決着とその後 前編
「で、結局アレは何だったんだ?」
「アレというのは?」
「俺たちが熱線砲で、巨人の頭を吹っ飛ばしたすぐ後のだ。あいつが投げた、あのでっかい斧。俺ぁもう、完全に駄目かと思ってたんだが」
「ああ、アレか! あれはどうやら、魔法の一種らしいぞ!」
「魔法?」
いつもの会議室。円卓の、窓際に近いあたりにかたまる様にして、ナインとノーリとチィは椅子に座っていた。
『“貪食”殺処分計画』から早1週間。朝食後の、ゆったりとくつろぎながらのひと時に、3人はその際のあり得ない出来事についてを振り返っていたのだ。
「魔法なぁ。まぁ、そうだろうよ」
チィの元気のよい返答に、ナインは鼻を鳴らしながらカップを傾ける。こうしてまた、タムの淹れてくれたコーヒーを味わえるのは嬉しい限りだ。だが、これが本当に現実の出来事なのか、まだ疑念が拭いきれていない。
今でもはっきりと思い出せる。熱線砲を照射した直後、あの“貪食”が放った巨大な戦斧は、確かにナインたちごと城の屋上を打ち砕いた。だというのに、ナインは今もこうしてピンピンしている。そのとき傍にいたノーリも、助力してくれたコンフュシャスらも無事だ。
そんなあり得ないことを引き起こすには、まさしく奇跡か、あるいは魔法の力が必要だろう。
「まったくもって、魔法ってな便利なモンだよな。なにせ、“俺たちの死をなかったことにできる”くらいなんだから」
「私たちは不死人ですから、どうにか無事で済んだ可能性もあったでしょうがね。まぁとにかく、もの凄い大魔法なのは間違いないですよ」
ノーリがストロー越しにオレンジジュースをすすりながら言う。
「詳細については分かりかねますが、恐らくは因果を書き換えるような術だと思われます」
「因果を書き換える? どういうことだ」
「すでに確定した運命を、術者の意のままに改変するということですよ。今回の場合は、“あの戦斧が屋上に突き刺さった”という結果を、“地面に墜ちた”という風に変更したんです」
「無茶苦茶だな! そんなとんでもない魔法が使えるんなら、なんでさっさとあの“貪食”を退治してくれなかった?」
両手を広げておどけながら言うと、ナインとノーリの間に座るチィが、小馬鹿にしたように言った。
「お前は馬鹿だなぁ。あの“貪食”は、チィに匹敵する程の超存在なんだぞ? たしかに凄い魔法だけども、それだけで倒せるわけがないだろう」
「へぇへぇそうですかい」
ノーリと同じようなドヤ顔をするチィに、『その割には、お前1人で倒せなかったじゃねーか』と言ってやりたい気持ちを抑え、ナインは舌打ちをした。
このガキっぽい女神は、今回の闘いで色々とプライドを傷つけられる結果になってしまったらしく、何かとナインに当たってくる。というのも、同位体1号である“貪食”は、その名の示すとおりに、団最強のチィと“同等”の実力だった筈なのだ。ところがあまりに肥大化し、強大になってしまったあの化け物には、団の総力どころか、この世界の神々の助力を得てようやく対抗できるという状態だったのだ。
実のところ、計画が発動した最中であっても、この女神様は自分だけで“貪食”を叩きのめすことを考えていたらしい。その念願は遂に叶わず、止めを刺したのは同じ団員のフィーアだった。
おまけに、件のことでノーリの身に危険が及んでしまったので、守護女神を自認する彼女としては、色々と思うところがあるのだろう。
するとノーリが、咳ばらいをしてから言う。
「あー。まぁとにかく、凄いのは凄いんですが、因果に介入するだなんて無茶苦茶なこと、魔法でもおいそれとはできませんよ。恐らく強力すぎて、乱発はできないのでしょう」
「それで、ここぞというところで使ってくれたわけか。誰だか知らんが、まぁ礼の一言くらいは言っておくべきかね」
「何だお前、知らないのか?」
「知らないって、何がだよ」
ナインが聞き返すと、またもやドヤ顔をしながらチィが言う。
「その魔法を使った奴ってのは……」
「およしなさいっ!」
突然、チィの言葉を遮る様に、ノーリが低い声で叫んだ。そして、訝る2人を睨みつけながら、軽く背後の方を顎で示す。
ナインとチィは、不思議そうな顔をしながら、そろって肩越しに振り向いた。
すると。
円卓の向こう側の席から、こちらをじっとりと見つめる人物がいた。
乱れた白髪に、よれよれのスーツ。げっそりとこけた頬には無精髭が生え、落ちくぼんだ両目だけが爛々と輝いている。まるで、幻想小説に登場する不死の化け物のようだが……その正体は、団員の1人にして“貪食”討伐の最大の功労者の1人、スィスだ。
「……何か言ったか?」
『ヒェッ……』
その異様な、ともすれば鬼気迫るような雰囲気に、ナインとチィは仰け反る様にして顔を背けた。実は朝食のときからずっと気になっていたものの、タムを除いた他の団員たちがまったく触れようとせず、とっとと退出してしまったものだから、訊ねることができなかったのだ。だが、今のでおおよその事態は把握できた。
「……出ましょう」
「ああ、そうだな」
「分かった」
3人は手の中のカップをグラスを置くと、そっと席を立った。そして、そそくさと会議室を後にする。項垂れるスィスの側に控えるタムに軽く会釈をしてから、大きな扉を閉め、はぁ~っと大きなため息。
「……おい、まさかその魔法使いってのは」
「そうだ。スィスの“これ”だ」
チィが左手の小指を突き出しながら、珍しく声をひそめて言った。
