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メトロポリス・9


 破裂音と共に、複数の悲鳴が上がった。


 ベッドでふて寝を決め込んでいたノーリは、パチリを眼を開き即座に跳び上がる。借り物のシャツを脱ぎ去り、昨晩から吊るしてあった生乾きの一張羅に手を伸ばした。

 素肌に張り付く冷たい布の感触が気持ち悪いが、そんなことを言っている場合ではない。大急ぎでズボンを履き、上着を着て、その上にマントを羽織る。最後にとんがり帽子をすっぽりと被れば、ようやく準備完了だ。


『痛ぇっ! 畜生、痛ぇよっ』

『誰か、引き揚げてくれ! 足が動かねぇ』


 横倒しになった扉の向こうから、悲鳴じみた怒号が漏れ聞こえてくる。ノーリはほんの一度、ぶるりと身体を震わせると、行動を開始した。


 まずベッドをひっくり返す。それをバリケード代わりに、ドアの前に押し込む。あとはそこに向かって、“ちょっとした手違い”で床に散乱していた書物を、次から次へと放り投げた。重し代りだ。

 知性の表現方法の1つである書物に、このように粗雑極まる扱いをすることに心が痛むが、それを読む自分自身が死んでしまっては元も子もない。

 唯一の出入り口が完全に見えなくなるまで埋まったのを確認すると、ノーリは大きく息をついた。そして思い出したように、胸元をまさぐる。“2つ”の感触の内から、丸い球体のものだけを掴んで引っ張り出して、強く握りしめた。


「これでよし…」


 マトイ氏から預かっていたネックレス。恐らくは、非常用の通信手段なのだろう。後は聞き込みをしてくれている彼に連絡が届き、迎えに来てくれるまで持ちこたえれば良い。

 ノーリはネックレスを胸元にしまい込むと、騒がしいバリケードの向こう側を見据えた。


 ついさっきの破裂音は、マトイ氏がこのアジト周辺に埋設していたトラップが起動したものだ。引っかからないようにとしつこく注意を受けていたので、よく覚えている。

 ここはスラム街の中でも特に崩壊が激しく、また目ぼしいものもないため、まず浮浪者たちは立ち入らない区域の1つだ。それなのに外からは、少なくない人の気配がある。つまりアジトの持ち主であるマトイ氏か、最悪の場合はノーリに用がある連中が、すぐそばまで迫っているということだ。


 仮に外にいるのが彼女の仲間たちであったのならば、あの程度のトラップになど引っかかる筈がない。引っかかる者がいたとしても、軽症すら受ける筈もない。


 現在のノーリは、“それなり”に危機的な状況に置かれているという訳らしい。


「そう。あくまでも、それなり。大したことはありません!」


 つい最近の、人生で五指に入るほどの恐ろしいピンチを乗り越えた彼女にとっては、こんなものは狼狽える程の危機ではない。

 頼りになる“守護女神様”がそばにいない心細さを打ち消さんと、必死に自分にそう言い聞かせて、ノーリは呼吸を整えた。


「こんなことなら、もっと真面目に習っておくんだった…」


 即席のバリケードから数歩後ずさって目をつぶり、両足を肩幅に開く。返した手のひらをゆっくりと握りしめ、直角に曲げた両肘で腹を挟むようにして脇を絞めた。

 

 精神統一。勝利への道筋を阻害する、非生産的で否定的な思考の一切を捨てるべし。


 頼れる仲間の1人にして、体術の師の言葉を反芻する。深く息を吸って、大きく吐く。


 よし、落ち着いた。

 

 跳ね回っていた心臓が少しだけ緩やかになったのを感じ取りながら、ノーリは眼を開いた。そして現状の分析を開始する。

 まだうめき声が小さく聞こえてはくるが、それだけだ。無理やりにでも押し入ってくる様子はない。だが、完全に引いてくれた訳でもない。その煮え切らない姿勢は、恐らく数という絶対的な優位を有しているものの、マトイ氏御手製のトラップによって予想外の損害を被ったことが理由であろう。

 

 トラップの良い点は、余程訓練を受けた者か知識を持つ者でなければ、発見と解除が難しいということだ。ここは瓦礫が多く、カムフラージュをするにはもってこいなので、おいそれとは前に進めない。さらには、犠牲者の惨状を目の当たりにした仲間たちが萎縮する効果も期待できる。


 どうしても中に入らねばならない。

 だが、まだ他にもあるのではないか?

