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プロローグ

 ――緊急事態だ!

 ――“同位体3号”の急襲を受けた!

 ――皆が迎撃に出ている間に、私は大急ぎで“渡り”の準備をする!

 ――ここは気に入っていたのに、こんな形で去ることになるだなんて。

 轟音と共に、部屋全体が激しい振動に見舞われた。


 デスク上に乱雑に積み上げられていた書類が雪崩を起こし、お気に入りのティーカップが飲みかけの紅茶ごと床に散る。

 つい先日仕入れた珍しい細工時計が、無残にも大小さまざまな歯車の腸をぶちまけている。

 あっちで粉々に砕けているのは、大分前に訪れた地で購入した、とても可愛い笑顔の陶器人形だったものだろうか。恐らく見えない場所では、これらを超える惨状が広がっていることだろう。

 

 ああ、なんて酷い!

 こっちに来てから、“30年以上”もかけてそろえた宝物だったというのに!

 

「うわぅっ」


 憤りのあまりに集中を欠きかけた彼女を、一際大きな揺れが襲った。薄赤い非常灯に照らし出された小さい身体が一瞬バランスを崩しかけ、かろうじて膝立ちの状態へと復帰する。


 そして、即座に思い出す。

 現在の彼女が置かれた、差し迫った状況を。


「くぅ…」


 姿勢を戻した拍子に顔をモニター画面に向けると、そこには眩暈がするほどの警告文が氾濫していた。

 

 防衛機構システムの破損が九割を突破。

 重力・慣性制御装置に重大な異常発生。

 衝撃波と空間歪曲に伴う“城”全体の損傷。

 ついでに、心もとないダメージコントロール開始の報告もちらほら。


 状況は、酷く危機的だ。

 だが、捨て鉢になる程でもない。

 だから今、彼女を除くほぼ全員が、“死なない程度”に踏ん張ってくれている。

 

「もう少し。あと、もうちょっとで…」


 “城”の中枢。薄暗い管制室内に、呻きとも囁きともつかない小さな声が響いた。同時にふわりと揺れる、柔らかくも癖のある鮮やかな桃色の髪。しかしその下の表情は、汗と苦痛に満ちていた。


「焦っては駄目。でも、これ以上時間をかけては…」 


 部屋のど真ん中。様々な計器類や操作盤に囲まれていながら、それらにまったく触れようともせず、ただ必死に祈る様に念じているのは、一人の少女であった。全身を覆う黒いマントに、鍔のついた円錐に尖ったこれまた黒い帽子。まるで鴉のような出で立ちである。

 一体何のつもりなのか、膝立ちになって、胸の前で組まれた両手を変色する程に握りしめている。

 

 だが、これこそが、少女が今やるべきことなのだ。


 この差し迫った現状を脱するには、少女の力が欠かせない。その事実については少女自身がよく知るところであった。しかし少女が持つ“力”は、ある意味においてこの“旅団”で最強ではあるが、如何せん発動するまでに時間がかかり過ぎる。

 そして今現在、その時間がない。


 頼もしい仲間たちが“悍ましい存在”にどうにか立ち向かってくれている間に、少女が為すべきことを為さねばならないのだ。それも、可及的速やかに。

 その事実がまた、繊細な少女の精神をかき乱すのだ。


「早く、早く…」


 歯を食いしばる少女の脳内で、複雑怪奇な術式が組み上げられていく。

 練り上げられた魔力が体内の回路を巡り、奇跡の如き現象を巻き起こす。 

 それはとてもとても偉大な知識であり、同時に気の遠くなる程に細かい調整が必要な力。

 数多の世界において、“魔法”と称される技術であった。


「よしっ!来たっ!」


 歓声とともに、ぎゅっと閉じられていた少女の両眼が大きく開かれる。

 つい今しがたまでの苦渋に満ちた表情が一転、まるで満開の春の花の如き笑顔が咲き乱れた。それと同時に、桃色髪の女性の周囲に激しい燐光が生じ始める。


 ついに。

 ついに少女の持つただ一つの能力が、発動したのだ。


「ピャーチ! 皆を呼び戻してください! “渡り”ます!」


 少女の、誰に対してのものだか分からない叫び声に対して、即座にモニターに『了解!』の文字が躍る。


 そして。


 全てを包み込まんばかりの強い強い光の爆発が、少女を中心にして膨れ上がった。


 どれ程高度な科学技術による機器を用いても、あるいはどれ程高度な魔法技術による監視を用いても見通すことができないような輝きの中で、安堵に満ちた少女の声だけが明瞭に響き渡る。 



「ああ、次はどんな世界なのかしら」












 

 薄暗く悪臭漂う裏路地から、何か重たいもの同士がぶつかる音と、悲鳴が数度聴こえてくる。 

 “メトロポリス”の中でも一等治安が良くないとされるこのスラム街では、やむにやまれぬ事情でもなければ、こんな人目につきにくい場所に入ろうとする者はいない。   

 だがそこには、倒れ伏す数人の少年たちと、それを見下ろす男がいた。


「餓鬼どもが。教養はあっても、分別はねぇのか?」


 少年たちを見下ろしている方、着古したトレンチコートに身を包んだ男が、やれやれとばかりに言い放った。短く刈り込んだ頭髪に、やや鋭い目つき。高い身長に対して体つきが細く見えるが、少年とは言え八人の暴漢を叩き伏せる程度には鍛えこまれているらしい。


