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決戦・9



 メアリにとって、空を飛ぶというのは生まれて初めての経験であった。

 地面から離れたせいで、足の裏から伝わってくる感触が失せ。代わりに遮るものがない空中に晒されたものだから、風や戦闘音がほとんど直に鼓膜を刺激してくる。

 眼の見えないメアリには、もう外界がどうなっているのかまったくつかめていなかった。


「落ちる! 落ちる!」

『落とさないっての。いちいち暴れないでよね』

「だ、誰なんですか、貴女は!?」

『名乗る程のモンじゃないし、アンタには死んでも教えてやらないわよ』


 メアリに対してこんな仕打ちをしている(であろう)謎の人物が、慌てふためくメアリに対し、そうすげなく言う。声を媒介にしたものではなく、直接的に心に語り掛けてきている。メアリには知識がなかったが、多分魔法的な手段だ。


「わ、私をどうしようと、いうんです。私はこのとおりに、なんの、役にも……」

『いいえ、アンタにはできることがあるわ。いいえ、アンタにしかできないことが』

「え?」

『感じているんでしょ? さっきからずっと。あの化け物の“心”を』


 確かにその通りだった。こんな訳の分からない状態に陥っていても、たった1つだけはっきりと感じ取れることがあった。

 それがこの、大きくて純粋な心。その在り処だ。


『それを射貫くの。アンタにならできるでしょ?』

「そっ……」

『口答えは無し。とっととやって。アンタの兄さんを護るためよ』

「に、兄さん、を……」


 そこでメアリは、ようやく思い出した。

 そうだ。全体、自分は兄のためにとわざわざ危険な場所に赴こうとしていたのだ。どうやら話を総合するに、この得体の知れない心の揺らめきは、この世界に来訪した邪神のそれであるらしい。ならばそれを、メアリが滅ぼすことができれば……


「わ……かりました」

『素直でよろしい。ああ、失敗してもいいわよ。私が“改編”してあげるから』

「え? はぃ……」


 メアリは愛用の大弓を構えた。背中の矢筒から矢を抜き出し、慣れた動作で引き絞る。

 単純なことだ。心の在り処とはすなわち、そのもち主の意志の中枢。お師様に習った通りに、感じるままに狙いを絞り、放てばいい。


―偉大なる主神、アリシアよ。命を奪う私の所業を、どうかお許しください……


 祈りを捧げると同時に、ふっとすべての感覚が消え去る。酷い匂いも、五月蠅い風の音も、そのすべてが綺麗になくなった。


―お師様、私に勇気を下さい。兄さんを護るために……


 愛しの師へ懇願すると同時に、指の震えが消え失せる。緊張も、迷いも、一切が綺麗になくなった。


 あとはもう、邪神の心だけ。

 真正面から発せられるその波動だけが、はっきりと伝わってくる。そこにむかってこの矢を放てば……


「あっ」


 そこでメアリは、鋭敏に感じ取った。

 邪神の心を。純粋にして貪欲な、『食べたい』という願いに塗れたその奥底に潜む、とても小さなきらめきを。


「ああ、そうか。貴方は、ずっと探して、い、いたんですね」


 つつ、とメアリの光を感じぬ眼から一筋の涙がこぼれる。 


 この邪神は、ずっと求めていたのだ。

 広い宇宙の中、1人ぼっちで。食べることしかできなくて。でもきっと、自分と同じような意志をもつ誰かが存在する筈だと信じて。

 ずっとずっと、孤独に苛まれながら探し続けていた。


 友人を。

 あるいは、家族を。


「でも……ごめんなさい」



 

 











 “貪食”のもつ恐るべき力、『模倣』。

 観察し、学習した対象の一切を真似るという能力。それは姿かたちのみならず、行動にまで及ぶ。

 通常時は文字通りに泥のような形態をとり、単細胞生物と同等の反射しかとれない化け物であるが、他の生物の似姿をとったならば話は別だ。殊に今回のように人に近い姿を取ったならば、その動きは非常に洗練されたそれになる。

 

 もはや『進化』と称して差し支えないその能力を分析するにあたり、スィスは1つの仮説を立てた。


 不安定な2本の足で身体を支えながら起立、そして歩行。あまつさえ、武器を手にした2本の腕を振るい、チィやアリシアらのような神々、そしてドスらのような超人たちの軍団との戦闘。

 そのような芸当は、如何に世界を飲み込むようなあったとしても、本能でしか動けない愚鈍な化け物では、絶対に不可能だ。

 故に“貪食”は、『模倣』の。否、『進化』の過程において、新たな能力を創り出したのだ。

 今までに散々喰らってきた生物たちのように。そして、人間たちと同じように。素早く高度な判断を行い、論理的な思考をするために必須の、神経細胞の塊を。


 即ち、“脳”を。


「詰まり。奴の脳を完全に破壊することができれば、一時的に無力化できるということだ」











 城から放たれた3発目の熱線砲レーザー・キャノンは、巨人の3つの頭を綺麗に吹き飛ばした。そここそが、“貪食”の創り出した脳が秘められた箇所であると、スィスが看破した位置だ。

