胸の御守り
今年で俺も三十になる。
ついこの間まで、俺もあれぐらいのガキンチョだった気がするんだがな。
無様に七転八倒しているうちに身体のあちこち毛が生えて声も太く低くなり、いつの間にか大っ嫌いだったはずな大人の仲間入りしていた。
自分を振り返る。
俺の一番遠くにあるものはなんだろうか。
…………。
お袋との思い出、か。
物心つく頃には俺にはお袋と二人で暮らしており、すでに親父はいなかった。
親父は冒険者だったらしい。
依頼を受けている最中に死んだと聞いている。
俺たちはお袋の稼ぎで細々と帝都で暮らしていた。
お袋は治療術を使える稀な人だった。
本当なら金に困ることはなかったはずだ。
だが、貧乏人からはあまり金を取らなかった。
そのせいで商売敵の神殿の連中には煙たがれ、よく嫌がらせを受けていたっけ。
ある年、帝国全土をある流行病が猛威を振るった。
病に冒された連中はいつものようにお袋に縋りついてきたが救えなかった。
治療術を使えば余計に悪化するからだ。
一時は回復するんだが、すぐにより症状が重くなって返ってくる。
治療術を渋るお袋を誰もが無能と罵った。
払う金もないくせに、貧乏人までもがだ。
役立たずの子。無能の子。詐欺師の子。
そう言われて俺も石を投げられたな。
その都度殴り返してやったが。
だけどお袋は鼻血垂らして帰った俺を叱るんだ。
暴力に逃げるとは情け無いと。
それがすっげー不満だった。
裏で扇動していたのはきっと教会の連中だ。
金があるうちは治療術を施して、金が尽きて悪化させた患者をお袋の下へ。
絶好のチャンスだったんだろうよ。
安い金で治療を引き受けるお袋は目の上のタンコブだっただろうから。
借家の主の子が流行り病に倒れ、お袋が呼ばれて看病したが死んだ。
最期にはお袋の治療術で苦しまずに楽に死ねたが、それがいけなかった。
俺たちは借家を追い出された。
子供を失った哀しみを誰かにぶつけなきゃ堪えられなかったのはわかる。
どこへ行っても元借家主が手を回したあと。
誰も俺たちに家を貸してくれなかった。
同業者には人殺しと罵られ、患者はお袋の治療を拒むようになった。
金がなくなり、俺たち親子は逃げるように帝都のスラムに身を置いた。
生活は一変しちまった。
ヒドい環境だった。
うちは貧乏だと思って育ったが、下には下があるものだと思い知った。
お袋がよく嘘をつくようになった。
自分は仕事先でもう食ったから一人で食べろと言うんだ。
だから俺も嘘をつく。
街で親切な奴に沢山食わせてもらったから、もういらないと。
成長する身体に合わなくなった、痛んで穴だらけの服や靴。
見知った同年代のやつの姿を見かけたら慌てて裏道に隠れた。
落ちぶれた自分の格好を見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。
そんな生活で、変わらなかったのはお袋の性分だけ。
スラムでも金にもならない連中をいつも甲斐甲斐しく面倒を見てやって時間を奪われていた。
お人好しなお袋は息子の俺から見ても珍しい人間だった。
だから、カミサマの眼にも止まっちまったんだよ。
こいつは面白そうだ、と。
お袋も流行病にやられちまったのさ。
そら見たことかと思ったね。
死んじまったよ。
俺をスラムに一人残して。
誰も手を差し伸べてくれなかった。
あれだけお袋の世話になっておいて。
……恨んだなぁ。恨んだ。恨みまくった。
一日中、年中、起きている間はずっとずっと恨み続けた。
なによりもお袋のことをな。
生きているときは自分よりも周りの他人のことばっか。
肝心な俺は放って死んじまいやがって……。
俺、お前のせいでこんなに困ってんだぞ……と。
それからは残飯を漁り泥水啜りながら生き抜いた。
お袋が与えてやった連中から奪えるだけ奪って回った。
お袋の復讐。そしてお袋への復讐。
今はもう恨んじゃいないぜ?
