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閑話・別れと旅立ち


 “貪食”を排除してしまってからは取り立ててやるようなことは無く、ナインにとっては退屈な毎日が続いた。

 城の設備の補修だの、食糧などの物資の備蓄だのを手伝いつつ、“本業”である廊下の床磨きに精を出したり、ドス指導の下で筋力トレーニングや組手に打ち込んだり。肉体的にはなかなかの負担ではあったが、なんにしても思い悩む種が消失してしまったので、さして辛くはなかった。 

 ご老体スィスも想い人への未練を断ち切り、いよいよこの名も無き世界から旅立とうという日になって、メアリとコンフュシャスが連れ立ってアラインを訪ねて来た。


「わ、私たちの世界を救って頂き、本当に、本当に、ありがとうございました!」 

「此度のお前たちの働きについて、部族と、そしてこの世界を代表し、改めて感謝をしておく。よくやってくれた」


 城の玄関先の広場にて、メアリが深々と頭を下げながら、そしてコンフュシャスが腕を組んだまま慇懃に言う。すると、ナインとともにそれを出迎えていたノーリも、微笑みながら返した。


「こちらこそ、貴方がた森人エルフにはたくさんの助力を頂きました。ご縁があれば、またお会いしたいものですね」

「こちらとしては、御免被る。またぞろ厄介な要求をされては敵わんからな」

「もう! 兄さんったら!」

「あははは……」


 最後の最後まで頑なな態度を取り続ける兄を、メアリが横から小突いた。里の入口で衛兵に武器を突きつけられていたときとは、えらい違いである。仲睦まじい、というと言い過ぎかもしれないが、兄妹らしい振る舞いだ。

 その様子を眺めながら、ナインは少しだけ寂しい思いを抱いていた。


「な、ナインさん、にも、大変お世話になりました」

「いや……俺は、何もできなかったさ」

「でも、貴方の言った通り、“良い事”がありました!」


 そう言うメアリの笑顔の中には、もう以前のような鬱屈とした、あるいはじっとりとした陰のようなものなかった。確かにナインたちとの別れを惜しんでいるのは事実なのだろう。だが、それ以外には何もない。卑下も、嫌悪も、一切が垣間見えない。憑き物が落ちた、とはこのことだろう。

 しかしそれこそが、ナインにとっての懸念材料に他ならない。


「里では、何も問題はないのか? 酷いことをされたりは?」

「大丈夫です。み、皆さん、少し緊張しておられますが、でも、以前ほどは……」

「そうか。まあ、それならいいさ」

「案ずるな。もうこの娘を軽んじる者など、部族の中には存在しない」

「ああ、そりゃぁよかったよ」


 もうこの娘に、ナインの庇護は一切必要ない。その事実に、どうしてもナインの心がささくれ立たってしまう。

 気に入らないことは他にもあった。メアリとコンフュシャスの距離が近すぎるのではないか。勿論2人は兄妹であることだし、ひょっとすると盲目の彼女のために、何かあればすかさず介助しようという意識の表れなのかもしれない。

 だがメアリは、いつも通りに杖代わりの弓を抱えているし、何度か連れ立って歩いた限りでは、あの鬱蒼とした森の中を歩くのにもなんらの助けも必要としていなかった。全体、いまさら親身になってやるというのは、少々ズルが過ぎるのではないか。


 そんなやっかみから、ナインはつい嫌味を口にしてしまった。


「……にしても、随分と虫のいい話だな」 

「ちょっと、ナイン! こんな時に」

「そうだろうがよ。散々ヒデェ扱いをしておきながら、今度は英雄だ何だと祭り上げてんだから」 


 そう聞えよがしに言ってやるが、コンフュシャスは冷静だった。軽く鼻を鳴らし、しゃあしゃあと答える。


「確かに私は、この一件を大いに利用させてもらった。だが、それに対して負い目など感じてはいない。“お前と同じ理由”から、と言えば分かるだろう?」

「……そのことについては、疑っちゃぁいないさ」


 何度も重ねてきた会合の中で、もうコンフュシャスの本心は理解できていた。

 この男もまた、メアリのことを心底救いたいと願ってきた。それこそ、彼女と知り合って間もないナインとは違い、もう何年も何年も、長いこと。降って湧いた邪神討伐の功績を臆面も無くかっさらっていったのも、全ては妹を想う気持ちからだ。