 強靭な骨格と筋肉によって容積の大部分が占有され、さらには激しい戦闘によって酷使される手足は、初めから選択肢としてあり得なかった。また、数多の世界で人やそれに類する存在を喰らってきたこの化け物ならば、人体の構造を隅々まで理解し、それを基に自身の肉体を構築するであろうことは、容易に推測できた。


 そしてどうやら、その目論見は正しかったらしい。

 頭部を焼失させた巨人が、力なく腕を投げ出した。今までのような、また何かを真似るような兆候ではない。ふらふらと揺れるその巨体からは、もはや何らの攻撃性も感じ取れない。

 完全に、計画の通り。アラインの勝利だ。


 だが、それでめでたしとはいかないようだった。

 直前に“貪食”が放り投げた戦斧が、アラインの城へ到達しようとしていたのだ。正確には、城の屋上。熱線砲レーザー・キャノンと、それに取り付くノーリたちに、だ。


『ノーリ!』

『いかん!』

『……間に、合わない……!』

『そんなぁ!?』

『ノーリ様! ナイン!?』


 ペンダント越しに、団員たちの悲痛な叫ぶ。

 巨大な斧が、ごうごうと悍ましい音を立てて回転しながら、巨大な放物線を描く。

 あれもまた、“貪食”の肉体から形成された、いわば奴の一部だ。そんなものが直撃しては、いかに不死者といえども無事には済まない。衝撃によって五体がはじけ飛ぶ程度ならばまだマシだが、最悪、接触した瞬間に捕食されるという事態もあり得るだろう。

 チィ達が必死に追いかけているが、完全に出遅れている。もう、間に合いはすまい。結果は覆らないだろう。


 だが、その場のたった1人。

 スィスだけは、確信していた。


「なに、問題はない」










 ずっっどぉぉぉーーーん!











 艶消しされたかのような真黒き刃が、大地に突き刺さった。

 城の屋上に、ではない。丁度その正面の位置の、地面の方にだ。


『どうなってんだぁ、オイ』

『わ、分かりません……だって私たち、てっきり……』


 屋上のナインやノーリたちからの通信が入る。その後に続くのは、団員たちの息を呑んだような、わずかな呻きばかりだった。

 誰1人として、彼らの無事を喜ぶ者はいない。勿論、彼らの身を案じていないのではないだろうが、眼の前で起きた事態に理解が及んでいないのだろう。

 当然だ。今しがた、あの巨大な戦斧は、確かに城に直撃した。誰もがその悲劇的な結果を目撃したというのに、しかし実際には城壁に傷の1つもない。ノーリたちもピンピンしている。


 あり得ない。

 まったくもって、あり得ないことだった。


 すでに確定した筈の出来事が、まったく別の結果に変質してしまったのだ。あたかも、宇宙の因果について記された書物の内容が、何者かの手によって書き換えられてしまったかのように。


「……くはははっ」

 

 だが、スィスには。スィスにだけは、その本質が理解できていた。

 このあり得ない現象が、“あの愛しい女性”の力の行使によるものだということを。そして同時に、それが示すもう1つの事実を。


「おお、素晴らしい! なんと素晴らしいことか!!」

『スィス!? 今のはいったい、どういうことですか』

「やはり彼女は、我を理解してくれていたのだ!! ノーリよ!!」


 戸惑う団長に返答しながら、スィスは感極まったように両手を握りしめた。

 永い永い人生の中で出会ってきた中でも、一等聡明で、かつ気品に満ち、信じられないくらいに美しい魂の輝きをもつ女性。

 スィスは、確信していた。彼女ならば、この想いに応えてくれるであろうことを。永劫に亘り、添い遂げてくれるであろうことを。


―後は目障りな汚物を消去し、この名も無き世界への一切の憂いを断ち切るのみ……!


 胸の内がかつてない程に昂るのを感じながら、1人頷く。

 いよいよ仕上げだ。これをもって計画は完了し、晴れてスィスたちは、この世界を去ることができる。新たな団員を迎えて。

 よろめく巨人を見据えながら、スィスはペンダントに向かって最後の指令を下そうとする。 


「出番だぞ、フィーア……」

 

 だが、そこで言葉が止まってしまった。

 もうすぐにでも大地にその身を投げ出し、再びただの泥へと戻るかと思われていた“貪食”が。寸でのところで、踏みとどまったのだ。

 ぐらぐらと揺れながらも、どうにか片膝をつき、武装を手放して、自分を抱きすくめるかのように6つの腕を組む。死に体ではあるものの、明らかに余力を残している。

 なぜ、どうして。


「……まさか! “もう1つ”あったか!?」


 完全勝利を確信していたスィスの顔に、瞬時に緊張が走った。

 頭部を完全に破壊され、思考や運動機能の制御を司る中枢神経を失った筈の巨人が、未だにその肉体を保っている。それはすなわち、脳の機能がまだ死んではいないということだ。

