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エカテリーナの学院生活(■■■■■■・1)

―うにゃぁ?

―みゃみゃみゃっ!

―ふぎゃーーーー!!


 酷く淀んだ、埃とカビの匂いの充満する地下室だった。

 所々に蜘蛛が巣を張り、壁の中からは時折がさごそと鼠が這い回る音がする。おまけに、暗がりに所狭しと本棚が並んでいるものだから、圧迫感がすさまじい。正気の者なら、長くこの場に留まろうとは考えないだろう。

 だがそんな悪環境の中、机上のランプの淡い光だけを頼りに、エカテリーナは黙々とページをめくっていた。


 『魔法大全』。

 本来、“入学”して2年目の彼女には。それどころか、講師たちですらおいそれと触れることは許されない秘本の1冊。世界の理を捻じ曲げる法についての知識がまとめられたそれを、まるで飲み下すようにして読み進めていく。

 本当に基礎的な技術に関しても、深い考察や展望がびっちりと記されているのだが、1ページを読了するのに10秒もかけていない。だが、魔法に関して有数の名門校であるこの学院アカデミーの中でも、さらに歴代最高の能力を有するとされる彼女にとっては、この程度のことは朝飯前だ。

 

 エカテリーナは、こうしてこの書庫で一人孤独に研究に勤しむことが、何よりの幸福だった。

 何せこんなところなので、滅多に邪魔が入らない。家格だの社交だの、下らない話題をピーチクパーチクと囀る愚物たちに付き合ってやったり、魔法士として彼女に劣る講師たちによる、稚拙な講義や課題のために貴重な時間を割くというのは、非生産的でしかないのだ。


 人の一生は短い。時間というものは、限られた資源リソースである。

 だからエカテリーナは、両親のたっての希望で仕方なく入学してやったこの学院アカデミーでも、極力他人との関係を絶ち、自分の研究に没頭するようにしていた。彼女の“大望”を達成するためには、1分1秒でも無駄にはできないのだから。

 だというのに……


―やれやれ、またですか……


 扉の向こうから響いてくる無数の慌ただしい足音に、ため息を漏らす。机上の『魔法大全』を閉じ、そのわきに置いてあった“とんがり帽子”に手を伸ばすと、その拍子に数名の女子学生たちが飛び込んで来た。

 学院指定の白地のシャツに、紺色のズボンとマント。そして、とんがり帽子。皆、エカテリーナと同じ学院アカデミーの生徒、いわば同輩たちだ。 


「大変です、エカテリーナ様!」

「すぐに来てください!」

「い、いま中庭の方で……」


 地下書庫に入ってくるなり、女子たちは口々に喚き始める。その内の1人として名前を知る相手はいなかったが、彼女らの目的だけは察しがついていた。

 

「みなまで言わなくて結構です」


 大げさにため息をついてから、エカテリーナは席を立った。するとその女子たちは、即座に左右に分かれて道を開ける。エカテリーナの方も、当然とばかりにその真ん中を歩き出した。

 エカテリーナが正面に差し掛かる度に、女子たちは恭しく首を垂れていった。まるで女王に仕える従者のようである。だが、その様子を視界の隅に捉えるエカテリーナは、不満気に鼻を鳴らすばかりだ。

 この矮小な者どものへつらう態度もそうだが、“愚かな弟”のせいで貴重な時間リソースを浪費せねばならないという事態が、何より嫌でならなかった。


 



 エカテリーナが中庭に到着すると、すでに人だかりができていた。

 生い茂る草木や花、それらに寄って来る小鳥や虫たちを愉しむべきこの場所で、有象無象たちが野次を上げている。人の壁で見えないが、恐らくはその中心部に彼がいる筈だ。


「こんな大騒ぎならば、放っておいても良さそうですが……」


 この分ならば、いずれ講師たちの誰かが気付いて止めに入ってくれるだろう。だが、ここまで来ておきながら見捨てたとあっては、後々面倒なことになるかもしれない。

 宮廷勤めの両親の面子や、ひいてはワシリエフの家名を穢したなどといちゃもんをつけられては、人生設計に歪みが生じてしまう。その危険性リスクを考えれば、必要な投資であろう。


