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いつまでも一緒に

作者: 本多暮乃
掲載日:2018/02/12


 ドア以外、壁一面が書棚となっている沢木の書斎。部屋の中央には大理石の天板が乗ったアンティーク調の机が置かれている。 机を挟んで向かい合わせに置かれているのは、背面と座面が赤い革張りの椅子だ。

 座っているのは沢木と、ひろみ。

 書類の束に見える製本途中の本をひろみに差し出す沢木。

「なかなかの出来じゃないかな」沢木が満足そうに言う。

「なんか感慨深いです」紅潮し、本を手に取り、パラパラとめくるひろみ。

「いや、だがまだ早いぞ。表紙を付けて初めて自分史の完成だ」

「そうでした。表紙の候補の紙を、紙見本から選んで何種類か持って来たんです」

 バッグから数枚の紙を取り出し並べるひろみ。

「自分史の完成品はまさしく君自身。楽しみだね」

「自分がどういう人間かをこんなに考える時間なんて、もうないかも」ひろみがゆっくり頷いた。

「もうないと考えると真剣度も増すだろうねえ」

 ひろみが並べた紙見本を一枚ずつ掲げるようにして、見え方の具合を確認する沢木。


「じゃあ何十年かしたら、また個人レッスンしていただけますか」

「その頃、生きてたらね」

 沢木、フッと笑って机の上の砂時計に目をやる。

「先生には当然、ご存命でいていただきませんと」

「そうありたいものだね」

 沢木の目線を追って、砂時計に目をやったひろみ、沢木に尋ねる。

「この砂って珊瑚の砂か何かですか」

「さあ」

「質感がちょっと変わった感じですよね」

「そうかい?…それより、この段階で読み直してみると、どんな感じだい?」

 そういわれて、ひろみは、再度、製本途中の本を、ゆっくりとめくった。


「うーん。もっと書くべきことがあったかも。病気のことばかりになってる」

「でも、自分史を書こうと思ったのは病気がきっかけでしょ」

「いつどうなるかわからないんだなと思ったら、何か残しておきたくなって」

「最初はびっくりしたよ。君みたいな若い子が作りたがるものじゃないからね」

「私もびっくりでした。カルチャーセンターの講座はお年を召した方ばかりで」

「君の目が〝ここ、老人会?〟って言ってたよ」

 笑い合う沢木とひろみ。

「個人レッスンに切り替えていただけたので、落ち着いて取り組めました。運が良かったです」微笑むひろみ。

「どうだろうね」

「私、先生のレッスン受けるようになってから運気が上がりました」ひろみが生き生きとした目で言う。

「それは光栄だね」

「実は一昨日、お医者様から完治のお墨付きをいただきまして」

「おお。それはおめでとう」

「霧が晴れた感じです」ひろみが、ゆっくりと笑う。

「そうか。これからが楽しみだね」

「はい。もっと別のものも書いてみたくなりました」

「小説? エッセイ?」

「恋愛小説なんていいかなって…あ、ちょっと思っただけですけど」

「いやいや。何かを作りたい、残したいという強い気持ちがあれば、必ず形にできるものだよ」

「はい」嬉しそうに微笑むひろみ。

「…だがその前に、まずはこれを完成させよう」本を手に取る沢木。

 ひろみが机の上の砂時計に目をやる。

「でも、本が出来上がったら、先生とも会えなくなっちゃうんですね。淋しいなあ」

「いつでも会えるさ」

 沢木の言葉に、うつむき加減で微笑むひろみ。


「さて、そろそろ飲み頃かな」

 砂時計の最後の一粒が落ちる。

 ポットからティーカップに紅茶を注ぐ沢木。スプーンを添えて、ひろみに差し出す。

「ありがとうございます」

 沢木が一口飲んで言う「うん…いい香りだ」

 ひろみは、紅茶をカップの真上から覗き込み、鼻で大きく息を吸う。

「お花の香りがします。何ていう銘柄ですか?」

「リゼというトルコ産の紅茶だよ。輸出量が少ない貴重な茶葉なんだ」

「そんな大切なもの、いただいてよかったんですか」

「いいさ。今日は特別な日だ」