「こころから、感謝、しています」


 メアリがぽつりとつぶやいた。


「兄さんにも、ナインさんにも、他の人にも。たくさん、たくさん、た、助けてもらいました。い、今の私があるのは、みなさんの、おかげです」

「……ああ」

「ナインさんの、言った通りでした。“良いこと”というのは、このことだったんですね」

「まぁ……そんなところかな……」 


 本当は、この世界の神々の力で彼女を救ってやるつもりだったのだが、過程は違えどその結果に行きついたのは間違いない。いい加減、いじけるのは止めにするべきだろう。


「達者でな、メアリ。もう大丈夫だと思うが、挫けるなよ」

「はい!」


 目が見えないメアリに向かって、精一杯の笑顔で激励を送る。するとどうやら通じたようで、メアリの方も微笑みながら頷きを返してくれた。


「もう充分だろう」


 コンフュシャスが、わざとらしく咳ばらいをした。


「旅路を急ぐ彼らの邪魔をしてはならん。そろそろ戻るとしよう」

「ええ、それは……分かりました」


 メアリは一瞬だけ名残惜し気な顔をすると、最後にもう一度だけ頭を下げた。


「ど、どうか、ご無事で!」

「ああ、そっちもな!」


 兄に手を引かれて、メアリは歩き出した。途中で何度もこちらを振り返りながら、手を振ってくる。見えていないことは分かっていても、それでもナインはその度に手を振り返した。

 やがて麓の里へと向かう2人の背中が豆粒ほどの小ささになると、やにわにノーリが声をかけてきた。


「ざーんねんでしたねぇ、ナイン!」

「あぁ? 何がだよ」

「やっぱりあの娘には、貴方からの救いなんて必要なかったということですよ!」


 バシバシと背中を叩きながら、例のドヤ顔。少しばかりしんみりしたい気分だったというのに、何とデリカシーにかける女であろうか。


「うるせぇなぁ。救うべき者がいて、救ってやる手段があるなら、そうするのがスジってもんだろうが」

「何を言ってんですか。手段ったって、結局“神頼み”だったではないですか!」

「そりゃ……仕方ねぇだろ、他にいい方法がなかったんだからよ」


 メアリの窮状を救うには、ナインでは明らかに力不足だった。コネクションなど無いのだから、他の森人エルフの共同体に受け入れてもらうことなどできない。暴力での解決など、軋轢を残すのでもっての外だ。

 だから、邪神討伐の特典である、“願いを叶える”という奇跡にすがるしかなかったのだ。結局ナインどころか、アラインの誰1人としてその権利を行使することはなかったのだが。


 しかしノーリは、呆れたように首を振る。


「コンフュシャスがメアリを救ったことを不満に思ってるくせに、神様に頼ることは良しとするんですか? それこそ虫が良い話ではないですか」

「俺にはどうしようもなかったから。だから、そうするしかないと思ったんだよ。間違ってるのか?」

「ええ、間違っていますとも。そんな大切な願いならば、自分で叶えるべきです」

「だから、それは無理だと……」

「本当にそうですか? ありとあらゆる方策を吟味し、最後の最後まで粘ってみましたか? 貴方はそこまでせずに、楽な方へ逃げただけではないですか」

「じゃあ、それならお前は……」

「っ……な、何ですか?」

「いや……」


 お前には無いのか。“自分の力ではどうあっても叶えられない願い”が。


 そう問いかけようとして、ナインは口をつぐんだ。あまりにも無神経なことだと、すぐに気が付いたからだ。

 何故なら彼女の願いは、“たった1つ”しかありえない筈だから……

 

「……私は戻ります。“渡り”の準備をしますから」


 ややあってからノーリは踵を返すと、城へと入っていった。その怒りのオーラの立ち上る背中を見送りながら、ナインは1人肩を落とした。


「しくじっちまったなぁ、ナインよ」

「……うるせぇよ」


 背後からかかる声に、ナインはぶっきらぼうに応じた。誰なのかは分かる。

 振り向くとそこには、メイド服に身を包んだ女性が立っていた。団員のタムではなく、その身体を乗っ取ったジーグだ。笑みを浮かべながら、ナインを見つめている。そう言えば、今日でこの男ともお別れだった。 


「なあ、聞いてもいいか?」

「なんじゃね」


 一応こいつも、神の端くれだ。参考程度に聞いておいてもいいだろう。そんな考えから、ナインは尋ねてみることにした。


「メアリを救ってくれとお前らに願うことは、そんなにおかしいことか?」

「いや、おかしくはないと思うぞ。叶えてやるかは別じゃがな」

「……どういうことだよ?」

「前にも言ったじゃろ。俺たちは、誰もかれもを救う様な都合のいい存在じゃあねぇとな」


 確かに言っていた。あれはたしか、メアリと3人で初めて森人エルフの里へと赴いたときのことだ。ジーグが焚き付けたがためにメアリが心を痛め、それに対してナインは酷い怒りを覚えたものだ。 