「エカテリーナ様……」

「このままでは……」

「分かってますよ、もう。ほら、どいたどいた!」


 後ろからせっついてくる同輩たちにうんざりしつつ、エカテリーナは歩き出した。野次馬達を無理やり押しのけ、騒ぎの渦中へと直進する。

 退屈な学院生活の最中にもたらされた刺激に興奮する学生たちは、邪魔っ気な闖入者に対して非難めいた視線を向けるが、直後にその正体を悟って表情を引きつらせた。


「お、おい!」

「まさか!?」

「あれが……!?」


 数秒間のどよめきの後、がばっと人垣が割れて、一本の道ができあがる。するとその先に見えるのは、3人の体格のいい男子学生と、地に伏す“桃色髪”の少年の姿。


「あ……ね、姉さん……」


 少年が顔を上げて、こちらの方を見た。左の頬がはれ上がり、右目の下あたりに青あざができている。その上、涙と鼻血でぐちゃぐちゃ。シャツもマントも土ぼこりで汚れ、皺くちゃだ。なんとも酷い有様である。


「おうおう、またお姉ちゃんのご登場だぜ」


 男子学生の1人が、薄ら笑いを浮かべながら言った。すると他の2名も、追随するように醜く顔を歪ませる。名前はまったく知らないが、確か1年生の筈だ。いずれも覚えがある。

 何せ“彼”が入学してからというもの、こんなことがもう何度も起きているのだ。変な表現だが、顔見知りのようなものになってしまっている。


「いつもいつも助けに来てもらってばっかりで。本当に情けない奴だなぁ、ウラジミル?」

「うぅ……」


 男子学生に爪先で小突かれ、少年が苦悶の声を上げる。エカテリーナは冷めた目でそれを見つめながら、静かに問うた。


「で? 今度はどんな下らない理由なんです?」

「コイツがヘマをしたせいで、実験が失敗しちまったんだよ!」

「無能野郎と一緒の班だったせいで、俺たちも追試を受けなきゃならなくなっちまった!」

「いい加減にうんざりなんだよ、もう!」

「……ええ、ええ。そうでしょうね、そうでしょうとも」


 そのときの様子は、容易に想像することができた。入学して日が浅く、学院生活にも慣れ切らないこの時期。未だに日々の課題を要領よくこなせないのに、何度も何度も足を引っ張られては、その憤懣も理解できようというもの。

 だが、さすがにこれはやり過ぎだ。不肖の弟ではあっても、見過ごしては置けない。


 テキトーに応じつつ、つかつかと少年へと歩み寄る。そして腕を掴み、乱暴に引っ張り起こしてやった。


「ほら、しっかりなさい」

「あ、ありがとう、姉さん」

「随分とやられて。これは、治療しなければなりませんね」


 少年は弱々しく頷きながら、手を引かれるままに歩き出した。だが、その足取りは覚束ない。どうやら見た目以上に痛めつけられたようだ。仕方がないので、少年の右側から肩を回して身体を支えてやる。


「お……おい! 何処に行こうってんだよ?」

「まだ終わってないぞ!」


 自然な流れで立ち去ろうとしていたところに、我に返ったかのように男子学生たちが声をかけてきた。エカテリーナは肩越しに振り向き、胡乱気な視線を返す。


「医務室ですよ。私の方も、さっさと済ませて研究に戻りたいもので」

「ふざけるなよ! そんな簡単に済む話か!」

「どうしてです?」


 エカテリーナは、さも不思議とばかりに小首を傾げた。


「貴方たちもここでガチャガチャやるより、とっとと戻ってその追試を受けた方がいいでしょう。時間の無駄ですよ?」

「気が治まらねぇんだよ!」

「こうも立て続けじゃぁ、我慢の限界だ!」

「歩けないくらいに殴り回したんだから、もう十分発散したでしょう。その体力を勉学に費やした方が、有益ってもんですよ。それとも、それが分からないくらいに馬鹿なんですか?」

「こ、このアマ!!」

 

 男子学生の1人が、怒りの表情で杖を抜き放った。人混みから悲鳴が上がる。


「1年上だからって、いつもいつも舐めやがって! 喰らえっ!」


 吠え声と共に、杖の先から小さな魔力の塊が2つ放たれた。妖精のように飛翔するそれらが、緩やかな螺旋状のカーブを描きながら、エカテリーナたちへと向かってくる。


 魔導弾。

 対象物に向かって、誘導性をもった魔力の塊をぶつける、初歩的な魔法の1つだ。初歩的とはいえ、魔法士の卵でしかない学生に対しては危険な術だが……生憎と、エカテリーナはすでに学生の域を越えている。