「ありがとうございます…」はにかみながら微笑むひろみ。「えーと…この深い赤、あのトートバッグと似てますよね」

 窓際の木製コートハンガーに掛かっている赤いバッグを小さく指さすひろみ。

 目を細めてバッグを見つめる沢木。

「手染めなんだ。染料を集めるのがちょっと大変だった」

「先生って、本当に多趣味でいらっしゃいますよね」

 ひろみは、紅茶にミルクを入れるとスプーンでかき混ぜた。渦を巻きながらピンクになっていく紅茶。

 その様子をじっと見つめる沢木。

「…どうかなさいました?」

「そうだ、この紅茶で燻製したジャーキーがあるんだよ。ちょっと待ってて」

 沢木は書斎を出て行った。


  *  *  *


 キッチンで、棚からジャーキーを取り出し、皿に乗せる沢木。

「これで最後か…すぐ作らないと」

 沢木はジャーキーを一片かじると、目を瞑り味わった。


  *  *  *


 ひろみは窓際へ行き、庭を眺めていた。

 花びらが尖った白い花が一面に咲いている。

「何ていう花かしら」

 窓際を移動していたひろみは、コートハンガーのトートバッグに腕が触れた。

「あ…あら、何か入ってるみたいね」

 バッグの中を覗くと、中には赤い表紙の本があった。それを取り出すひろみ。

「革の装丁…すごくしっとりした手触り」

 ひろみは本をパラパラとめくった。中は日記帳のようだった。日記の日付は飛び飛びで、どれも〝至福の一日〟とだけ書かれている。

「記念日メモかしら?」

 最後に書かれたページに目を留めるひろみ。

「今日の日付?…まさか私と会う日が至福の一日ってこと?」

 ひろみは嬉しそうな顔で赤い本をギュッと抱きしめた。

 そして、ひろみがもう一度、本を広げようとした時、ひろみの手から本が床に落ちた。

“…右手が…しびれる”

 左手で右手を押えるひろみ。体がぐらりと揺れ、床に倒れ込む。声を出そうとするが出ない。

“体が…”


  *  *  *


 ジャーキーの乗った皿を持って沢木が部屋に入って来た。

 窓際で仰向けに倒れ、動けずにいるひろみを一瞥すると、皿を机に置き、一切れ手に取る。

「けっこう速いな、テトロドトキシン」

 沢木は窓際へ行き、床に落ちている本を拾った。埃を払うとバッグに戻す。

 しゃがんで、ひろみの顔を上から覗き込む沢木。

「こらこら。大切な革が傷んじゃうじゃないか」

 ひろみは、動かない瞳で沢木を見つめる。

“先生…体が…”

「ジャーキー食べてもらいたかったんだけどなあ。この美味しさがわかれば、君自身が干し肉になる意義と幸せも理解できるはずだからね」

 ジャーキーをかじり、くちゃくちゃと音をさせる沢木。

“え…?”

「その前に、まずは装丁だ」

 沢木は、ひろみの服を脱がせ、うつ伏せにすると、背中をゆっくり撫でまわした。うっとりと目をつぶる沢木。

「ああ…いい手触りだ。赤い日記帳に勝るとも劣らない」

 沢木は机の引き出しから大きな曲尺を取り出し、ひろみの背中に当てた。

「余白も含めて30センチ×45センチ位かな」

“何を…”

 噛み終えたジャーキーをごくりと飲み込む沢木。

「トートバッグも染め直したいと思ってたんだよね。装丁の次はそれかな」

“え…?”

「そうだ。もう少し大きい砂時計も作ろう」沢木がひろみの右肩に触れる。「骨太な感じがするし、砕けば、たっぷり砂が作れそうだ」

“いや…”

「あと、ティースプーンをもう何本か作るのもいいな」

“先生…”

 沢木は立ち上がると窓の外の花を眺めて微笑んだ。

「作業が済んだら、残りはおまえたちのごちそうだ」

“やめて…”

 ひろみを見下ろす沢木。

「あの花はアングレカムという花なんだよ。花言葉は〝いつまでもあなたと一緒に〟」

“助けて…”

「淋しい思いなんてさせないさ」

 沢木は再び机に行き、引き出しから革包丁を取り出した。

 そして、ひろみの横にしゃがむと、ひろみの首を自分のほうに捻じ曲げ、微笑んだ。

「僕たち、いつまでも一緒なんだから」

(終)


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