 一体何処に、どんな仕掛けがあるのか?


 外敵が抱くそういった恐怖が、今ノーリが立てこもるこのアジトへの侵攻を遅らせる好材料となる。

 そして時間を稼げるのならば、それだけマトイ氏の救援が間に合うことが期待できるのだ。


「これなら…?」


 落ち着きが安堵へ、そして楽観へと切り替わりかけたところで、また何かが聞こえてきた。

 ドスンドスンと、足音の様にリズミカルなそれは、やがてはっきりとした重みを響かせ、数秒後には地鳴りの如き振動を伴って近づいてくる。


「え…? な、何が…!?」


 アジトの天上からパラパラと埃が落ち、バリケードにしていた本の山が雪崩を起こす。


 ぱぁんっ! ばんっ!


 地鳴りに混じって、新たな破裂音が鳴った。別のトラップが起動したようだ。しかし、地鳴りは一向に止まる気配がない。断続的な破裂音と共に、ますますこちらに近寄ってきて…


 どがぁっ! がらがらっ!


「ひぇっ!?」 


 一際大きな音、そして衝撃。

 真っ二つになったベッドが吹き飛び、ノーリの背後の壁にぶち当たる。積み上げていた書物が無残に引き裂かれ、宙を舞う。


 驚きのあまりに構えを解いたノーリが眼にしたのは、入口から突き刺さる様にしてバリケードを粉砕した、鋏の様な形状の分厚い鉄の板であった。



 

 













「怖がる必要、ない。逃げなければ、痛くしない。…多分」


 こちらの警戒心を緩和するにしては物騒で、しかし萎縮させるにはいささか以上に威厳が足らず、声に力がこもっていない。どことなくとぼけたようなその口調が、少しだけくぐもって聞こえてくる。


 マトイはしばし呼吸も忘れて、眼の前のカタコト少女に見入っていた。

 まだ十台前半程にしか見えない小娘の接近を、まったく感知できなかったというのもある。だが同時に、その小娘が奇妙奇天烈だったからだ。

 

 長い金髪に鋭い目つき。かなりの美形ではあるが、口元をマフラーで隠しているので、その相貌ははっきりとしない。だが真に問題なのは、その装いだ。

 着込んでいるのは、鎖帷子というものだった。特殊な合金でできているのか、光の反射が不自然である。かような製造に手間のかかる割に防弾性能の低そうな装備を、一体メトロポリスの何処で取り扱っているのか。

 さらに驚くべきことに、腰に細身の剣を吊っている。遥か昔に、“レイピア”と呼称された近接武器だっただろうか。ナイフよりも肉厚で長いその剣は、これまたメトロポリスではありえない、最早歴史的な遺物だ。


 いや、しかし…?


 簡単に背後を取られたことへの腹いせ交じりに、コケ脅しに過ぎないと評価を下し掛けたマトイは、ふと考え直した。


 スラム街では自身の強さの証明として、密造銃などをひけらかすように持ち歩く輩が多く存在する。だが、この少女のそれは明らかに違うと感じられる。

 利き手と思しき右はプラプラと所在なさげにしているが、左手はぴたりと鞘に吸い付く様に止まっている。ギャングたちのような武器紛いのアクセサリーではなく、必要とあらば即座に抜くことができる得物。そんな少女の意志が、表れているかのようだ。


 一見すると無害そうな、このスラム街では5分と生きていられないような雰囲気ではあるが、その恐るべき隠密能力も含めて、最大限の警戒心をもってあたるべきではないのか?


 マトイは2、3度呼吸をすると、やっとのことで話し始めた。


「客引きかい? だが、子どもは俺の趣味じゃないんでね。悪いが他を当たってくれ」

「…違う」

「そうかい、なら道に迷ったかな? 闇市はこの通りを真っすぐ行けば見える筈だが、今は止めといた方がいいぜ」

「…それも、違う。あんたに、用がある」


 マトイの問いかけに、少女がマフラー越しに、ぎこちなく答える。焦点が定まっていないようなぼんやりとした眼つきだというのに、一切の隙がない。

 “右手に掴んだもの”をさっさと引き抜き、この場を乗り切るという手段が一瞬だけ頭をよぎるが、蓄積されたマトイの戦場経験が、その行為を『無謀』と一刀両断する。


 クソが! 一体どうすりゃ…?