「正確には、魔法師ですがね。どうも足しげく通っていた相手のようで」
「マジか。それで……振られたと」
「……うん、まぁ、そういうことだ。だから触れてやるなよ?」
「お前が言うなっつの」
チィに言い返しながら、ナインは廊下を歩き出した。ここでこのままくっちゃべっていると、それこそスィスの癇に触ってしまうかもしれない。とは言え適当な場所も思いつかないので、エレベーターに直行した。後ろの2人も、黙ってそれについてくる。すでに復旧が完了したエレベーターに3人で乗り込むと、屋上へ向かった。
今度は閉じ込められることも無く、すんなりと扉が解放されると、広々とした光景が目に飛び込んできた。
「おおっ、もう大分片付いたな」
視界を覆いつくす程の瓦礫の山は、ほとんどが撤去されていた。残っているのは、溶解して使用不能になった熱線砲の砲身と、あとは小さな部品くらいなものだ。
「ピャーチやタムたちが、頑張ってくれたようですね。後で労っておかないと」
「ナイン、お前は手伝ってないのか?」
「俺の仕事は廊下掃除だよ。もう少し休憩したら行くさ」
足元に転がっている錆びた鉄くずを蹴とばしながら、ナインは屋上の縁へと歩み寄った。眼下には、大きく抉れた山頂のカルデラ部分が広がっている。ほんの1週間前、あそこには世界を丸ごと喰らいつくすような化け物が立っていた。その頭を、ナインが撃ち抜いたのだ。
「本当に、あの化け物を……倒したんだよな」
「ええ。これでもう、この世界に危機が訪れることはないでしょう。他の世界も、犠牲になることはありません」
「そりゃよかったよ。“護る”ことができてな」
言いながら、ノーリの方を振り返る。すると、途端にチィが顔をしかめたが、ノーリの方は満面の笑みになった。
「ええ! 陳腐な言い方ですけど、この世界を護ることが出来ましたね!」
「いや、そっちじゃなくてだな……」
「へ? それじゃぁどっちです?」
「もういいです、はい」
紅くなりかけた顔を隠すように、いい加減に手を振って誤魔化すと、再びナインは外の景色の方を振り向いた。
下を見れば、何台もの輸送車両が長蛇の列をなしているのが見える。大型の6つのタイヤに、大容量の荷台に積載された土砂の山。麓の森から、山頂にあるこの城の裏手にまで繋がるそれらは、すべて団員のピャーチが遠隔操作しているものだ。
“貪食”との決戦の後、団と森人の里との和解は急速に進み、件の希少金属採掘は全面的に解禁されることとなった。ここのところ、重機が城の周囲を引っ切り無しに行き交い、城内ではタム達が工具だの機材だのを抱えて駆け回っていた(もう戦闘服ではなく、メイド服でだ)。
「まあ少なくとも、森人の里を護ってやれたのはよかったよな。おかげでこうして、補給ができるんだから」
するとノーリが不機嫌そうな声を上げた。
「そうでしょうねぇ。どうも貴方は、あのメアリとか言う娘にご執心のようですから」
「執心って、そんなつもりはないんだがなぁ……」
確かに、不憫な境遇にあるメアリを救ってやりたいと思っていたのは事実だ。だが少なくとも、ナインをあの尋常ならざる闘いの場に踏みとどまらせていたのは、もう少し別の要因だ。
ナインは、あのお偉いジーグ様たちのように、この世界を護ろうなどとは考えていなかった。というより、考える余裕などなかった。所詮、一般人に毛が生えた程度の能力しかもたないナインに出来ることなど、たかが知れている。如何に不死の能力をもっていたとしても、団の超人たちに比すれば、塵同然だ。
だからせめて、ノーリだけは護る。
最初に“貪食”と遭遇したときに逃げ出さずに済んだのも、2度目の『殺処分計画』の土壇場で重要な仕事を任されたときにそれをやり遂げることができたのも。単に、その決意があったればこそだったのだが。
―想いは通じず、か……
ナインは深い溜息をつきながら、ふと考える。想いが通じないと言えば、それこそスィスの方だ。
あの老人が、この世界の守護者であるアリシアやらルインやらから勝ち取ったという、『願いを1つ叶える』という権利。もしかすると、その見初めた魔法士のために使うつもりだったのではなかろうか。
例えば、望むものを用立ててやるとか、あるいはいっそ、その女性を連れてこの世界を去ることを許してもらうだとか。
だとすれば、計画の準備や実施にあたり、妙な気迫を振りまいていたのにも説明がつく。つまりあのジジイは、意中の女性の心を掴むという酷く私的な目的から、あの化け物との全面的な戦争を行ったのだ。
しかしそれだけの努力をしながらも想いは通じず、目論見はご破算。何とも憐れなことである。
そうなると、件の権利についての競争相手が減ったことになるわけだ。だが、それももう……
「……で、結局アレは何者の仕業だったんですかね?」
ナインが黙り込んでいると、今度はノーリの方から問いかけてきた。
「アレってのは?」
「斧のくだりの、また後のことですよ。巨人の胸にあったという、第2の脳だか何だかを正確に破壊した……」
「ああ。あれは、メアリがやったんだよ」
「メアリが? でも彼女、眼が……」
「ああ。なんでも、“分かった”んだそうだ」
「分かった? 何がです」
「俺にも……よく分からん」
計画完了後、ナインはコンフュシャスと共に真っ先に森人の里へ向かった。メアリと、それから他の森人たちの無事を確かめるためだったが、そこではとんでもないことが起こっていた。
なんとメアリが、邪神を打ち滅ぼした英雄として祭り上げられていたのだ。