 どうやら、“貪食”に負荷ストレスを与えすぎてしまったらしい。奴は、神と超人の連合軍との尋常ならざる闘争を生き抜くために、中枢神経を極限まで肥大化させたが、あの3つの頭だけでは、それを収め切ることができなかったのだ。

 故に恐らくは、あの6つの腕に護られている胴体のどこかに、補助脳が存在している。


 だが、いったい何処にだ。

 胸部か。

 腹部か。

 大きさは。

 形は。

 数は。


 1秒にも満たない時間の中、スィスはじっとりと逡巡する。

 

 ここまできて計画がご破算などという事態は、絶対に御免だ。ここで奴を仕留め損なっては、確実に面倒なことになってしまう。そして何より、“彼女”の眼前でそのような醜態を晒すなど、自害ものだ。

 

―どうする? ここでフィーアに任せるべきか? それとも、もう1度集中攻撃をかけて……


 そのときだった。


 巨人の胸の、丁度ど真ん中の部分が。

 6本の腕ごと、吹き飛ばされた。


『なっ!?』


 立て続けの異常事態に、今度こそスィスを含めた全員が仰天する。

 そして、その直後。






 きぃぃぃぃぃぃんっ!!





 顔を引っぱたく強烈な突風と共に、空気を切り裂くような甲高い音が戦場に響き渡る。

 それが音速の壁が破られたことによる、大音響ソニック・ブームであるということに気付くころには、“貪食”がその姿を失い、元の泥へと戻っていくところであった。


 しばし呆然とその様子を眺めていたスィスだったが、すぐに我に返ったように首を振る。

 これも“彼女”の助けによるものなのか。あるいは、また別の何者かの介入なのか。とにかく、『“貪食”殺処分』計画の、その最終段階への移行の目途は立った。


「……総員、退避せよ。フィーアが止めを刺す」


 


 






 スィスの最後の指示を受けた団員たちが、瞬間移動テレポートによって次々と戦場を離脱していく。それを確認したフィーアは、事前の取り決めに従い、静かに動き出した。


「さぁぁ、いくわよぉ……!」


 “幽体アストラル化”の魔法効果を解除し、極限にまで希薄になっていた己の存在を露にする。

 背中の2枚の翼を大きく広げて羽ばたき、空高くから山頂のカルデラを見下ろすと、そこはまるで汚水に満ちた湖のようになっていた。“貪食”が一時的に頭脳を喪失し、その結果として元の単純な身体構造へと戻ってしまったのだ。

 

 フィーアは永い爪の生えた両手を大きく広げると、迷うことなく呪文を解き放った。すでに詠唱は完了している。仲間たちの窮地をただ傍観することしかできなかった鬱憤は、とっくの昔に臨界を突破し、体内で練り上げた魔力は、もう暴発寸前だ。


「“重力崩壊”、発動……!」


 美しくも恐ろしい女魔人の宣言と共に、名も無き世界の物理法則が侵食され始める。彼女を中心とした周囲の風景が歪み、奇妙な球状の空間を形成していった。

 それは、穴だった。宙にぽっかりと空いた、底の見通せない、ほんの一筋の光すら反射しない、漆黒の穴。


 “重力崩壊”。

 それは本来、“浮遊レビテーション”という極単純な魔法だった。巨大な物体の運搬を容易にするために、対象の質量にかかる重力効果を軽減するという、実に初歩的な術。団の城でも、様々な機構システムを運用するために使われているそれに、熟達の魔法士であるフィーアが改変を加えたのだ。


 物体にかかる重力を軽くできるのならば、それとは真逆に重くすることも可能なはず。


 その単純にして明快な論理によって編み出されたこの魔法は、団長ノーリ超魔法メタ・マジックにすら引けを取らないほどの凶悪な威力を発現させることとなった。

 今や傷ついた“貪食”は、不可視の檻の虜となり、自分自身の莫大な質量によって、どんどん小さく圧縮されつつある。

 もしも、彼の化け物の頭脳が無事であったのならば、万が一にでもこの術を打ち破る手段を編み出せたのかもしれない。だが、愚鈍な汚泥の塊であっては、最早ジタバタともがくばかりが精々だ。

 否。それすらも、もうできない。


 無限に増加していく重力によって、やがて“貪食”の身体はボール大に、豆粒と同等の大きさに、さらには砂粒よりもずっと小さなサイズにまで押しつぶされていき……

 最後に、不安定なマイクロ・ブラックホールへと変質してしまうと、1秒と経たずに蒸発してしまう。その際に消失した質量は、膨大な量の放射線エネルギーへと置換され、勢いよく放出されていった。

 

 天高くに向かって伸びる光の柱のようにも見えるその様は、同位体1号“貪食”の、巨大な墓標のようでもあった。



―でも、ごめんなさい。私たちと貴方は、違い過ぎるんです

―さようなら。願わくは、善き存在へと生まれ変わった貴方と、友だちになれますように

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