 今日何度目かの悪態を胸中でついたところで、マトイは己の愚かさを思い出すことになった。

 逃げ込んだ裏路地に軽重2つの音が響いてきたのだ。どうやらマトイを追ってきた別の2人も現れてしまったらしい。

 マトイはその少女を刺激しないように、しかし懐から右手を抜かないまま、ゆっくりと振り返る。


「ああ、やっと追いつきましたわ!」

「トリー様、お待たせしました」

「2人とも、遅い」


 闖入してきた追跡者の2人に対し、トリーと呼ばれた少女が不満気に言った。

 どうやらこの3人は、仲間だったらしい。状況がさらに悪化してしまった訳であるが、しかしマトイは、警戒心を高めるどころか、逆に呆気にとられてしまった。

 というのも、合流してきた2人もまた、奇妙奇天烈だったからである。


 足音からの予測とは異なり、追跡者の2人はいずれも小柄な女性だった。

 1人は少女といっていい背格好だ。膝に届くほどの長い薄紫の髪に、赤いワンピース。細かな意匠がいくつも施されていることから、かなり高価な代物だ。目立った汚れも見えないため、その部分だけを見れば上層出身者と言われても疑わないだろう。

 しかし、肌の色がおかしい。白すぎるのだ。

 ノーリ嬢のように、うっすらとピンク色が透けて見える健康的なそれではなく、まるで生気が完全に失せた、死体の如き白さだ。

 だというのに気だるげな顔の中で、眼だけは赤く爛々と輝いている。整った顔立ちのせいで、異様さが際立つ有様だ。

 それに、もう1つ。

 

「眼つきの悪い長身、年季の入ったコート。間違いありませんわね」

 

 マトイをねめつけるようにして言った赤目の少女は、ほっと息をついて右手を振り下ろした。


 ごがんっ!


 その拍子に、地鳴りのような音が響く。その源は、少女の握った杖。いや、杖の様に見える何かであった。

 少女の身長を優に超える長さをもち、禍々しく捻じれ、杖というよりもいっそ鈍器だ。


「セーミ様、そのように殿方を威圧されてはいけません。怯えておりますよ」


 ころころと笑うようにして赤目少女を窘めた残りの1人は、これまた変った姿の女性であった。

 ボブカットされた黒髪に、見ていると心が温かくなるような笑顔。身長は3人の中で一番高く、すらりとしている。絶世の美女という訳ではないが、確かな魅力を感じさせる容姿だ。しかし身に着けているものが、壊滅的にこの場にそぐわない。

 黒く丈の長いスカートに、フリルのついたエプロン、止めにカチューシャ。つまりは、“メイド服”と称される一連の装備品だった。


「…アンタら、一体何者なんだ?上層うえ仮装コスプレパーティーでもやって、酔い覚ましに降りてきたのかね」

「違いますわ! 失礼な…」

「こすぷれ…。何、それ?」

「私たち、少々お聞きしたいことがあるだけなんです」

 

 周囲を取り囲む3人が、ずいっとその包囲網を狭めてくる。

 右手を懐に突っ込んだ、不自然な姿勢のまま、マトイはそれをぐるりと見回して…

 ふと、頭の中に、何かがよぎった。


 こいつらの、この顔。最近、どこかで…?









 ごがんっ!


 コスプレ少女の1人、セーミと呼ばれた少女が、再び杖で地面を突いた。

 

「とっととお答えいただきたいものですわ」


 そう言って、気だるげな表情のまま、急かすように睨みつけてくる。

 赤く光る眼に思考を乱され、閃きかけた何かが消えてしまう。

 仕方なしとばかりに、マトイは口を開いた。


「俺にか? ああいいぜ、教えてやるよ。最近のお薦め商品は、完全栄養食品のコーン味だ。コンソメ味とカレー味は不評でね、30トークンの割に味が良くないらしい。それとも、フルーツ味の方が好みかな? どれもお子様向けだ」