 まだ僅かばかりに若さが残る顔つきのその青年は、倒れ伏す少年たちに右手を向けた。そこに握られているのは、刃渡りが10センチはありそうなナイフだ。しかも、おびただしい血が付いている。

 しかし不思議なことに、怯えた表情で青年を見上げる少年たちの身体には、一切の切り傷がない。…いや、顔面のあちこちに、打撲と思しき腫れが見受けられるが。


「ここいらにいる浮浪者の連中は、お前らから見たら塵同然かも知れねぇ。だがな、れっきとした人間なんだよ。お前らの玩具にされる言われはねぇーんだ。お分かり?」


 吐き捨てるように言ってナイフを逆手に持ち直すと、青年はしゃがみながら地面にそれを思い切り突き刺した。

 一瞬で柄の部分まで埋め込まれた凶器を見て取った少年たちの口から、弱々しい悲鳴が上がる。


「今度この辺りでお前らを見たら、もう容赦はしねぇぞ。分かったか? 分かったら、とっとと失せな」


 青年が顎でしゃくると、数秒経ってからボロボロの少年らがゆっくりと身体を起こし始めた。そしてお互いを支え合うようにして、裏路地から退散していく。捨て台詞の一つも出てこないあたり、青年の真摯な言葉が心にしかと届いたのだろう。

 若人たちよ、これを機に心を入れ替えたまえ。

 …ま、無理だろうがな。クソが。

 

 完全にを彼らの気配が消えたのを確認してから、青年は地面に突き刺さったままのナイフの柄を思いきり蹴とばした。闇の中に乾いた音が響き渡る。ほんの僅かに飛び出した刃の部分をぐりぐりと踏み込み、完全に地面に埋め込んでしまってから、ようやく青年は嘆息した。

 よれよれのコートの上から、腹部を撫でる。そこには、赤く染まった一本の切れ込みがある。だがその内側、つまり青年の肉体には、何故か何の傷跡もなかった。


「あー、クソが。締まらねぇな…」

 

 一張羅を台無しにされてしまったことと、子ども相手に後手に回ってしまったことに対して、青年は怒りとも哀しみともつかない悪態をついた。


 まったく今日日のお坊ちゃん共ときたら、道理を知らない奴らばかりだ。碌に喧嘩もしたことがないものだから、他人にどんなことをしたらどんな風に傷つくのかが想像できない。その癖スラム街に住む人間を見下し、集団でリンチして遊ぼうとしやがる。何が『地上で最も美しい都市』だ。退廃的にも程がある。


 少なくとも、下層出身の“まっとうな労働者”ならそんな下らないことなどしないし、ギャングどもなら尚更、遊び半分で金づるを痛めつけるような馬鹿なことはしない。

 今回のような面倒ごとを起こすのは、決まって上流階層いいとこ育ちの凡々か余所者だ。


「あんな連中が将来の偉いさんになるかと思うと、頭が痛いぜ」


 穴の開いたトレンチコートを脱いで肩にかけると、青年は嘆息して帰路についた。






 ここメトロポリスは、三度の世界大戦を経てなお輝く人類文明の象徴だ。


 外界と隔絶されていても自給自足が可能な、完璧な閉鎖社会。超高度な科学技術と軍事力に守られた、汚れ切った世界に残されたただ一つの理想郷。

 だが謳い文句である『平和と繁栄』という果実を享受できるのは一握りの特権階級のみであり、その他大勢は『抑圧と貧困』に隷属を強いられる。

 権力者たちは世襲制によって代替わりを繰り返し、その日その日を必死に生きる労働者たちは希望の光の一粒すら手にすることができない。


 完結した世界。

 

 どれだけ時間が経っても、何の変化も起こらない。


 明日も、その次の日も、今日と同じ日の繰り返しだ。







「あん?」


 理想郷の将来を担う少年たちの下劣極まる行いに諦念を覚えていた青年は、ふと何かを感じ取ったように夜空を見上げた。するとそこにあるのは、どうにか輪郭だけがおぼろげに見える半月。その他には何もない。闇ばかりだった。


 いや、気のせいだ。

 

 上層のビルディングから放たれるけばけばしい灯りと大気の汚染によって、夜空なんてものはここ数年間まともに見ていない。


 だからきっと、幾つもの流れ星が見えたのなんて、気のせいだ。


 青年は、そう自分に言い聞かせるようにして帰路についた。


 だが、この日。


 確かにこの世界に、大きさの異なる9つの流星が、降り注いだ。

――どうにか“渡り”に成功したものの、仲間たちとはぐれてしまった。恐らく皆もこっちに来ているのだろうから、まずもって合流を急がなくてはならない。

――なんとも殺風景な土地だが、すぐ近くに巨大な都市が見えた。差し当たり、あそこを目指して進むことにする。

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