「どうしてだよ。神サマってのは、何でもできるんだろ? それならメアリのことも……」

「どうしてってそりゃ、人を救うは人でなければならんじゃろ」

「よく分からねぇな。神が人を救って、何の問題があるってんだ」

「人というのはな。神の力なんぞ借りずに、自分たちで生きなきゃならねぇんじゃ。そうでなけりゃぁ、人でなくなっちまう」

「なんだそりゃ。だってお前らは、俺たちと一緒に“貪食”と闘ったじゃないか。それはこの世界の全ての人間や、その他の生き物のためだろう?」

「ちがう、この世界を救う為じゃ。特定の個人を救う為じゃぁないぞ」


 ジーグの顔から笑みが消える。そこにはいつもの軽薄さはなく、達観したような、あるいは人という矮小な枠から逸脱してしまったような、そんな触れ難い何かがあった。


「誰かを救いたいと願うことは立派じゃ。じゃが、神を頼っちゃならん。何故なら本来人は、神から“お恵み”を頂かなければならんほど、弱くはないからじゃ」

「だがメアリは苦しんでいたぞ。同じ森人エルフから排斥され、自分自身を卑下し続けて。ほとんど歪みかけていた」

「あの娘は、お前さんが思うとるより心が強い。今回の一件がなくとも、自力で何とかしとったろうさ」

「……本当に、そうなのか?」

「人は、ほんのちょっとしたきっかけで大きな障害を乗り越えて見せるもんじゃろ? 例えば、誰かから勇気づけられるとかな。だからこそ人というんは、尊い存在なんじゃよ」


 それはつまり、勇気づけるような言葉がけをする人間と、言葉1つで勇気を抱くことのできる人間の、両方のことを言っているのだろう。

 勿論それ以外にも、諦めという泥沼から這い出るきっかけになるものは、いくつもある。

 誰かを護りたい、救いたいと思う気持ちもそれだ。


「俺らが奇跡を行使するんは、あくまでも邪神やらその眷属やらの人の手に負えんときや、人が死んだ後のことだけじゃ。神様なんてのは、日陰モンでいた方がええのよ」

「納得できるような、できないような……む」


 ふと気が付くと、空を漂う雲から一筋の光が差し込んできていた。太陽とは明らかに違う方角だ。

 よくよく目を凝らせば、雲の切れ目の向こうに何かが見える。ひょっとするとあれは……


「先輩方が、見送りに出てきたんじゃ。いよいよ、お別れのようじゃのう」


 そう言ってジーグが隣に立った。その寂し気な横顔からは、先程のような超然とした雰囲気は消え去っている。

 何故かそのことに奇妙な安堵を覚えていると、ジーグは再びナインの方に向き直り、いつもの人懐こい笑みを浮かべた。


「まあ、くよくよすんなや! お前さんは中々良い根性をしとる。“神頼み”なんぞせんでも、立派にやっていけるわい!」

「う、うるせぇっての! それよりお前、ちゃんと姐さんの身体を返せよな!」

「分かっとるよぉ。ほれ、受け止めれ!」

「ぬぉっ……」


 突然ジーグが、意識を失ったかのもたれかかってきた。麗しのメイド様の身体だったこともあり、ナインは慌ててそれを受け止める。するとその背中から、大量の光が溢れ出した。

 覚束なく宙を漂うばかりのそれらは、徐々に集まり何かの形を作っていく。人。それも、少年といっていい年恰好だった。不格好な皮鎧に身を包んだ、まだあどけなさを残す顔貌が、ナインの方を見つめている。


「それが……お前の本当の姿なのか」

「応よ。良いように変えることもできるが、やはり生前のこの格好の方が、気が楽でな」


 これが人間だった頃の姿だというのならば、余程早くに命を散らし、その上で神の座に至ったということになる。ナインのような人間擬きがどうこう言える立場ではないが、想像を絶するような生き方をしてきたのだろうということだけは理解できる。

 

「どうしたい、妙な顔して」

「い、いや。別になにも」

「そうかい。そんじゃぁ、あばよナイン! そして、その仲間たちよ! 願わくは、汝らの旅路に幸多からんことを!」


 直後、ジーグの身体が、再び形を失った。無数の光の粒子となり、空へと昇っていく。

 すると今度は、城の方から声が響いてきた。


「またね、“友だち”!」

「いずれ、手合わせをしようぞ!」

「……ばいばーい……」

「あはは! 結構楽しかったですわー!」


 振り向くと、会議室の窓から他の団員たち数名が身を乗り出しているのが見えた。口々に別れの言葉を叫びながら、神々に向かって手を振り返している。

 どうしようか迷った挙句、ナインはタムの身体を抱きかかえたまま、軽く手を上げてやった。


「あばよ、ジーグ。メアリと、その家族が生きるこの世界を、これからも護ってやってくれ」



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