「それは、どうでもいい。あんた、探偵でしょ?ここいらで、有名」

「悪いが人違いじゃないかね、俺はしがないギャングのケツ持ちだ。…ああ、だったら密造酒はどうかな? 代用ジュースで作ったもんだから、お嬢ちゃんでも飲めるぞ。1本50トークンだ」

「…それも、どうでもいい」


 カタコト少女の眼が、スッと細くなる。怒っているか呆れているのか、まったく分からない。

 自分でも苦しいと思えるような時間稼ぎをしながら、マトイは脳みそを千切れるほどに高速回転させていた。


 この仮装コスプレ集団は、明確にマトイを標的と定めて追跡してきたらしい。ならば、その目的は何なのか。

 何の自慢にもなりはしないが、強盗をするのならばもっと楽に仕事のできる対象が、このスラムにはごまんといる。

 一番あり得るのが、報復としてどこぞのギャングたちから差し向けられた暗殺者だ。だがそれにしては悪い意味で目立つ格好だし、こうしてダラダラと問答をする理由も分からない。


 だとすりゃぁ…


 最悪の事態に考えが至り、マトイは何とかこの場を切り抜ける方法を模索した。


「トークンか?それともこの荷物か?両方やるから、見逃しちゃぁくれないか」


 マトイが卑屈に笑って、地面に置いてあった袋へと左手を伸ばす。アジトで待つ我がまま娘への土産品が詰まった袋だ。

 

 コイツを宙にぶちまけて、気を取られている隙に…

 

 ごがんっ!


 その折、コスプレ少女の1人が、手にしていた巨大な杖で三度地面を突いた。遂にアスファルトが粉砕され、衝撃で袋がひっくり返る。無残にも散乱した菓子類を一瞥して、セーミとかいう少女は言った。


「いい加減、ごちゃごちゃ煩いですわね。口ばかり達者な男は、好きになれませんわ」

「あらあら、うふふ」

「やりすぎ」

  

 マトイを取り囲む3人娘がそれぞれに、やれやれと肩をすくめ、笑顔のまま小首を傾げ、瞑目して溜息をつく。平常時ならば服装はともかくとしても、その容姿と併せて可愛らしい仕草だと眼を奪われそうだ。

 だが現状においては、人の形をした悍ましい何かが、得物をいたぶっているようにしか感じられない。


 マトイはそろそろと右手を懐から抜き、観念しましたとばかりに両手を挙げた。そしてやや大げさに、へつらうようにして言う。


「俺みたいなチンピラを殺したところで、道路とアンタらの服の染みにしかならねぇ。清掃員さんが大変だし、アンタらだって綺麗な服を洗濯するのが手間だ。なぁ、そうだろ? 頼むから見逃してくれ。飼い猫の世話をしなけりゃならないんだ」


 女性陣の視線に、冷たいものが混じり始めたのが分かる。それは殺意や敵意の類ではなく、失望や侮蔑といったもののようだ。

 何とも情けない演技であったが、むしろこの3人娘が強盗か、暗殺者であったならば随分マシな状況だ。いや、そうでなかったとしても、もう“最後の手段”を取る他…

 

「大丈夫、殺しはしない」


 金髪のカタコト少女。トリーと呼ばれた小娘が、腰に結わえてある雑嚢に手を伸ばした。そして何かを取り出し、マトイに突きつけてくる。

 それは見慣れない、ひっくり返した黒い灰皿の様な物だった。脇に無数のスイッチが付いている。小娘が指先でそれをいじると、マトイと小娘の間の中空に光りの模様が現れた。

 何もない筈なのに、現実的な質感のある虚像。間違いない。


「3次元映像か?」


 どうやらこれは、小型の立体映像投影機のようだった。このスラム街では、これ程コンパクトな品にはお目にかかることは無いが、上層部では一般的に流通しているのだろう。

 マトイは一瞬脅威を忘れ、物珍しそうに宙に映し出された像に見入ろうとする。


 だがそれは、本当に一瞬だけのことだった。


「この人、知らない?」


 小娘の言葉と共に、中空の模様が収束し、1つの意味ある形を形成する。


 特徴的な、円錐と円盤の合体したような帽子。

 黒いマント。

 癖のある、桃色の髪。

  

「ノーリ、という女性。知ってるでしょ?」 


――なにこれ!?

――機械人形ゴーレム!?

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