よ!』


 その後は、もうまともな言葉にはならなかった。キャスターは、ただ何度も何度も『ありがとう』だの『感謝します』だのを繰り返すばかり。とんでもない混乱っぷりだったが、以降も映像が中断されることはなかった。

 きっとこれを放送しているスタジオの方でも、スタッフたちが慌てふためいているか、あるいは信じられずにいるのだろう。だが大陸連盟の中枢たる党が、放送を中止させるために介入してこない以上、このニュースが敵側の工作ではないということだけは確かだった。


 しばらく経ってから。

 ほんのしばらく経ってから、爆発の如き歓声が上がった。食堂に集まっていたすべての人間たちが、泣き、叫び、喚き出したのだ。


「終わった! 終わったんだ!」

「もう戦わずに済むんだ! なんてこった!」

「俺たちは生き残ったぞー!!」


 大声を張り上げては、近くの者同士で手を握り合い、抱きしめ合い、涙を流し合う。先程の静けさが嘘のような、とんでもない喧騒の渦。

 そのど真ん中にあって、9号はぽつりとつぶやいた。


「なんだよ、いったいどうなって……」


 完全に使い物にならなくなったキャスターの代わりに、モニター上にテロップが流れていく。『交渉の開始は本日10時の予定。両陣営とも交渉において、条件は付帯しない模様』という文句が、何度も何度も繰り返される。


 終わる。この、クソったれな戦争が。

 あれだけ多くの命を浪費して繰り広げられた凄惨な争いが。

 こんなにも簡単に、あっけなく終わる。

 

「終わるんだよ、9号。私たちはもう、殺し合わずに済むんだ! 死ぬこともないんだ!」


 騒ぎに負けないくらいに声を上げながら、0号が言う。だが9号の方には、どうにも現実感がなかった。

 戦争の終結。幾たびも願ってきたことが、“こんな最高の形”で迎えられるだなんて、まったく信じられなかった。


 なにせ今、隣にはこうして0号がいる。

 想いを確かめ合い、愛し合った相手が、ここにこうして無事でいてくれる。

 これ以上に望むことがあるだろうか。まったくもって、最高のシチュエーションではないか。

 

 




 だが、そんな都合の良いことが、果たしてあり得るのか?







「信じられない。まるで……」

「いいや、9号!」


 やにわに0号が、両肩を掴んできた。そして、まるで9号の言葉を遮るようにして、強い強い口調で言う。


「これは現実だよ! 紛れもない現実だ!」

「あ、ああ……」


 がくがくと身体を揺さぶられながら、9号は弱々しく頷いた。

 現実。ああそうか、これは本当の出来事なんだ。それなら……


「0号!」

「ああ!」


 0号の、力強くも細い身体を抱きしめてやる。

 すると0号の方も、9号の背中に手を回してくれた。

 現実だ。この肌を通して伝わってくる温もりも、心臓の音も。彼女がここにこうして生きていてくれるというのは、紛れもない現実。


―ああ、これはまるで……


 静かに打ち震える9号の視界の端に、ふと何かの影がよぎる。

 



 小さく。





 白く。






 毛むくじゃらの……




―ははは! これで邪魔者は消えた!

―守護者なき今、彼女はもう僕のものさ!


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