「ああもう、まったく」


 エカテリーナは短く呟き、空いている方の右手で杖を抜いた。そして魔導弾が直撃する瞬間、そっと一振り。

 するとどうしたことか、魔力の塊が綺麗に消え去ってしまった。まるで黒板に書かれたチョークの点を、手でこすったかのように。 


『なっ……!?』


 男子学生どころか、ウラジミルを含めたその場の全員が絶句した。信じ難い、理解できないとばかりに。

 だがエカテリーナは、つまらなそうに呟く。


「魔力を通した杖で、打ち払ったんですよ。“呪文の打ち消し”なんて、そんな難しい話じゃぁないでしょう?」


 魔法はその上級か下級かを問わず、いずれも魔力によって形作られる現象だ。その故にその魔法と同じ量の魔力を外からぶつけてやれば、今のように完全に無効化することだって出来てしまう。“対抗呪文”とも呼ばれる技術の1つだ。

 本来ならば、同質の魔法を直撃させることで威力を相殺するのだが、杖で直接触れても結果は同じことである。


「私はねぇ、時間を無駄にするのが嫌いなんですよ」


 言いながらエカテリーナは、今度は杖の先を前方に向けた。男子学生たちが、一斉に顔を引きつらせる。


「でも、そちらがその気ならば相手をしなければなりません。どうします?」




 

「ありがとう、姉さん」


 中庭を脱出して校舎の中に入ると、少年は礼を言ってエカテリーナから離れた。


「もう大丈夫だよ。医務室へは、1人で行けるから」

「そうですか、それはよかった」


 エカテリーナもうなずき、とっとと歩き出そうとする。そこでふと思い立ち、弟の方へと振り返った。 


「ウラジミル。貴方も男なら、びしっとやり返したらどうなんです?」

「む、無理だよ姉さん。僕には……」

「貴方がそんなだから、連中が付け上がるんですよ!」


 弟であるウラジミルは、エカテリーナに比して魔法の才が著しく低い。同じく熟達した魔法士である両親から生まれ落ちたというのに、姉弟でこうも違うとなれば、色々と中傷や攻撃の対象にもなろうというものだ。

 だが一番の問題は、彼の気質にある。罵倒されれば顔を伏せるし、小突かれればすぐに倒れる。そんなことで、これから先どうやって生きていくというのか。


「いいですかウラジミル」


 エカテリーナは弟の両肩に手を置き、言った。


「貴方だって、やればできる筈なんです。なんたって貴方は、“私の弟なんですから”ね」

「うん」

「……本当は面倒ですけど、何かあったら私を頼りなさい。なんとかしてあげますから」

「うん、ありがとう」


 ウラジミルが弱々しく笑うと、エカテリーナも微笑みを返した。そして踵を返し、今度こそ歩き出す。

 すっかり時間を喰ってしまったが、研究に戻らねばならない。そう思って、小走りに廊下を進んでいくと……



 にゃーお!



「うん?」


 どこからか、猫の鳴き声が聞こえてきた。だがエカテリーナは、さして気にすることも無く目的地へと急ぐ。どうせ講師か学生の使い魔の類だろう。それよりも今は、“大望”のために1分1秒が惜しいのだ。


 



 

 少女が、“桃色の癖毛”を揺らしながら廊下を歩く。そのすぐ背後を、1匹の猫が追随していた。

 雪のように真っ白な猫だ。その毛並みには一切の穢れが無く、まるで“白”という概念が形をもったようである。白猫は懸命に少女の後を追うが、何故かいっこうに追い付く気配がない。走っても、飛んだり跳ねたりしても同じだった。

 距離が、まったく縮まらないのだ。


 やがて少女は地下書庫へと到着し、扉を開けて中に入ってしまう。猫も滑り込もうとするが、寸前で扉が閉じてしまった。


 ふぎゃぁ!!


 猫は扉に跳びつくと、懸命に爪を立てた。だが当然、びくともしない。それどころか、爪痕すらついていない。がりがりという音さえも。


「こらこら、駄目だよ」


 突然、何者かが後ろから猫を抱きかかえた。猫は怒り狂い、己を拘束する両手をひっかき、または噛み付くが……やはり傷一つつかなかった。

 その何者かは、優しく微笑みながら言った。


「姉さんは忙しいんだ。邪魔をしちゃあいけない」

 

―ふぎーー!!

―こらこら、暴れたって無駄だよ

―ふー! ふー!

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