むしろ、謝りたい。
これから死ぬってときに、死なないで! ……なんて無茶を言って悪かったと思っている。
あの病気は……痛みもひどい。
なのに、あの頃の俺ときたら日に日に弱っていくお袋に甘えて当たるばかり。
一人ぼっちになる未来が目の前まで迫ってきて。
怖くて、怖くて。
咳き込んで蹲るろくに呼吸もできないお袋にしがみついて。
あんなに身体を揺すって。
……悪かったな。お袋。
それでも最後まで微笑んだまま撫でてくれた。
抱いてくれた。
……ゴメンね……と。
あんた、泣き言も恨み言も最期まで言わねえんだもんな。
今なら、そんなお袋をすげえなと思う。
言わせてやれなかった俺はなんて情けねえんだ。
一人でも生きていける。
心配するな。
お袋の目が開いているうちに、なんでそう強がって胸を張ってやらなかったんだろうか。
…………。
なんであんなに恨んでいたんだろうな。
あの頃のクソガキだった俺は。
本当は大好きだったんだ。
俺はお人好しなお袋が大好きだった。
親父の背中は知らなかったが、いつもお袋の背中は見た目よりもでっかくて。
カッコよかった。
比べてその息子はロクでもねえ息子だよ。
……今じゃさ、もうお袋がどんな顔をしていたかも思い出せねえんだよ……。
こんな愉快な世界に産んでもらった、育ててもらったっていうのによ。
マジで親不孝な息子ですまねえな。
あー、でもよ、お袋。
俺、あんたがくれた温もりだけはちゃんと覚えているんだぜ。
常に俺のここ、胸の奥に在ってさ。
今もこうして温めてくれる。
あんなクソみたいなスラムの底でも凍え死なず、毎朝お日様拝められたのはその温もりのおかげ。
お袋。
……ありがとな。
お袋、いい人だったからさ。
俺、……心配なんだよ。
死んだあと、上手くカミサマの眼から逃げ果せたか?
輪廻の環に潜り込んでマシな生活してくれていると嬉しいぜ。
………………。
あ。お袋?
ちょっと待ってくれる?
まだ輪廻の環に行かずに俺を見守ってくれてんならさ。
もう一つ、俺の愚痴に付き合ってくれないか。
俺もさ〜、どうもカミサマに目をつけられちまったみたいでさぁ。
親子二代ってマジであり得なくない?
しかも、よほどお気に召したらしい。
だってよぅ。
俺、根っからの平民じゃん。
唾吐きかけられる薄汚えスラム出身じゃん?
なのにさ、今、いろいろあって柄にも合わねえ貴族やらされてんだよ!
俺の人生、アステア大瀑布にドボンッ!
顔も出せないくらい揉みくちゃに掻き乱されてんのよ。
…………。
アレだ。
もふもふ師匠との出逢い。
きっとアレが全ての始まりだよな。
今じゃバルバトス領を治める大領主の跡継ぎ。
相続を迫られて困ってる。
当然、そんなの自力でのし上がったわけじゃねえのよ?
あったり前じゃん。
あんたの愚息、今も相変わらず意気地なしなんだよ。
ったく。冗談じゃねえっての!
大領主やってたあの師匠が死んだもんだから、釜押しつけられそうになってる。
お袋、悪いことは言わねえ。
貴族なんざ生まれ変わるモンじゃねえぜ?
師匠に嵌められたのさ。
知らねえうちに俺、師匠の養子に入らされていたんだからな。
な?
これはもう、カミサマは絶対俺の人生を弄んでおいでだろ?
『僕と先生の異世界デバック滞在記』の番外話なので、一部この『ジョナサンの拾い物シリーズ』だけでは説明が足りないところがあります。